長編10
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亜種⑤

それは最初、ただの好奇心だった。

数年前の、8月のある日…私は兄に連れられ、見ず知らずの田舎の村に足を踏み入れた。

父が新しく迎え入れた母親と私との間には、もう様々な確執が生まれていて…家には次第に、居場所と思える拠り所が消えていた。

「あんたさえいなければ…」

父が仕事で国内を世話しなく飛び回っているのを良い事に、新しい母はそう言って、よく私を脅した。しかし、怯えるだけだった私を匿ってくれたのは、意外にもその女の、実の息子だったのだ。

「夏休みが来たら、俺と一緒に行こう」

そう言って兄は、夏休みが始まって間も無く、祖父母の家に連れて行ってくれた。

「あの子が…ええ、そうなのよ」

「まったく…敏子さんったら…何も子連れじゃなくても」

大人達の話を聞いて、私が歓迎されていない事は何となく分かった。兄には見せない、作り物の笑顔でこちらに話しかけてくる大人達────

しかし、祖母だけは違った。

「あんた…いい瞳(め)しとる」

初対面で開口一番、不愛想な顔で言われたが…不思議と怖さは無く、むしろ祖母の表情や言葉には、親族が見せていたあのよそよそしい態度が、一切感じられなかったのだ。

そして、何日か経ったある日の事…祖母は私を書斎に呼び出すと、ある事を話し始めた。

この土地は、昔から「神に仕える仕事」の素質がある人間が多いのだという。神主や巫女になる人間もいれば、世間で云う「霊能者」となって、この世のものでない存在を相手にする人もいる、と…

そして、「皆は『こっくりさん』と呼んでいるがね…」と言って、私にあの「儀式」を教えてくれたのだ。

今思えば、祖母なりの対処だったのかも知れない。突然現れた、血の繋がりの無い子供。本当は追い返したいから、わざと怖い事を話して、私に「もう来たくない」と思わせたかったのかも…と。

しかし、アニメや漫画で見て1度は憧れた、「不思議な力」がそこにある…いや、私にはその「素質」があるのだ!と期待で一杯になっていた当時の私には、その本意は分からなかった。

私は、子供ながら真剣にその作法を覚えた。祖母の言葉、手の所作…全てを真似る気持ちで、何日も祖母の書斎に訪れては練習を重ねた。

そして、夏休みが終わり…久々に帰ってきた父の前で、私は母親の真意を暴いた。

「あなたの娘…凄く嫌いなの…アイツがいなければ────え…え、わたし何を───?」

父は結局別れなかったけど…顔を引きつらせて焦る女の表情は、傑作だった。

何より、「力を手に入れた」って事が、私にとって一番嬉しかった。無敵になった気分…これで、私を弄ってきた奴らにも仕返し出来る…好きな相手を、親友に出来る…恋人にだってなれるかもしれない。

そんな欲望が、次から次へと湧いてきて…私は、友達に自慢せずにはいられなかった。

引いてた子の方が多かったけど、そんなの構わなかった。私にも、特技と呼べるものが出来た…そんな気持ちで一杯だった。

あの時までは。

「どうしてくれるの!?あんたのせいで…!」

「悪かったと思ってる…でも、あの子の心の支えになると思って…!」

兄と母親が、激しく言い争うのを聞いてしまった。もしかして、祖母が母親に?それとも、クラスの誰かが…?

