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シリーズ「異形のモノたちと僕」
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「プロローグ」
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今年4月に転任してきた江藤先生は、イケメンでスポーツ万能。当時20代前半だったこともあり、たちまち人気者になった。とりわけ、授業の合間や、休み時間に話してくれる「怪談話」は、最高に怖く、臨場感にあふれ、実に楽しかった。
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ある日、江藤先生が担任する4年2組の男子生徒4名が、放課後、学区内にある 既に廃墟と化した古い空き家に無断で侵入し、花火で遊んだ後、火の不始末からボヤ騒ぎを起こすという事件が起こった。
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リーダー格の男子生徒の話では、侵入した空き家のちょうど真ん中のあたりに、直径50センチぐらいの丸い穴があり、覗いてみると穴の底には、雨水と思しき液体が溜まっていたため、
彼らは、好都合とばかりに、遊んだ跡の花火の燃えカスや 食べ散らかしたお菓子の袋等のゴミを その穴に向かって投げ込んでしまったらしい。
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おそらく、遊んだ後の花火の残り火が、きちんと消火されぬまま、お菓子の空袋にでも引火し燃え広がったのだろう。
ボヤ程度で大事には至らなかったのは幸いだった。
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「君たちはなんてことをしてくれたんだ。」
めったに怒ったことのない温厚な江藤先生が、鬼のような形相で、烈火の如く叱責したのは、後にも先にも この日この時だけだった。
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反省と後悔でうなだれる男子生徒4名を含む4年2組全員を前に、江藤先生は、ご自身の体験した恐ろしい話を語りだした。
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江藤先生の話してくれた体験談は、私とごく一部の生徒にとって、今でも夢に出てくるほどのトラウマになっている。
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江藤先生は、この事件があった年の初冬、年度末を待たずに退職した。
人気のあった先生だから、同級生たちは、ハガキや手紙を送ってみたのだが、転居届をしていなかったらしく、全て「宛先不明」で戻ってきてしまった。
以来、消息不明である。
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この話は、江藤先生の語ってくれた恐怖体験である。
すべて、江藤先生目線で語られてはいるが、かなり前の出来事だ。
人物等については、多少誤りがあるかもしれないし、事実とは、違っているところもあるかもしれない。その点については、ご容赦いただきたい。
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一応、閲覧注意を貼っておいたから、各自「自己責任」で読んでほしい。。
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と、いうのも、この話を読んだり聞いたりした後で、怪異や体調不良を訴える人が少なからずいるからである。
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中学2年の頃、俺は、ある廃墟にて、同級生を一度に3名亡くしている。
鈴木、坂本、中村の3名は、小学校の頃からの友達だった。
正直、成績、家庭環境、素行もよろしくない連中だったが、優等生ズラして、弱いものをいじめるような輩よりも、不器用だが明るい優しさに満ちているこいつらが好きだった。
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その空き家(廃墟)は、通学路に面していた。
いつ倒壊してもおかしくないほど傷んでいたから、絶対に近寄ってはならないと 学校や保護者会を通し、強く言い含められている場所だった。
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ここだけに限らず、男子生徒にとって、廃屋探検は、今も昔も、受験勉強や塾通いのストレスから開放されるにはもってこいの場所だった。、
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朝7:45 遅刻常習犯の鈴木、坂本、中村と俺(江藤)の4名は学校までの一本道で合流し、校門が施錠される1分前までに通過できればセーフとばかりに、毎朝、校門めがけ我先にダッシュしていた。
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あれは、短い秋が過ぎ去り、冬の寒さが訪れ始めた頃の出来事だった。
いつものように、我先にと校門ダッシュをしていた時、俊足の中村が、いつになくスピードを落とし話しかけてきた。
通学途中にある廃屋の前を通りかかった時、女の鼻歌が聴こえたというのである。
