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第31話「鈴の音」
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「あいうえお怪談」
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「さ行・す・ず」
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転勤族の中村さんから聞いた話。
今から20年ほど前の出来事だそうだ。
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中村さんは、都内から1時間ほど離れた地方都市にある営業所に配属された。
(※一応、関東圏としておく。)
引っ越し先は、一軒家の借り上げ住宅だった。3LDKテラス付きの平屋。築8年とは思えないほど綺麗にリフォームされていた。風呂や台所は広く、単身者の中村さんには、勿体ないほどの物件である。
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これほどの物件を零細企業の我が社が、よく借り上げられたものだ。
過分なまでの住宅に住める。外観も内装も心理的瑕疵物件を疑う余地はなかった。
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緑多い閑静な住宅地で、田舎育ちの中村さんは、小躍りした。
平日の登下校時は、子どもたちの声が聞こえたり、土日は、犬を散歩する人、近くのスーパーに買い物に出かける人、馴染の住民たちが行き交う穏やかだが活気のある街だ。いずれは、自分も世帯を持ち、こんな住宅地に居を構えることが出来たらいいなぁと思っていた。
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だが、夜になると、一変する。
全く異なる街に変貌するのだ。
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住民たちは、日没近くなると、なにかに急かされるように家路を急ぐ。19時を過ぎると全くと行っていいほど人気がなくなり、遮光カーテンを引いているせいか、家から漏れる明かりも少ない。薄暗い街灯だけが、人工的な明るさを放つ。さながら、ゴーストタウンである。
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産まれてからずっと、この地に住んでいる人に聞いてみるも、困惑した顔をされる。
「え?そんなことを言われても。」
「夜は、特に用事もないから。」
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営業所を訪れる顧客に尋ねてみても、
「う~ん。あの辺りは、戦前から住んでいる人が多いからなぁ。」
「意外といろいろあった場所らしいんだが。まぁ、新興住宅地なんてそんなもんでしょ。」
そんな具合で、余り話したがらないようだった。
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結局、知りたことについては、何も聞けなかったし、わからなかった。
中村さんの会社では、土地の人間が語りたがらないことや、触れたがらないことについて、深煎りしてはいけない。という鉄則があった。
営業を続けるうえで、大切なマナー・エチケットであると。
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時に、プライバシーに踏み込まなければならない案件も、あったが、「自分がされて嫌なことは、相手にしない。」という接客の基本ルールがあり、中村さんは、そのことを、いつも心のなかに言い聞かせながら仕事をしていた。
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引っ越しの片付け作業も終了し、ここでの暮らしにも慣れてきた頃のことだった。
仕事を終え、遅めの夕食を済ませ、のんびりと風呂に浸かっていると、
どこからともなく、
「ちりりーん、ちりりーん。」
澄んだ鈴の音が聞こえて来た。
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浴室の小窓を開け、音の出所はどこか探ろうと伸び上がってみるも、音は、聞こえるものの、その音の出所は分からない。
季節は、晩秋。
なんとも、不思議な感じがした。
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風鈴を片付けるのを忘れ、そのままになっているのかな。
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ちりーん ちりーん ちりーん
音色は、高く低くもなく、深夜、ひとり風呂に浸かる中村さんの耳に妙にまとわりつく。
音色に関しては、別段、聴き惚れるほど心地よいというわけでもなかった。
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むしろ、聴き続けているうちに、忘れてしまいたい辛く悲しい思い出や、隠しておきたい、封印したい闇の歴史が蘇り陰鬱な気持ちになる。
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鈴の音や風鈴の音は、うだるような暑さの夏に聞こえてくるから心地よいのであって、秋風の吹き始める頃に聴くようなものではない。
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特に意識した訳では無いが、中村さんは、家の風呂には入らず、帰宅途中にあるサウナやスパや銭湯で済ませることが多くなった。
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朝、出勤前に、シャワーを浴びるだけになってしまった。
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ちりーん ちりーん ちりーん
果たして、今思い返してみると、あれは、鈴の音だったのだろうか。
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ある日、隣接する建売住宅に若い夫婦が、3歳ぐらいの女の子を連れて訪ねてきた。
長らく空き物件になっていた建売住宅を購入し、一家で引っ越して来たらしい。
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挨拶がてら、二・三世間話をした。ご主人の仕事は、外食産業らしく帰宅は、深夜や早朝になることも多いらしい。
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「小さいお子さんがいると、心配ですね。」
