彼女のいない俺は、今日も朝から晩まで仕事に明け暮れている。
バレンタインデー。
なんですかそれは、日本語ですか?
「店長ってイケメンだよね」
「店長なんで奥さんいないんですか?モテそうなのにー」
はいはい、それじゃあ君が俺の彼女になってくれよ。お客さんのそんな社交染みた辞令はもう聞き飽きました。
今日も店のシャッターを下ろしたのは午前4時で、6時間後にはまた店に来て、ランチ用の仕込みを始めなければならない。
休みも月に一度あるかないかだ。まあ自営だからしょうがないと言えばしょうがない事なんだけど、考えてみたら、仕事して寝るだけのこんな生活をもう5年以上も続けている。
「はあ」
ため息が出た。
こんな仕事漬けの生活をしていると出会いなんてものはないし、恋に費やす気力も湧いてこない。
もし彼女が出来たとしても、構ってやれる時間もないこんな俺なんて、すぐにフラれてしまうことだろう。
ふふふ
いつものように、コンビニで寝る前の夜食を買い込んで、トボトボと自宅マンションに向かって歩いていると、仲の良さそうなラブラブカップルとすれ違った。
彼女は彼の腕にしがみ付き、キラキラした満面の笑みで実に幸せそうだった。あー羨ましい…
やっぱり羨ましい。
俺も恋をしたい。
帰ったら「おかえりー♡」って、寝間着姿の彼女に迎えられて、チュッチュしたり、ギュッギュしたり、ヨシヨシとかしたい。
空を見上げると綺麗な満月。
「はあ」
無意識に、またため息が漏れた。
ああ、もう何もかも嫌んなってきたな。
にゃおん
その時、側のコインパーキングの中から猫の鳴き声がした。
にゃーん
まただ。無類の猫好きの俺は猫を探した。
ちっちっちっちっ!と舌を鳴らしながら猫を呼ぶが、姿が見えない。
にゃおん
どうやら猫は駐車中のアルファードの下に隠れているようだ。この寒空の下、野良とは可哀想に。良かったら俺の家族にならない?
「ほらほら出ておいでー」
地面に手を突いて車体の下を覗きこむ。
だがそこには、猫ではなく人間の女がいた。
女は20センチにも満たないこの狭い空間で腹這いになり、俺を警戒しているかのような微妙な表情を浮かべている。
にゃーん
女が大きな口を開けて鳴いた。
「こ、これは失礼しました。まさかこんな所に人が入っているとは思わなかったもので、どうもお騒がせしました!」
俺は首だけで丁寧にお辞儀をして、素早く立ち上がると、足早に駐車場から離れた。
「ふう、やっべーな!完全に頭がいっちゃってる人だなアレは!」
俺は何も見なかったと自分に言い聞かせながら、家路を急いだ。
にゃーん
幻聴か?
横断歩道を渡りきった所で、また猫(女)の鳴き声が聞こえた。
そろりと振り向くと、反対側の歩道にあの女が座っていた。
いや、座っているのではない、立っている。
両腕だけで立っている。
腹から下部分が欠如した異様な姿。
目の前を車やバイクが行き交う中、女の目はジッと俺を捕らえて離さない。
まるであの有名な都市伝説「テケテケ」を思わせる不気味なその佇まいに、俺も女から目が離せずにいた。
歩道の信号が青に変わった。
にゃーん
女がまた鳴いた。
すると2本の腕を器用に動かしながら、テケテケと横断歩道を渡りはじめた。
にゃーん
ああ、やっぱり人間じゃなかったんですねアナタ。分かります。
確信した瞬間、俺は何かに背中を弾かれたように走りだした。
もう無我夢中で走った。
100メートルを9秒台で走った。
ペタペタと近づいて来ては離れていく足、いや、手音。すごい速さだ。
どこへ逃げたらいいのかも分からずに、ただただひたすら、アイツから逃げきる為に走った。
歩道橋へ駆け上がる際、一度だけ後ろを振り返ってみたら、アイツの姿は消えていた。
…
結局、俺は一睡もする事なくその日のランチ営業を終えた。
昨夜のアレは何だったのか?夢か?
いやそんな筈ない、俺寝てないし!てか、一睡もしていないし!
にゃーん
未だに耳にこびりついているあの鳴き声を思い出すと、身が震える。
こんな話を誰かにした所で信じては貰えないだろう、少し休んだら?って言われるだけに決まっている。
俺は、ディナータイムまでの僅かな休憩時間を使い、女を見たあのコインパーキングまで歩いていく事にした。
さすがに、こんな真昼間から幽霊が出る事もあるまいて。
昨日とまっていたアルファードは、まだ同じ場所にとまっていた。
「うわっ、駐車料金すごいだろうな!」と、いらぬ心配をしながら膝をつき、おそるおそる車体の下を覗きこんだ。
「んっ?なんだあれは?」
後輪タイヤの近くに、長さ20センチ程の黒っぽい木の板らしき物が転がっていた。
手を突っ込み、それを引き出す。
「ほう、なるほど、位牌ですね」
それは、艶艶としていて、大した汚れも傷もない、誰の物とも分からない位牌だった。見た事もない難しい漢字が縦につらつらと書かれてある。
「さーて、こんなもん拾っちまってどうしたもんかな?これってどこに持って行きゃいいんだろう?」
無い頭でそんな事を考えていると、いきなり何者かに足首を強く掴まれた。
見ると、車体の下から白い手が伸びていて、俺の右足首を掴んでいる。
プツプツと全身に鳥肌が立った。
こんな昼間っから出るかな普通?勘弁して下さいよ。
すると、やっぱりといった感じで、女の顔がゆっくりと車の下から出てきた。
「これ、君の?」
にゃーん
「君のなんでしょ?これどうしたらいいのかな?」
にゃーん
まったく会話にならない。
「俺もこう見えて忙しいからさ、どうしたらいいかだけ教えてくんないかな?」
にゃーん
ダメだこいつ。
よし、こうなったら違う角度から攻めてみようか。
これは俺の持論だが、幽霊というモノは向かって来られると怖いが、逆にこっちからグイグイ入ってやると、案外、簡単に退散してくれるのではないか。
「てか、君って良く見ると可愛い顔してるよね。うんうん可愛い可愛い!ねえ、良かったら俺の彼女になってくんないかな?」
にゃ…
んっ?
にゃ…
にゃ…
明らかに女の様子が変わった。
にゃ…
にゃ…
真っ白だった顔が、ほんのりとしたピンク色に変わってきている。
「見れば見るほど可愛いね君。もっと良く俺に顔を見せてよ!」
そう言って手を伸ばし、屈みこもうとした瞬間、女はカッ!と目を見開き、物凄いスピードで車の下に引っ込んでしまった。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
俺はすぐさま後を追って、車体の下を覗きこんだが、残念ながらもうそこにテケ子の姿はなかった。
にゃーん
少ししてから、遠くの方で微かな猫の鳴き声がした。
気づけば握りしめていた筈の位牌は跡形もなく消えており、それ以来、もう二度とテケ子が俺の前に姿を現せる事はなかった。
結果的にというか、一見、俺の作戦勝ちのようにも見えるが、幽霊にすらモテない俺って一体何なの?
テケ子。
どうか、お元気で。
マジでちょっと可愛いかったよ。
そして、さようなら。
テケ子。
【了】
作者ロビンⓂ︎
こんな噺を。
綿貫先生、お疲れ様でした!ψ(`∇´)ψしゃしゃ