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「女のホームレスでも住み着いているのかな。」
「まさか。あそこは、誰も住んでいないはずだろ。」
「空耳か?年寄りみてぇだな。」
小馬鹿にした俺たちの態度に、中村は、口を尖らせ、更に続けた。
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「実はさ。昨日の夕方、塾の帰りに寄り道して、あの家の中にはいってみたのよ。そしたら、なんと、家の真ん中に「穴」があったんだ。」
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今にも倒壊しそうな空き家に、たったひとりで忍び込む中村に、俺は呆れた。
「へぇ、穴なんてあったっけ?」
「それな。誰かが、床板を引っ剥がした跡があってさ。」
お調子者の坂本が、はしゃぎだす。
「おもしろそうじゃねぇか。久しぶりに探検といこうじゃないか。」
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俺は、正直、こいつらとつるんではいるものの、成績は悪くなかったし、一応、クラス委員でもあったから、立ち入り禁止のお達しが出ている場所でもあり、不法侵入罪で補導されるのはまずいと、難色を示したのだが。
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「怖気づいたか。これだから、おぼっちゃまは。」
「別に、お前には期待してないから。来たくないなら来なくていいよ。来年受験だし、お前、附属か有名私立行くんだろう?」
中村に揶揄され、鈴木からは、戦力外通告の屈辱を食らい、俺は、激怒して叫んだ。
「バカにすんな。これはこれ、それはそれだ。あぁ、いいさ。必ず行くから待ってろよ。」
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「遅刻常習犯の俺たちに、待ってろよはねぇなぁ。皮肉かよ。」
傍らでニヤついていた坂本の言葉に、その場が和む。
「だったら、明日は、土曜だろう。部活と塾終わったら、夜にでも一緒に探検してみないか。」
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俺の方から、話を持ちかけてみたところ、
「いいじゃないか。」
「おうおう。怪しげな声とやらもつきとめてみようぜ。」
「なんだか、楽しみだな。」
あっという間に、廃墟探検は、決行となった。
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お陰で、いつものペースがガタ落ちとなった俺たちは、タッチの差で遅刻が決定した。
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罰として、職員室前の廊下で立たされている間、俺たちは、集合時間と集合場所、持ち物や役割分担を話し合った。
最後まで、「サバイバルナイフ」を持っていくかどうかで坂本と鈴木が揉めていたが、結局、今回は、持っていかないことにしたようだった。
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こいつらが、そんな物騒な物を所有している事自体知らなかった俺は、この時、厭な予感というか、心のなかに影が過るのを感じた。
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だが、それらは、これから待っている冒険活劇に比べたら、些末なことにすぎなかった。
俺は、授業中も休み時間も、廃墟探検を思い描いては、込み上げてくるワクワクが止まらなかった。
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実は、俺には、物心ついた頃から、ほんのすこし霊感があった。いわゆる、「視える」人といわれる類の人間だ。
かといって、大して良いこともなく、むしろ、厭なことの方が多かった。
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視えることで良かったことといえば、ここは、曰く因縁のある場所だとか、なんとなく近づいてはいけないなということぐらいは、時々遭遇するモノの姿形から事前に察知できたことだろうか。ある程度は、意識的に、危険回避ができていたようにも思う。
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ただ、この日、この時ばかりは、どうしたわけか、何も感じなかった。
実際、過去、廃墟探検した場所のほとんどは、幽霊や異形のモノたちと遭遇する確率より、何の収穫もないまま、無駄に時間を費やすことのほうが多かった。
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廃墟とはいえ、土地の所有者がいた場合は、断りもなく足を踏み入れて、お叱りを被ったり、不法侵入罪に問われる確率のほうが高い。
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今回も、不発に終わるだろうことは明白だと高をくくっていたから、いつもの勘が働かなかったのかもしれない。
いや、もうこの時、既に、俺たちは、「蟻地獄」へと導かれ始めていたのだと思う。
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午前0時。
例の廃墟に到着した。
