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中編7
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ください

僕らの通う大学は、住宅がぎゅうぎゅうと詰め込まれている団地に囲まれており、周りには山林があったりと、とても閑静な環境に立地している。

近所に住宅が多いこともあり、大学の周りには至る所に小さな公園があるのだが、子供がそこで遊んでいるのを僕は見たことが無い。

これは、そのうちの一つのある公園について、友人Hから聞いた話である。

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その日は近所の店を新たに開拓しようと、いつもと違う道を帰り道に選んで歩いていた。

途中、思惑通りこぢんまりとした食堂を見つけ、親子丼定食をたいらげてまさに帰るところであった。

いい発見ができたと、Hは気分もよく帰途につこうとしていた。

もう少し行けばいつもの帰り道に合流するだろうと、頭の中で地図を思い浮かべながら歩いていた時。

Hはふと足を止めた。

突き当りがT字路になっている一本道で、右脇に小さな公園がある。

いつもはこんなありふれた公園など視線をやることもないのだが、今日はなぜかHは無意識のうちに足を止めていた。

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(こんなとこに、公園あったんだ)

本当に、ありふれた公園だ。今は子供一人見当たらず、静かに遊具がたたずんでいる。

シーソーに、滑り台。奥のほうにはブランコがあり、砂場も―――

と、そこでHは目を瞬いた。

砂場のさらに奥、ひっそりとベンチに寄り添うように立っている木があるのだが、その木に隠れるようにして、何か立札のようなものが立っていた。

公園に入り、Hは立札に近付く。

日差しのあるときは、ベンチにほんのりとした日陰をつくるのだろう。やや大きめの木の奥には少しだけスペースがあり、立札はそのスペースの手前に刺さっていた。

縦に長く、文字も縦書き。

細長い木簡のようで、とても古びている。ところどころが虫食われ、ぼろぼろでこげ茶に薄汚れていた。

Hはさらに歩み寄り、立札の目の前まで来ると少しかがみ込む。

今にもぼろぼろと崩れ落ちそうなその立札には、

 

『 く だ さ い 』

丁寧な手書きで、ただ一言――そう書かれてあった。

「……?」

Hは首をかしげ、しばらくその立札を見つめていた。

ください――とは、一体。

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立札の後ろ、僅かなそのスペースには何もない。

何の変哲もない地面に、その立札だけが刺さって違和感を醸し出しているようだった。

Hはしばらくその立札をじっと見つめたが、当然何かが起こるはずもなく――その日は、間もなくして公園をあとにした。

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翌日。

ゼミの打ち合わせが遅くまで長引き、帰る頃には辺りはすっかり暗くなっていた。

公園のあった通りが自宅への近道であると気付いたHは、その日も公園のある道を帰り道に選んでいた。

特に意識したわけでもないのだが、昨日通りかかった公園の前を通る際、ちらりと公園の方に目を向けた。

そこでHは再び足を止める。

「……あれっ」

昨日は人っ子一人いなかったのだが、今は公園の奥に人影が見えた。

暗闇の中で目を凝らしてみると、どうやら小学生にも満たないほどの小さな子供のようだった。

Hは眉をひそめて公園へと入っていく。

子供はHのほうに背を向けて、昨日Hが目にした立札の前に静かに佇んでいた。

「……あの、きみ?」

迷子だろうか。

こんな時間に、こんな小さな子供が一人でいるのは危ない。

最近は不審者も増えているし、出来れば自宅まで送ってあげようと。

Hはそう思い、声をかけてみる。

「こんな時間に、一人? おうちの人は?」

暗くてはっきりとはしないが、男の子のように見える。

綺麗に切りそろえられた黒髪で、真っ白いシャツに紺色のズボン。

幼稚園の制服か何かだろうか。

男の子は声をかけるHに反応を示さず、背を向けたままだ。

ふと気づくと、その視線の先はあの立札のようだった。

「……」

Hは見かねて、男の子の肩に手をふれる。

「もう遅い時間だよ。おうちに帰りなよ」

その瞬間、男の子はくるりとこちらを見た。

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驚くほど肌が白く、ガラス玉のようにまるまると大きい目が印象的な男の子だった。

