東京で働いている私のところに急に母から来週叔父さんが東京観光に行くから晩御飯でも案内してあげなさい、あんたお店とか詳しいんでしょ?との指令が飛んできた。
普通ならこんなもの仕事を理由に断るのだがあの叔父さんなら話は別だ。
今年の新年会で私は叔父さんが警察署長時代に様々なお化け案件をまとめた有砂橋事件・事故ファイルというものを管理していたことを知った。
中身まではまだ聞けていないのでなんとしてでも聞き出したい。
ちょうど予約半年待ちの寿司屋を接待用に予約していたが先方がインド工場でのトラブルの後始末のために急遽インドに発つことになってしまったためにこの権利を誰かに譲ろうかと社内で募集をかけようかと思っていたところなので誠にタイミングが良かった。
美味い料理に美味い酒を何よりも愛する叔父さんならきっと気に入ってくれるに違いない。
当日叔父さんは予約時間の15分前に来た私より早く店の前にいた。どれだけ楽しみだったんだろう?
個室に案内された私たちは早速飲み物を注文する。私は生ビール、叔父さんは日本酒リストを目を皿のようにしてこれはというものを選んでいた。
その時のやりとり
「こんな良さそうな店よく知ってるなぁ。流石に東京で働いてるエリートは違うな。」
「エリートじゃないし。それに普段は接待でしか来ないよ。でも今日は『特別に叔父さんのために』予約したんだからね。」
「いやぁ孝行な甥を持ったもんだ。」
などとたわいのない話をしていたら次々と料理が運ばれてくる。
ここは純粋に寿司のみを楽しむこともできるけどコースでお願いすれば料亭のようなメニューを楽しむことができる。
叔父さんも「ああ、これは美味いなぁ、これも美味いなぁ」と大変ご機嫌であった。
私自身は料理に殊更に詳しい訳ではないため何を自分が食べているのかも良くわかっていないが叔父さん曰くとても趣向の凝ったものばかりらしい。
いい感じに叔父さんが酒が回り始めたころを見計らって切り出す。
「ねえ叔父さん、この前の有砂橋ファイルの中の話を聞かせてよ。」
「前にも言ったがあれは機密事項だから・・・そうはいってもこんなにしてもらってるからなぁ。
そうだな、話せるものを1つだけ話してやろう。当時新聞にも載った事故だからまあいいだろう。」
「これは確か昭和40年代ごろの事故だったかな。
とある川、A川とでもするか、そこの観光向けの渓流下り船で転覆事故があった。
運良く死人が出なかったが一歩間違えれば大惨事になっていたかもしれない危険な事故だったらしい。
表向きの事故の原因は船頭が櫂を落としてしまい操舵不能になり岩に激突し転覆ということになっているし、新聞にもそう書かれた。
ただ事故に遭った当事者や船頭などの発言と捜査で明らかになった事実に矛盾することがあったんだ。
船頭や乗船していた客からの聞き取りを総合すると
船が出航して5分ほど経った頃、突然1人の男の子が癇癪を起こして暴れ出した。
見た目的には幼稚園程度の子で船頭の漕いでる櫂を自分も持ってみたいと船の上で地団駄を踏んで騒ぎ出した。
あまりにひどくて暴れるのとちょうど流れが緩くなる箇所だったため船頭はちょっとだけだよと櫂を男の子に手渡したそうだ。」
「信じられない危機管理意識だね。」
「まあ、大らかな時代だったんだよ。
で、その男の子は櫂を受け取るやいなや櫂を川に放り投げてしまった。
呆気に取られた船頭だが、さらに異変に気付いた。川は変わらず緩やかなのに船が異常なまでに激しく揺れ始めた。
その時の揺れはまるで船を傾けようとするようなとても不自然なものに感じたそうだ。
船頭が手をこまねいていると一際大きく船が傾き一気に転覆、乗員全員が川に投げ出されてしまった。
ただ流れが緩やかな箇所で乗客全員がちゃんとライフジャケットを着ていたために全員がなんとか岸に自力で上がることができたのは不幸中の幸いだったな。
ただおかしなことが何点かあったんだ。
まず初期救助に当たった船頭本人が男の子が岸に上がっていないことに気づいた。しかし岸に上がった人の中で誰も我が子がいないと探している人はいなかった。
船頭の発言をもとに警察はA川全域を捜索したが男の子やその痕跡が全く見つからなかった。
またその日の渓流下りのチケットの販売履歴を照会したところ子供のチケットは1枚も売れていなかった。
もちろん乗客全員に確認したが誰も子供を連れては来ていなかった。
そして後日下流で櫂が回収された。柄の部分にはべっとりと粘つくものが付着していて生臭いような異臭を放っていた。これは最終的にはヘドロや微生物のようなものだろうとして処理された。
結局男の子の存在については船頭や乗客は川に落ちたことで記憶に混乱が起きているだけでそんな子は初めからいなかった、船頭が過失で櫂落としてしまったことに起因する事故と結論付けられた。」
「船頭さんに全て押し付けたんだ・・・。」
「おいおい人聞きの悪いことを言ってくれるなよ。たしかに船頭の業務上過失傷害の線で捜査は進んだが最終的には不起訴となっている。不起訴の理由は公開されていない。」
「その謎の男の子については深く捜査しなかったの?」
「お化け退治は俺たちの管轄外だからなぁ。」
「正体不明の子供船幽霊かー。怖いね」
「まあそういうものがいようがいまいが川は危ないものよ。毎年200〜300人が川の事故で亡くなっているんだからな。お前も気をつけろよ。」
「300人か、すごい人数だね。その内何名が何物かによって引き摺り込まれたんだろう?」
「くだらんことは考えなくていい。大事なのは安全意識と危機管理だ。」
「了解。ゆめゆめ気をつけるよ。」
お店を出て叔父さんをホテルの最寄駅まで送り、1人帰りながら考える。
自分の知らない世界に触れた興奮と同時に疑念もあった。
叔父さんは真剣に話していたが今日聞いた話は本当のことなのだろうか?
もしかしたら叔父さんの口から出まかせ、あるいは実際の事故を膨らませて適当に作った話の可能性はないだろうか?
まあいずれにせよ今は確認のしようもない。
きっと他の話も聞ければ判断がつくだろう。
さあて、次はどこに叔父さんを招待するかお店を探さないと。
作者礎吽亭雁鵜