黄昏幻影 ~昏き時の狭間で~

長編11
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黄昏幻影 ~昏き時の狭間で~

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 親戚の家に用事があって訪れた町は、どこか懐かしい昭和の雰囲気を漂わせていた。近くに大型ショッピングモールがないせいだろう、商店街はまだ健在だったし、店の主人と客のやり取りも顔見知りであることを伺わせた。

 小さな駅の改札を抜け、ローカル線の列車に乗り込むと、制服姿の中高生ががやがやと騒いでいた。尤も、俺と姉も制服を着たままなのでその中に溶け込んではいたのだが。

 大きな駅を通過する度に人の数は減っていき、あと数駅で家の最寄り駅という所で空席が目立ち始めた。ちょっとした長旅だった俺たちは、向かい合わせの席に座ることにした。

 窓の外を眺めていた姉が程なくうとうとしはじめるのを見て、俺もなんだか眠くなってきた。いかん、とは思いつつ、やはり瞼が重い。あと四駅であることを確認してから、俺は目を閉じた。

 そのすぐ後、車内に響く轟音で電車がトンネルに突入したのが分かった。その時までは、俺はトンネルを抜けたらすぐに起きるつもりでいた。

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「起きた?」

 向かいの姉が両手を丁寧に膝の上に重ねて、俺に問いかける。

「ごめん、寝過ごした」

「いいよ、私もだし。それより────」

 窓の外に視線を移す姉に吊られ、俺も外を眺めた。

「ここ、どこ?」

 

 見渡す限りの草原の中、夕日が地平線に半分その姿を沈めつつあった。こんな広大な原野など、俺たちの住む町にも、それどころか近隣の市町村にもない。

「さあ、分からないわ」

 姉が首を振って俺に向き直る。

「ねえ、この車両も、さっきまで乗っていたのとは違うでしょう?」

 俺は今更ながら周囲を見渡す。そうだ。俺たちが乗ったのは古いローカル線とはいえ、床や壁面はリノリウムだか塩化ビニルだかの素材だったはずだ。

今俺たちのいる車両は────。

「木製だなんて、今時法令に引っかからないのかしら。それにこの景色…………こんな場所を走ってるはずがないのに…………」

 確かにおかしい。あの路線は郊外を走っていて、一部田畑の広がる地域を走りはするが、こんな民家一軒もない場所を走っているはずはないのだ。

「ここから脱出できないとね、多分私たち────────」

 派手な汽笛の音が姉の言葉をかき消していく。だが、唇の動きで何を言ったか分かる。姉はこう言ったのだ。生きて帰れない、と────。それでも、さして緊張はしなかった。現実感があるようなないような、夢の中にいるような気分だった。

「どこに向かってるのかな」

「よくない場所…………とても危うい所…………そんな気がする」

 今更だが、姉の勘はよく当たる。今日はあそこには行くなとか、そんな些細な指示で事故に巻き込まれずに済んだことが過去にも何度かあった。

「じゃあ、飛び降りる、とか?」

 言いつつ窓の外を見た。景色が飛ぶように過ぎていく。

「正確なところは分からないけど、時速六十キロ以上出てるよね、これ」

 姉の言葉に頷くしかなかった。ここから飛び降りるのは危険だ。

「どこかで停車した時に降りるしかないってことかな」

「そうね────結局それしかないのかも。危険な真似はしない方がいい。もしかしたら、折り返し運行するかも知れないし…………」

 それは確かにそうだ。でも、それで本当に帰れるのか───。いや、ここでネガティブな思考に浸っても仕方ない。周囲を見回してみると、何人かの乗客が腰を降ろしている。

「他の乗客はどんな人たちなんだろう」

「分からないけど……何があるか分からないから、話はしない方がいい」

「あ、うん」

 よく見ると、床には焦げたような跡があちこちにある。それが人の形にも見えて気味が悪い。

 

 結局、列車が停止するまで三十分は待ったろうか。降りるべきか否か、姉と相談していると、突然激しい振動が車両を襲い、隣の車両から窓ガラスや板壁の破壊されるような音が響き渡った。直後、絶叫、悲鳴、続いてズシン、ズシンという重々しい音──。

