雨はもう止み、淀んだ雲の隙間からもういいか?と月が覗いている。
人気のない山間の中腹で、闇を切る様な叫び声があがる。
「ぎゃあああああ!!!」
転がるようにタクシーを飛び出して来た佳代子は、最初に見えた高さ二メートル程の立て看板の裏に身を隠した。
「う、うわあああああ!!!」
少し遅れて運転席のドアもバン!と開き、中からタクシー運転手が飛び出して来た。そして佳代子と同じように看板の裏へと身を隠す。
「はあ、はあ、お客さん!見たんですか?見たんですよね?し、白いコートの女!見たんですよね!」
運転手は佳代子の両腕をガクガクと揺すりながらそう言う。酷く錯乱している。
「い、痛いです!離して下さい!見ました、見ました!目の取れた女の人が乗っていました!ちょっ!痛いですから、とにかくこの手を離して下さい!」
運転手は佳代子から手を離すと、すぐに自身の顔を両手で覆い激しく擦り出した。
「さ、触られたんです!何かに!顔を撫でられたんです!アレは間違い無く人の手の感触でした!うわあ気持ち悪い!気持ち悪い!俺じゃないをだ、勘弁してくれー!!」
運転手が頭を抱えて唸り出す様子に佳代子は思う。
「へぇ、こんなおじさんでも幽霊見たらこんなに怖がるんだ…」
しかし佳代子はそんな運転手の姿を見て、逆に少しだけ冷静さを取り戻していた。
落ち着いて女性の顔を思い出す。
生気のない真っ白な顔、額から顎にまで伸びた血の筋。これ以上に無い程の醒めた冷やかな表情。目玉の失った空洞のような眼孔。デロンと下に伸びる長い舌。
人生でこれだけ恐ろしい顔を一度も見た事が無い。
「お、お客様!今思い出しましたが、多分、ここでジッとしておれば大丈夫だと思います。会社の同僚がアレと同じ物を見たとか言っておるんです」
幾分、運転手も落ち着きを取り戻してきた様子。
「 白いコートの女…同僚が乗せた時は突然車から飛び出して笑いながら崖の下へと消えて行ったそうです…話によればその時と場所も時間もほぼ同じだ。ほらあそこを見て下さい…」
運転手は数十メートル先に聳え立っている山を指差した。見ると、その山の腹にぽっかりと大きな穴が口を開けており、ぼんやりとオレンジ色の明かりが灯っている。
「ああ…トンネル…ですか?」
運転手は頷いた。
「そうです、この場所で間違い無い。恐らく我々はあの霊にここまで連れて来られたんだと思います。まあこれは私の推測に過ぎませんが、多分あの女性は過去にこの場所でタクシー運転手に殺され、崖の下に投げ落とされた被害者の霊だと思います」
「じゃ、じゃあもしかして、その発見されていない遺体を見つけて欲しいって事ですかね…私達に?」
「そういう事かも知れません。おそらくこの後、彼女の霊体は崖から飛び降りるはずです。
そしたら我々は直ぐに警察に通報して、この辺り一帯を隈なく捜索して貰えるよう頼み込まねばなりません。それが彼女の願いであり、私達の責任でもあるのです!」
運転手さんが何を根拠にここまではっきりと言い切っているのか、佳代子には全く理解出来なかったが、この際、運転手のその推測とやらを信じる事にした。
「じゃ、じゃあ私達が危害を加えられる心配は無いって事ですか?そういう事ですよね?ねっ、ねっ?」
運転手は黙って頷いた。
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数分が過ぎた、いやもしかすると数十分かも知れない。
佳代子と運転手はあれからお互いに言葉を交わす事も無く、白い立て看板の裏で静かにその時を待っていた。
道路上に放置したままのタクシーには今の所これといった異変は起きていない。あの女性がまだ車の中にいるのか、それともいないのか、それさえもここからではよく分からない。
しかしいくら車から距離を取っているとはいえもし、万が一、車内から血だらけの女が飛び出して来て追いかけられたとしたら、佳代子には到底逃げ切れる自信は無い。もうこれは運転手さんの言葉を信じて、祈るしか無い…
ガチャリ
と、その時タクシーの助手席のドアがゆっくりと開いた…
「……… 」
二人の視線の先、完全に開け放たれた助手席のドア。
そこからのそりと姿を現した女は、暫くそのままジッと突っ立っていたが、何かを思い出したかの様にゆっくりと左右を見渡し始めた。
幸いあの調子では、まだ自分達の存在はバレてはいない。満月の明かりが彼女の顔をテラテラと照らす。
赤い。
それは車の中で見たあの真っ白な顔ではなく、真っ赤な液体で余す所無く染められた血塗れの顔のようだ。
その血は顔だけでなく、首を伝って白いコートまでも赤く侵食している。
「ひっ!!!」
運転手が悲鳴を上げそうになり、慌てて隣りから佳代子が口を塞ぐ。
女が一瞬、こちらを見た様な気がしたが、またすぐにその顔は向こうを向いた。
「だ、ダメですよ運転手さん声出しちゃ!てか見えてるんですか?運転手さんにもあれが…?」
口を押さえられながらブンブンと顔を縦に振る運転手。
運転手の同僚の言葉を信じ、自分達に危害は無いと一度は安心した二人であったが、いざもう一度この女を目の前にするとそうも言っていられない。とても生きた心地がしない。
「う、運転手さん落ち着いて!私達、まだあの女に気付かれてないようですから絶対に声は出しちゃ駄目ですよ!早く崖から飛び降りてくれる事を願いましょう…」
「…ひぃあ!!」
その時、女を見ていた運転手が悲鳴を上げた。つられて佳代子もその視線の先を見る。
『うふふふふふ…ははははは!!!』
「………!!!」
完全に目が合っている女がフワリと宙に舞うと、次の瞬間には目の前にいた。
距離にして数十センチ。立て看板のすぐ向こう側に、身を震わせて笑う血だらけの女が立っていた。
後半へ続く
作者ロビンⓂ︎
続きは1年後です!…ひひ…