大きな目でこちらをじっと見て、驚いたように瞬きをして――

ぐっ、と両手をHに向かって突き出した。

背の高いHに向けて、斜めに思い切り伸ばされた両腕。

『抱っこして』、もしくは――『おいで』、と言われているかのような。

Hが驚いて何も言えずにいると、男の子は両腕を上に突き出したまま今度はぴょんとはねた。

抱っこをせがんでいるかのような、そんな仕草。

ふと奥にある立札の『く だ さ い』という言葉が目に入り、Hは男の子と見比べる。

立札の言葉とあいまって、何かを男の子が欲しがっているような印象を受けたのだ。

どうすればいいかわらかずHが立ち尽くしていると、

ぐう、

と、何か声のようなものが聞こえた。

喉の奥から出ているような、うなっているような、そんな声。

男の子が口を開いている様子はなく、Hはますますわけがわからなくなり「どうしたの」と男の子に問いかける。

ぐう、ぐう、

声のような音は大きくなりつつあるような気がする。

男の子の大きな黒い瞳にじっと見つめられ、すがるように飛び跳ねられて、Hがどうしようかと本格的に頭を悩ませ始めた、その時だった。

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―――ピリリリリッ

胸ポケットの中の携帯電話が甲高い音を発した。

Hは突然のことに少し冷や汗を浮かべながら、ポケットの中の携帯を探り出し操作する。

「もしもし?」

電話の相手は同じゼミ生で、先ほどまで打ち合わせをしていたIだった。

『H、今大学の近く?』

「えーと、まあ……」

『演習室に打ち合わせの資料忘れてるよ。取りに来れる?』

「マジか、今から行く!」

書き込み済みの資料だ。明日は大学が閉まるので、今日のうちに取りに行かなくては。

『教授から鍵預かってる。演習室の戸締りは任せたって』

「あー、ごめんな」

『いいよ。じゃあ、演習室で待ってるから』

「あ、あのさI! 今ちょっと子供が――」

頭のキレのいいIに男の子のことを相談しようと、立札のほうに目をやりつつ続けようとしたが――

「……あれっ?」

不思議なことに、先ほどまで目の前にいた男の子の姿は、どこにもなかった。

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帰り道、隣を歩くIに先程のことを説明すると、「ああ」と思い当ったように頷いた。

「そこにあったんだね、立札」

「なに、知ってるの? 意味がわからん立札のこと」

「ほら、大学の裏門の目の前に林があるでしょ。

私有地だから立ち入り禁止の札がいくつか設置されてるんだけど、かなり古いものらしくてさ。

裏門から一番近いとこにある立札がね、一部だけ裏門のそばに落ちてたんだよ」

「一部だけ?」

「『私有地です。この先は立ち入らないで』って。

そこから折れちゃってるみたいで、残りの部分がどこかにあるんだろうなーとは思ってたけど」

「あ、だから『ください』なんて立札が……」

Hは妙に納得して、頭の中のもやもやもすっきりと晴れたようだった。

男の子も、一瞬で消えてしまったし――本当に自分の見たものだったのか自信がなくなってきた。

寝ぼけて、夢でも見ていたのだろうか。

「でも何で、そんな所に残りの立札が刺さってたんだろうね」

「だよなー」

Iから聞いた立札の話が印象的で、いつしか男の子の事はHの頭から消え去ってしまっていた。

ほどなくしてIと別れ、Hは帰宅の途についた。

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Hから聞いた話は、ここまでである。

あの後帰り道でHと別れた僕は、後日あることを調べてみた。

その結果、いくつかの事が分かった。

立札は特段気にも留めず、気になったのはHの口にしていた男の子の事だ。

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あの公園一帯は、元は大学近くの山林からつながる林で埋め尽くされていたそうだ。

人が増え、住宅地が出来てゆくにつれてますます林も切り拓かれ、それに伴いああいった公園も造られたのだろう。

あの一帯が林だった頃、ある凄惨な事件が起こったそうだ。

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林で迷子になった男の子が、男に首を切り落とされ殺害されたという事件だ。

のちに逮捕された男の供述によると、身動きの取れなくした男の子の口にハンカチをつめ、声が出ないようにした後――

生きたまま、ノコギリで首を切断したのだという。

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男はその後、胴体を山林の中の一本の木に立てかけ、男の子の首を山林のどこかに埋めたという。

ところが、男の供述した通りの場所を掘り起こしても、周辺一帯を捜索しても、男の子の首から上は見つかることはなかった。

事件のあった一帯は現在、住宅地に様変わりしている。

しかし、警察により立ち入りが禁止された一帯の住所は、まぎれも無く今のあの公園にあたる場所であった。

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Hの目の前に現れた男の子は、なぜ抱っこをせがむように手をのばし飛び跳ねていたのだろうか。

彼が手を伸ばした先にあったのは、Wの頭だ。

なぜ何かを欲しがるように、一心にHの顔を見て飛び跳ねていたのだろうか。

なぜ、何も言いもせずに、不可解な音だけを喉の奥から出して。

そしてあの立札は、なぜあんなところにあんな形で刺さっていたのだろうか。

ベンチに寄り添うあの一本の木の後ろ、僅かに空いたあの空間に、なぜ。

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あの時Hが親切にも男の子を抱えようとしていたら、どうなっていただろうか。

それを考えれば、忘れ物を取りに来させるためにあの時電話したのは幸運だったとは思う。

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その後あの公園を訪れてみたが、Hの言っていた立札は見つけることはできなかった。

大学の裏門に最も近い立札を再度見に行くと、どうやら修理されたらしい立札がきちんと立てられていた。

山林の所有者が、公園の立札を抜き取り修理したのだろうか。

ともあれ、公園は何の変哲もない公園に戻ったようだった。

少なくとも―――そう、外見は。

立札が無くとも、あの木の後ろの空間はまだ存在し続けている。

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あの一帯で何が起こったのか、

あの一帯のある木に何が立てかけられていたのか、

見つかることの無かったものはどこに眠っているのか。

大学を卒業し、この地を離れるまで――僕はそれについて考えないようにしようと心に決めたのだった。

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