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中編6
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地下鉄の下り階段

上司が突然入院したために業務引き継ぎを兼ねてお見舞いに伺った時に何があったのかを本人から聞いた。

その日は朝からハードスケジュールでな。都内の顧客を多数回って最後の顧客のところを出たときはすでに17時を超えていたんだ。

この日は1日パソコンを開けなかったので処理すべき案件が山積みだった。

さて帰社して腰を据えてやるか近くの喫茶店で急ぎのものだけでも処理してしまおうか悩んだが一度帰社することにしたんだ。

10分ほど歩いて最寄りの地下鉄駅に着いて地上から地下鉄駅への下り階段を降りた。

その駅はB1階に改札がありホームはさらに下にある構造だった。

改札を通ってホームに降りていこうとしたんだが急にどっと疲れを感じてな。ちょうど目の前にベンチがあったので少し休むかと腰を下ろしたんだよ。

鞄を肩から降ろして少し目を閉じて深呼吸を一つ二つ。

ああ身体重いなぁとか思いながらも意識は帰社してからやるべきことの優先順位付けをしていた、はずなんだよ。

ハッと目が覚めて自分が完全に寝落ちしてしまっていたことに驚いた。

スマホで時間を見ると2時間ほどが経っていた。

帰宅はだいぶ遅くなりそうだなとひとりごちてホームに続く下り階段をやや急ぎ足で降りていった。

そこの階段は折り返し階段になっていて20段ほど降りたら踊り場で、そこで180度回りまた階段を降りていく構造だった。

疲れてるみたいだから急ぎの案件だけ処理してさっさと帰ってしまおうなどと考えていたんだ。

脳のリソースのほとんどをこれからの事務処理のことに割いてひたすら階段を降りた。

ふと違和感を感じた。

あれ?どれだけ降りるんだ?

意識していなかったからわからないがそれでもそこそこ長い間降り続けているのはわかる。

まあすごく深い駅もあるよなと思いながらさらに降りていった。

おかしい。もう確実に10回は折り返している。

ということはすでにB5あるいはB6程度の深さに到達しているのではないか?

そんなに深い駅があるのか?

さらに降りていく中でまた一つおかしな点に気づいたんだ。

階段を降り始めてから誰ともすれ違っていないんだよ。まだ19時なのにも関わらずだ。

でもこれについてはすぐにもっともらしい理屈に気づいた。

こんなに長い階段を登るのは骨なのでこの駅を使い慣れてる人はエレベーターなりエスカレーターなりを使うのだろうと。

そう自分を納得させたものの降りる足は少し焦っているかのように早まっていた。

しかしさらに10回ほど折り返した時点で違和感は確信に変わった。

明らかにおかしい。

こんな深い駅なんて聞いたことがない。

だが降り続ける以外の選択肢がその時はなくひたすらに不安を押し殺して降りていく。

少しずつ電灯の光量が弱くなってきていることにも気づいた。

踊り場の上から見下ろすが下の踊り場がよく見えなくなっている。

それでも足は止まらなかった、止められなかった。

次折り返せばきっと明るいホームが現れるに違いない、そう信じて降り続けた。

そんな淡い期待も虚しくいくら降りてもただ暗くなるだけでそれ以外の変化はなかった。

とうとう踊り場から見下ろした階下はほぼ暗い穴のようにしか見えなくなってしまった。

これ以上は降りたくないと頭に警鐘が鳴った。

しかしこれまで降りた距離を思い返すと登って戻るのは絶望的なように思えた。

どうしようと逡巡したがふと過去に受けた研修の内容が頭をよぎった。

コンコルド効果・・・人は投資の継続が損失の拡大に繋がるとわかったとしてもすでに支払ってしまったコストを惜しんで損切りができず却って損害を大きくしてしまう人間心理

ああ完全に損切りするタイミングを間違えたな、となんだか笑ってしまった。

よし戻ろう。そう決断し今まで一心不乱に降りてきた階段を逆に登り始めた。

一体どれくらいかかるだろうか、途中で力尽きないだろうか、こんなことならジムにでも通ってればよかったななどと考えながら登ったよ。

驚いたことに数回折り返すと先ほど居眠りしてしまった改札階のベンチが目に飛び込んできた。

混乱のあまり呆然と立ち尽くしていると急ぎ足のサラリーマン風の男性とぶつかって舌打ちをされてしまったがそんなことが涙が出るほど嬉しかった。

しかし足がへとへとで立っているのも大変だったので再度ベンチに腰を下ろすことにした。

今自分が体験したことはなんだったのだろう?いわゆる怪奇現象というやつなのだろうか?

