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「自愛」 「あいうえお怪談」 「さ行・じ」

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「自愛」 「あいうえお怪談」 「さ行・じ」

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第30話「自愛」

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「あいうえお怪談」

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「さ行・じ」

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「日が落ちるのが早くなりましたね。」

病院で診察と治療を終え、17:32発「幸町ゆき」のバスを待っていると、背後から声を掛けられた。

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振り返ると、この辺では、見かけない顔。ロマンスグレーの品の良い初老の男性が立っていた。

Yシャツに黒のスーツ姿、手には黒のビジネスバックを持っている。

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出張、もしくは、仕事帰りなのだろうか。

平日の水曜日。「幸町ゆき」のバス停には、この男性と私しかいない。

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―まもなく、日没を迎える。こんな田舎町に何の用があったのだろう。

―出張?最寄り駅までのバス停なら反対方向だ。

怪訝な顔をする私に、男性は、言った。

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「終点の幸町にある、あけぼの海岸まで行きたいんです。」

―同乗者がいるなんて厭だな。自分ひとりだけだと思っていたのに。

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「今からですか。1時間半はかかりますよ。」

「19:30に人と会う約束をしているんですよ。お借りしていたモノをお返ししたくて。」

―はぁ・・・そうなんですか。

奇妙な奴。これ以上、関わらない方がいいかも。

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あけぼの海岸は、日没前の日が傾きかけた頃、いわゆる「斜陽」の美しさで名高い景勝地だが、その一方で、自〇の名所としても知られている。リアス式海岸、切り立った岩礁が広がり、遺体は、なかなか上がってこないのだ。

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―死に場所には、もってこいなのよね。

―まさか。この人、覚悟の〇殺か。

―まいったな。よりによって。今日だなんて。

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バスに乗り込む。

乗客は、男性と私のふたりだけだ。

いささか、居心地の悪さを覚えるも、男の方は、なんら意に介してはいないようすで、時々、窓の景色を眺めては、満足そうな顔をしている。

平日の夕方、季節外れの観光地など、訪れる人はいない。

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何気ない会話を交わすも、初老の男女、赤の他人同士が交わす話題など、たかが知れてる。

にもかかわらず、なぜだろう。

男性に対する、さっきまでの嫌悪感と違和感が薄れていくのを感じた。

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―自◯なんて駄目。まだ、亡くなるような年齢じゃないわ。

ここ数年、失われていた意欲。生きる希望。救わなければならない命への希求。既に消えかけていた熱い正義感が、自分の中で、ふつふつと蘇って来た。

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―この人を自◯させてはならない。止めなければ。

程なく、バスは、終点の幸町に着いた。私と男性が下り立ち、言葉をかわすこともないまま、黙々とあけぼの海岸に向けて歩を進めた。

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自然と足が早くなる。

男性が声を上げた。

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「いやー、噂にたがわぬ見事な夕陽だ。」

「ですね。地元にいても、めったにこんな夕陽には、出会えません。」

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「来てよかった。本当に良かった。」

男性は、そういうとそっと涙を拭った。

噂には聞いていたが、今まさに、水平線のかなたへと沈もうとしている太陽のきらめき、オレンジ色のまばゆいばかりの輝きに息を呑んだ。

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「ここに懐かしい思い出でもおありなのでしょうか。自〇してはいけませんよ。絶対に。」

私は、振り向きざまに男性に声をかけた。

男性は、静かに首を横にふると、

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「実は、あなたに、お返ししたいものがあります。私をよく見てください。覚えていませんか。」

ハッとして凍り付いた。

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若い頃の思い出が蘇る。

看護学生だった頃、心筋梗塞で道に倒れ込んだ男性に救命措置を施したことがあった。スーツ姿にビジネスバックを持った若い男性だった。夕陽の差す、まさしく、斜陽があたりを包む中、

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「がんばってください。お願い。戻ってきて。」

叫び続けながら、必死に胸を押し続けたあの日。

実習で疲れ果てていた。毎日毎日、叱られてばかりいた。

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落ちこぼれ学生。同期たちからは、水を開けられ、試験のたびに、落第点。追試と実習。山のような宿題。技量不足能力不足を通関士、看護師になるのを諦めようと思っていた。

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いつしか、

「死にたい。」と口走るようになった。

今の私のように。

ただ、当時と今の私が、決定的に違うのは、私には、もう時間がないということだった。

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「思い出してくださいましたか?」

男性の声に、ハッと我に返る。

「はい。あの日、私が、救命措置をした方ですね。」

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男性は、微笑みながらコクリと頷いた。

「遠のく意識の中で、あなたの声が聞こえてきました。お願い。生きて。まだ、間に合います。頑張って。」と。

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―そうだった。

ドクン、ドクン

両手に手ごたえを感じ、安堵したのが17:32。

救急隊に引き継ぎ見送った。

助かったと聞いたのが、19:30だった、

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汗にまみれ、クタクタだった。

でも、その日から、生きてみよう。と思えるようになった。

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翌日、学長に呼ばれて、余計なことをしたと叱責された。

私の下手な蘇生方法で、男性の肋骨が数本折れていたらしい。でも、でも。今できることを精一杯頑張ったんだ。私なりに。精一杯。

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「そうですよ。あなたは、正しいことをしました。もっと、自分に自信をもってよかったんですよ。どうか今からでも、もっと自分を大切にしてください。自分を信じて。愛してください。あなたを必要としている人が、大勢いるのですから。」

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あの後、寮を出て、看護学校を辞めた。

看護師になる夢を捨てたのである。

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親に土下座して実家に帰り、アルバイトをしながら死に物狂いて受験勉強をした。

翌年、補欠だったものの文系の大学に入り直した。

看護師の仕事は、自分に向いてないと思ったからだった。

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「退院してから、あなたを探しました。でも、結局、見つけられませんでした。悲しいことに。こんな歳にならなければ、こんな姿にならなければ、会いに来ることが叶いませんでした。」

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男性の姿が、少しずつ少しずつ、コバルトブルーとオレンジ色が重なる黄昏の中に取り込まれていく。

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「どうか、生きてください。まだ、間に合います。大丈夫。助かります。今度は、私があなたの生命を救う番です。」

肩越しに、男性の穏やかな声が聞こえた。

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夜の帳が落ち始めた あけぼの海岸を前に、ひとり呆然と佇む私お前に、たまたま近くを通りかかったという、地元のボランティア男性が声をかけてくれた。

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自◯をしやしないかと、遠くから、ハラハラして眺めていたのだという。

張り詰めた緊張が途切れ、はらはらと頬をったい涙がこぼれた。

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「駄目ですよ。何があったかはわかりませんが、さぁ、お家に帰りましょう。バス停までご一緒します。」

家に帰ろう。まだ、間に合う。私には、やり残したことが山ほどあることに思い至った。

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「ごめんなさい。最終バスに乗りたいので急ぎます。」

私は、最終バスに乗るために、生きるために、「幸町」のバス停目指し、足早に歩き始めた。

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「私は、まだ生きている。生きなければならないんだ。」

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