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百物語 【第九十八話】

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はい。どうも。怪談師様の渾身の一作。とんでもない恐怖。幾重にも重なった登場人物たちの思考、感情。

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まー恐ろしかったですね。こんな話をされては、異界の扉も・・・・・・あ、もう開いちゃってますね。

中からさまよい出たのは、ああ、私の田舎のバアさんですね。とっくに亡くなっているはずなんですが…。

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え?なに?私にも話をさせろ?

いや、これ百物語の私のラスト会・・・・・・

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・・・はい、いや、そのことだけは内緒で・・・はい、はい・・・わかりました。

えー、みなさん、どうもすいません。私のバアさんが皆様に話をしたいようです。

年寄りの話で退屈でしょうが、まあ、ここはひとつ、よろしくお願いします

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【九十八話】したらのバア

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私がまだ尋常小学校に通っていたころの話。

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「おーい、この辺で釣るで。こっち来ていっちょ見とりん!」

男友達のヒサヒデの大声に、私は思わずため息をついた。

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水遊びは嫌いじゃなかったが、釣りの時に現地調達する川ミミズがどうも好きになれなかった。

ヒサヒデは私の気持ちなどお構いなしで、川ミミズに針を突き刺すと、いかにも深そうな川渕の、濃い紺碧の水面に向かって投げ込んだ。

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そのころ、ほとんど手つかずの自然が残っていたこの辺りは、学校に通う道も、うっそうとした森の横を通ったりしなければならなかった。

通学路の途中で、獣道のような、道とも呼べない道が枝分かれして、森へと続いている部分があった。

その奥には、ちょっとした池というか、淵があり、子供だけで行くと神隠しに会うとかで、立ち入り禁止になっている場所があった。

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行くなと言われると少し行ってみたくもなる年頃であった。

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で、今日は悪ガキの幼馴染の男友達に、やや強引に誘われて、そのご禁制の淵に探検、兼釣りにやってきたというわけだった。

やっては来てみたものの、それほど釣りに興味があるわけでもない私は、ヒサヒデの声を無視して、周りを少し見渡してみた。

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深い碧に囲まれたこの場所は、また一抱え以上ある大きさの石がごろごろと転がっている。

その一角に、なにか紐のようなものがかすかに揺れているのが見て取れた。

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気になって近づいてみると、随分古ぼけた、小さい木製の鳥居に、切れかけた紙垂が風に吹かれて揺れていた。

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(こんなものがあったんだ)

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よく見ると、鳥居の奥にはこれまた小さな建物が建っている。祠というのだろうか。よく交差点でお地蔵様を祭ってある、あんな感じ。

違うのはずいぶん古びていることと、祠の裏が岩山に続いていて、中に意外と大きな空間がありそうなところか・・・。

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私は身をかがめて扉の奥を覗き込んだが、中は真っ暗闇でよく見えない。

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思い切って祠の扉を開けてみた。

祠の中から一陣の風が吹き抜けていった。

私は祠の中に顔を差し入れてみた。

しばらくは視界は炭で塗りつぶされたようになっていたが、時間が経つにつれ、奥の様子がほの見えてきた。

何かが揺れているのが分かった。

縦長の、やや白っぽい布のようなもの・・・。

(え・・・?)

私は眼を疑った。

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それは、人が着る服、それも神社の巫女さんが着るような装束のように見えた。

それが宙に浮いた状態で、かすかに揺れている。

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(首吊り死体)

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その単語がようやく頭に浮かんだ。

と、そのとき

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シャラン!

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という音が頭の上で響き、私は

「キャア!」

と小さい悲鳴を上げて首を祠から引き抜いた。

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鳥居の注連縄にかけられていた小さな鈴の束が風で鳴ったらしかった。

私は急に怖くなって、ヒサヒデのもとに走った。

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膝が震え、うまく走れなかったが、とにかくその時出来る全速力で走った。

ヒサヒデは相変わらず川に釣り糸を垂れていた。

「どした?」

息せき切って走ってくる私を不思議そうに眺める。

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「ヒデ君、あっち、なんかいる。人が、ぶらさがっとる」

「・・・はあ?」

私の説明を聞いたヒサヒデは、その祠を見てみたいと言い出した。

もちろん断固反対したが、話を聞くような男ではない。

私はもうあそこには行きたくなかったが、かといってここで一人で待つという事も出来なかった。

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不承不承に後をついて行く。

やがて祠にたどり着いたヒサヒデは、「ここか?」と私に確認すると、上半身を祠の中に突っ込んだ。

沈黙と、せせらぎの音が周りを支配した。

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「・・・どお?」

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待ち切れずに私が声をかけると、ヒサヒデはひょいっとこちらを振り返る。

「・・・なんもないけど?」

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え?

