長編11
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押された理由④

暗い画面と、ジーーーッ…という音が何秒か続いた後、パッと画面が明るくなり、どこかの部屋が映し出される。

どこかの家の寝室なのか、ホテルの一室なのかは分からない。カーテンが窓を覆い、昼なのか夜なのかも分からない。

そこに、1人の女性がやってきて、ベッドの上に腰掛ける。白いカーディガンを羽織り、緑色のワンピースを着た、セミロングの黒髪の女性だ。

「緊張してるね、可愛いよ」ビデオカメラの奥から、男の声が聞こえた。見切れていて姿は見えない。

「はい…」女性はそれに、呟く様に答える。

男「君、結構お上品なのに、何で、こんなビデオ出ようって思ったの?」

女「…え…?」

男「言いたくない?言っちゃいなよ~!後からモザイクかけるし!これ自己紹介場面!大事な所よ?」

女「…」

女性は暫く黙った後、意を決意したような表情でカメラの方を向いた。モザイクの掛かっていないその顔は、どこか誰かの面影を彷彿とさせる、美人の部類だ。

そして───

「息子の……子供の、養育費をと思って…」

そう小さな声で語った。

男「えっ!?子供いるの!?もしかして、シングルマザー?」

女「はい…」女性はそう言った後、俯いた。

男「いやいや!別に悪い事じゃないから!健気だね~、母は強し!でもさ、仕事なら他にもあったんじゃないかな~って思っちゃうのよ。綺麗でまだ若くて、何だっけ、○○大学出てるんでしょ?」

女「………」女性は再び沈黙した。

男「まあ理由は何にせよ、とりあえず報酬はそれなりに出るから!ねっ?頑張ろうか!(笑)」

女「…は、はい…」

男「じゃ、このシーンは終了。着替えよろしくね」

男が終始軽い口ぶりで言うと、女性は静かに頷いた。ベッドから立ち上がり、一旦画面から消えたが、暫くして、今度はバスローブ姿で現れた。

化粧を施したのか、印象がさっきより色気立った感じだ。女性は再びベッドに腰掛けると、

「…宜しく…お願いします」恥ずかしそうに、控えめに画面に向かって言った。

間もなく男優らしき男が画面の端から現れて、行為が始まった。

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モザイクの掛からないまま、男女の行為は続けられていく。男の顔だけは見切れる様に撮ってあるが、女性の方は、顔はおろか局部にも、何一つモザイクが掛かっていない。そして生々しい音と声が、画面の中から聞こえていた。

途中、冒頭のシーンで話していた男が、行為中の女性に話しかける。

男「いいねえ!いいよ(笑)こんなことしてるの、君の可愛い坊やが見てたらどう思う?(笑)」

女性「うっ…うう」

男「そもそもさ~何でシングル選んだの?子供の父親、どうしちゃった訳?」

女性「……」

男の質問に黙ったままの女性。しかし次の瞬間、バチンッ!!!という音と共に、女性の頬に平手打ちが飛んだ。

「おらあ!黙ってねえで答えろって!!!」男優が大声を上げた。

女性は口の端から血を流しながら、男優の腰の動きに合わせて、

「ふ…りん……だった…んです…あい…て…と」

不倫だったんです、相手と。そう聞こえた。

「何?不倫!?え、したの、されたの?」

「し…した…」

苦悶の表情で答える女性。気がつくと、男優の数は1人から複数に増えていた。男優の彼女に対する扱いはかなり強引で、無理な体制で行為を迫っていく。その後ろで、ギャッハハと笑い声を上げる男…

「やるじゃんか!そんなお上品な顔してよお(笑)」

「嫌そうな顔してるわりに、おまえ体の方は従順だな!」

「や…めて…!痛い…!」

「ほら、頑張れよ(笑)これ、坊やにプレゼントするんだから(笑)」

「え…!!!」女性が目を見開いた。

「ママ、ボクのために頑張ってお金稼いだよ~って!(笑)、ほら、カメラ目の前に回してやるから言えって!オラ!!!」

男優に馬乗りされ、押し潰されそうな格好になっている女性の顔面に、ビデオカメラが思い切り寄っていく。冒頭の美しい面影は無く、汗と涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔が画面いっぱいに映し出された。そして、女性は声を振り絞りながら、

