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長編19
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見える人

4月に新1年生として大学に入学してから、もう2か月が経とうとしていた。

それなりに一人暮らしを楽しみ、大学生活にはいい意味でも悪い意味でも慣れつつあった。

ケイゴの所属する学部は、一学年だけでも150人を超える大所帯で、授業に使う教室も毎回のように大講義室であった。

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語学や教養の授業は普通のこぢんまりとした教室で実施されるものの、やはり学部特有の授業となると、150人以上収容する教室が必要になる。

高校から大学へと進学し、こういった感覚にも慣れてきた頃だった。

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気が付いたら、大講義室での席の取り方も大体固定されつつあった。

150人以上も入る教室だが、みんな座るのは大体定位置である。

ケイゴも漏れずそのうちの一人で、毎回座るのは教室の左列の中ごろといった席だ。

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大体教室の後方が席が混み合っていて、前方は人もまばらだ。

授業に飽きてきた学生は、決まって後方にもある扉から教室の外へと出ていく。

教授にばれずに外へと出ていくのは後方の席が都合がよく、やはり後方は毎回ぎっしりと人が詰まっている。

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wallpaper:153

陽気を通り越して、汗がにじんでくる季節だ。

その日は早めに教室に入り、ケイゴはいつもの席をとった。

自転車をこいできたせいか少し暑く、バッグからノートを取り出してぱたぱたとあおぐ。

携帯をいじりつつぼんやりしていると、ふと教室の前方に目が行った。

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ただでさえ人がまばらな教室の前方、授業が始まるまで時間があるのもあいまって、ケイゴが座る席より前方はほとんど人がおらずがらがらの状態であった。

その中で、ぽつんと一人女性が座っていて、自然と目を引いた。

ちょうどケイゴの5つほど前の席か。

最前列より3つ目の席で、左から4席目。

いつもは周囲に人がいるから何とも思わないのだろうが、やはり一人で座っていると、他に見るものもなくその女性を見てしまう。

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上半身しか見えないが、落ち着いた色合いのカーディガンを羽織っているのがわかる。

背筋がぴんとのびていて姿勢がよく、大人びたたたずまいからか、少し顔が見てみたくなった。

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しかしケイゴが目を引かれたのは、その女性の見た目だけではなかった。

ふと気づくと、その女性は左斜め上に首をもたげ、ちょうど教室の壁から天井に切り替わる部分をじっと見つめていた。

おそらく、ケイゴが教室に入って、その女性の存在に気付いたときにはもうその状態だったように思う。

ちらりと女性の視線を追うが、女性が見る先には何もない。

虫でも飛んでいるのだろうか。

それとも、何か壁に書かれているとか?

先ほどからその部分以外をいっこうに見ようとしないのが少し不自然で、ケイゴはその女性と彼女の視線の先を何度も見比べる。

やがて隣に友人が座り、女性の周囲にも人が座りはじめた。

女性が隣に座る友人と思われる女性と話し始め、とりあえず視線はその場所から外れたようだった。

ケイゴもそこまで確認し、その後は女性のことも、いつの間にか頭から消えていた。

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それから1週間もたたないうちに、また教室に早めに入る日があった。