私は耳を疑った。ヒサヒデを押しのけるようにして、祠の中の闇に眼を凝らす。

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しばらく待ったが、闇はいつまでも闇のままだった。

先ほどの衣は、どこにも見当たらない。

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「あれ?おかしい・・・」

私は思わず口に出した。

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「だははははははははは!」

背後でヒサヒデが爆笑する声が聞こえた。

「脅かそうって、そういうのやめりん!引っかかりそうになったっけが!」

「違う!そんなんじゃないって!」

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大声で笑い続けたヒサヒデだったが、ふとその笑いが小さくなった。私の背後を見ている。

振り返ると、祠のある岩山の上に、いつの間にか人影が立っていた。

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ぼろぼろの服の上に蓑をまとい、ぼさぼさの頭に伸び放題のひげを蓄えている。

背中には長い弓を背負っていた。

多分、このあたりを生活の場としている、猟師さんなんだろうが・・・。その風貌は、まるで森を根城にしている浮浪者のようだった。

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もっと言うと、昔語りに出てくる「山ん爺」を彷彿とさせる姿なのだ。

山に迷い込んだ旅人を騙して、とって食らうという・・・・・・。

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『ここに子供だけで近づいてはならない。神隠しに会う』

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バカげた大人たちの脅し文句が、急に現実味をもって私の頭に浮かび上がってきた。

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「ねえ、帰ろう」

知らないうちにヒサヒデのTシャツの裾を握っていた。

「・・・・・・そだな」

ヒサヒデの顔も強張っている。

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私たちは男に声もかけず、後ろを振り返ると、家に向かって歩き出した。

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途中、振り返ってみると、男は岩山の上にじっと佇んだままだった。

ヒサヒデは虚勢を張っているようだったが、大切なルアーが入った道具箱をそのままにしていったところをみると、やっぱり緊張していたんだと思う。

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私たちはお互いの家の近くまでの曲がり角まで速足で歩くと、そのままバイバイをして別れた。

怖かったけど、忘れられない体験だった。明日には教室でヒサヒデがいろいろ皆に言いふらすんだろうな。

ちょっと迷惑だけど、仕方ないか。

(今日はちょっと疲れたかな。早く寝よう)

そんなことを考えていた。

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そのときまでは・・・・・・。

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夕方、熱っぽくなってきて、体がだるくなってきた。

熱を測ると、39度を超えている。

私は夕食を軽めにしてもらうと、お風呂にも入らずに、そのまま床に就いた。

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お母さんが果物とかを切って持ってきてくれるけど、喉を通らない。

しだいには意識もぼんやりとしてきた。

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夢うつつの中、私は現実とも夢ともつかない世界の中にいた。

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辺りはもう暗かったが、細かい粒子のような闇が視界全体に広がり、朦朧とした意識をさらに焦点を合わせにくいものにしていた。

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どれぐらいそんな状態のままでいたかわからないが、なんとなく、視界の中で、闇の粒子がうねりのような動きをみせ、ゆっくりと何かを形作っているような気がした。

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巨大な蛇が、まるで山津波のようにこちらに向かってゆっくりとなだれ込んでくる。

そんな妄想が、頭の中で映像化されていた。ゆっくりと、私に覆いかぶさるように・・・・・・。

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遠くで ピイイイイイイイイ…………という、笛の音のような音が聞こえたような気がした。

だいたいその辺りで、私の意識は混沌の中に落ちていった。

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タンッ!という襖を開く音が私の意識を呼び戻した。

襖の向こうに誰か立っているのが見えた。お婆ちゃんのようだ。

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「マユ!われは、どこさ行っとらした!」

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お婆ちゃんは血相を変えてこちらに飛び込んできた。

「婆さん、ちょっと黙っときんさい。のう?」

後ろからお爺ちゃんが歩いてくる。手には、なにか白い棒のような物を握っていた。

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それを見たとたん、熱で忘れていた恐怖と嫌悪の感情が蘇ってきた。

