中編4
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何か居る。

何かがいる。そう思ったのはいつからだったか。

引っ越した当初は、特に気にしていない。というか、気づいていなかったか。

隣人にも相談できない。大家も無理だ。頭がおかしな奴だと思われる。

恋人なら猶更だ。

特に今も気にしていない。怖いとも思っていない。だって、存在しないのだから。

いる、という感覚しかない。いるというだけの概念がある。だけど、存在はしない。

そこには確かに何かがいる。視線も感じない。厭な気分にもならない。危害はない。物が落ちたりもしない。ゾクっとしたこともない。

だけど。

何か居る。

気のせいかもしれないけれど。やっぱり誰か居るんだ。

気配もない。いや、根拠すらない。誰かが居るという根拠。

だけど。

誰か居る。

この部屋には。誰か居る。

俺以外の誰かが。寝ているときも、飯を食べているときも、風呂に入っているときも。

誰か居る。

俺の頭は狂ったのかも知れない。

誰か居るということは、何か感じるはずなんだ。だけど、何も感じない。

そう、まるで空気だ。

あることは分かるけど。実感というか、特に気配も何もない。

もし、小さい頃から空気はないと言われてきたら、俺は何も感じない。

だけど。

何か居るのだ。

しかも、人型だ。

やっぱり狂っているのか。

カウセリングとか受けたほうがいいのか。

存在しないことは分かる。だって、何か居るだけなのだから。

ただ。俺が気にしなければいいだけの話なのだろう。

だけど。

だけども、俺は気になってしかたがなかった。

でも、厭な感覚はない。

何なんだ。俺は何が言いたいんだ。

自分でも分からなくなる。

寝るときに考えると、止まらない。

小さい頃に身内の死について考えた感覚と似ているかもしれない。

でも、哀しくもない。

ただ、何かが居るだけだ。

本当に気が狂いそうだ。まあ、もう気が狂っているのかも知れないが。

神経症かもしれない。医学にはまったく詳しくないが。

兎に角何かが居るのだ。

この状況はとても厭だ。だけど、この居るは厭じゃない。

ただ居るだけなのだから。

空気が厭だという人はいない。それと一緒だ。

空気を何かの思い込みで人型だと認識し、何か居ると思っているだけかも。

前まではそう考えられた。

だけど。

だけど。

やっぱり。何か居るのだ。

説明し難い。

今日は彼女が来る。この状況は気にしないでいくつもりだ。

その夜。俺は――彼女を。

抱いた。

嗚呼、何て気持ちがいいんだ。確かに気持ちがいいんだけど。

何か居る。

彼女の喘ぎ声が耳元で聞こえる。昂奮する。嗚呼、本当に気持ちがいい。

だけど。

何か居る。

気持ちがいいのに。気になって仕方がない。

彼女はとても満足そうな顔で帰った。俺も満足な顔をしたいけど。

何か居るんだ。

俺は気にしないように努力した。本当に。何度も、何度も。

だけど駄目だ。

気になってしまうというか、何と言うか。

空気ではない。だって、気になってしまうのだから。だけど、存在はしない。

空気は存在している。現に今も吸っている。

だけど、この居るという感覚は勿論吸えもしないし。

彼女にも訊けない。訊けるわけがない。

『何か居るよね?』なんて。

完全に頭がおかしい奴だ。別れてしまうに決まっている。

少なくとも、俺ならそうする。

嗚呼、厭だ。この居るのは厭じゃない。何でだ。

この感覚が悩みの源なのに。

何で。なんで。俺は――。

この感覚に何も思わないんだ。

空気に何も思わないと一緒だ。

ただ、吸うだけ。

だけど。これは――これは。

居るんだ。

確かに。この空間に。この次元に。存在はしない。

この感覚は口で言えないし、いくら何文字でもいいよって言われたって書けない。

引っ越せばいいのかもしれない。でも。

なんて言えばいい。

彼女や親に。

嗚呼、会社からもここが一番近いのに。

とてもいいところだったのに。

離さなければいけないのか。

このせいで。

この居るというもののせいで。

厭だ。

嗚呼、嗚呼。嗚呼。嗚呼。嗚呼。嗚呼。嗚呼。

厭だ。厭だ。厭だ。厭だ。

こんなの。こんなの。こんなの。こんなの。こんなの。

無理だよ。無理だ。無理だ。

厭だ。厭だ。

だけど、この。この。この。

この源。この悩みの源。

これには。

何も思わない。

そうだよ。おかしいじゃないか。何か思うはずだろう?

考えて見れば、居るということは存在するんだ。

俺は何を言っているんだ?

こいつは存在しないんだよ。

ただ、居るだけなんだよ。

そうだよ。

俺は何を言っているのだろう。

嗚呼、今日自分が破壊されていく音が聞こえた。

もう、何日も彼女に会ってない。

厭だよ。厭だよ。厭だ。

彼女の身体を抱きたい。温度を感じたい。

何か居るけれど、そんなの関係ない。

彼女だ。折角、出来た彼女だ。

顔も可愛いし、自分には勿体無いくらいだ。

スタイルも完璧、料理もできる。

折角、出来た彼女なんだ。

頬に涙が伝った。

厭だ。厭だ。厭だ厭だ厭だ厭だ厭だ。

別れたくない。厭だよ。あの、性交のときの何とも言えぬ喘ぎ声。嗚呼、思い出しただけでも昂奮する。

嗚呼、抱きたい。声を聞きたい。

お願いだ。聞かせてくれ。

何処からか。いや、すぐ近くから。彼女の声が聞こえた。

あの、喘ぎ声が。

嘘だろ?でも、なんで彼女が?

俺は気づいた。声を上げたのは、この感覚だ。

何か居るという感覚が声を上げた。

お前か。お前だったのか。

考えれば。

いつも一緒にいてくれたのは、こいつだ。

嗚呼、存在していない奴にこいつっていうのはおかしいな。

だけど。だけど。だけど。

俺はその感覚を――。

抱いた。

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この、人がおかしくなると言うか、狂ってしまった思考と言うのか、表現と言うのか…背筋にゾッとするモノを感じました。