あまり人気のない授業ということもあり、人はかなり少ない。

いつもの席に腰をおろし、ふうと一息ついてバッグをがさごそとし始める。

次の授業の教材を机の上に用意し、手持無沙汰でぼんやりとしていると。

「……あれ」

思わず、声がもれた。

教室の前方に、またあの女性が座っていた。

同学年で同じ学部なのだから、大半の授業で同じ教室に入るのは当然のことだろう。

やはり気になったのは、今日もその女性は例の方向を向いていたことだ。

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教室の左上、壁から天井に切り替わる角の部分。

その一点だけを、じっと眺めている。

眺めているというか、見つめているというか。

しかしその場所には、ケイゴから見ると何もない。

やはり不思議で、ケイゴは女性とその部分を何度も見比べて内心首をかしげる。

親しければ「何見てるの」といった言葉をかけられるのだろうが、やはり初対面の男からいきなり声をかけられたら誰だって身構てしまうだろう。

同じ学部生だからいいのかもしれないが、そこまで自分に社交性があるとも思えず、ケイゴはなかなかその疑問を解消させるべく声をかけることができずにいた。

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それから2,3週間ほど経ったか。

教室に人があふれていても、いつの間にかケイゴの目はその女性を追うようになっていた。

ただ興味を引かれるということ以外に、いつもぴんとのびた姿勢に大人びたたたずまい、ちらりと見えるその横顔に、自分でも気づかぬうちに惹かれていたのかもしれない。

女性は相変わらず、隣に友人がいないときにはずっとあの場所を眺めていた。

何をするでもなく、ただじっと見ている。

それ以外は至ってふつうで、友人と話している時も別段変わった様子はみられない。

女性がいったい何を見ているのか気になったまま、さらに数週間が経った。

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大学に入って初めての試験。

ケイゴの通う大学では、およそ二週間にわたって実施される。

大講義室に入って座席札をとり、札に記載されている番号の席に座る。

札は裏返しで箱に入っており、引き当てる番号は無論ランダムだ。

ケイゴのとった札番号は115。

いつも自分の座っている定位置にかなり近い。

試験の準備をしていると、二つ席をはさんで右に女性が座った。

何気なくちらっと見やると、何とあの女性だった。

わけもなく少し嬉しくなり、視界の端に映る彼女をたまに確認。

近くで見ると、かなり整った顔立ちをしていた。

色白で、おとなしめの薄化粧で、やはり背筋もぴんとのびていて。

大当たりの席だ、と内心小躍りしていたのもつかの間。

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そういえば、と気になった。

女性は手元にあるノートを眺めている。

いつものように、教室の壁や天井を見るようなそぶりは微塵も見せない。

あの席に座っている時だけなのだろうか。

それから間もなくして試験が始まると、隣をちらっと見ることもできなくなり、ケイゴは試験に集中することにした。

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試験が終わり、教室から出ていこうとする時のことだった。

偶然前の方を歩いていたその女性が、何かにつまずいたのか脇に転んだ。

慌てて立ち上がり、恥ずかしそうにいそいそと教室から出ていく女性の後を追って、ケイゴは少し駆けた。

「あの、すみません」

女性が振り返った。

顔が紅潮して、目をしばたたかせている。

先ほど転倒したのがよほど恥ずかしかったのか、耳まで真っ赤だ。

「これ、落としましたけど」

ケイゴはさっき拾い上げたクリーム色の携帯を差し出した。

女性ははっとした顔になると、

「すみません、ありがとうございます」

と携帯を受け取った。

このまま別れてしまうのも名残惜しく、ケイゴは何気ないつもりで言ってみた。

「……よそ見ばっかりしてると、また転んじゃいますよ」

えっ、という顔で女性が首をかしげた。

ケイゴは内心気味悪がられるのを少し恐れながらも、気になったことを口にしてみる。

「あの、いつも教室の上のほう、見てますよね。何かあるのかなーって」

「あっ……」

はた、と気付いた顔になり、女性は顔をさらに赤らめて頬に手をあてる。

「……気付いてる人がいたなんてびっくりです」

恥ずかしがりながらも、にこやかに微笑んで女性は言った。

ケイゴは女性の反応が思ったよりソフトだったことに安堵した。

「えっと……何か、気になるものでもあるんですか?」

「……」

女性は少し黙り込んでいたが、やがて困ったようにまた微笑む。

「うーん……特に、何も……」

「えっ」

「信じてもらえるかわからないので、すみません」

やわらかい物腰だが、一歩引かれてしまった気がする。

これじゃたぶんこれっきりだ、と直感的にケイゴは思い、何とか話を続けようと躍起になった。

「興味があります。何かあるなら、話してもらえませんか」

話題があれば何でもよかったのかもしれない。

別に女性の視線の先のものじゃなくても、何でも。

とにかくケイゴは、せっかくつかんだ女性との会話のきっかけを、手放したくなかった。

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女性は長い間沈黙していたが、やがておっとりとした笑顔で頷いた。