「ママ…は、うぐっ…ボ、ボクのため…に…」

「名前言えよ~!ちゃんと!ガキの名前を!」

「ぐっ…うう、うぐっ…───ママは…き…キヨトの…うう、ために…頑張っ……たよ…」

「アッハハハ!良く言えました~(笑)じゃ、これでカットね!」

「待っ…て!キヨ…!キヨト!いやあああ!!!」

ブツッ─────ザー……ブツッ

一瞬砂嵐の映像が流れた後、別の女性が現れて場面が切り替わった事に気付く。しかし次の瞬間画面が暗転し、テレビ画面に私とユミカの姿が映る。隣で観ていたユミカが、リモコンでテレビの電源を消したのだ。

ユミカは長屋と松田に連絡を取って、雪沢が先輩からダビングしてもらったという裏ビデオの所在を聞き出していた。そして松田が、雪沢が芝居小屋に放置したままのDVDを手元に保管していたことが判り、『お互い警察に言わない』という絶対条件のもと、DVDを手に入れたそうだ。

その時の長屋と松田の話では、裏ビデオの多くは雪沢がサークル伝いで持ってきて、時折2人抜きで、雪沢1人で芝居小屋に行って観ていた事もあったという。だから、2人が見てない物も結構ある、と。

更に、雪沢は鑑賞が終わると2人に連絡をして呼び出し、見終わった後の片付けや『事後処理』なんかもさせられていた、と言っていたそうだ。

そしてユミカ達の見立て通り、長屋も松田も「バレたら警察に捕まる」という事を恐れて、DVDを隠していたという…

私は食堂の一角で雪沢の仲間と話をした後、ユミカに連れ出され、断る間もなく2人でビデオの内容を確認しようという事になった。

ユミカの実家だという、デカい一軒家の中にある、1人部屋にしてはかなり広い、彼女の自室の中でだ。郊外だからか、テレビを消すと辺りはシンと静まり返っていた。

「あの女、何だと思う?」

少しだけ開けた窓から、外に向かってフーッと、ユミカはタバコの煙を吐きながら言った。

「何だろ…私には、子供の養育費の為にビデオ出た人としか…」

でも、それが何故あの時、後輩の目に見えていたのか…偶然と片付けるには不自然だ。そんな事を考えていたら、

「あのさあ、今日泊まっていかない?」

突然、ユミカが言った。

「は!?え!?泊まる…?」

「私こう見えて、結構今テンパってるんだよね…今日は親いないし。1人で過ごせそうに無いわ…」

ユミカは、タバコを灰皿にぐしゃっと押し付けると、

「あんたさ、怖くないの?」

と、横を向いたまま、立て続けに私に向かって言った。様子がキャンパスに居た時と違う。テンパっているのは本当のようだった。

「え…?怖いって…」

「あ…もしかして知らないんだ?雪沢のフルネーム」

「そういえば…知らないけど…」

嫌な予感がした。もしかして…

「キヨトっていうの。…あいつの名前…、雪沢清人」

ユミカの言葉を聞いて、あの女性の泣き叫ぶシーンが頭の中で甦り、にわかに背筋に冷たいものが走った。

ユミカは新しいタバコに火をつけながら言った。

「あの女、あいつの母親だね」

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玄関のチャイムの音が鳴ると、ユミカに「リビングで待ってて」と言われ、私は1階のリビングにあるソファに座って待った。すると間もなく、さっきのテンパった表情はどこへやら、ユミカが嬉々とした様子で、ピザの入った箱を2つ持ってきてリビングテーブルに置いた。

そして、「食べよ!(≧▽≦)」と言って、Lサイズのピザの封を開け、冷蔵庫からビールを取り出すなり一気に煽った。

「あんたも飲む?」と言われたが、酒が苦手な私は、すぐ外の自販機でジュースを買った。

あまり関わった事の無いキャラの子と、普通のAVとはかけ離れた映像を目の前でまじまじと見てしまった。しかもかなり訳ありの裏ビデオ。正直、この状況があまりにも非日常過ぎて、頭の整理がつかなかった。