遅刻常習犯の4名が全員 約束の時間に揃ったことが可笑しかった。
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鈴木は、俺に話しかけた。
「お前、なにか感じるか?」
「何が?」
俺は敢えてとぼけてみせた。
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実際、自分でも不可解に思われるほど、この時は、何も視えなかったし、感じなかった。
「別に。何も・・・」
「そっか。ならいい。」
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中村が、父親から拝借してきたという、大きな懐中電灯で前方を照らしながら、穴のある場所まで俺たちを引導した。
穴の大きさは、ひとりの身体がやっと入る程度の大きさ。
中を照らしてみるも、懐中電灯の明かりだけでは、暗くて何も見えない。
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ホコリとカビ 何処からともなく漂う異臭 穴から上がってくるどんよりした空気に、俺は、なんとなく厭な感じがした。
恐怖や不安とは違う。場違いな場所に来てしまったという居心地の悪さといったらいいだろうか。
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穴は、ひとりがやっと入れるぐらいの大きさだし、他にも興味深い部屋や場所はたくさんある。
「なぁ、この穴に入るのは、もう少し後にしないか。その前に、2階とか、台所とか風呂場を探検してみないか。」
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俺の提言が言い終わらぬうちに、ヘッドライトを頭に巻き付けた坂本が、中村を押しのけ、身を捻りながら、穴の中に入っていってしまった。
「なんだよ~。こら、坂本~、抜け駆けしやがって。」
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チッ
あまりの早さに、鈴木が、舌打ちをした。
「あのさぁ。逸る気持ちはわかるけど、勝手に動き回るなよ。役割と予定を決めてからにしようぜ。」
俺は、小さく頷いた。
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「へ~い。お先に失礼。いつもは、中村にタッチの差で負けているからな。」
穴の中から、ドサッと鈍い音がし、
軽口を叩いていた坂本の小さな叫び声が聴こえてきた。
「うわあ、いてぇぇぇぇ。」
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「どうした、大丈夫か。怪我はないか。」
鈴木の問いかけに、穴の中から、
「俺としたことが、転んじまったよ。」
坂本の小さな笑い声が聴こえてきた。
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坂本の声は、エコーがかかっていた。
どこかに反響しているらしい。
穴は意外と深いのかもしれない。
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「おーい。中はどんな感じだ?どうなっているんだ。」
「う~ん、下は、ヌルヌルした泥。周りは石の壁。」
ー石の壁って?
ーどういうこと?
俺と鈴木は、互いに顔を見合わせた。
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俺は、必死でなにか視えないか探ってみた。
だが、何故だ。
何も視えない。
こんなことは初めてだったから。俺は焦った。
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やがて、穴から上がってくる違和感と威圧感に目眩がしそうになった。
たくさん着込んできたのに、やたら寒い。
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明らかに、異形のモノ それもかなりやばいものがいる。(はずだ。)
なのに、視えない。
くそ
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はぁ~ぃ。うふふふ~ん♫
どこからともなく、鼻にかかったような女の声が聴こえてきた。
「これだよ。今朝、俺が学校に行く途中で聴いた声だ。」
中村が、声を上げた。
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ーどこだ
女の声は聞こえるのに、どこにいるのかわからない。
中村は、周囲を懐中電灯で照らすも、鈴木と俺以外何もd誰も映し出さない。
冷や汗が流れてきた。
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時を同じくして、例の穴から、坂本の声が聴こえてきた。
「おーい。ここ、やたら寒い。狭い。冷たい。出たくなった。」
坂本の ただならぬ様子に、中村が声をかける。
「どうした。坂本~。」
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中村は、ぐいと身を乗り出し、懐中電灯を手に、穴を覗き込んだとたん、肩を震わせ、その場に尻もちをついた。
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「やばいよ。この穴。」
懐中電灯の光に照らされた中村の顔は、今にも泣き出しそうに歪んでいた。
「なにか視えたのか?」
