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物心付いた頃から、親や祖母と一緒にそこのお社へお参りしていた。
私は、周りを山に囲まれた田舎で生まれ育った。
昔から山間を切り開いた田畑で、自分の家で食べる分だけの米や野菜を作る傍ら、地元でお店を開いたり、役所や郵便局、学校などで働きながら生計を立てている者と、林業で生計を立てる者とが多かった。
昼間はのどかな山と田畑の風景であるが、夜になると所々にある街灯が唯一の明かりとなり、外を出歩く人は当然ながらほとんどいない。
そんな所なので、昔から狐に騙されたとか、狐火を見たとか狐にまつわるいろんな話が実しやかにささやかれ、伝わっていた。
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私が5歳の頃だったと思う。
自宅のまん前の道路を隔てた向かい側に、赤い鳥居が立っていた。
そこから人がぎりぎりすれ違えるくらいの幅の急な石の階段が40段ほど続いている。
上に行くと石の階段は少し崩れているところもあり、そこは丸太で補強されていた。
上がった先には小さなお稲荷さんのお社があり、最低でも月に一回は親や、祖母に連れられてお参りしていた。
祖母の家が石材店を営んでいることもあり、商売繁盛を祈願するために油揚げをお供えしたり、
鈴につける鈴緒を奉納したりしていたのだが、子どもの目から見ても、そこは大切な神聖な場所であると感じていた。
ただ、ここにお祀りされているのは狐だと大人たちは言うのだが、自分はその姿を見たことがない。
(本当にいるの?いるんだったら見てみたい。)
そう思って、お社の中を覗こうとしたら
「そこは覗いてはだめだ!!」
と親や祖母から叱られた。
年に一回のお祭りに日には、お社の扉が開かれるのだが、そこには狐の像があるだけで本物の狐はいない。
それでも、大人たちは本当に狐がいると言う。
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お社のある場所は、こんもりとした杉林に囲まれており、外からは見ることはできない。
お社の場所から上を見上げると、空はとても小さく見えた。
昼間でも薄暗く、ひんやりとしたその場所は、子どもが一人で行くには怖い場所だと一般的には思われるかもしれない。
でも、私は全く怖いと思ったことはなく、10歳くらいになった頃には、親や祖母と出かける以外でも、ちょくちょくその場所に遊びに行っていた。
お社に着くまでの間、子どもの足では少し休憩を入れないと大変で、階段の途中足を止めると、所々間伐された杉の間から町が見下ろせるのが、何とも気分が良かった。
またお社に着くと、ひんやりとした空気が心地良くて落ち着く、大好きな場所であった。
そしてもう一つ、私には以前からどうしてもやってみたいことがあった。
それは今まで何度か試みてみたが、その度に
「そこは覗いてはだめだ!!」
と叱られて断念していた、お社の中の狐を覗くこと。
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一人で来ることができるようになったので
(今日こそはやってやる。)
と心に決めてお社へやって来た。
お社に着いた時、ふと誰かに見られているような気がしたが「見たい」「確かめたい」ことで気持ちがいっぱいで、すぐそれは意識の外になっていった。
何度も覗いてはだめだと言われ続けているせいか、子供心にも正面切ってお社の中を覗くことは憚られたので、左端からそっと覗いてみた。
(ドキドキドキドキ・・・・)
格子となっているお社の扉の中は暗く、目が慣れるまで少し時間がかかったが、ようやく中にあるものの輪郭がわかるようになった、その時
(あっ!・・・・)
(あ、あ~あ・・・)
私の目に見えてきたものは、やはり小さい頃に見た狐の像だった。
(なんだ、やっぱり狐いないじゃん)
がっかりしてお社の扉から離れた時、急にサワサワと風が巻き起こったような音がした。
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えっ?とそっちに目を向けると、お社の周りの杉木立の真ん中くらいの高さの所を、30センチくらいの幅で右から左へ向かい、まるで杉の木の間を何かが通り抜けているかのように枝葉を揺らしていくのが見えた。
何かが過ぎ去り、再びお社の周りに静寂が戻った後も、私は暫く立ち尽くしていたが、私の中には大きな変化が起こっていた。
それまで、狐の存在を確かめたかったばかりにこのお社に通い、怖いもの知らずで今日までいたが、何か畏れるべき存在が確かにあることを感じていた。
それからしばらく、私は一人でそのお社に来ることはなかった。
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中学生の夏休みのある日。
父親は健康のため、出勤前に近くの山を散歩するのを日課にしていた。
いつも7:00頃でかけて、決まったコースを小一時間かけて戻ってきていたが、その日は8:10を過ぎても帰って来ない。
8:30が出勤時間なのに、どうしたかと外へ出てみたが姿はまだ見えない。
ようやく8:20頃帰ってきたが、父は大汗をかき
「いやぁ~、狐に馬鹿にされちゃったぁ」
と言って、急いで出勤してしまった。
私は、その言葉が気になって、気になって父の帰宅を待ち、帰ってきたとたんに
「朝、何があったの?」「どうして遅くなったの?」「狐に馬鹿にされるってどういうこと?」
と畳み掛けるように質問した。
「実は、いつもの道を歩いていたはずだったんだが、何度も同じ場所に戻っていたんだよ。」
「同じ場所?」
「そう。その場所の木の枝に持っていたタオルを結んで、もう一度歩いたら、やっぱりタオルのある場所に戻ってきたから、今度は試しに別の方向にも歩いてみたんだが、やっぱりタオルを結んだ所に戻ってきたんだよ。」