「ほらぁ冷めちゃうよ!食べようよ!」

と、隣のユミカがいきなり大声を出し、私は正気に戻ってピザを一切れ持って口に頬張った。

ユミカは缶ビールを飲み干すと、「まぁ、あの女には全く同情できないね!」と笑った。

私「あれが裏ビデオ…普通のAVのモザイク無いバージョンってだけだと思ってたけど…なんか危ない感じだね…」

ユミカ「だから裏ビデオなんだっつの。てかずっと気になってたけど、原田ちゃん大人しい顔してるわりに、慣れてんじゃん(笑)」

私「あ…わたし、レンタルビデオ屋でバイトしてるの。ディスクのメンテとかもしてて…アダルト系のもあるから、もう慣れた」

ユミカ「そういう事ね!」

私「ねえ、聞いていいかな…?私と2人きりって、つまんなくない?いつもの、あの仲間は呼ばないの?」

そう言うとユミカは顔を少し歪めて、「あいつら呼んでも薄っぺらいだけだよ」と切り捨てた。そして、冷蔵庫から今度はシャンパンを取り出したと思うと、私の前にもグラスを置いてシャンパンを注ぎ、

「事件の進展に乾杯」と言ってグラスを交わし、また一気に飲み干した。

「いや、だから私飲めな───」

「ラベル見てみ?これノンアルコール(笑)1200円だって(笑)ママ、私がこっそりママのお気に入りのシャンパン飲んだの知って、すり替えたんだな(笑)」

そう言って笑った。彼女の笑顔の無邪気さを見て、今まで彼女に対して怖いと思っていた感情は、少しだけ薄れたのが分かった。

「私…ユミカちゃんの事、雪沢と同じチャラい子だって思ってたけど───」

「知ってる(笑)まあこんな身なりだからさ、寄ってくる人はあーゆう奴ばっかりだよ(笑)でもほんとはうちさ、原田ちゃんみたいな子と仲良くなりたかったんだよね、ずっと」

「てかね、私こう見えてお嬢様系の高校で、まあまあ規則厳しかったから、その反動なの。友達なんて殆んど作らなかったから、ほんとは雪沢の事もボッチとか言える立場じゃないんだよね(笑)」

ユミカは、本当はチャラチャラした子達とはあまり交流が無かったが、あるギャル系のファッションブランドが好きで、いつも着ていた事もあって、自然とつるむ様になっていったそうだ。

そして、高校の息苦しさから解放された反動もあって、暫くは雪沢達と騒いで過ごしていたのだが、次第に見境無く、冗談で無茶苦茶な事をし始める雪沢の行動に嫌気が指した、と私に教えてくれた。

その後、ユミカが客間の1つ(良さげなビジネスホテルの部屋か!?って位の)用意してくれて、私は家族に連絡を入れてユミカの家に泊まった。

そして、私達は雪沢の家に行って、彼の祖母に会う事を決めた。

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ユミカの家で一晩過ごした後、私は一旦帰って着替え、最寄りの駅で集合した。待ち合わせに現れたユミカは、何処かへデートでも行くのか!?って位にガッツリお洒落をしていた。ニーハイのロングブーツが、細い脚を更に細く見せている。羨ましい。

ぼんやりユミカの脚を眺めてたせいで、「もーいつまでもジロジロ見てんなよっ!(笑)」とグイグイ手を引かれ、駅の改札に向かった。しかし、雪沢が…あの時3人が居た路線とは違っている事に気付いて引き留めた。

するとユミカは、

「え、何言ってんの?雪沢の家まではこの路線でしか行けないの!」と言って、さっさと改札を抜けて行ってしまった。

各駅停車の電車に揺られて30分。駅を降りて10分ほど歩くと、のどかで閑静な住宅街が現れた。そしてその一角に、一際昔ながらの…色褪せて錆びたトタンの屋根と壁に覆われた、小さな家があった。ここが、雪沢が祖母と住んでいる家だという。