「いいですよ。別に、隠すことでもないと思いますから……」

のんびりとした柔らかな表情は、自然とこちらまで笑顔になってしまう。

お互いに自己紹介をした後に、少しだけお互いの出身とか試験勉強とか世間話をして、本題へと移ることになった。

学食の片隅で、今の時間帯は人もまばらだ。

「ケイゴくんは、心霊現象とか信じる?」

同学年ということもあり、女性とはすぐに打ち解けた。

彼女はチハルといって、ごくごく普通の学生だった。

「うーん……見たことないから、何ともいえないかな。いるとは言えないし、否定もできない感じ」

「そうだよねぇ~」

のんびりと笑いながら、チハルはうなずいた。

「根っから信じない人じゃないからよかった。この話、実はケイゴくんに初めてするんだけど……。

最初に言っておくとね、あの教室、いっぱいいるよ」

何の気なしにぽんと言われ、ケイゴは一瞬固まった。

「いる? いっぱい?」

「ん、そうだね。いっぱいね~」

どうやらかなりおおらかな性格で、話し方もおっとりとしている。

そのせいか、にこにことしながら話す彼女の話の内容は、あまりにも彼女の表情からかけ離れていた。

いるって、あれだろうか。

その、俗にいう『幽霊』とか『お化け』とかいったものか。

返す言葉に迷っていると、チハルは少し笑顔を引っ込めた。

「私ね、あんまりそういう知識とかなくって。

ただ単に『見える』っていうだけなんだけどね。

でもやっぱり、そういう人って少ないみたいで……」

顔を上げてケイゴを見ると、困ったように小首をかしげる。

「『見える』ってわかったら、みんないっぺんに寄ってきちゃうの」

「寄ってくる?」

「うん。自分の存在を知ってほしくて、いっぱい寄ってくるの。害がないものもあればね、中にはこわい世界に引き込もうとするモノもある。だから、見えてることを隠しておかなきゃいけないの。

目が合うと、『あ、このヒト自分が見えてる』って、向こうの人たちに気付かれちゃうから」

「……ちょ、ちょっと待った」

そこでやっと、ケイゴは疑問を投げかけた。

幽霊とかお化けとか、自分の通う教室にいるなど信じがたい。

しかしチハルが嘘を言うとも思えず、存在自体への疑いはこの際目をつむることにする。

「目が合うと気付かれるの?

