――ったく、待たせやがって。
とっとと薬出せよ、たりーな。
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薬師瑠璃の家をあとにした私は、駅に向かう道すがら、胸の中で毒づいた。
冬の陽はすっかり暮れている。
冷たい雨は、相変わらず降り続いていた。
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吐く息が白い。
どこかの喫茶店で温かい珈琲でも飲んで帰りたいところだが、この顔だ。マスクを外して外食なんて、とてもできない。
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それもこれも、あの馬鹿が悪いのだ。
生きてるときもそうだったが、死んでからもつくづく私をイラつかせる奴だ。
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事務所の同期として初めて引き合わされた時、私が彼女――宮下のどかに対して持った第一印象は、『田舎くさい奴』だった。
よく言えば『すれてない』とか『純朴』とか、そういうことになるかもしれないが、私はその天然な感じが初めから鼻についた。
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モデル業界は競争社会だ。そんなこと、入る前から知っている。
それでも私は、そこでのしあがってやろうと、野心を秘めて事務所の扉を叩いた。
その私の同期が、こんな垢抜けない女だとは。
まるで私自身のレベルも低く見積もられたかのようで、イラついたのだ。
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ただ、表面上は仲良くやれていたと思う。
それもすべて、マネージャーや事務所のお偉いさんから悪く思われないようにするためだった。
要らぬ軋轢から、「コイツは同僚とうまくやれない、扱いづらい奴だ」なんて思われたらたまらない。
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だが、のどかは私のことを本当の親友だと思い込んでいたようだった。
純粋というか、単純というか。
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もっとも、私の方が早くモデルとして周囲に認められ始めたから、彼女の存在を疎ましく思うことは次第に減っていった。
それよりも、私のずっと後ろを追いかけてくるのどかの姿は、まるでノロマな亀を見ているようで、私の優越感を満たすのに大いに役に立ったのだった。
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――ところが。
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ある日の撮影で、たまたま業界の重鎮である大物カメラマンがのどかに目をつけてから、状況が一変した。
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のどか宛てに、次々と舞い込むオファー。
事務所は手のひらを返したように、私よりものどかを推すようになった。
それまでちやほやしてくれたマネージャーも、すっかりのどか様々で、彼女のご機嫌とりばかりするようになった。
私はすっかりのけ者扱いだった。
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のどかは事務所の後押しで、テレビやラジオにまで出演するようになった。
すると、その天然な性格が一部に受けて、ますます彼女の人気は高まっていった。
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いつしか私と彼女には、圧倒的な差がついていた。
ノロマな亀は私の方で、一方のどかは居眠りしない兎のように、私の遥か先をぴょんぴょん駆けていったのだった。
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許せなかった――。
あのグズなのどかが、私よりも認められるなんて。
他の誰に負けたとしても、のどかにだけは負けたくなかった。
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だから――。
それは、ちょっとした出来心だったのだ。
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私は、高校の頃に地元でよくつるんでいたガラの良くない男友達たちに連絡を取った。
「いい話があるんだけど」と言って。
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のどかには「地元の友達と一緒に飲み会を摺るから、よかったら来なよ」と声をかけた。
仕事の忙しさから、私と疎遠になっていたと感じていたらしい彼女は、ほいほい誘いに乗ってきた。
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そして、飲み会の日。
酒に弱いのどかを皆して潰した後、「後はご自由に」と、彼女を置き去りにして私は帰宅した。
深夜、私の携帯に、男たちに『お持ち帰り』されたのどかのあられもない姿の写真が次々送られてきた。
後から不利な証拠になっても嫌だから、それらはすぐに消去した。
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のどかは、翌日から仕事に出てこなくなった。
すべて予定通りだった。
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予定外だったのは、その後すぐにのどかが自殺したことと、私が「影の病」とやらにとりつかれたことくらいだ。
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本当に。
生きてるときもそうだったが、死んでからもつくづく私をイラつかせる奴だ。
〈続く〉
作者綿貫一
こんな噺を。
(その壱)
https://kowabana.jp/stories/36498
(その弍)
https://kowabana.jp/stories/36504