鈴木が怪訝そうに尋ねる。
「いや何も視えないけど。坂本の近くに何かいる。やばいやつかもしれない。」
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「なんだよ。坂本の他に誰かいるってのか。」
穴に近寄ろうとする鈴木を制し、俺は、穴に向かって叫んだ。
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「おーい。坂本。聞こえるか。すぐに上がってこい。」
「う~ん。駄目。ちょっと無理。意外と高いわ。それに、周囲は、石の壁だし。」
いつになく、震えるような弱々しい坂本の声が返ってくる。
と、ほぼ同時に、穴から、ついさっきまで感じることのなかった 生臭い異臭が漂い出した。
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「坂本、自力で上がってこれないみたいだな。」
足場がないことに気づいた俺たちは、困惑した。
事態は、かなり緊迫している。
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中村は、思案している俺たちを他所に、懐中電灯を肩から下げたまま、尻を床板に付け、ゆっくりと後退りをし、やがて、漆喰の壁にぶち当たると、ブルブルと震え始めた。
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うわぁぁぁっぁぁぁ
穴から、坂本の叫び声が響いた。
「か、壁の中に誰かいる。」
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鈴木は、壁にもたれかかり、ブルブルと身体を震わせている中村から懐中電灯を取り上げ、穴の中を死にものぐるいで照らし始めたが、坂本の姿を見つけられないようだった。
「坂本、ど、どこにいる。いたら、返事しろ。」
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「あ、壁に、壁にぃ 早くっっっっっっっっ。た、助けてくれ。」
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坂本の声と重なるように、♫~ふ~ふふん ふふふふ~ん ふんふふふんふんふん ハミングする女の声が聴こえてきた。
どこかで聞いたような節回し。
だが、曲名まではわからない。
あえて言うなら、「一度聞いたら忘れられない音、声、節」
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さっきまで、壁にもたれ、ブルブルと震えていた中村は、突然床に突伏すると、
「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。ごめんなさい。ごめんなさい。もうしませんから。ごめんなさい。もうしませんから。命だけは助けてください。頼むから。もうしませんから。もう、ここには、来ませんから。ごめんなさい。助けてください。お願いです。」
念仏と謝罪を何度も何度も繰り返していた。
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―おい、中村、お前一体、何をしでかしたんだ。
俺の脳裏に、やっと、女の全容が視えてきた。ひょろりとした体躯、蜘蛛のように長い手足、骨と皮だけの細く小さな顔 窪んだ真っ黒い眼 耳まで裂けた口。
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そのおぞましい姿に折り重なるように視えてきた 中村の姿を視て、俺は気絶しそうになった。
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過去数回、ここを訪れては、楽しそうにゲームをしたり、菓子を食べたり、くつろぎの場として利用している中村の姿が視えた。
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それだけならよかったのかもしれない。
だが、中村は、一昨日と昨日の2日感、塾の帰り、ここに立ち寄り、この穴の前で「コックリさん」を行っていたのだった。
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―まさか、お前。あの女を呼び出したのか。ここへ。
あの女とは「都市伝説」の代表格 オカルトマニアなら知らないものはいない、最も恐れられている存在だった。
ーなんで、こんなやつが しかも、こんなところにいるんだ。
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何処かの地域で語り伝えられていた妖怪話。
それが、ネット掲示板によって、まことしやかな恐怖の存在と進化しただけだと思っていた。だが、その女が、現存し、今、俺たちのすぐ目の前にいるとは。
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有に2メートルいやそれ以上の背丈。白髪交じりのざんばら髪。初冬には、不釣り合いな白いワンピースの袖口から、地面につきそうなほど長く灰色に濁った両腕が、にょっきり露わになっていた。
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ー服は、赤いと聞いていた。
ー伝えられている着衣と違うじゃないか。
思い巡らすうちに、気づいてしまった。