じゃあ、どうして教室に一人でいる時にあんな方向見てるの?」

「だって、いないのはあの方向くらいだもん」

「え――」

「私の座る席の真ん前にね、私のほうを向いてずっと立ってるヒトがいるの。ずっとずっと、私のほうを見てる。

ときどき移動して、いきなり横にきたり、気付いたら下から覗き込んでるときがあるの。

でも、あの方向だけには現れないから。だから、あっちのほうを見るしかなくって」

「そ、そういう……ことだったの」

「友達が来たり、授業が始まれば、そっちに意識が行くから大丈夫なんだよ。

黒板ずっと見てれば、目の前に現れても知らんふりできるからねー」

のほほんとして話しているが、実はとんでもない体験をしていることを、チハルは分かっているのだろうか。

「そんなにたくさん幽霊がいて、怖くないの」

「別にだいじょうぶ、慣れたし。みんな、もとは血の通った人間だったんだから、そんなに怖がる必要もないと思うよ」

「……それは、確かに」

「それにね、一番こわいのは生身の人間だよ」

一瞬、チハルの声が硬さを帯びた。

気付くと、ケイゴの後ろを通り越して彼女の視線はどこか遠くを見ている。

無意識的に後ろを振り返ったが、何もない。

「どうかした?」

「……う、ううん。なんでもないよ」

そう言って、チハルは笑った。

会話して初めて見た、作ったんじゃないかと思う種類の笑顔だった。

少し不審にも思ったが、深く追求するのも気が引けた。

「そういうの、霊感があるって言うんだよね。それにしても、あの教室にそんなにたくさん幽霊がいたなんてびっくりだよ。

やっぱり、髪の長い女の人とか、足がない人とかいるのかな?」

「ふふ。ケイゴくん、テレビの見すぎ」

「あ、やっぱり違う?」

「そんなに姿ははっきりしてないよ。ぼんやりっていうか、影って感じかなあ。

体の一部分が見えてることもあるし、顔だけ浮いてることもあるしね。私が思うに、それって他の部分が薄くて見えないだけじゃないのかなーって思うんだけど。

人によっては、もうちょっとくっきり見えるかもしれないしね」

「そういうものなのかあ」

「映画とかで見るのは、ちょっと悪い方向に強調しすぎてると思うよ。

みんな、新生物でも怪物でもなんでもないの。ちゃんと生きた人間だったの。

何か納得できないことだったり、どうしても伝えたいことだったり、きっと強すぎる思いがあんなふうに魂だけをその場にとどめてしまっているんじゃないかなって。

……あ、これは私の想像だけどね」

「……。……優しいんだね」

「え? いやいや、そんなことないよ~」

照れ笑いするチハルの笑顔に、ケイゴも少し笑顔になる。

自分が見たらきっと、叫び声をあげて助けを求めていただろう。

映画のワンシーンでも、いくら強調された幽霊とはいえ俳優は凄まじいリアクションをとって逃げ出すものだ。

得体の知れないものをその目で見ているのに、そういったモノたちに対しても優しい思いを抱ける。

……惚れたかも。

いや、展開が早すぎるのは自分でも分かっている。

だから今日は、これくらいで。

「……あのさ、もしよければだけど。

アドレスとか、教えてもらってもいいかな」

「うん? もちろんいいよ~」

ケイゴはアドレスと携帯番号をチハルと交換し、それから他愛ない話をしてその日は別れた。

一人暮らしの部屋に帰り着くと、小さくガッツポーズ。

きっかけはちょっとあれだったが、何やらかなり嬉しい。

『幽霊が見える』というのが少し引っかかったが、その引っかかりが何を原因とするものなのかはわからず、いつの間にか頭の隅に追いやっていた。

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それから順調にメールのやり取りを続け、試験シーズンが終わって2週間ほど経った頃に、ようやくデートの予定にこぎつけることができた。

とは言っても、チハルはかなりの天然らしく、今までもケイゴの誘いで食事や出かけに行くことはあっても、それがケイゴの仄かな好意からであることに少しも気付かなかった。

今回、ケイゴが「デート」だけどどうか、と最初に言っておいたことで、チハルも少しは察したようだ。かなり慌てふためきながら、「ふ、ふつつかものですが」と、意味が分かっているのかそんなことを言いながら承諾した。

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ケイゴの中では、今回のデートで告白する予定。

話してみるとかなりの速度で惹かれていくのが自分でもわかった。

チハルは気性が穏やかでかわいいし、少し鈍感なところもまたきゅんとさせるというか、男心をくすぐる。

そしてなにより、出会った時から変わらず本当に優しかった。

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ただ、ひとつ気になることがあった。

試験シーズンが終わったあたりから、チハルのメールや電話の返事がぷっつりと途絶えることがたびたびあったのだ。

音信がないのは最大でも2日ほどであったが、やはり少し心配ではある。

原因のわからない不安を少し抱えたまま、デートの日が訪れた。

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大学のある地域は、今回の行先である映画館のある街からは少し離れており、電車で移動する必要がある。

チハルとの待ち合わせは、電車を降りたところの駅だ。

待ち合わせより少し早めについて、ケイゴは駅の自販機の傍らにあるベンチに座っていた。

ケイゴの座っている場所からは、改札を抜けて駅のホームが見える。

今は、ケイゴの住む町へ行く電車が停まっているようだ。

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待ち合わせの時間から、20分が経った。

道にでも迷っているのだろうか。

まだかなと改札をぼんやり眺めていたが、少し気になり電話をかけてみようかとポケットに手を入れる。

そこでふと背後に気配を感じて振り返ると、チハルがそこに立っていた。

「ご、ごめんね遅れて……」

少し息が上がって、額には汗がにじんでいる。走ってきたのだろうか。

「いいよ、大丈夫。今きたばっかだから」

ケイゴは笑ったが、そこでちらりと違和感がかすめた。

しかし口に出すのもばからしく、「じゃあ、行こっか」と腰を上げた。

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チハルは前髪をやたら気にしているようで、風で舞い上がるたびにおさえている。

