中編5
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左利きの少年

 今日も野球少年は自転車に乗り、部活へ向かう。

日曜日だというのに大変だな。

俺は、向かいのマンションの自転車置き場を2階の自宅からぼんやりと眺めていた。

 中学生かな。野球部らしい。バッグに入りきらなかったのか、グローブが自転車の前カゴにそのまま放り込んである。

 「へえ、左利きか。」

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俺はグローブの違和感に気付いたのだ。

俺にもあんな時期があったな。俺も野球部だった。

野球部ってのは、何でああ練習に明け暮れるのだろうな。

来る日も来る日も練習練習。今となっては、もっと楽な部活に入り遊んでおけばよかったと思うこともある。

だけど、あの野球に打ち込んだ日々こそが俺の人生の一部なのだから。

野球が好きで、自分が選んだのだから仕方が無い。

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日曜日の夕暮れ、俺は暑さをしのぐために、河川敷の公園のベンチで読書をしていた。

すると、高架橋の下で壁を相手にキャッチボールをしている少年がいた。

あのお向かいのマンションの中学生に見えた。

そして、取り損ねて逸れたボールが、俺の足元に転がってきた。

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俺はつい、手首にスナップをきかせて、少年のグローブに向かって投げた。

自分でも気持ちがいいほど、少年のグローブに吸い込まれたのだ。

やはり。あの左利きの男の子だ。少年は帽子を脱いで、ペコリと俺に挨拶をした。

俺はちょっと嬉しくて、少年に近づいて行った。

「部活終わってまで練習かい?」

部活帰りというのはすぐにわかる。ユニホームがドロドロだ。

少年はコクリと頷いた。

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「俺、こう見えても野球やってたんだよ。どう?壁じゃなくて、俺とキャッチボールする?」

俺は不審者に見えるかな。一瞬なんでこんなこと言ったのだろう、と後悔した。

気味悪がられて断られると思ったが、少年はもう一つグローブを差し出してきた。

こちらは右利きのグローブだ。

「あれ?君は左利きじゃなかったっけ?」

少年が初めて口を開いた。

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「今、右利きの練習をしているんです。」

「え?何故?左利きも個性だよ。誰かに直す様に言われたの?」

 少年は黙って首を振った。言いたくない理由があるのだろう。

俺はそれ以上は深くは聞かなかった。

俺と少年はその日、日が暮れるまでキャッチボールをした。

少年は帰る方向が一緒だったので、俺は少年に近所に住んでることを話した。

その日を境に少年は俺に挨拶をするようになり、たまにまたキャッチボールをするようになった。

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 そしてある日曜日、また少年はあの公園に居たから俺は声をかけたのだ。

「毎週精が出るね。」

「お兄さん、僕とキャッチボールをしよう。」

いつもは照れくさそうに俺の誘いを受けるくせに、今日は自分からキャッチボールしようと言って来た。なんか、感じが違う。何だろう?雰囲気も違う。

 あ、右利きだ。

「あれ?左利き、矯正しちゃったの?」

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最初、少年は何のことかわからずに、ポカンとしていた。

右利きに矯正することを俺に話したの、忘れたのかな?

少年はすぐに思い出したかのように、「うん」と答えた。

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その日は別れ際に、少年は俺に

「ねえ、今度勉強を教えてよ。いいでしょ?」

と話して来た。この子、こんなに積極的に話す子だっけ?