「行くよ」

 姉に引っ張られるようにホームに降り、ダッシュで改札を抜けて外に出た。

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 駅舎の周辺にはこれといった人造物は見当たらず、ただ細い砂利道が広大な草原の中に一本くねりながら伸びているのみだった。

「この先に行くしかないわ」

 姉の言葉に促され、その砂利道を急ぎ足で進み始めた。後ろから、再び重い足音が響いてきた。辛うじて並んで歩ける砂利道を進みながら、その音に気が取られてしまう。一体何の足音だろう。人間にしては重過ぎる。現に地鳴りのような音が響く度に、足裏にその振動が伝わってくるのだ。その音の主が、丁度駅舎の外に出たであろうその時、思わず後方にちらりと視線を送ってしまった。

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shake

 駅舎の開ききった木戸から、それはにゅっと頭だけを突き出していた。人間の何倍かはあろうかという巨大な牛のような頭部────その口元に滴る赤い液体と、そしてはみ出た誰かの足が──その頭部にすら不釣り合いに大きな両の目が何かを探し当てるようにこちらに向きかけて────

 何かに視界を塞がれた。姉の掌が、後方の視界を遮ったのだった。

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「見てはだめよ」

 再び鳴り始める足音。明らかに俺たちを追いかけている。

「あれ、何?」

「分からない。分からないけど、捕まったらだめ。見てもだめ」

 自然と足早となり、最後には全速で走っていた。足音はそれでも背後にぴったり張り付くようにして追い縋ってくる。

 暫く走っているうちに、だいぶ息が上がってきた。姉は俺以上に消耗していて、さっきから何度か転びそうになっていた。

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 さすがにこのままではまずいと思い始めた矢先、道端に平たい石が安置されてるのが目に入った。高さは一メートルはあるだろう。円形に削られたその中心に、老夫婦らしき人物が刻まれている。この裏に隠れたらやり過ごせるだろうか? 一瞬迷ったが、このままではいずれ追いつかれると思い、姉の手を引いて身を隠した。

「大丈夫?」

 声を押し殺しながら問うと、姉は肩で大きく呼吸しながら頷いて見せた。足音はすぐにやってきた。

 “それ”が近づくにつれ、地響きのようなそれとは別に、息遣いのようなものまで聞こえてきた。吐く息に交じって喉をぶるぶる震わせるような音が、更に吸うときには何かを話すように舌を動かしているような、妙な雑音が混じる。それはとても大きな図体であることがその影からも察することができた。牛や馬よりも一回り、むしろ二回りくらい大きい。

 二人ぴったり肩を寄せ合って息を殺す。早く行ってくれと祈りながら、しかし片時も緊張の糸を切らすことなく、“それ”の動きを全神経を張り巡らせて感知しようとした。

 それは石の近くまでやって来て────足を止めた。

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「────────」

「────────」

 息を呑んだまま、緊張の時が続く。微かな息遣いさえ聞き取られそうで、呼吸を可能な限り止める。

 “それ”が周辺を嗅ぎまわる音が暫く続いた。それは五分だったのか、十分だったのか、あるいは一時間だったのかも知れない。周囲に生臭い血の匂いが充満する。くちゃり、くちゃりと咀嚼する音を響かせ、しきりに鼻を鳴らした。辺りの草を踏み潰し、あちこちに首を突っ込んでは俺たちを探しているようだった。

 自分のすぐ傍から奴がぬっ、と顔を突き出してきた時は、縮み上がる思いだった。黒い頭がゆっくりと巡り、匂いを嗅ぎ、喉を鳴らした。額から流れ落ちる汗を拭うことも出来ず、ひたすら時が過ぎるのを待つ。

 結局、“それ”は俺たちを見つけられなかった。最後に耳をつんざくような凄まじい咆哮を上げ、再び来た道を戻って行った。

 気が付けば、空には星が瞬いていた。隣を見ると、姉は目を閉じたまま脱力しきっている。肩を揺すったが起きる気配はなかった。

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 迷った挙句、姉を背負ってその先の道を進むことにした。夜道ということもあって足元が覚束なかったが、ゆっくりめに根気強く歩き続けた。やがて緩やかな丘を登りきると、眼下には闇の中にひっそりと大きな鳥居門が待ち構えるように佇んでいた。

