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「潜水艦の中で(父の戦争体験より)」
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あいうえお怪談
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第34話「さ行・せ」
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父は、大学を卒業し、すぐに士官になり、実践経験も少ない中、潜水艦に搭乗していたこともあったそうです。
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海軍中尉で終戦を迎えた父は、あまり戦争当時のことを話したがりませんでしたが、父が、語ってくれた戦争体験の中でも、とりわけ、潜水艦に搭乗していた時の出来事は、私の心の中に深く心に残っています。
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怖さとは、少し異なるテイストを感じさせる内容かもしれませんが、お休みの前の寛ぎのひと時、秋の夜咄としてご堪能いただければ幸に存じます。
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戦局もかなり厳しくなってきた頃、十数名の乗組員で構成された潜水艦は、太平洋をゆっくりと潜航していました。
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父が乗艦していた潜水艦は、比較的小型で装備自体も魚雷数本といった程度で、実戦には、いささか心許のないものだったそうで、乗組員も「少数精鋭」とは名ばかりの実戦経験の少ない若者が多かったそうです。
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いつ敵国艦隊と遭遇するやもしれぬ、張りつめた空気の中、はるか前方からキーン キーン キーンという不思議な金属音が聞こえて来ました。
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海中に潜って任務を遂行する潜水艦には窓がないため、周りの状況を目で見て判断することができません。そのため、潜水艦には音によって敵の位置や地形を把握するソナーという装置が搭載されており、父は、ソナーを使って海中のあらゆる音源を探知する専門官も兼ねていました。
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ソナーには、発した探信音の反射を利用して相手の位置や動きを探るものと、更に、聞き耳を立てて相手の音をキャッチして分析するものの2種類がありました。
海中の中は、地上にもまして、様々な音で満たされているのだそうです。
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海中の音は常にクリアに聞こえるわけではなく、音はエネルギーをほとんど失うことなく何百キロメートル先にまで伝わるため、不必要な音もソナーで拾ってしまうことがあります。
海中を伝わる音には敵艦の出す音だけではなく、海に住む生き物が出す音や海底地震による音も存在します。
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専門官は、それが、敵艦なのか、それとも自然界が発生させる音なのかの判断をしなければなりません。今のようにパソコンや音源分析機能が備わった機器があるわけではなく、実に困難を極める作業だったそうです。
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マイクを通して聞こえてくる音は、かつて聞いたことのないような澄んだ透明な金属音でした。潜水艦が近づくにつれ、キーンキーンという高音から、まるでメロディーを奏でているかのようにも聞こえるのです。
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探信機を通し返ってくる音源を判断するも、岩礁や大きな魚といった自然界に存在するものではないことや、海底地震や氷河が割れる音といった自然現象でないことだけは確かでした。
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人工物が発する音。数少ない実戦体験の中で聞いたことはないが、かつて、どこかで聞いたことがあるような、ないような不思議な音に聞こえたそうです。
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敵の潜水艦か、もしくは、潜航を妨げる未知の存在か、いずれにせよ、このままやり過ごすことはできません。
攻撃もしくは、迎撃するかの判断が迫られました。
「T少尉!(この時、父は、まだ少尉でした。)どうする。」
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父は、その音源が、どうしても敵艦から発せられているとは思えず、透き通ったメロディーを奏でるかのような金属音を、いつまでも聞いていたい。そんな不思議な気持ちにかられたのだそうです。
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物資も乏しく、武器弾薬も底をつきかけている、燃料となる油も思うように手に入らないような状況下にあり、たとえ一つといえども、貴重な砲弾を無駄にすることは出来ません。
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もし、敵艦と見誤って、空砲を撃った暁には、大変な損失になります。なにより、日本海軍の恥として後世まで語り伝えられてしまうことだけは避けたいと思いました。
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すると、その時、
ザザザザザ
なぜかVLF(低周波数通信機器)が作動しました。
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この深度で?受信出来るはずがありません。
「・・・き・こ・え・て・・・・い・・ますか。」
とぎれとぎれですが、若い女性の声が聞こえてきました。
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聞いたことのない音楽を奏でるような発信音に加え、若い女性、それも「日本語」で、明らかに、自分たちに話しかけてきていることに、冷静沈着な優等生ばかりの艦内は、少しざわめき始めました。
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「この、戦争は、間違っています。今すぐ、辞めないと数日後大変なことが起こります。今すぐ、辞めてください。」
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「・・・・・・・・。」
「『汝の敵を愛せよ』という聖書の言葉を、あなた方に贈ります。今すぐ、この戦争を辞めてください。さもなくば・・・。」
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「汝の敵を愛せよ」だと。
それが、バイブル(聖書)の言葉だということは、何となく理解できましたが、今、ここで、潜水艦の中で、敵国の宗教の、それも、場違いとも思われるような言葉を聞かされるはめになろうとは、夢にも思いませんでした。
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とぎれとぎれですが、明瞭な日本語で、はっきりと艦内に響き渡る女性の声を聴きながら、これが、米軍の仕業なのか。