考えたけど、もう遅かった。

兄は、あの女の戯言のせいで全部を失った。

私のせいで。私の、行き過ぎた感情のせいで。

「お前は悪くない」

家を出る間際…兄が言った言葉。

兄の最後の儀式によって、壊れた母親の声を聞きながら…私は1人で、真実を探ろうとした。

そんな時だった。あの子に出会ったのは。

いつでも1人で、誰ともつるまないあの子…初めて、本当に「友達」になりたいと思った。

だから…

────部外者、気を付けろ────

見えない「敵」からあの子を守るために、私は嘘をつき、全ての元凶を演じた。

その先に待ち受けていた真実が、酷なものだと、思いもせずに。

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チカの頬に、一筋の涙が流れていた。

何か悲しい夢を見ているのか…儀式を終え、ぐったりと力が抜け眠りにつく彼女の体が、ソファに沈んでいる。

カーテンを閉め、小さな蝋燭の仄かな明かりの中で行われた儀式は、かつて美織から聞いた、可愛らしいものとは一線を画していた。

宮内君が残していったという、古びた和紙。そこに書かれた文字の1つ1つが、儀式を始めた瞬間に、チカと呼応するかのように動き始め…

今まで体験したことのないその現象に、全身の毛が逆立つのを覚えた。

無理もない。降霊術と呼ばれるものの類いを…私は人生で初めて、目の当たりにしたのだ。

「全部間違ってたのか…」

儀式の直前にポツリと呟いたチカの言葉が、何度も頭の中で繰り返す。

紙の上に置かれたサヤカの写真は、儀式が終わる頃になると、四隅から中心に向かって茶色いシミのようなものが浮かび上がり、昔の傷んだ写真のように変色していた。

どちらが現実なのか…もしかして私の方が、何か悪い夢でも見ているんじゃないかとさえ思う。

全部間違っていた…

サヤカが…あの子が原因だというのが、信じられなかった。

しかし、あの夢が事実だとしたら…

「ねえ!」

耳元で突然聞こえた声に、思わず「ギャッ!」と悲鳴を上げて振り返ると、いつの間に起きたのか…チカがソファの上で胡座をかいて、こっちを見ていた。

「驚きすぎだろ(笑)」

ついさっきまで真剣な顔で祈っていた人間が、ニマニマと笑顔を浮かべているのに、私はどう反応すればいいか一瞬戸惑った。

「え、ええと…具合はどう?」

「疲れて寝てただけだし!あ~、お腹空いた!」

チカはそう言ってソファから降りるなり、私の手を引いた。多分、またファミレスか何かでご飯を奢れって事かと悟り、鞄を取って玄関に向かう。

うるさいわよ!この子が起きちゃうじゃない!と、響いてきた母親の金切り声にも臆さず、

「うるせーバーカ!」

と叫びながら、チカは2階に向かって中指を立てながら家を飛び出した。

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「お待たせしました」

ウェイトレスが、注文した料理を手際良く並べていく。テーブルに所狭しと置かれたのは、ファストフードや居酒屋で頼むようなジャンクばかり…

「いただきまーす!」

吹っ切れたテンションで、フライドポテトを貪るチカ。顔からは、儀式で見せていた真剣な表情も、涙の跡も消えて無くなっていたが…10代の子の食生活にしては余りにも偏り過ぎていて、私はいささか心配になった。それに…

「忘れろ…!」

儀式の佳境…チカが振り絞るような声で言った、その意味を知りたかった。

「ねえ、ほら一緒に食べようよ!」

「あ、あのね…さっきの事なんだけど…」

「…もう終わったの、全部終了!スミレもお姉さんも、何も心配要らないから」

「いや…『忘れろ』って…これは、本当にサヤカが原因だったの?」

チカの動きが、一瞬ピタッと止まった。それから、口からはみ出たポテトを手で押し込むと…私の方をじっと見て、こう言った。

「サヤカは純粋で、嘘つきなの」

中学で出会った2人は、互いの共通点から意気投合した。

当時チカは、父親が再婚したばかりで、新しい家族と馴染めない事を悩んでいた。すると、サヤカは「私も同じ」と言って…父親が再婚した事に嫌悪を感じていると話したそうだ。

幸い学校には馴染めていたから、幾人かのグループで行動する事が多かったが、一番心を許していたのは、サヤカだけだったという。

お互いの境遇を理解出来て、慰め合える存在だと。

しかし…チカが「儀式」の事を打ち明けてから、その関係性はおかしくなっていった。

「バカな事したな…舞い上がってたんだよね…」

父親に隠れて、コソコソと暴言を吐いてきた母親に対して、チカは儀式を使ってその本音を、一番知られたくない相手に…父親に暴露するよう仕向けた。儀式は成功し、チカは自分が、「儀式の使い手になる素質がある」と信じた。

そして、誰よりも一番に、自分のした事をサヤカにも教えたいと…ただ純粋に、その気持ちだけだった。

だが…これが、思わぬ災難を呼び寄せるとは、思ってもみなかった。

中学最後の冬…クラスのいじめっ子気質な女子生徒が、突然難病に罹り退学を余儀なくされた。突然の事で驚いたのも束の間…学校の裏掲示板で、「『こっくりさん』で呪ったから、病気になったらしいよ?」という書き込みが投稿されているのを見つけたのだ。

チカの頭には、一瞬嫌な予感がよぎったが…同時に、祖母の話を思い出した。

「あれはね、そう簡単には出来ないの。ただ、紙と写真とかを使ったからと言って…誰でも出来るものじゃない…『素質』が無いと、成功しないって…」

素人に出来る代物じゃないと知っていたし、兄にも家族にも、学校での事は話していない…

だから、ただの偶然で、作り話だと思っていたというが…その考えは外れた。

「…もっと早く気付くべきだった…」

それは、家を出て行った兄と、初めて連絡を取った時だったという。

「サヤカって子、ちょっと危ないよ」と…兄は突然、チカの知らない、サヤカの「別の素性」を話してきたそうだ。

サヤカは、兄の所属する学生支援の団体に昔から出入りしていて、時折顔を出しては、自分と似た境遇の子とつるんでいた。だが…ある時期から、複数人の仲間に有る事無い事吹き込んで、トラブルを焚きつけるようになった。

それだけでなく…巧妙な嘘をついて、保護した子達を夜遊びに連れ出したり、職員同士の恋愛話をでっち上げて場を混乱させたりと…色々と問題行動を起こすようになっていたそうだ。