「……今日、誘ってくれてありがとう」

そう言って、チハルは照れくさそうに微笑んだ。

ケイゴは少し恥ずかしくなり、「こちらこそ、来てくれてありがとう」と顔をそむけながら小さく言った。

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駅から少し歩き、歩道橋に差し掛かった。

階段に足をかけたところで、チハルが突然ケイゴの腕をつかんだ。

いきなりのことで、ケイゴは弾かれたようにチハルのほうを見る。

チハルは、階段の先を見て目を見開いていた。

「チハルちゃん、どうしたの?」

「な、なんで……ここまで、来て……」

「え? なに?」

「いや……いやあっ!」

叫ぶように言って、チハルは身をひるがえして駆け出した。

「ちょっと待って! どうしたの!」

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ちらりと階段の先を見やったが、当然ながら何も見えない。

もし何かがそこにいたとして、チハルには見えたとしても、ケイゴには見えないのだ。

それが、彼女の見える『モノ』なら。

嫌な予感がする。彼女には何が見えたのだ?

――ただ今は、そんなことよりチハルを追いかけなくては。

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「チハルちゃん!」

見失ったかと思ったが、歩道橋から少し走ったところにある公園にチハルはいた。

遊具のそばにうずくまって、カタカタと震えている。

ケイゴが近づくと、びくっと体をすくませた。

「……大丈夫?」

「ご……ごめんなさい……」

声が震えている。

ベンチに座らせ、顔を見ると、うっすら涙を浮かべていた。

ひとつ思い当ることがあり、ケイゴは尋ねてみた。

「もしかして、何か見えたの?」

「……」

「歩道橋の、階段の上。例の……見えたんじゃないのかな」

チハルは驚いたようにケイゴを見たが、何かを言おうとして固まった。

「チハルちゃん?」

「……あ、いやあ……」

チハルの視線は、ケイゴの背後に注がれている。

悪い予感がして、振り返られずにいると――突然、チハルが苦しみ始めた。

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ケイゴの背後を凍りついたように見たまま、ひゅうひゅうと喘ぎはじめる。

震える手をとっさにつかむと、彼女の手は死人のように冷たかった。

目を見開き、ぶるぶると震えて――歯がカチカチと鳴っている。

「チハルちゃん、しっかりして! 俺がいるから!」

チハルにはまるで声が届いていない。

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息も絶え絶えのチハルを見て、ケイゴの中では恐怖よりだんだんと怒りのほうがわき上がってきた。

『みんな、新生物でも怪物でもなんでもないの。ちゃんと生きた人間だったの』

彼女の優しい言葉がよみがえり、ケイゴは無意識的にくるりと振り返った。

そこには――何も、いない。

おそらく、自分には見えていないだけなのだろう。

しかし、ひるんではいられない。

ケイゴはあるだけの声を張り上げて、そこにいるであろうモノに言葉をぶつけた。

「――お前、いい加減にしろよ!彼女が一体なにしたって言うんだよ、お前らのことだって怖がらずにちゃんと理解しようとしてた優しい人間を、何で苦しめようとするんだよ!!」

そうだ。チハルは幽霊のことをわかろうとしていた。

目を合わせたら自分がもっていかれるから、でもそれがなければ心配することはないからって。

祓ってもらおうとか、気味が悪いとか、そんなことは一言も口にしなかった。

そんな彼女を、なぜ苦しめる必要があるのだろう。

ケイゴはそんなことを思いつくまま吐き出して、ふと気づいたときにはチハルの苦しそうな声も聞こえなくなっていた。

ほっとして息をついたが、チハルのほうを見やる前にポケットの携帯が鳴った。

ろくに画面も見ずに受話ボタンを押し、耳に当てる。

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「もしもし?」

『あ、もしもし? ケイゴくん?