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白いワンピースは、これから、俺たち4人の血で赤く染まるのだ。ということに。
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やがて、穴から、件の女が、にょっきりと顔を出した。灰色の濁った肌。窪んだ真っ黒い目。首をぐるりと一回転させると、中村の唱えるインチキ念仏を嘲笑うかのごとく、広角を右にあげ、俺と鈴木と中村に向かって、にたりと笑みを浮かべた。
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ーむ・だ・よ
一言告げると、
再び、おかしな節回しで、♫ふ~んふんふふふふ ふふんふふふ~と、ハミングしながら、穴の中へと戻っていった。
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「くそ!なんだ、あの女化け物女。」
恐怖が怒りに変わったのか、鈴木は、四つん這いになると、たった今女が入っていった穴の中に向かって、大声で叫んだ。
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「坂本待ってろ。今助けてやるからな。」
鈴木は着ていたジャージの上着を脱ぎ、立ちすくむ俺から無理やりダウンジャケットを剥ぎ取ると、袖と袖を固く結び合わせ穴の中に放り込んだ。
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「坂本~、早く!これに掴まれ。」
「て、手が冷たくて掴めな・・・ぃ。お、女が来る。」
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ベチョ ビタン ベチョ ビタン
「うわぁ。なんなんなん・・・こっち来るな。来るなぁ。」
俺の脳裏に、腰を抜かし、足を交互にバタバタとさせながら、泥の中を逃げ惑う坂本の姿が視える。
だが、視えるだけで、今の俺には、どうすることも出来ない。
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「ぎゃああああああああああ。」
絶望的な叫びが あたりに響き渡る。
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ぶちぶちぶち
「ぎゃああああ、痛いよう。う、腕を掴まれた。たすけてくれ~。誰かぁ。鈴木ぃ、江藤ぉ、中村ぁ~。おとうさーん。おかあさーん。死にたくないよう。」
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バキバキバキ
ガッツガッツガッ
ずるずるずる
しゅるしゅるしゅる
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穴からは
硬い骨を折り砕く音
内蔵を引きずり出す音
臓物を啜り上げ さらに舐め回す音が
鉄サビのような血や臓物の匂いとともに じんわりとのぼって来た。
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「駄目だ。もう助からない。」
俺は、絶叫し、鈴木と中村に ここから早く逃げるよう促したが、なぜか2人は、その場を離れようとはしない。
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中村は、意識朦朧となったまま、よだれと小便を垂れ流し、もはや念仏でもなんでもない意味不明の言葉を呟き続けていた。
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鈴木には、あの女が視えていないらしかった。
いや、仮に視えていたとしても、鈴木の性格なら、なんとかして坂本を助けようと最後までもがき続けるだろうことは、容易に想像できた。
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「俺たち4人は、仲間だからな。」が口癖だった鈴木。
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俺は、叫び続けている鈴木の肩を強く揺さぶり、腕を掴み、
「早く、早く、逃げるんだ。殺されるぞ。」
何度も何度も この場から離れるようにと 声を限りに叫んだものの、
「なんでだよ、置いていかれるかよ。」
頑なに拒まれた。
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「どうしたぁ。しっかりしろ。坂本~。そんなやつに負けるなぁぁぁぁ。」
身を乗り出し、既に亡骸ですら亡くなった坂本に対し、いつまでも、叫び続ける鈴木の首に、細く長い灰色の腕が絡みつき、鈴木は、声をあげる間もなく、穴の中へと引きずり込まれていった。
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あぁ、もう・・・だめだ。
脳裏に、首と喉を締め付けられ、叫び声を上げるまもなく瞬殺される鈴木が視えた。
穴の中からは、耳を塞ぎたくなるような異音と、鼻が曲がりそうになるほどの異臭が重なり合い、ダダ漏れ状態になっている。
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ばりばりばり
バキバキバキ
ズリズリズリ
じゅるじゅるじゅる
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捕食されている光景が視える。
やがて、
♫ふ~ん ふふふふ~ん ふ~んふんふんふ~ん♫