行動を注意するも、彼女は聞く耳持つどころか反発し…手に負えなくなっていたという。

それでも、根気よくサヤカと交流を図ると…「チカが変な事言っていた」と、儀式について話してきたそうだ。

「…私もやり方までは言わなかった。さっきも言ったように、素人が遊び半分で出来る物じゃないから…だけどサヤカは、自分が知らないって事が、我慢ならなかったんだと思う。兄は何も言ってこないけど…多分、サヤカの寂しさに同情して、教えたんだと思うよ」

疎外感、承認欲求、独占欲…

チカが、スミレに興味を持った時、真っ先に反発したのは、サヤカだったという。そして、

「あいつがいるせいで、折角の友情が壊れるかもしれない、ムカつく」

そう言って、スミレに因縁をつけて周りを煽ったのも、本当は、全てサヤカが発端だったそうだ。

「スミレは友達を奪おうとしている」と嘘を焚きつけて。そして、私や私の家族には、「チカが危ない事を言って、脅してきた」と、同情を煽って。

「何故、本当の事を言わなかったの…!?」

「サヤカの寂しさが私にも分かるから。…儀式の事をペラペラ話しちゃったのも原因だしさ…だから全部被ったの。『私がやりました』って、『ムカつくから喧嘩仕掛けました』って…」

全ては、サヤカの感情によって引き起こされたもの。そして、チカは自らを元凶だと周りに思い込ませた…これが、この一連の出来事の真相だった。

「親友が身を挺したってなれば、サヤカも暴走を止めるだろうし、スミレの事も守れるかなって。…でも、それだけじゃ足りなかったみたいだね」

裏掲示板に、チカのフリをして書かれた、乱暴な言葉と儀式の写真。

あれはきっと、寂しさ故の、思い通りにならなかったが故の自棄だったのかも知れない。

チカを引き付ける為の…

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「サヤカは、なんでスミレと…?」

スミレと仲睦まじくしていたあの子が。別れ際、目に涙を溜めながら手紙を渡してきたあの子が…そもそも、何故憎い相手であろうスミレに近付いたのか…?

「サヤカはね、あんまり好きじゃない相手にわざと近付いて、弱みを探すっていうのを、たまにやってた。だからだと思う」

「スミレの弱みって…」

頭に浮かんだのは、あの男の子しかいない。

「それと、兄の元カノって人がスミレ達を襲ったのは、きっとサヤカの入れ知恵だと思う…兄は支援活動で、色んな学生と交流があったし…サヤカが巧妙に嘘をついて、『別れる原因になった女の子を知ってる』って言えば…簡単な事」

────してやられた、あのガキ────

美織は、サヤカの嘘にまんまと嵌められた…そして恐らく、いつの間にかサヤカの「儀式」の道具になってしまったのだろう…

「前に言ったかな…儀式はね、生き霊を呼び出すから、万が一取り憑かれる場合があるって。サヤカは、もしかしたら『素質』があったのかも知れない。奇跡的に、純粋な部分と共鳴したのかな…って思う。けどそれはね、取り憑かれやすいって事にもなるの」

「だから、忘れろ…って?」

チカは頷いた。

サヤカに、儀式そのものを忘れさせなければいけない。兄から教わった全てを記憶から消さなければ…そう願っての事だった。

「サヤカには、これ以上ダメな方向に行ってほしくないから…」

私はチカに、サヤカが学校を辞め、遠くに引っ越す事を伝えた。そして、サヤカの父親が「チカに電話を使われた」と言っていた事も。

するとチカは、フッと吹き出すなり、

「オッサンのケータイわざわざ使って連絡なんかしないよ!それもサヤカがやったの!」

と言って、笑い転げた。その表情は…どこにでもいる、思春期真っただ中の「少女」だった。

「あなたは…これからどうするの?」

別れ際、私はチカに聞いた。全てが解決したと言っても…彼女の未来は、これからずっと続いていく。だが、壊れかかった家庭の中…彼女は今、1人っきりなのだ。

「さあね、わかんない…私まだガキだし。パパに金だけ貰って、どっか楽しいところで暮らそうかな(笑)」

「何それ(笑)適当だな…」

「別にいいじゃん…そう、いいの、サヤカを救えたから」

「チカ、あのね…」

「もー眠いから!じゃあバイバイ!」

チカは背を向けて、足早に玄関に向かって行く…彼女の孤独を、私は受け入れられなかった。

「これからも、ご飯一緒に食べよう!」

彼女の後姿にそう呼びかけ、私は家を後にした。

次の瞬間───誰かが掛けてくる音がしてふと振り返ると…

チカが私に、思い切り抱き着いた。

「…ありがと…」

嗚咽混じりにそう言いながら、ボロボロと零れた涙がTシャツを濡らす。

私にはもう、彼女に一切の怒りを感じなかった。

ただひたすら、抱えきれない寂しさが体温越しに伝わってくる気がして…胸が痛かった。

「ごめんね…」

頭を撫でながら…私は彼女を、そっと抱きしめた。

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エピローグに続く。

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