よかった、やっとつながった……』

「……、え?」

電話口の声は――チハルだった。

「チハルちゃん? え?」

慌てて後ろを振り返る。ベンチには、気を失ったのか眠っているのか、くったりと目を閉じたチハルが確かにそこにいた。

『ごめんね、メールがなぜか送れなくて……。

ずっと電話してたんだけど、今やっとつながって』

「待って、チハルちゃん?」

『本当にごめんね、せっかく誘ってくれたのに……』

「?」

『最近ずっと体調が悪くって。そのことでちょっと話があるんだけど、私――』

わけがわからない。

チハルが二人いる? なぜ?

今目の前にいるチハルは、誰だ?

「ちょっと待って。今、どこにいるの?」

『え? 自分の部屋――ザザッ…だけ――ザザッ』

電波が悪いのか。チハルの声にノイズが重なり始めた。

「チハルちゃん? もしもし?」

『携帯の調子も――ザザッ…わたし、ケイゴくんと出会った日からなぜか――ザザッ……見られ――ザザッ……』

「ごめん、よく聞こえない……どうしたの? 見られてるって、どういうこと?」

『え? なに? ――ザザッ 見つけたって――ザザッ…どういう……』

ふいに、チハルの声が途切れた。

ケイゴは「もしもし?」と繰り返し声をかけたが、やがてチハルの声がまた聞こえてきた。

『まってね、――ザザッ…今インターホンが鳴っ――ザザッ…出てく――ザザザッ』

ノイズがひどい。

ケイゴは何かとてつもなく悪い予感がして、とっさに声を張り上げた。

「もしもし? チハルちゃん、待って! 外に出ないで、とりあえず待って!」

『はーい、いま出ま――ザザッ…ケイゴくん、ちょっと待っ――ザザッ……』

「チハルちゃん!!」

『ザ――――――ッ』

チハルの声が、聞こえなくなった。

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茫然と立ち尽くすケイゴは、ふと猛烈な違和感に襲われた。

目の前のチハルを凝視する。

今日起こった出来事を、一つ一つ思い出していく。

駅のホームで、チハルはどこから現れた?

少し早めに着いたケイゴは、改札の見えるベンチにずっと座っていた。

そこから見えていたはずだ。駅に入ってくる人間は、みんな。

チハルが立っていたのは? ケイゴの後ろだ。

改札を通るチハルの姿を、ケイゴは見ていない。

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そして、歩道橋。

チハルは何かを見て駆け出したが、今までに何かのモノが見えてあれほどおびえたことがあったか?

もとは人間だったのだと、あれほどまでに理解を示していたのに。

自分が見えることさえ気付かれなければ害はないからと、不安げな表情さえしなかったのに。

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そこで、何かが引っかかった。

――気づかれさえなければ?

歩道橋で背を向けて逃げ出すなんて、明らかに見えていることを感じさせる行動じゃないか?

待て。何かがおかしい。

気づかれなければ。

じゃあ、気付かれたらどうなる?

どうすれば、気付かれる?

さっきチハルは言ってなったか。

ケイゴと出会った日から、見られていると。

すべては聞き取れなかったが、そういっていたはず。

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ケイゴと出会った日、何があった?

そうだ。ケイゴに幽霊が見えることを話してくれた。

そこでのチハルの言葉がよみがえった。

『この話、実はケイゴくんに初めてするんだけど……』

「――!!」

ケイゴの脳裏で、すべてつながった。

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初めて話した。

あれが見えることを初めてケイゴに――人前で、話したのだ。

幽霊が見えることを。自分の口から。

もしそのとき、チハルの警戒していたものが周囲にいたら?

そのものたちが、人の言葉を聞き取ることが出来たら?

そういえばあのとき、一瞬だけチハルが作り笑いをしたタイミングがなかったか? あのとき彼女には、何かが見えていたのではないか?

