昨今のテレビニュースを見ていると不倫やら痴情のもつれからの事件やらが連日放送されている。
そういうニュースを見ると必ず思い出すことがある。
あれは俺がまだ刑事課に所属していたころの事件だ。
ある夏の日、110番に電話があり、近隣の家から酷い悪臭がする、もしかしたらまたかもしれない・・・との通報があった。
「また」という表現は奇妙に思えるかもしれないが当時報告を受けた俺は「また」の一単語でピンと来た、あの家か、と。
その家は管轄内でも有名な変死の多い家だ。
変死というと多くの人は異常な死体や探偵小説に出てくるような凄惨な現場をイメージするかもしれないが司法においては病院での病死や老衰死以外は全て変死とされている。つまり病院の外で死ぬと基本的にはみな変死になるのだ。
統計によると亡くなった方の10%程度が変死として扱われることになる。
交通事故など家の外で死ぬことが比較的多いことを考慮すると家の中で死ぬ人は意外にも多くはないのだ。
なのにこの家ではそうではない。俺はそれが気に食わないのだ。
さてその家に着くと確かに腐乱臭がする。
家人とは連絡がつかないため鍵を破壊して中に入る。
中には腐乱した3体の仏さんがあった。
それぞれが自室と思われる部屋で首を吊っている状態で見つかった。
また自筆の遺書があり争った形跡もないため自殺であることは疑いの余地はなかった。
初め俺たちはこれが一家心中の線で調査したが調べる内に不可解ではあるがそうではないことがわかってきた。
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【死体について】
まず、3体の死体の身元はこの家の主人K、奥さんA美、居候中の主人の実弟Tの3人であることがわかった。
死亡日は3人とも同日の10日前と判断された。
他は通常の自殺のケースと大きな違いはなかったが、後述する通り遺書の内容と検死結果に乖離がある点があった。
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【首吊りのロープについて】
ロープは近隣のスーパー、雑貨店などへの聞き込みから3人がそれぞれ1本10m程度のものを別々に買っていたことがわかった。
心中ならば誰か一人が買いに行けば済むはずなので、このことも心中自殺ではないことの根拠の一つになっている。
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【近所や関係者への聞き込み】
KとA美は2年ほど前に売られていたこの家を購入して住んでいた。
そこにKの実弟Tが半年ほど前から居候するようになったが勤めていた会社が倒産してしまい暮らせなくなったのが原因らしい。
Tは再就職はなかなかうまくいっていなかったが代わりに奥さんの家事を手助けしていて、近所の人は彼が買い物や庭や玄関の掃除をしているのをよく見ていたとのこと。
子供はいないものの幸せな家族と多くの人が思っていたそうだ。
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【主人Kの遺書】
結婚して5年間なかなか子供に恵まれず環境から変えようと家まで購入して気負っていたもののやはりなかなかできず両親、義両親からの重圧を感じていた。
そこでA美には秘密で男性不妊の病院にかかってみた。
少しでも専門医から助言がもらえればと藁にもすがる思いだった。
結果はいわゆる種なしだった。
やり切れない絶望感があったが同時にA美や親に対する申し訳なさでどのように伝えるべきか迷っている内に言い出せなくなってしまった。
そんなときにA美が妊娠したと報告してきた。
何かの間違いではないかと思った。
再度病院に行き事情を説明して再検査を受けたが結果は変わらなかった。
先生は言いにくそうではあったが自然性交での受精可能性は0だと断言した。
混乱する頭にふとTの存在がよぎった。
そんなことは考えたくもない、疑いたくもないがTが父親なのではという疑念を捨てることができなかった。
一度疑い始めると二人の行動、会話のすべてが怪しく思えてきた。
だが私には事実を知ろうとする勇気がなかった。また疑ったまま生きていけるほど強くもなかった。
どうせ生きていても子供を残せないのなら意味がない。
何も知らずに誰も疑わずにこのまま終わりにしようと思う。
思い出も思い入れもあるこの家で死ぬことを最期のわがままと思って許してほしい。
どうあれ二人には幸せに過ごしてほしいと願う。
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【実弟Tの遺書】
この家で3人で過ごした半年はとても楽しく本当に二人には感謝しています。
ただ私は兄さんには死んででも詫びなければならないことがあります。
3ヶ月前のことです。
兄さんが仕事で家を空けていたときA美さんと関係を持ってしまいました。
言い訳がましく聞こえてしまうかもしれませんがどちらからというわけでもなく、自然と目が合い、手が触れ合い、そのまま言葉もなく互いを求めてしまいました。
A美さんは子供ができない重圧に日々苦しんでいて、自分はなかなか次の仕事が決まらないことに苦心していました。
そんな張り詰めた二人でしたので何かが破裂するかのように後先考えない行動に出てしまったのだと思います。
過ちはこの1日だけですが心には澱のように罪悪感が残りました。
先日A美さんから妊娠のご報告がありました。
私は不安でたまらずA美さんが一人の時にそれは誰の子かと問い詰めてしまいました。
A美さんは何も答えてくれませんでした。
しかし昨日A美さんが自室で大声で泣いているのを聞いてしまいました。
あの日の過ちが原因だと確信に変わりました。
死んで償いになるとも思いませんが兄を裏切って騙して生きられるほど強い人間ではありません。
それならば楽しく過ごせたこの家で人生を終えてしまおうと思いました。
二人には最期まで迷惑をかけてしまい申し訳ありません。
二人の幸せを心から願っています。
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【奥さんA美の遺書】
この世を去る前にあなたには謝らなければならないことがあります。
実は数年前からとある男性と不倫関係にあり、正直心はほとんど彼の方に傾いていました。
なかなか子供ができない苦しみの中でいつも彼は優しく甘い言葉をかけてくれました。
彼は私のことを愛している、一緒になりたいと言ってくれていたし、私もそれを信じていました。
そしてとうとう生理が来なくなり、妊娠を確信しました。
彼の子を妊娠したことをもちろんいち早く彼に伝えました。
彼はすぐにでも一緒になりたいけどまずは安定した環境で産むべきだ、離婚と僕達の再婚はその後にしようと助言してくれました。
私は浮かれたような気分で過ごしました。彼との新しい生活、母としての新しい人生で頭がいっぱいでした。
ですが先日から彼が突然音信不通になったのです。
家にも尋ねてみましたがすでに引越し済みでした。
聞いていた勤め先にも電話してみましたがそのような人は社内にはいないとのことでした。
そこでやっと私は騙され続けた挙句に捨てられたのだと理解しひたすらに泣き続けました。
おのれの愚かさを憎みました。
本来であれば面と向かって不貞を正直に打ち明け謝罪するべきところを勇気がなくこのような形で申し訳ありません。
どこにも行く宛のない私がこの家で最期を迎えることを許してください。
あなたお元気で。
またT君は主人を支えてあげてください。
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【検死及びその他調査結果】
・検死の結果A美に妊娠の事実がないことがわかった。
またA美がいずれかの産婦人科にかかった事実も認められなかった。
遺書の内容から偽妊娠の疑いあり。
・亡くなった順番は不明だが、それぞれが個別に自死を遂行しており、互いの死に関与していないため心中ではないと結論。
・遺書の筆跡はそれぞれのものであるので自筆であることは間違いないが文面が不自然に似通っている部分が見受けられる。
3人が参考にしたような文面があるのか本棚やインターネットを捜査したがそのようなものは見つからなかった。
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この事件から10年が経つが俺は今でもたまに考える。
誰が誰を殺したんだろうって。
作者礎吽亭雁鵜