「あいうえお怪談」
第1章「あ行・い」
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第6話「異形のモノたちと僕」
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塾の講師をしていた時、遅刻して来た子から聞いた話。
「厭なモノを見てしまい、死にかけました。」
と、たいそうな体験をしたにも関わらず、実に落ち着き払った口調で、淡々と話す男子生徒。とても小学生とは思えないほど、老成した男子塾生だった。
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彼の口調で、異形のモノたちに遭遇した恐ろしい体験を、彼が語ってくれた生い立ちも含め、語ってみようと思う。
読んでくれたら嬉しい。
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僕は、小さい頃から人には見えないモノが見える少し変わった子どもだった。
僕には、3つ違いの兄と妹がいるが、ふたりとも、そういった類(たぐい)のものは一切見えないらしかった。
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僕は、「見えない」兄と妹が羨ましかった。
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僕の周囲には、両親、祖父祖母はおろか、従兄弟、従姉妹、親類縁者、知る限りの身内をあたってみても、「この世ならざるもの」「見えざるもの」が見える人は、過去も現在もひとりもいない。
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こういうことは、「遺伝」的要素が強いとも言われるが、なぜ、僕だけが、「特異体質」「突然変異」なのかは、未だに分からない。分かる気にもならないし、分かったところで、どうっすることも出来ないと思う。
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幼稚園の年少組の頃、疲れ切った母に手を引かれ、児童相談所に隣接した保健所で、遊びの延長のようなつまらない検査をした。昼近くまでそんなことで時間を費やし、児童心理学者兼精神科医が下した結果は、「いたって普通」。
その判定結果に、母は、なぜか酷く落胆していた。
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僕になんらかの「異常」が見つかったら、僕のおかしな言動が「納得」できたのだろう。
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帰り道、立ち寄ったデパ地下で流れていた曲に併せ、
♪ありの~ままの~
すがたみせるのよ~
ありのままのじぶんになるの~♪
と、鼻歌を歌う母に、少しだけ失望した。
―嘘つけ。
そんな気持ちだった。
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「今度みんなで映画観に行こうか。」
「いいよ。別に。」
―どうせ、僕は、ありのままになんて生きてはいけない。
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以来、僕は、言葉数の少ない孤独な幼少期を過ごし、そのまま思春期を迎えた。同級生とは、挨拶や言葉をかわす程度で、自ら友達を作ろうだなんて思うことは辞めた。正直、そんな自分が面倒くさくて、本当は、たまらなく嫌だった。
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僕にしか見えないモノたちの多くは、透けた身体を持て余すかのように、その場に突っ立っていたり、どこか物憂げな表情を浮かべ、道行く人々を見つめ続けているだけの鬱陶しい存在だった。
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すれ違いざまに、「おい。」「ねぇ。」と声をかけてくるモノ。目玉のない真っ黒な洞穴のような目で「おまえ、見えているんだろう。」と絡みつくモノ。「不倫」「浮気」「借金」のせいで、こんな羽目になったと、自分のことは棚に上げ恨みがましく話しかけて来くるモノもいた。
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いちいち、付き合ってなどいられない。
こいつらを徹底的に無視し続けた。
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ある日、塾へ行く途中、駅のホームで電車待ちをしている時、「なぁなぁ、いつまでも無視してねえで、おいらと遊びに行こうや。」と、ボロ雑巾のような服を着た男が、歪んだ顔でにじり寄って来たことがあった。
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「だめだよ。これから、塾に行かなきゃならないんだ。」
周囲の人たちに気づかれないように、心のなかで、激しく拒んだのだが、男は、これ幸いとばかりに「へへへ。どうやら、見えているのはおまえだけのようだねえ。」と執拗に絡み続けて来る。
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あまりのしつこさに、「うるさい。あっちへいけ。」「おまえはもう死んでいる。」「いいかげんにしやがれ。」と怒鳴り、思いっきり足で蹴りつけた。
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うぉっぉぉぉぉぉ
地響きのような声を響かせた男の身体から、真っ赤な炎が立ち上り、紫色に腐敗した手が、俺の首を締め付けた。
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いひひひひひひひいひ
しねしねしねしねしねしねしね
ほらほらほらほらほらほらほら
すぐそこ すぐそこ すぐそこ
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息ができず、悶え苦しむ僕の耳に、夥しい数の不気味な声がこだまする。線路、ホームから無数の手が伸び、両肩、腕、腰、足、に絡みつく。
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身体中羽交い締めにされ身動き一つ出来ない僕は、無数の手にぐぃぐぃと駅のホームの白線ギリギリまで引き寄せられ、危うく駅のホームに突き落とされそうになった。
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その時、たまたま、隣りにいた屈強なサラリーマンが、異様な雰囲気に気づき、僕の身体に体当たりをして来た。
サラリーマンと僕は、重なり合うようにしてその場に倒れた。
サラリーマンは、既(すんで)のところで、落ちる寸前の俺を取り押さえてくれたのだ。
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おかげで事なきを得た僕と、サラリーマンの目と鼻の先を、
ぷぉおおおおお
けたたましい警笛音を挙げて、電車が通り過ぎた。
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「ちっ。もう少しだったのによ。」
ぼそぼそぼそぼそ
くちゃくちゃくちゃ
びちゃびちゃびちゃ
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悍ましい姿をした「異形のモノたち」は、汚泥のように臭く汚い息を履きながら、ぐるぐるまわる大きな渦に呑みこまれるようにその場から消失した。
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「危ないじゃないか。身体具合でも悪かったのか。しっかり地に足をつけろ。」
ラガーマンのようなサラリーマンに、怒鳴られながらも、僕は、少し嬉しかった。
かろうじて、死なずに済んだと。
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その時、僕は、確信した。
こいつらの中には、『人を殺せる』モノがいる。
下手に関わったら、『殺される』と。
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そんなことがあってから、僕は、生きている人間と、そうでない異形のモノたちとの間には、大きな壁というか溝というか、相容れないものが有ることを悟った。
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この日以来、僕は、「人と人ならざるもの」に対する見方を少し変えた。
僕自身、変わらなければと思わされた。
相変わらず、寡黙で人付き合いは苦手だが。
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ただ、たまに、「見える」と公言する人に会ったりすると、落胆させられることのほうが多い。どうして、沈黙していられないのか理解に苦しむ。
少なくとも、僕の中では、「エンタメ」なんかじゃない。
作者あんみつ姫
彼、今どうしているかなぁ。