試験シーズンの終わりから連絡が途切れがちだったのも、携帯の調子が悪かったから。

しかし本当に、それだけなのか?

チハルの体調が最近ずっとすぐれなかったのも、それが関係しているのではないか?

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そして、さっき。

目を合わせなければ大丈夫だからと理解を示す彼女を、どうして苦しめるのかと。

ケイゴは確かに、そう言った。

チハルの――いや、チハルだと思っていたものの前で。

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――気付かれた。

チハルに興味を示していたものたちに、彼女が見えていることが、ばれた。

それが何を意味するのか考えるより早く、ケイゴは携帯を握りしめリダイヤルしていた。

プルルル、プルルル……

チハルは出なかった。

ケイゴは、力なく腕を垂れた。

気付くと、目の前のチハルはいなくなっていた。

どこにいったのかとぼんやりしていると、肩を軽く叩く感触。

振り返ると、『チハル』がそこにいた。

「ケイゴくん、もう大丈夫。ごめんね心配かけて……」

そう言う『チハル』は、いつも通りにこにこと優しい笑顔を浮かべている。

「……チハルちゃん?」

「うん?」

「いや。――なんでも、ない」

目の前の『チハル』は、チハルなのか?

今さっきまで電話口にいたチハルは、幻だったのか?

俺は今、誰と話しているんだ?

ケイゴは、何も言い出すことができなかった。

その日は映画館に行ったが、何も告げずそのまま別れて帰路についた。

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帰り着いたあとも、絶えずチハルに電話をかけ続けた。

番号が変更されたのか、翌日には電話もつながらなくなってしまった。

それから彼女からメールが来たが、携帯を新しく買い換えたため電話番号を新しく教えるからという内容だった。

壊れたのかと聞くと、『なくしちゃって』と言われた。

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メールも普通に続いたが、どこか踏み込んだ話をすることができず、告白だってもちろんしていない。

チハルが、チハルでないような気がしたから。

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学校が始まった。

教室に入ると、いつもの席にはもうチハルが座っていた。

一人で、やはりおとなしそうで、しかし少し目立つ。

だがチハルは、もう教室の斜め上を見たりはしていなかった。

うつむいてもいないし、普通に正面を見ている。

それを見た瞬間、ケイゴの中でチハルがチハルでなくなった気がした。

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憑りつかれたのか。

それとも、別のものによって入れ替わってしまったのか。

なんにせよ、本物のチハルがどこに行ったのか、ケイゴは知らない。

もしかするとデートの日に電話したのは夢か何かで、チハルには何も起きていなかったのではないか?

そう思うこともあるが、やはり教室でのチハルを見ると、そうは思えなくなる。

普通に話すことは出来る。

でも、『まだ見えるの?』と聞いてみると、『えっ、何が?』と首を傾げられて、何も言えなくなる。

それから徐々に時間をかけて、チハルとの関わりは薄れていった。

これ以上、今の彼女と関わってはいけない気がした。

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彼女は見える人だった。

でも、それを受け入れて日頃ひっそりと生活をしていた。

ケイゴが声を掛けさえしなければ、彼女は見えるモノたちに自分のことを気づかれることはなかったのかもしれない。

自らのことが見えるチハルにすがりたかったのか、またチハルをよりしろとして人間として生きたかったのか。

見えることを、気付かれてはならない。

それを破らせてしまったのは、おそらく自分だ。

チハルとはもう連絡を取りあっていない。

言葉を交わすつもりもない。

たまに、学内でチハルを見かけることがある。

すれ違った際に微笑みかけてくれるが、もうそれはかつてのチハルののんびりとした柔らかな表情ではなかった。

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***

見えることを、気付かれてはならない。

それを破らせることも、絶対にあってはならない。

Concrete
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自分が見てしまった霊に気付かれて憑かれてしまったらと思うと怖くてたまりません((((;゚Д゚)))))))

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>>匿名さん

コメントありがとうございます^^
これからも精進いたします!

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