【ケンちゃんクリーニング】は地方の商店街の一角にある小さなクリーニング屋さんだ。
縦長の古びたビル。
1階は店舗で、2階の畳部屋には店主のケンちゃんと年老いた母親の2人が暮らしている。
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ケンちゃんは50歳。
未だに独身だ。
坊主頭に小柄なぽっちゃり体形で、年がら年中ジーンズのオーバーオール姿をしている。
趣味は女子アニメキャラのフィギュア収集。
母親は今年88で足腰は弱り、かなり認知症が進んでいた。
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イラッシャイマセ、、イラッシャイマセ、、
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呼び鈴代わりの機械的な女性の声が、店内に鳴り響いた。
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2階の部屋で母親と二人、朝ごはんを食べていたケンちゃんは「は~い」と返事をすると立ち上がり、階段を降りて受付カウンターに立つ。
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ピンクのパーカーを羽織る20歳くらいの小柄な女性が携帯を見ながら無造作に白い紙袋をカウンターの上に置くと、
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「今日中で」
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とぶっきらぼうに呟く。
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ケンちゃんはすぐに紙袋の中身を確認した。
ブラウス1枚にジャケットが1枚、そしてパンツが1本だ。
彼は「承知しました」と言って女性の顔を見ると、代金を伝える。
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それからレジを打ってお金を受け取った後、「今日の午後4時には仕上がりますから」と言って、何故だか緊張した面持ちで彼女に伝票を渡した。
その右手は微かに震えている。
女性がピンクの財布の中にその伝票を収めている様子をじっと見ながら、ケンちゃんは少し紅潮した顔で語りかける。
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「あの、き、、今日はいつもより素敵なネイルですね」
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その若い女性は一瞬驚いたような顔でケンちゃんを見たが、すぐに無表情な顔に戻り軽く会釈をしてから背中を向け歩きだそうとする。
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その時だった。
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先ほどまで温厚な表情をしていたケンちゃんが豹変した。
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まるで薬物中毒患者のような目で女性を睨み付け、カウンター下の棚にある防犯用のスタンガンを片手に持つと、素早く女性の首筋にあてがった。
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パチン!
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スタンガンから小さな火花が飛び散り、彼女は声を出す間もなくその場にへなへなとうずくまる。
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それからカウンターを乗り越え女性の両手を掴むと、引き摺りながら再びカウンター後方に回り込む。
そして背後の隅っこにあるドアを開くと、再び女性の両手を掴み引き摺りながら、その向こうにある部屋に入って行った。
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8帖ほどのコンクリート造りの室内中央には、金属の吊し棒が並んでいて、そこには既に仕上がりビニールで包装された服がズラリと吊り下げられている。
そして右手奥の壁際には天井まで届く棚が置かれており、様々なポーズをした女の子のフィギュアが並べられていた。
その全てはきちんとビニールで包装されている。
ケンちゃんは、ぐったりとなった女性を床に寝かせると、ホッと一息ついた。
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─遅いなあS美、、、クリーニング屋さんに行くと言って出ていったきり、もう大分経つけど、、、
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リビングのソファーに座るY子が、携帯画面で時間を見ながら呟いた。
S美とY子は同じ女子大に通う二十歳の女性で、とあるマンションの一室をシェアして暮らしている。
その日の夜、二人はT大の男子学生と合コンをする予定をしていた。
S美はそこに着ていく服をクリーニングしてもらうと言って朝イチに出ていったのだが、もう昼を過ぎようとしている。
携帯にも連絡を入れたが、連絡をとることは出来なかった。
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─もしかして、事故?
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一抹の不安がY子の胸をよぎる。
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─とりあえず、クリーニング屋さんに行ってみよう。
そしたら、そこの店主が何か知ってるかも。
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彼女はそう思って立ち上がり急いで上着を羽織ると、マンションを出た。
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【ケンちゃんクリーニング】は、マンションから歩いて5分のところにある。
近くて便利ということで、Y子もたまに利用していた。
昔ながらの商店の立ち並ぶ中にあるクリーニング屋のドアを、Y子は開ける。
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イラッシャイマセ、、イラッシャイマセ、、
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無味乾燥な女性の声が彼女を出迎えた。
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しばらくするとケンちゃんが「いらっしゃいませ」と笑顔で現れる。
Y子はカウンター前に立つと、かいつまんで帰ってこないS美のことを話し、最後に「何か知りませんでしょうか?」と尋ねた。
ケンちゃんは腕組みをして考えるような姿を見せた後、こう答えた。
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「確かに朝方そのような女性が来店され、今日中に仕上げてほしいと言われましたが、無理ですと言うと黙って帰られましたよ」
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「そうですか、分かりました」
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そう言ってY子はケンちゃんに頭を下げると、店を出た。
その後彼女は、近辺にあるクリーニング屋をしらみ潰しに廻ってみたが、残念ながら何の手掛かりも得ることはなかった。
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Y子がマンションに帰ろうと歩きだした頃には、もう夕暮れになろうとしていた。
しばらく歩き、途中小さなローカル駅前の広場を通りすぎようとした時だ。
広場の真ん中辺りで女性が一人立ち、何やら声を出しているのに気づいた。