おかしな節回しとともに、女の気配は、闇に溶けるかのごとく穴の奥へと消えていった。
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江藤先生は、
「以上。話は終わり。今後は、廃墟、廃屋、空き家以外でも、近づいてはいけないという場所には、絶対に立ち入らないこと。分かったら返事。」と言って、この話の終わりを告げた。
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えー、なにそれ~。
それまで、しん と静まり返っていた教室中が、ブーイングの嵐に包まれ騒然となった。
「中村は、どうなったんですか?」
「江藤先生は、どうやって助かったんですか?」
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「だから、俺以外の中村、鈴木、坂本の3名が亡くなったんだ。」
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「オチないじゃないですか。」
「実話には、オチはないんだ。」
え~。なにそれ~。
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「2人落ちただろ。穴の中に。」
あはははっは
予想外の珍答に笑い出すもの、
「バカにすんな。」
激高して席を立つもの、
「気持ち悪い、怖い、もう、夜トイレに行けない。」
あまりに 悲惨な顛末に泣き出す数人の女子生徒もいたが、
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「真剣に聞いて損した。」
「全部、江藤先生の作り話じゃん。」
「グロいし、つまらないわぁ。」
「ボヤ騒ぎと何の関連もないじゃろが。」
「どうしよう。私、昨日隣りのクラスの女子達と、この教室でコックリさんしちゃったんだけど。殺されちゃうのかな。」
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程なくして、落ち着きを取り戻すと、クラス中の生徒たちが やいのやいのと、口々に江藤先生を弄(いじ)りだした。
業を煮やした クラス委員長の長坂さんが、すくっと立ちあがり、
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「たしかに、あの4人は、いけないことをしたとは思います。ですが、こういった怪談話を利用して、私達を恐怖で押さえつけようとするなんて酷すぎます。悪意のある行為としか思えません。」
凛とした声で理路整然と抗議した。
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「そうだそうだ。非科学的な根拠もない話で、僕たちを縛り付けないでください。」
「今日、親たちに話しますから。覚悟していてくださいね。」
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本音は、こうでもしなければ、4年2組の生徒全員、恐怖に堪えられなかった。
また、誰もが、この場の空気を変えたかった。
せめて、「すまん。今の話は、全部ウソ。作り話だった。」
と、江藤先生が、頭をかきながら、いつもの笑顔で謝ってくれることを誰もが期待していた。
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もし、夜中にあの女が顕れたらと思うと、怖くて怖くて仕方なかった。
同級生のうち数人が、耳を塞ぎ、机の上に突っ伏しながら泣いていた。
おそらく、キーンという耳鳴りと強い悪意を持った視線に晒されているような感覚に襲われていたのだろうと思う。
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教室の隅で、ある男子が呟いた一言に、その場が凍りついた。
「この話。あかんやつや。お前らには、視えないかもしれないけれど。さっきから、窓の外に誰かおるよ。この教室を覗いている。ここ、2階だぞ。ありえへん。」
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すると、今度は、別の女子生徒が、震える声で語りだす。
「ち、ちがうよ。もう、外にはいない。教室の中に入ってきてる。」
きゃー
うぉおおおおおおお
教室内は、以前にも増して、収集がつかないほど混乱し始めた。
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江藤先生は、恐怖に怯える余り、幻覚を見てしまった数人の肩に手を置き、「大丈夫だ。」と優しくいたわった。
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「静かに。」
興奮し、騒ぎ回る生徒たちを一喝し、いきり立つ長坂さんには、椅子に座るよう促した。
数分後、いつもの優しい笑みを浮かべ、落ち着いた声で、話し始めた。
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「たしかに、君たちの言い分もわかる。酷い話をしたと思う。だが、いたずらに怖がらせようとして、この話をしたのではないことだけは、わかってほしい。」
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江藤先生は、厳かな調子で、再度、意を決したように話し出した。