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 鳥居を抜けると、幅の広い参道らしきものが続いていた。明かりの灯っていない両脇の石灯籠が不気味に沈黙したまま、ただ衛兵のように列をなしている。

 姉を背負い直し、一度深呼吸をしてから、再び歩き始めた。

 やがて再び現れた鳥居を抜けると、社殿らしきものが目に入った。だがそこには賽銭箱もなければ、鈴緒の吊り下がった鈴も無かった。 

 ただ、開け放たれた社殿の奥に一人の巫女が座していた。

『臆することはありません。還るべき道は開かれています』

 ひんやりとした冷気の中に、どこか何処か聞き覚えのある声が響いた。

『あの牛鬼からよく逃げおおせました。あれには私も手を焼いているのです』

 

 彼女が振り向くと花簪の鈴が鳴り、短冊のような銀の装飾が揺れた。だが、その奥にある相貌は眼前に垂れた薄絹に遮られて確かめることはできなかった。

「牛鬼──? いや、そんなことより、どうやって戻ればいいのか分からなくて」

『ええ、そうでしょう。さあ、遠慮なさらず』

 失礼します、と断ってから、社殿に足を踏み入れた。巫女さんがすぐ横から姉を下すのを手伝ってくれた。社の内部は何本かの蝋燭が灯るのみで薄暗いが、幽かに漂う香料の匂いが幾分不安な気持ちを落ち着かせてくれる。

 神棚の前で横たわる姉を見つめた巫女さんは、一瞬はっとなったように硬直した。その後彼女は俺に背を向け、花簪を外し床に置いた。そして姉に屈みこんで額を合わせ、姉の手を握った。

『瘴気に当てられたのですね。大丈夫。安心なさい』

 体を起こした巫女さんは花簪を再び頭に差し、一旦奥の部屋に姿を消した。

 仄かな蝋燭の明かりに照らされる姉の顔色は決して良くはなかった。眉を顰めるように、苦しそうな表情を浮かべている。ふと、以前に姉から聞いた話を思い出す。霊感の強い人ほど、霊体の影響を受けやすいのだと。

 その時の俺はそんなものか、大変だなぐらいにしか考えていなかった。それがこんな形で目の当たりにすることになるとは想像もしていなかった。今までも、俺の知らないところで姉は苦労を重ねてきたのだろうか。

 大体、姉は体育会系ではないのだ。緊急時だったとは言え、牛鬼とかいう化け物から逃げる時にもう少し姉のペースを考えるべきだったのではないか。

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 やがて戻ってきた巫女さんは姉に向かい大幣を振り、祝詞を唱えた。それは現代に聞く祝詞の奏上とは大分趣を異にしていた。透き通るような声音で、どこか寂寥を孕み、それでいて気高さを感じさせる唄いだった。今、この空間に神が宿り、空気そのものが清められていく────。そんな感覚を確信的に抱かせるほど、その声は清澄に響き渡った。

 最後に、彼女は御神酒を酒杯に注ぎ、姉を抱き起して口に含ませた。

『さあ、後は目覚めれば元通りでしょう』

 巫女さんは姉を担ぐように俺に指示し、付いて来るように言った。境内に出て、社殿の脇を通り抜けてさらに奥に向かう。巫女さんが手にする提灯がぼんやりと足元を照らす。道すがらこれまでの経緯を話すと、巫女さんは少し考えてから話してくれた。

『恐らくあなた方が隠れたのは道祖神の裏でしょう。道祖神は魔除けのほか、境界を意味するものでもあります。その境界上であなた方の気配が希薄になったことで牛鬼をやり過ごせたのでしょう』

「牛鬼って、何ですか?」

『頭が牛、首から下は鬼の胴体を持ち、人を食らう妖怪とされています。でも実体は…………』

 巫女さんは躊躇う様子を見せ、結局それ以上何も言わなかった。

『あなた方が迷い込んだのは、恐らく鉄道火事に由来する亡霊列車と思われます。事故で人々が死に、車両は廃棄されても、それが付喪神となって時折霊気の強い者を迷い込ませるのです。困ったことにあの牛鬼は、この世界に迷い込んで来た者の魂を食らうことを覚えてしまいました。不幸にも、こうしたことは何度も繰り返されてきたのです』