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「何かご存知の方おられませんかあ!何かご存知の方おられませんかあ!」
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40歳くらいだろうか、白髪交じりの黒髪を一つに束ね赤のトレーナーにジーパンスタイルという出で立ちで、通りすぎる人たち一人一人に声を掛けながらビラを手渡している。
その顔は傍目にも必死さと悲壮感がうかがえた。
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Y子は引き寄せられるようにその女性に近づき、ビラを受け取る。そして立ち止まると中身に目を通した。
A4の紙に書かれたその内容は、
2年前のこと。18歳の一人娘がこの近辺で消息を断って未だに見つかっていない。それで何か少しでも心当たりある方は連絡くださいというものだった。
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S美の件もあったY子は思わずその女性に声をかけ、少し話を聞かせてほしいとお願いした。
二人は駅前広場の片隅にあるベンチに腰掛け互いに自己紹介した後、話しだす。
女性(以下Aさんとします)は疲れきった顔で、こう切り出した。
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「あれは二年前のちょうど初春のころでした。
その年高校を無事卒業し春から就職も決まっていた娘は、上のお姉ちゃんからもらったお下がりのリクルートスーツを持って、朝からクリーニング屋さんに出掛けたんです。
そうです、あそこの【ケンちゃんクリーニング】です。
その後、昼過ぎても娘は帰ってきませんでした。
それで心配になり、あちこち探したのですが見つからず、警察に通報をしたんです。それから警察や地元のボランティアの方々に協力してもらい探してもらったのですが、結局、今日まで娘は見つかっておりません」
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─似ている。
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Aさんの話を聞いた後、Y子は思った。
S美も【ケンちゃんクリーニング】に出掛けると言って出ていき、未だ帰ってきていない。
Y子はAさんにその日に起こったS美の話をした。
話を聞いた後、Aさんが口を開く。
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「娘の時と似てますね。
どちらも【ケンちゃんクリーニング】に行くと言って出掛けて、それからいなくなってる。私ももちろん当時そのクリーニング屋を訪ねたんですが、店主曰くは、約束の期日に仕上げられないという理由で仕事を断ったみたいなんです」
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Y子は最後Aさんと連絡先を交換して別れた。
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翌日になっても、やはりS美がY子の前に姿を現すことはなかった。
やむを得ずY子は警察に通報をする。
昼前にマンションに訪ねてきた刑事に、彼女は昨日の顛末を話した。
Aさんと話したことも。
リビングのテーブルにY子と向かい合った中年の刑事が、口を開く。
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「なるほどS美さんもAさんの娘さんも、その【ケンちゃんクリーニング】に行くと言って出掛けたわけですね。
そしてその時二人とも仕事を断られている。
そしてその後に失踪した。
偶然にしては奇妙に事実が符合してますなあ、、」
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刑事はしばらく腕組みをしていたが、やがて再び話しだした。
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「分かりました。
S美さんの件につきましては、事件・事故の両面から捜査していこうと思います。そして何か動きがありましたら、そちらに連絡しますので、よろしくお願いします」
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それから数日経った夕刻のこと。
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【ケンちゃんクリーニング】のビル1階店舗奥にある部屋。
今は誰もおらずひっそりとしている。
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そこは8帖ほどの保管庫。
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室内中央には、
お客様の受け取りを待つビニールに包装された洋服たちが、天井から鎖で固定された金属のポールに掛けられている。
そのズラリと並んだ様々な洋服の最後尾に一つだけ、洋服ではない奇妙なものがあった。
大きなビニールに入れられたその「人」らしきモノは、フックによりぶら下げられていた。
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紺のセーラー服を着たその「人」は蓑虫のように丸まっていて、頭髪は部分部分抜け落ちており顔や手足はどす黒く筋張っていて、すでにミイラのように干からびている。
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2階、畳敷きの室内中央には大きめのコタツテーブルがある。
奥には商店街を見渡せる窓があり、あとはテレビがあり、タンスがあり、仏壇がありと、どこか昭和を思わせる室内の眺めだ。
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テーブルを挟んで、ケンちゃんと白髪の母親が向かい合い座っている。
先ほどまで晩御飯だったのか、テーブルの上には茶碗やお皿が並んでいた。
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そしてその間にもう一人誰か、窓を背にして座っている。
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ピンクのパーカーを着た若い女性だ。
ただその様は明らかに普通ではなかった。
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彼女も何故だか透明の大きなビニール袋にすっぽり包まれていて、ピクリとも動かず座っている。
両目を大きく見開き呆けたようにぽっかり口を開いたまま天井を見上げている。
顔は完全に血の気を失っており、既にどす黒く変色していた。
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「おう、おう、今度もまた可愛らしいお嫁さんじゃあ」
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そう言って母親は湯飲みのお茶を一口すすると、皺だらけの顔で物言わぬ女性の顔を下から覗きこむ。
それから今度は正面に座るケンちゃんの顔を見て、
「ケン坊、ありがとうな、わしは親孝行な息子を持てて幸せもんじゃあ。これで母ちゃんも安心してあの世にいけるわ」
と満足げに呟く。
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するとケンちゃんは微かに笑みを浮かべながらうなずき、
「母ちゃんそんな悲しいこと言わずに、これからも長生きしてくれよ」と言うと手を伸ばし、母親のか細い手を握った。
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その時既にビルの前には1台のパトカーが停車しており、刑事が制服の若い警官を伴い店舗のドアを開けるところだった。
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Presented by Nekojiro
作者ねこじろう