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「今から10年ほど前、某地方都市で少年3名の未解決失踪事件が起こった。おそらく、君たちの中にも知っている人がいるかもしれない。事件の現場となった場所は、廃墟なんて生易しいところじゃなかった。
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俺は、そこで、殺されかけたことがある。そこは、たまに紛れ込む子どもたちや、怖いもの見たさに物見遊山で訪れる者たちを 手ぐすね引いて待っている「あいつら」の餌場だった。
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幽霊?生きている人間?どっちでも構わない、悪意を持って人を殺そうというモノたちに対し、君たちは、どういうイメージを抱いているかわからないが、おそらく、思い描いているものとは、かなり違っていると思う。
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あいつらは、命を奪うことだけが楽しみで、「存在」している。
断末魔の叫び、号泣、命乞い、流れる血、飛び散る肉片が 最高の「ごちそう」だ
一言で言うなら、「人でなし」だ。
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なので、俺は、目に見えるものも、視えないものも、生きているものも死んでいるものも、全て「あいつら」と呼んでいる。
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―いいか、良く聞いてほしいー
「遅刻するな。」
「穴は覗くな。入るな。」
「おかしな節回しが聴こえたら、耳を塞げ。」
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「それから、廃墟や空き家には、絶対近づくな。決して、足を踏み入れてはいけない。」
「あいつらは人を殺せる。殺すことに何の抵抗もない。死にたくなかったら、殺されたくなかったら、今日、話したことは、一生涯忘れないでほしい。誰かの言葉を借りるなら、信じるか信じないかは、君たち次第だがな。」
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それから、机に突っ伏している私の元に近づくと、江藤先生は、顔をあげるよう促し、
「大変だろうけど。気を強く持って生きてほしい。ただし、これだけは、言っておく。この力は、他言無用。分かる人にはわかる。それでいい。罪悪感は、持たなくていいが、優越感だけは持つな。常に謙虚でいることだ。それから・・・」
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江藤先生は、更に、追い打ちをかけるように、私に向かって、こう問いかけた。
「ちなみに、君には、鈴木と坂本のふたりが落ちた穴が、何だったのか。視えているよね。」
「は・・・い」
私は、小さく頷いた。
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ー駄目、そっちに意識を向けてはいけないわ。
いけないと思いつつも、私は、抗えない邪悪な力に引き寄せられていく自分を抑えられなかった。
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バチャ ベチョ
穴から伸びた長い腕に貫かれる身体
飛び散る肉片、血吹雪に染まるワンピース。
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「そっか。中村の最期も視えちまったか。」
眉間に浮かぶ陰惨な情景と 江藤先生の深い溜息と折り重なるように 頭の中に響き渡る
キーンという金属音
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程なくして、
♫ふ~ん ふふふん ふんふんふ~ん
江藤先生の肩先から聴こえてくるハミングに、私は、身動き一つ出来なかった。
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その後の記憶は、一切ない。
ただ、翌日からは、この日のことは、何故かなかったことになっていた。
誰一人として、この日の出来事を口にするものはいなかった。
タイムスリップしたかのような、実に平和で穏やかな日々が続いていたように思う。
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いや、ただ単にそう思いたかっただけなのかもしれないが。
ボヤ騒ぎのあった空き家は、一ヶ月を待たずに取り壊され、未だ更地のまま買い手もなく放置されている。
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件の江藤先生は、冒頭に記したとおり、冬の寒さが近づいてきた頃、突然退職した。
以来、消息不明である。
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江藤先生 今、どうしていらっしゃいますでしょうか。
もし、このサイトをご覧になられていたなら、返信してください。
例の件で、早急にお話したいことがあります。
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ご存命でしたら。
作者あんみつ姫
久々の長編です。
週末お時間のある方、濃厚な密度の濃い怖い話を読みたい方、ご笑覧いただけましたら幸に存じます。
一応、今後シリーズ化する予定です。
応援よろしくお願いいたします。