 祓うことはできないのか尋ねようとして、さっきの巫女さんの言葉を思い出した。巫女さんも手を焼くと言っていたから、やはり手強いのだろう。

『神域は古来より、あらゆる霊道に繋がる場所なのです。神職はその道を管理するものでもありました。そしてここもまた…………』

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 巫女さんが照らす先は、簡素な鳥居と、その奥にある岩の裂け目だった。巫女さんはそこで、目を閉じるように言った。

「今、ここでですか? どうして?」

『いいから、言う通りになさい』

 大人しく両目を閉じた俺の唇に、柔らかなものが押し当てられた。驚きはしたものの、抵抗はしなかった。柔らかな抱擁と短い接吻──そう、それはキスというより、接吻といった方がしっくりくるものだった。彼女の細い指が俺の頬と肩をそっと撫でる。その後僅かばかり、彼女の頭が俺の胸に押し当てられ、やがてその感触も消えた。

 目を開くと、巫女さんは少し離れた場所に佇んでいた。

『さあ、お行きなさい。ただし、声を発してはなりません。強く意思を持って。何があっても、あなたの姉を信じなさい』

 どこか絞り出すような彼女の声音に、胸を締め付けられるような思いを抱いた。その姿が、虚空に漂う一抹の綿雪のように儚げに映る。

 何か言わなくてはならないように感じたが、しかしこれといった言葉は浮かんで来なかった。結局、これ以上はここにいるべきではないと悟った俺は彼女に頭を下げ、岩の間に体を滑り込ませた。

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 明かりはなかったから、何度か躓きそうになった。俺が転んだら姉が怪我をするので、ゆっくりと進むしかなかった。

『おい、お前、どこに行くんだ』

 どこかから、奇妙にしわがれた声が聞こえてきた。

『なぜそんな不細工な女を背負っているな』

 無視だ、無視。そう決めてやり過ごす。

『良い尻じゃのう。味あわせてたもれ』

『ほれ、そのおなごは儂が貰うぞよ』

 それから、ネット民も真っ青の卑猥な言葉を投げかけられたが、尚も無視して歩き続けた。

『ねえ、もうここで死になさいよ』

 びくりとした。姉の声に似ている。腕が背後から伸びてきた。俺の首にかかる。それは背負った姉の腕────。

『あなたをここで殺せば、私は自由よ』

『いつもいつも、迷惑ばかりかけて…………どんなに煩わしいか分かってる?』

 首に巻かれた両手がぎりぎりと首を締め上げてくる。でもまだいける。大丈夫だ。

『あんたみたいな役立たず、早く死んじゃえばいいのに』

『勉強もスポーツも並み。むしろ平均以下? 笑っちゃう。そんなんでどうやって生きていくつもり? 恥さらしもいい所だわ』

 目の前に、眩い光が見えてきた。

『能力なんて本人の責任よ。あなたは何から何までてんで無能。どうせ大人になっても他人に縋るしかない屑。さっさと死ねばいいのよ』

『ねえ、私としたいんでしょう? いいわよ、させてあげましょうか?』

 もう少しだ。もう少し…………。

 手を伸ばし掛けた時、再び声が聞こえた。

『なあ、お前ら、この女、今ここでやっちまおうぜ』

 

 声だけじゃない。その瞬間、背中の重みがすとんと抜け落ちた。

 

 何をする!!

 そう叫びかけた時、俺は姉に押し倒されるように光の中に落下していった。

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 体を揺さぶられて目を覚ますと、姉が立ち上がるところだった。家の最寄駅に着いたようだ。他の客に交じって改札を出る。

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 帰途、二人とも暫くは黙っていた。夕暮れの中で、二人の影が並ぶのを眺めながらさっきまでのことを思い起していた。

 一瞬開けてしまった俺の目に映りこんだのは、姉と瓜二つの顔と、その両目に溢れる涙────。彼女に感じた悠久の孤独は俺の錯覚だったのか。知るべきことが色々ありそうで、しかし手掛かりが碌にない。名前すら聞いていなかったことに、今になってようやく気が付く有様だ。

 このことは、いつか姉に話すべきだろうか。でも、それは今じゃない。そんな気がしていた。

 だから、その部分は省いて姉が気を失った後の事を説明した。頷きながらも、いつになく俯く姉の頬は、夕日に赤く染まっていた。

Concrete
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