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だとしたら、我が国は、とんでもない国と戦争してしまったんだな。
果たして、生きて帰ることが出来るだろうか。
海軍に入隊する前、海の藻屑となることは、覚悟してはいたが。
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心の中が、不安と畏れに支配されていた時、父の隣りにいて、ソナーを監視していたもう一人の専門官が、胸元で小さく十字を切ったのが見えました。
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とっさに、
「攻撃開始」
と叫んでいました。
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透明な澄んだ音色を奏でる未知の音源に向かい、魚雷が放たれました。
乗組員一同、固唾をのんで成り行きを見守りました。
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5分、10分、15分・・・到達するまでに、それほど時間はかからないはずです。
なのに、爆発どころか 攻撃による衝撃すら伝わってきません。
30分が過ぎても、何の変化も感じられなかったことから、ゆっくりと前に進むことにしました。
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対象と思われたものは、跡形もなく、そもそも放たれた魚雷の痕跡すら見つけることが出来ませんでした。
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数時間が経ち、レーダー(今とは比べ物にならないほどの代物だったが、一応、搭乗していた小型潜水艦には搭載していた)の監視官が、おそるおそる
「実は、命中する直前に、魚雷ごと消失しました。」
と言い出しました。
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「信じてもらえないかもしれませんが。例の女の人の声が聞こえてきたあたりから、なんか、こう・・・空気が変わったと言うか。」
「分かった。もういい。」
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程なくして、帰還せよとの命が下り、そのまま何事もなく無事予定されていた軍港へと戻ることが出来ました。
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大した戦果をあげられなかったにもかかわらず、無傷で帰還できたことで、なぜか魚雷消失の件についての責任を問われることもなく、その後、少尉から中尉へと昇官しました。
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その後、終戦を迎えるまで、潜水艦に搭乗することはありませんでした。
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あの日、女性の発した聖書の言葉に、十字を切ったソナー専門官と、戦後しばらく経ってから海軍の同期会で、一度会ったことがあるそうですが、
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「そんなことした覚えがない。確かに、あの女性の声には驚かされましたが。」と笑いながら話していたそうです。
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戦後すぐに、父は、進駐軍からの依頼で、高圧電力の管理と施設運営を扱う仕事をしていました。潜水艦でソナーやそれに付随する機器や装備を管理できたのも、高度な電気系統に関する技術と知識を持っていたからだと、ちょっぴり自慢げに話していました。
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ただ、残念なことに、その割には、出世とは無縁の人生を送っていたように思います。
多分、旧海軍で、「運」なり「功」なりを使い果たしてしまったのでしょう。
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進駐軍で仕事をしていた時、たまたま当時の話を、米海軍で父と同じソナー関連の専門官をしていた人と話す機会がありました。
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米軍の通信技術とについて絶賛すると、
その人は、苦笑しながら、「ありえませんね。洋上かごく浅いところならともかく、わが軍の技術をもってしても、そこまでは無理です。」と。
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「神様の憐み、何らかの導きがあったのでしょう。」
と。さらりとかわされ、複雑な気持ちになったそうです。
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さて、時代は、昭和の繁栄期、いわゆるバブル期を迎えていました。
居間で、NHKのFMラジオで、「バロック音楽のしらべ」という番組を流しながら、ソファに寝そべっていた時、庭仕事をしていた父が、「あぁ~、そ、それ、それだよ。」
慌てて駆け込んできました。
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ラジオから流れてくる曲が、あの日、海中から聞こえてきたキーンという透き通った金属音に似ているというのです。
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流れているのは、まさしくパイプオルガンの音色でした。
ピアノに比べ、パイプオルガンの曲を聴く機会は、あまりありません。
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FMラジオから流れて来た曲が、バッハのコラール前奏曲とアナウンスされていたことから、教会の礼拝の奏楽に用いられる曲だったのでしょう。
父が、「そっかー。パイプオルガンか。なるほどな。」と感慨深く話していたのを思い出します。
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そんな父も20年ほど前に他界しました。亡くなる数年前に、教会で洗礼を受け、クリスチャンになりました。「『汝の敵を愛せよ』と『汝の隣人を愛せよ』は、大切な真理だと思う。」
と語った後、
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「戦争だけは、絶対にしてはならない。」
と唇を噛みしめていたことを思い出します。
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父が、潜水艦を織り、地上の任務についてすぐ、広島と長崎に時を経ずして原爆が投下されたと知り、敗戦を覚悟したと話していました。
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あの時の、『汝の敵を愛せよ』に続き発せられた警告について、自分以外にも聞いていたものたちがいるような気がするとも。
作者あんみつ姫
まず、お断りしておきますが、怖い話ではありません。
あまりにも、滑稽で実話とは思えないのですが。
父は、20年以上前に他界しておりますし、まして、戦後、高度経済成長期に生を受けた私は、戦争当時のことを知る由もありません。
この機会を逃しては、もう二度と書けなくなるのではないか。ここで出会えた皆様に読んでいただきたいとの切なる思いから投稿することにいたしました。
月が輝き、星が瞬く秋の夜長。しんしんとした空気が心身に沁みわたるこの季節。
本作をお届けできる幸いに、喜びと感謝を覚えるものです。