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「黙っとれせんがね!家に白羽の矢が立ったげな。なんで家のもんが魅入られなかん!?」

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お婆ちゃんとお爺ちゃんの話をまとめると、家に、山の神からの意思表示である、「白羽の矢」が突き刺さっていたという。

それは、「山の神」が、この家に用事があることを意味している。

その用事の内容は、多くの場合、家のものを差し出せ、ということ。

一言でいうと、「生贄」を出せ、という事を示す、という事だった。

どうしてそんな事になったのか。心当たりがあったら話せ、と、普段は優しいお婆ちゃんが、まるで半狂乱になって問い詰めてくる。

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私は観念して、今日行った場所、見たものについて、正直に話した。

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それからは大騒ぎだった。

親戚の男たちが呼ばれて、家の外にかがり火が焚かれた。

家の入り口には、まるでお葬式のように「忌」と書かれた半紙が張られた。

陶器の皿に注いだ清酒を、部屋中に榊の葉で振り撒かれ、部屋中が酒臭くなった。

お爺ちゃんは、私にゆっくりと、噛んで含めるように話し出した。

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「マユ、多分今夜中に山の神様が迎えにくるかもしらん。今夜は、この部屋から絶対に出ちゃあかん。

なにかあったら、婆さんが隣におるでな。必要があったら襖を開けてもらえ。

でも絶対に自分からは開けたらあかんでのん。

それから、誰かに声をかけられても、お前からは返事をしたらかんで。わかったな?

・・・まあ一回聞いとくが、マユは山の淵で生き物は殺しとらんのだな?」

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私はゆっくりと頷いたが、ヒサヒデが川ミミズを釣り針に通していたことを思い出し、お爺ちゃんにそのことを話した。

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「・・・・・・そうか。そっちはもう助からんかも知らんのん。

とにかく、絶対に部屋を出るな。声を出したらあかん。いいな?」

そういうと、お爺ちゃんは襖を閉めて出ていった。

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部屋の中には静寂が訪れた。ただ、となりでお婆ちゃんがお経を唱えているのがかすかに聞こえてくる。

とはいっても、難しいお経ではなく、ただ、「ナンマンダブ、ナンマンダブ、ナンマンダブ・・・」と、ちいさく呟くようにずっと唱え続けていた。

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縁側へと続く障子も閉められていたが、外で焚かれている篝火のせいで、明け方のようにうっすらと白く障子紙を透かして灯りが見えた。

そんな中、私の意識は、再び眠りの中に落ちていった。

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・・・

・・・

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一体どれだけの時間が過ぎたのだろう?

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周りはすっかり闇に包まれ、時間の感覚がつかめない。

部屋の外からは、相変わらず呟き声が聞こえてくる。

微睡んでいた意識の中に、ふと違和感を感じた。

(なんで真っ暗なんだっけ?外で火を焚いているんじゃないの?)

もう、山の神はこないのだろうか?

私は布団の中から顔をのぞかせてみた。

何かと目が合った。

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闇に包まれた部屋の中に、それは空中に浮かんでいるように見えた。

能面の翁を連想させる、ニタリと笑ったような男の顔が、闇の中に浮かんでいる。

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(昼間に会った猟師さんの顔だ)

私は本能的にそう感じた。

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「声を出してはいけない」

そんなお爺ちゃんの言葉を思い出しながらも、思わず絶叫を上げようとしたが、今度は恐怖で喉が引きつり、声が出せなかった。

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私の視界の中の闇の粒子が、再び集合するように顔の下に渦を巻いて集まり、うねりを持って形を成し始めた。

巨大な蛇が蠕動するような、泥の山が溶けかかるような、奇妙な動きをしながら、その闇のうねりは男の顔を天井にまで押し上げると、今度は顔がゆっくりとこちらに近づいてきた。

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「おやめください。助けてください。お許しください。おやめください。助けてください・・・・・・」

隣から聞こえる声が、念仏とは違っている。まるで哀願するようなものになっていた。

男の顔は、声に耳を貸すことなく、ゆっくりとこちらに近づいている。

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「イチヤクシムスラナカルヘシヤルシャナビシヒシムスコムスヤムスリキナカリキシムベナルカナ ツマルカモオナキニミルカナシャフルイミゴラキチ・・・・・・」

