殺風景な6帖ほどの畳の間。
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真ん中には敷き布団が敷かれており、そこに男の子が横たわっている。
年はまだ5、6歳くらいだろうか。
枕元には部屋着姿の中年男が正座しており、そのか細い体を揺さぶりながら必死に声をかけていた。
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「おい、頼む!頼むから起きてくれよ!」
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だが男の子はピクリとも動くことはない。
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その時、時刻は既に深夜1時30分を過ぎていた。
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それは年明けも迫った、ある日の夕暮れの頃のことだった。
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年末商戦はいよいよ佳境となっており、街の商店ウインドウのディスプレイも一層派手さが増している。
歩道は、年末準備の買い物を目的に歩く人々で溢れかえっていた。
そんな中、藤岡は安っぽいグレーのフリースを羽織って特にこれといった目的もなく歩道を歩き続けている。
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彼は来年、40になる。
今年の年明けも一人で過ごすことになりそうだ。
もうそんな孤独な年末を迎えるのは、どのくらいになるだろう。
実家は東北地方の山あいにある部落なのだが、若い頃にかなりヤンチャだった彼はいろいろと家族に迷惑をかけ続け、終いには父親に勘当され家を飛び出す。
そしてその後は地方をあちこち転々とし、今は大阪の下町の工場で働きながらアパートで細々暮らしているのだ。
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家族連れの目立つ人波に紛れて歩く藤岡の視界に一人の子供の姿が入る。
黒のパーカー姿の色白の男の子。
ペットショップのウインドウの前に立ち両手を当て、ただじっと中を見ている。
その視線の先には一匹の黒い大型犬。
藤岡は少年の真横に立つと何気にチラリとその顔を見ると、ちょっと驚いた。
右目が金色で左目が青色というオッズアイなのだ。
時折寒さで白い息に包まれたその顔は、どこか幻想的な感じがする。
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─こんな夜に親からはぐれたのだろうか?
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などと思いながら彼は少年に声をかける。
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「こんばんは~どうしたの、こんな時間に。
お父さんやお母さんは?」
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藤岡の腰丈ほどの少年は少し驚いた様子をしながら、何か言いたげに口を動かしている。
彼は少年の色白の顔に自分の顔を近付け、その伝えたがっている言葉を汲み取ろうとしばらく口元を注視したが分からなかった。
だから藤岡は質問を変える。
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「じゃあ、おうちはどこ?」
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藤岡からのこの質問に対しても少年は、相変わらず先ほどと同じように口を動かしている。
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─この子、口が効けないのかな?
それにしても色白でどこか虚弱で幸薄い印象な子だな。
まるで昔の俺のようだ。
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などと思うと藤岡はその見知らぬ少年に妙な親近感を感じだし思わず少年の左手を握ると、そのまま歩きだした。
少年も嫌がる素振りも見せずに素直に彼に従い歩きだす。
それからは一緒に地下鉄に乗り、徒歩で私鉄沿線沿いにある安アパートまでたどり着くと、二階奥にある自分の部屋に入る。
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藤岡は突然の小さな来客を頑張ってもてなした。
まず暖かいタオルで顔と手足を拭いてあげた後、テーブルに座らせて100パーセントオレンジジュースを飲ませ、途中コンビニで買ったアーモンドチョコレートを与える。
無心にチョコを頬張る少年の前に座った彼は、改めて尋ねる。
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「きみ、名前は?」
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だが少年は、藤岡の質問に気付いているのかいないのか、ただ夢中にチョコを食べ続けるだけだ。
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─この子、少し足りないのかな?
それともやはり口が効けない?
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そう思った彼はそれ以降、少年への質問を止める。
それから二人は一緒に対戦ゲームで遊んだりして時間を過ごした。
一段落ついた辺りで藤岡が携帯を見ると、時間はもう10時を過ぎていた。
この頃から彼の心の奥にどす黒い暗雲が立ち込めだす。
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─もうこんな時間か、、、そろそろこの子を返してやらないと。
でもどこに?、、、
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思いながら彼は隣に座る少年の横顔を見ると、ゲームを一通り終え、どこか満足げな様子だ。
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─もしかしたら、今頃この子の両親が懸命に探しているかもな。警察とかも、、、
でも今更どうしたら、、、
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藤岡は少し戸惑ったが、とりあえずは今日一日はここに泊めて明日明るくなってから元いた場所に返してやろうと決めると、隣の和室に布団を敷き少年をそこに寝かせる。そして立ち上がり再び隣部屋のソファーまで戻った。
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それからソファー傍らににあるガラステーブルに置かれた小型ラジオのスイッチを入れ、ローカル局に合わせて流し始める。
幼児誘拐の速報が入るかもしれないと思ったからだ。
それから彼はソファーに横たわると、しばらくラジオに聞き入っていた。
若いDJのすっとんきょうな声がする。
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「ところでさあ、その【裏拍手】の都市伝説というのがあるんだけどね。
ある女子中学生が深夜、自分の部屋でテスト勉強していたらしいんだけど、勉強が一段落ついた頃合いに友人から聞いた【裏拍手】の話を思いだして、深夜2時に鏡に向かって裏拍手をやったそうなんだよ。
そしたら去年亡くなったはずのおじいちゃんが現れるようになってしまって、終いには死者の世界に連れていかれてしまったということなんだ。
でさあ、、、」
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ここまで聴いたところで藤岡は睡魔に襲われると、そのまま眠りについた。
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それからどれくらいが過ぎたころだろうか。
少年の咳き込む声で藤岡は目を覚ます。
慌てて起き上がると、歩き襖を開け和室の電気を点けた。
見ると、少年が布団の上でくの字になりながら苦しそうに咳き込んでいる。
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「おい、どうしたんだよ!?」
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彼はすぐ膝まずくと、少年の横顔に声をかけた。
少年は相変わらず苦し気に咳き込んでおり、時折ヒューヒューという息遣いをしている。
ただならぬ事態に藤岡は青ざめパニックになりながら、少年の背中や胸をさすってあげたりしてあげた。
だが少年の症状は治まることはなく、挙げ句は苦し気に胸をかきむしるようにしだしたかと思うと、終いにはがっくりと力尽きるように体を伸ばす。
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─嘘だろ?