「えぇ。まぁ、近くに保育所もありますし。隣町には、お互いの実家があるので。」
「それに、ここからだと市街地にも近いので決めました。どうぞよろしくお願いします。」
嬉しそうに話す若い夫婦の笑顔を、今でも目に焼き付いているという。
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それから、数ヶ月が過ぎた頃、時は、年末年始を迎えようとしていた日曜日の深夜。
例の若い夫婦が、沈痛な面持ちで訪ねてきた。
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「明日の朝早く、引っ越すことになりました。短い間でしたが、ありがとうございました。」
一瞬、耳を疑った。
「え?引っ越して3ヶ月もたってないですよね。」
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「実は、妻の実家で暮らすことになりました。妻と子どもが・・・病気になりまして。」
「それは大変ですね。それにしても、随分、急なんですね。」
「えぇ、年末なので。道路も込みますし。急いだほうがいいと思って。」
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その時、
ご主人のそばに立ち、顔を伏せていた奥さんが、耳を塞ぎ、ブツブツ呟き始めた。
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「聞こえる。」
「聞こえる。」
「ほら、ほら、聞こえるでしょう?」
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急に、中村さんの両腕に取りすがると、
「あなたも、ここの人じゃないから。聞こえるでしょう。わかるでしょう。」
身を震わせ、血走った眼で、見つめたのだという。
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ご主人は、憤怒の形相を浮かべながら、中村さんから奥さんを引き剥がし、
「すみません。失礼します。」
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すみません
すみません
すみません
何度も何度も謝罪しながら、奥さんの両脇を抱え、ドアを閉めた。
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「お、お、お大事に。お元気で。」
そういうのが精一杯だった。
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閉じられたドアの外から、
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ずりずりずりずりずり
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奥さんを 引きずる音が 聞こえて来た。
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ずりずりずりずりずり
引きずる音に混じり
「いやいやいやいや。」
「この音 この音 この音」
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「ねぇ、ここのひとたちぃ。中村さぁん、あなたがたにも聞こえているんでしょう。聞こえないふりしているんでしょう。」
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こんな大騒動にも関わらず、周囲は、森閑として、物音一つ聞こえない。
家の明かりが灯り、窓を開ける気配もない。
街は、相変わらずゴーストタウンのごとく静まり返っていた。
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「鈍感なんですかねぇ。なんだかんだいって、辞令が下るまでの3年間。そこに住みましたよ。」
「すごい猛者ですね。ずっと鈴の音を聞き続けたってことですか。」
私の問いに、中村さんは、後日談を教えてくれた。
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年が明け、本社の新年会で、中村さんは、以前、この営業所に勤務していたことがあるという人物と出会った。
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「なんだ、君、あの営業所にいるんだ。」
その人は、今にも飲んでいるビールを吹き出しそうな勢いだった。
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例の騒動を話すと、
「あの平屋は、駄目だ。すぐ出ろ。あそこは、おまえ、・・・よく無事でいられたなぁ。まぁ、単身者だから良かったのかもな。」
まじまじと見つめながら言われた。
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時々聞こえてくる鈴の音についても尋ねてみた。
「ほほう。例の音が、鈴の音に聞こえたのなら良かったじゃないか。」
単身者
鈴の音
家族持ちだったら、なんの音が、どんな音が聞こえていたのだろう。
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それと、
あの若夫婦のご主人は、勤務先の都合で、帰宅が深夜や早朝になると話していた。
そのことも関係があるのだろうか。
いずれにせよ、謎のまま話は終わった。
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冒頭で述べたように、中村さんは、必要以上に突っ込むのを控えているのだという。
事実と真実が違うように。
事の真相なんて、知らないほうがいいんです。
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何事も夢中になりすぎるな、と、やんわりと、たしなめられたような気がした。
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「ごめんね。あんまり怖くないね。俺、元々霊感ないし、鈍感なんですよ。」
それでも、中村さんは、あの一件以来、風鈴とか鈴の音を聴くと、あの夜の、奥さんの悲痛な叫び声とご主人の鬼のような形相を思い出してしまうのだという。
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その街は、今でもある。
首都圏から・・・ほんの少し離れた場所に。
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作者あんみつ姫