「まじで…」と私が驚いて固まっていると、

「ごめん下さい!」

そう大きめの声で言って、ユミカが玄関の扉をノックした。

玄関の扉だけは木製だが、インターホンも無く扉自体もかなり劣化している。そもそもこんなとこに人が住めるのか?って本気で思うくらい、この家だけ、時代が…空気が止まったような感じだ。

ユミカはもう一度、「ごめん下さ~い」と言ったが、中に人の居る気配は無い。

「ユミカ、留守なんじゃない?」

「う~ん…暫く時間置いて来よう。とりあえず駅前のファミレス行って時間潰すか」

と、2人で玄関の前から踵を返した時だった。

目の前に、ボサボサの髪の毛振り乱し、俯いた老婆が立っていた。

悲鳴を出す事も出来ず、私達は固まって動けなかった。いつの間に!?と思っていたら、老婆は、

「何だいあんたら…清人の仲間かい?…ここには居ないよ。帰りな」

そう静かな声で言った。雪沢の祖母だ。

何度も雪沢の仲間が尋ねたからだろうか、しつこい、とでも言うような、追い出すような口振りだった。

祖母はそのまま私達の横を通り抜けて、玄関の中に入ろうとしたので、私はとっさに、

「あの、おばあさん…私の事、覚えてますか?」

そう言って引き留めた。祖母は面倒そうにチラッとを私の方を見た。

すると、見るなり血相を変えて私に近づいてきた。そして私の目の前で、

「あんたここに来ちゃいかん!!!連れてかれる!!!」

そう大声で言った。さっきの様子とはまるで態度が違う。何か必死に…逃げろとでも言っているように聞こえた。

「───ねえおばあ様、私達はね、雪沢の事を知りたくて───」とユミカが取り繕うが、祖母はお構い無いしに私に向かって何度も、「早う帰んなさい!気をつけろと言っただろうに!」と必死に言ってくる。

何度も繰り返す祖母の言葉を聞きながら、次第に私の中で、ずっと無意識に押さえてきた感情がゴゴゴと音を立てて沸き上がっていた。そして私は、祖母の言葉を遮って言った。

「おばあさん、気を付けろって何ですか?それにあの時の事、雪沢からも貴女からも何の謝罪もありませんよね?大袈裟に聞こえるだろうけど、私、被害者なんですよ?あいつの…雪沢のせいで…皆あいつに巻き込まれて困ってるんです!!!あいつに謝らせて下さいよ!あいつの家族なら!じゃなきゃ貴方が!…貴方が謝ってください」

一気にまくし立てて息切れする私の様子に、ユミカが唖然とした表情を浮かべて居るのが分かった。

全てではないが、押さえ込んできたものを…怒りの感情を、然るべき人にぶちまけてスッキリした反面、言ったところでどうにもならないだろうという虚しさに襲われ、泣きそうになった。

祖母は私の言葉の意味を受け取ったのか、曲がった腰を更に曲げて、

「孫が…清人が申し訳無いことをした…」と私に向かって言った。

「もういいです…顔を上げて下さい。…おばあさん、教えて下さい。気を付けろって言葉の意味を」

「…おばあ様、私達が今日ここに来たのは、あるものを見たからなんです。知りたいんです、雪沢の事を───」

祖母は顔を上げると、目に涙を滲ませて私達に言った。

「あの子は…とらわれてしまったんだ…あの女に…」

「カワシマアイカ…全てはあの女のせいなんだ」

「それが母親の名前ですか?」

「これ?この人ですか?」

ユミカが、いつの間にスクショしたのか、あの裏ビデオの写真を見せた。白いカーディガンと、緑のワンピース姿の女性の、行為に及ぶ前の写真だ。

祖母はそれを見て、再び血相を変えた。

「この女がカワシマアイカだ!…あんたら、母親って言った?この女が、そう言っていたのかい!?」

「ええそうです。息子の養育費が欲しいから、ビデオに出るって決めたって、そう言ってましたよ?」

ユミカの言葉を聞いて、祖母は俯いて黙り込んでしまった。

だが暫く経って、青ざめた顔で静かに言った。

「…その女はな、母親でも何でもない。わたしの息子に、清人の父親につきまとっていた愛人だ」

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