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すぐに藤岡は馬乗りになって必死に心臓マッサージをする。
だが少年の意識は戻ることはなく、やがて呼吸が止まり脈が消えた。
彼は必死にまた少年に声をかける。
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「頼む!頼むから起きてくれよ!」
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だが男の子はもうピクリとも動くことはなかった。
終いに藤岡は畳の上に突伏すと頭を両手で抱え、嗚咽をあげだす。
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「うう、、、」
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時刻は既に深夜1時30分を過ぎていた。
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しばらくの間、藤岡は畳に伏していたが突然何かを思い出したかのように顔を上げた。
そして携帯に目をやる。
深夜1時58分、、、
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─そういえば、さっきラジオで深夜2時に裏拍手をすると、死者が甦るって、、、
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彼は布団の上でぐったりとなった少年を見る。
その白い顔は完全に血の気を失っており、ぽっかり口を開いている。
それからその傍らに正座すると震える両手を胸元に持ってきて、ゆっくりその甲をポンポンポンと三回合わせてみた。
果たして、、、
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藤岡はそのままの姿勢でしばらく、少年の様子を伺っていた。
5分、、、10分、、、
だがピクリとも動くことはない。
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─そうだよな、そんなことなんてあるはずないよな
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彼は自嘲ぎみに呟くと一つため息をつき、よろけながら立ち上がって隣の部屋まで歩くと、ゴロリとソファーに横になる。
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─やはり警察呼ぶべきかな。
でもそうしたら俺、間違いなく誘拐犯で刑務所行きだよな
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そんなことを考えながら悶々としていると時間は瞬く間に過ぎ、いつの間にかサッシ窓のカーテン隙間からは朝の陽光が漏れていた。
彼は眠い目を擦りながら気だるげに起き上がり襖まで歩くと静かに開いていき、恐々畳部屋を覗いてみる。
そしてアッと息を飲んだ。
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部屋の中央に敷いた布団に少年の姿がない!
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─まさか、そんなことが、、、
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彼は襖を勢いよく開けると、部屋の電気を点けてみる。
そして部屋の左手に視線を移した瞬間、再びアッと息を飲んだ。
部屋の片隅に少年がうつむき立っている。
彼は小走りでその正面まで歩くと、震える声で「大丈夫?」と尋ねる。
しばらくの間少年はうつむいたまま、じっとしていた。
そしてさらに藤岡が声をかけながら近付いた時だった。
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突然少年がその顔を上げた。
その風体を見た途端、彼の背筋は総毛立つ。
その顔はミイラのようにやつれどす黒く変色しており、大きく見開かれたオッズアイは不気味に光っている。
そして半開きの口の両端には鋭い牙が覗いていた。
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「うわっ」
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悲鳴をあげながら背後に下がる藤岡めがけて、少年が飛び付いてきた。
足をもつらせ畳に倒れこんだ藤岡に少年は馬乗りになる。そしてハイエナのように素早く彼の首筋に食らいつくと、一気にその表皮もろとも喰いちぎった。
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「ぎゃあああ!」
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一気にあちこちに飛び散る赤黒い血。
悲痛な悲鳴をあげ必死に抵抗する藤岡に、少年は躊躇することもなくまた首筋に食らいつくと喰いちぎる。
無惨に引き裂かれた首筋からは肉塊が覗き、どくどくと血が溢れ出ていた。
藤岡はまるで赤鬼のように顔を血で染めしばらく手足を痙攣させていたが、やがてぐったりとなる。
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薄れいく意識の中で彼の脳裏には、ある光景が甦ってきていた。
それはさきほど部屋の片隅に立っていた少年の姿。
その背後の白壁には朝の陽光に投影された黒い影。
そして影の頭頂部には奇妙に屈曲した角2本があった。
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やがて彼の意識は漆黒の闇に包まれた。
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Presented by Nekojiro
作者ねこじろう
【裏拍手】シリーズ
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