疲れのせいか考えはまったくまとまらなかった。

目が覚めた。

また寝てしまっていた!?

無意識にスマホを見る・・・19時。

階段を降り始めたのが19時だったはずだ。時間経過がおかしい。

ということはさっきまでのは単なる夢だったということか。いやぁ酷い夢だったとニヤつきながらホームに続く階段を降りた。

無意識的に折り返す回数を数えてしまう。

1回、2回、3回・・・そろそろホームかなと思いつつ歩を急いだ。

やめてくれ。さっきのは夢だろう。

いつまでもホームに辿り着けない。どころか夢と同じように、いやそれ以上の速さで暗くなっていく。

冷や汗が背中を伝ういやな感覚。

10回ほど折り返したところでもう下の方はよく見えなくなった。心が恐怖で満たされる。

何が起こっている?夢が現実化した?わけがわからない。

自然と足が止まった。その場に腰が砕けてへたり込む。

まるで何時間も歩き続けた時のように足が痛い。

やや迷いながらも革靴を脱ぎ足裏を揉む。ああ少し楽になった。

少し休んだらまた登ろう。

目が覚める、ベンチの上で。

愕然とする。

時間は・・・19時。

どこからどこまでが夢?全部夢?

今自分は起きているのか?これも夢なのか?

何も信じられないが視線は下り階段に吸い込まれる。

もう一度降りるか?

いや、もうあそこには行きたくない。

身体中が酷く痛むがなんとかしてベンチから立ち上がる。

改札に向かい駅員に間違って入場してしまったと伝えPASMOを処理してもらい改札を出た。

外に出たらタクシーを拾うかと考えながら地上に出る階段を登る。

もう夜だというのに地下から見上げる地上は妙に明るかった。

最後の一段を上ったとき外の明るさに目が眩み咄嗟に目を閉じる。

ゆっくりと目を開ける。明るいベッドの上で。

周囲を見回し病院なのだと理解した。

身体中が痛いし、色々なものがつながっていて動けない。

痛みを我慢してナースコール的なものを手探り鳴らす。

看護師さん、遅れて医者がやってきて検査や質問をされた後に自分に何が起こったかを教えてもらえた。

どうやら私はあの日の19時ごろあの駅のホームへと降りる階段を降りていたところ、急いで降りようとしたサラリーマンに押されて転落してしまったらしい。

打ちどころが悪かったのか意識をなくしてしまったためにそのまま緊急搬送されたとのこと。

その後脳の検査や記憶や言語などの試験をされたが大きな問題はないとのことで安心した。

その翌日には警察が二人組で来た。

故意ではない事故ではあるが色々確認する必要があるとのことで小一時間ほど話を聞かれたんだが奇妙なところがあったんだよ。

「あなたが転落したのが19時5分ごろで改札を通ったのは17時15分でした。改札を通った後はどこにいらしたんですか?」

「お恥ずかしながらベンチで居眠りをしてしまっていました」

「あー、やはり頭を打ってるから記憶に混濁があるようですね」

「どういうことです?」

「あの駅の改札階には椅子のようなものはないですよ。また改札を通った後そのままホームに降りていくのが階段入り口の監視カメラに映っていました。ですがホーム側出口のカメラにはあなたは映っていませんでした。」

「ということは?」

「はい、2時間弱あなたは階段内にいたことになります。」

「そんなわけないじゃないですか。」

「いえ、非常に不自然なのですが監視カメラを調べる限りそう結論するしかないのです。何か覚えていませんか?」

「・・・いえ、ちょっと今は思い出せないです。」

「そうですか、あまり無理せずお大事になさってください。」

もちろん頭を打って意識を無くしてるんで私の記憶が飛んでしまってるのは仕方ないんだが2時間弱も私は階段で何をしていたんだろうな。

そして私が夢と思っていたものは本当に全部夢だったんだろうか?

もしかしたら一部は現実だったんじゃないか?なんてことを考えては不安になるんだ。

だからどうにも階段には近づけないんだ。次は本当に戻って来れなくなるような気がしていて。

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