何か意味不明な言葉を発しながら男の顔は、私の眼前にまで近づいてきた。

男の目がかっと見開いた。

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shake

「コ ッ チ ヘ 来 イ 」

地の底から響いてくるような声に、私の口が自然に開いた。

(ああ、これが山の神なんだ。私はこれからずっとこの男と一緒にいなければいけないんだ・・・)

恐怖が臨界点を過ぎ、諦観にも無感情にも似た、無機質な感情が私を支配した。

(ヒサヒデは無事なのかな?無事だったらいいな)

そんな場違いなことを考えながら、私は「はい」と口に出そうとして・・・・・・

「お許しください!!」

shake

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突然襖がバンっと開くと、何かが私と男との間に入って来た。

真っ白な装束、目に映える朱色の帯・・・。

昼間、私が祠で見た巫女装束であることを思い出すのに、数瞬を要した。

その姿は、まるで闇の中に光を放っているようにも感じられ、その神々しい後姿は、私に安心感をもたらした。

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自分の体に再び血液が巡り始めるのを感じながら、私の意識は遠のいていった。

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意識を失っている中、私は夢の中にいた。

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夢の中で、白いキツネが、静かに私に向かって微笑みかけるようにそのまなざしを向けていた。

キツネは何をするわけでもなく、じっと座り続けていた。

ただ、それだけの夢だった。

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目が覚めると、朝だった。

全身を覆っていた高熱と倦怠感も嘘のように消えていた。

私は布団をめくって起き上がると、襖を開けてみた。

お爺ちゃんから止められていたが、もう大丈夫、という確信が私の中にあった。

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隣の部屋ではお婆ちゃんが鼾をかいてひっくり返っていた。

台所では、お父さんとお母さんが机に突っ伏して眠っていた。

外に出てみると、煤だらけになった篝火の燃えかすのそばで、親戚の男衆たちが体育すわりのような恰好なまま、眠っていた。

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つまりこの家にいた全員が眠りについたまま、その日の夜は過ぎていったのだった。

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お婆ちゃん達は太陽がずいぶん高く上るまで中々起こしても起きなかったが、聞いてみると、昨夜のことはあまり覚えていないようだった。

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しばらく後、色々と考えてみたのだが、あの山の祠に会った白装束・・・。

あれは、山の精か何かだったのではないだろうか。

山の神に見初められた私を、どういうわけだかあの白装束が助けてくれた。

私はそう思うことにしている。

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あの淵で川ミミズを殺生したヒサヒデは、結局助からなかったが、私はこうして何事もなく無事に過ごすことが出来た。

それ以来、私は決して淵には近づかないし、毎年の豊川稲荷奉納祭には欠かさず参拝するようにしている。

【了】

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はい、バアの話はこれでおしまい。お粗末さんでした。

ん?ヒサヒデ?山の神に連れていかれて可哀想?

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なに言っとるん?ヒサヒデって、あんたのジイさん。バアの旦那さんだがね。

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あれっきり人差し指がダメになって、釣りも出来んようになるし、女には目がないし、頭もこっつら憎いスカタンのまんま大人になって、はあ、あれは山の神の呪いだがね。そうとしか考えられんのん、ほい?

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あんたはちったあ女に甲斐性出さなかんけど、あんなんになったらあかんよ。嫁さんに家叩きだされるからな。

ほんじゃ、ま、おいとまします。お邪魔さんでした。

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そういうと、バアさんは牛すじを一つかみ握って、異界の扉の向こうに帰っていきました。

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・・・

・・・

はあ、どうも皆さま、お疲れ様でございました。持ち時間は9分だって言ったんですがね。年寄りの話は長いうえに止まりませんので、まあ、ここはひとつお許しを・・・。

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さて、では私も一足お先に蝋燭の間でお待ちしております。

あちらで麦酒でも嗜みながら、来ない待ち人と、これから起こる怪異を待つのも一興。

では失礼をして・・・おや?これは不思議な事。

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今夜は曇天のはずですが・・・

月が出ておるようですよ。

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綺麗な、満月でございますなあ。

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やあ、昨日まで怪談師様が課長だと勘違いしていた、そそっかしいロビンミッシェルだ。

開始そうそう物語の世界へ引き込んでしまい、長編という長さを微塵も感じさせない技術はさすがですね…ひひ…

今回も興味深いお話をサンクスです!

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