多少の違和感を感じながらも、俺はOKと言った。

 そしてその約束が叶うことはなかった。

少年は行方不明になったのだ。

少年は雨の日にあの河川敷に行って、増水した川に足を滑らせて落ちたと言うのだ。

その3日後、かなり下流で水死体として見つかったとのことで、昨日が葬儀だったらしい。

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俺はニュースを見るまでは、その子の名前も知らなかったし、だいいちお向かいに住んでるということだけで、どの部屋に住んでるかも知らなかった。

勉強を教えてほしい、と言うのも、俺の部屋に来る約束だったから、全くその子のことを知らないうちに死んでしまったのだ。

無論俺が葬儀になど出れるはずがない。

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 正直、俺はしばらく落ち込んだ。

少しでも関わりのあった人間の死は悲しい。

 ところが、俺はその3日後に信じられないものを目撃する。

なんとあの少年が、自転車に乗っているではないか。ユニホーム、部活バッグ、そして、自転車の前カゴに放り込まれたグローブ。

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 俺は幽霊を見ているのだろうか。

俺がブラインドの陰からじっと見ていると、少年は俺の視線に気付いて、ニヤリと笑ったのだ。俺は見てはいけないものを見てしまったのか。

心臓が早鐘のように鳴り、悪寒が足元から這い上がってきた。

 

 ブラインド越し、見えるはずない。でも、少年は気付いたのだ。

 俺はその日から、その見たものが信じられなくて、朝ゴミステーションを掃除している、お向かいのマンションの住人に聞いたのだ。

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「あの、この前こちらのマンションで葬儀があったみたいですけど。」

俺が切り出すと、住人の女性は顔を曇らせて俺に言った。

「そうなんですよ。可哀想にね。まだ中学1年生だったんですよ、あの子。

マモル君っていうんだけど。双子の弟のほう。ミチル君も寂しいよね。

双子の兄弟のかたわれが亡くなったんだから。」

その女性は勝手に俺に家族構成までしゃべってきたのだ。

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なんだ、幽霊なんかじゃなかったんだ。双子の兄弟なのか。

そして、1週間後、ミチル君はあの河川敷にたたずんでいた。

「あの、俺君の弟のマモル君の知り合いで。このたびは残念なことになって。」

俺は思わず、ミチル君に声をかけていた。

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少年はしばらくの間、無言だったけど、気丈に顔を上げた。

「大丈夫です。弟がお世話になりました。今日は僕とキャッチボールをしてくれません?」

そう言うと、少年は微笑んだ。なんて健気なんだろう。

俺はグローブを渡された。そして少年の方を見て、何故か違和感を感じた。

「あれ、君も左利きなんだ。」

俺はそう言い、自分の渡されたグローブを見た。

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篠山 ミチル

グローブにはそう名前が書いてあった。これは右利きのグローブだ。

俺は、右手にグローブをした少年を見た。

少年が器用に左手でボールを俺に投げてよこす。呆けた俺に。

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「ミチルはね、何でも僕の物を欲しがるんだ。おもちゃや文具、洋服。自分でも似たような物を持っていても、僕のを欲しがった。

お菓子も、自分が食べているのに、僕のを横取りしたりした。

あいつは、ただ僕が持っている物が欲しかっただけなんだ。

そして、ついに、僕の大好きなお兄さんまでね。僕はもう我慢の限界だったんだよ。親はミチルばかり可愛がった。いつも僕はないがしろにされたんだ。

親はミチルさえ居ればよかった。僕は要らない子なんだよ。

あいつ、僕になりすまして、お兄さんに勉強を教えてくれって言って、お兄さんがOKしてくれたって。

僕に自慢げに話したよ。だからね、あの川が増水した日に、河川敷に呼び出したんだ。」

少年が恐ろしい告白と共に、俺とキャッチボールを繰り返す。

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「お兄さんまで、ミチルに盗られたくなかったんだよ。」

そう言うと、今までで一番速い球を俺のグローブめがけて、マモル君は放り投げたのだ。

「さて、そろそろ右利きの練習しなくちゃね。」

そう言うと、自分のグローブを川に投げ捨てた。

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>ちゃあちゃん様
怖い、いただきありがとうございます。
兄弟って似てるようで似てないものですね。うちも弟と間逆の性格でした。

怖い…というか、何と無く哀しい感じがします。双子なのにどこですれ違いが生まれたのか…