心霊内科・薬師瑠璃の御薬手帖 (その肆)

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心霊内科・薬師瑠璃の御薬手帖 (その肆)

お決まりの台詞を言い残し、ルリは薬を調合するために部屋を出ていってしまった。

和室には私と依頼人――加賀美史絵のふたりが残された。

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――気まずい。

依頼人はすでに話すべきことを話したし、一方ルリは、それらの情報と症状をもとに診断を下した。

相互のやり取りはすでに完結している。

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これ以上私が何か――加賀美に対して情報を聞き出そうとするなど――しても、それは蛇足というものだろう。

かといって、「モデルのお仕事って大変そうですよね~」などと、なごやかに世間話をするわけにもいかない。

結局のところ、私は黙っているしかないのだ。

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薬の調合には、ある程度時間がかかる。

このままこの部屋にいてもすることがない以上、一度席を外してお茶を淹れ直してこよう。

初めに出したものはすっかり冷めてしまっているだろうし、この部屋は寒いのだ。

待っている間、少しでも暖をとってもらいたい。

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「加賀美さん、すみません。私も一旦失礼しますね。お茶を淹れ直して――」

「メアリーさん」

腰を浮かしかけた私を、加賀美が止めた。

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「私、これまで……こんなことになるまで、幽霊って信じてませんでした。

テレビのオカルト番組でやってる心霊映像なんて、所詮合成かなんかだろうって思ってて。

でも、影がおかしくなって、のどかの顔が浮かび上がってきて……。

これって本当に、心霊現象なんでしょうか? 

オカルトじゃない、なにか科学的な説明はできないんでしょうか?」

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「残念ですが、科学じゃ説明できませんよ」

昔の自分と同じ問いを口にする彼女に、私は答えた。

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「科学の根幹は『再現性』です。

同一の過程をたどれば、同一の結果が得られる。それによって、科学の目的である『普遍的な真理の追求』が成されるのです。

『普遍的』――つまり、時代や場所、人に依存せずに常に成り立つ、ということですね。

オカルト的な現象に対しては、これが通用しません。

いえ、通用しないからこそオカルトなのです。

その法則性は、いまだ世界の裏側に隠されている。しかし実際これまでも、怪しい現象は人の身に起こってきた。

それを、古来からの経験と知恵の蓄積で癒すのが――」

「『薬師』の方々――ということですか……?」

私はうなずく。

加賀美はうなだれた。

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非日常を受け入れたくない気持ちは痛いほどわかる。私もかつてそうであったから。

今度淹れるお茶は、リラックス作用のあるブレンドのハーブティーにしよう。

私は、彼女を残して部屋を辞去した。

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マンションの自分の部屋に帰りついて、コートを脱ぎ、サングラスを外して、マスクをゴミ箱に投げ捨てる。

洗面台の鏡を覗き込むと、あいわらず、顔の左半分にはのどかがいた。

悲しそうな、恨めしそうな表情で。

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『なんでこんなことするの、って泣きながら言うもんだからさ、お友達の史絵ちゃんに聞いてみなよ、って、ついポロっと言っちゃったんだよな。

のどかちゃんの顔見てたら、なんつーか、イジメたくなっちゃったって言うか?

それでお前に足が付いたらまじーかな、って思ったけど、よかったじゃん、もうその心配もなくなったってことだろ――?』

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のどかを襲わせた男たちのひとりに、後から聞いた話だ。

あいつらには、酔わせたのどかを好きにしていいが、私の関与は絶対に匂わせないこと、と何度も念押ししたというのに。

脳を下半身に支配された猿どもは、これだから信用できない。

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のどかが死んでしばらく経っても類が及ばなかったのでようやく安堵した矢先、私の身に怪現象が降りかかった。

あの男が口を滑らせなければ、のどかは何も知らないまま死んで、私に恨みを向けることもなかっただろうに。

つくづく私は周りの人間に恵まれないと思った。

だが、それも今日までだ。

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「その辛気くさい顔、これからひっぺがしてやるから覚悟しなさいよ」

私は鏡に向かって呟いた。

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薬師瑠璃が処方してくれた薬は「散影湯」というらしかった。

小さく折った紙の中には、白い粉末が包まれていた。

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『この薬を日に一度、就寝前に服用してください。

とても苦いですが、けして吐き出さないように。オブラートに包んで飲んでもいいです。

飲んだ後、強い目眩に襲われて意識が遠くなるかもしれませんが、そのまま寝てしまうのがいいと思います』

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なるほど、だから就寝前なのか。

日中――とくに運転前なんかに飲んだら危険なのだろう。普通の市販薬と同じだ。

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『繰り返しますが、服用していいのは日に一度、ひと袋だけです。

必ず守ってくださいね』

これでうっとおしいのどかを私の顔から追い出せるのなら、お安いご用だ。

私はコクコクとうなずいて見せた。

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自分で釘を刺しておきながら、どこか無関心ささえ漂う薬師瑠璃の視線を、私は気持ち悪いと感じた。

「どうぞご勝手に」と言われているようだった。

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パジャマに着替え、ベッドに入ると、サイドテーブルに用意していた薬をペットボトルの水で喉に流し込む。

苦い。

だが、吐き出すほどでもなかった。

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上半身を起こしたまま、しばらく携帯をいじっていると、不意にグラリと視界が揺れた。

強い目眩。これか、と思った。

無理せず横になり、目を閉じる。

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強烈な眠気に襲われる。意識が遠くなるということなのか。

左の頬が熱を持っている感触だけがあった。

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起きたら、のどか、いなくなってるといいな。

そんなことを考えながら、私は意識を手放した。

〈続く〉

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