「ええ~?うそぉ~?」
「時計を見たらもう8:00を回ってるし、焦ったよ。何年も歩き慣れてたはずの道なのに、おかしいなあ、いや待てよ、とその時思ったんだよ。」
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「何?何?」
「俺やられたなぁ、と思ったからそこに腰かけて一服したんだよ。」
「一服って?」
「ちょうど、たばこを持ってきたのを思い出したから、眉に唾付けて、たばこに火を点けた。」
「うんうん。」
「狐はたばこの煙を嫌うんだよ。だから、たばこに火を点けたのをわざと狐に見せるようにして・・・勘なんだが、何となくこっちの方にいそうだと思う方向にふぅ~っと煙を吐いて一呼吸おいてみたんだよ。そうしたら、今まで林に見えてたものが道に見えるようになって、もう一度歩き始めたら山道から出ることができたんだよ。」
「たばこ、持ってて良かったね。」
「そうだな。」
狐に馬鹿にされるという話は昔話の中だけのことかと思っていたが、目の前の身近な存在である父が体験したということに、驚きと自然への畏怖の思いを新たにした。
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高校2年生の冬、友達の家に遊びに行って遅くなったので、車で父が迎えに来たその帰り道のこと。
もう少しで家に着くというあたりの、細いカーブに差し掛かった時、父も私もカーブの向こうの木立の間から、車のライトが見えた気がした。
「向こうから車が来たよな。止まって待ってた方がいいよな。」
「うん、そうだね。」
カーブの上に道が細いため、車がそこではすれ違えない。
父は車のライトを消し、対向車が来るのを待つことにした。
山道の中なので、ライトを消すとあたりは闇。
約2分くらい経ったころだろうか、なかなか現れない対向車に父は
「なかなか、来ないなあ。もう行ってみるか。」
「でも、向こうもひょっとしたら待ってるかもしれないじゃん。」
「そっか、じゃあもうちょっと待ってみるか。」
と、さらに2分くらい待ってみた。
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そろそろ闇にも目が慣れてきた頃、
「やっぱり、来ないなあ。車、まさか落ちたんじゃないだろうなあ?」
父は待ちきれずライトを点け、ゆっくりと車を発進させた。
発進させてカーブを曲がり、その先の道路を見てもどこにも車の姿は見えない。
「いないなあ。お前、そっちから車が落ちてないか見てみろ。」
「う、うん。」
助手席の私から下を見ると、50~60センチくらいの深さの土手となっていて、木々が生えている根っこもよく見えるくらい。
当然車が落ちていたとしても、見逃すわけがない。脇道もない。
車が来ていたはずの道を通り過ぎてしまった。
「確かに、来てたよな!」
「うんうん、来てた!」
「んじゃ、何で車ないんだろう?」
「う~ん、何でかなあ?」
何とも釈然としないまま、父と私は無言のまま家に戻った。
帰るや否や、私は母にさっきあったことを報告した。
「ほう~、そんなことがあったの。」
夜も遅くなっていたため、その日はそのまま寝ることにした。
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翌日、起きるとすぐ、私は自分の体の異変に気が付いた。
左目の下が、絶えずピクピクと痙攣しているのだ。
あまりに気持ちが悪いので、母にそれを相談すると
「おや、狐に騙されると、そうなると昔から言われてるけどね~」
「!!」
なるほど、昨夜の不思議な出来事は狐の仕業かと思い当たった。
「豊叔父さんも、そこで明かりがいくつも点滅していて、まるで提灯が移動しているようだったって。あれは、狐の嫁入りだったのかなあと言ってたわよ。」
「!!!」
ますます、狐に馬鹿にされたのを確信した。
左目の下の痙攣は、すぐに治るものと思っていたが、一日過ぎても全く変わらないため、翌日病院を受診した。
医師は
「自律神経だね、安定剤を出すけど、眠くなる成分が入っているから、授業中は寝ないように注意してね。」
と私に説明した。
私は医師の処方どおり、その安定剤を服用したところ、4~5日で痙攣は治まった。
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私は結婚し、娘が生まれた。
娘が中学1年生になった冬のある日、実家で一日を過ごし、娘を連れて車で自宅へと向かっていた。
あたりはすっかり闇の中。
自分が高校生の時に父と不思議な体験した場所に差し掛かった時、山の中腹に白熱灯のような丸い灯りがはっきりと見えた。
「あれ?あの灯り見て。」
と私が娘に話しかけると
「うん?」
と眠そうな目をこすり、娘は私の指差す方向を見た。
「灯りがどうしたの?」
「あんな所に、家があったかしら?」
「そうなんじゃない?」
娘は、だからどうしたのという表情をして、再び寝る体制を整えた。
翌日、私は確認のために昼間、その場所を訪れた。
「やっぱりね。」
私が思った通り、その灯りが見えた場所には家どころか、山の斜面で木が鬱蒼と茂っていた。
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そして今、私は起業し忙しい毎日を過ごしている。
商売繁盛の祈願を毎年お稲荷様にしている。
ある日の夢の中、稲荷神社の拝殿に私は座っていた。
起業して10年、どうにかこの商売を続けてこれたことへの感謝を感じながら祈っている。
私の傍らには真っ白な狐が時折くわぁ~っとあくびをしたり、毛づくろいをしながら座ったり、寝そべったりして寛いでいる。
この狐が、今の私に力を貸してくれているということは理屈でなく確信がある。
幼かったあの日、私に杉木立で見せてくれた狐が手繰り寄せてくれた縁なのだと。
作者猫丸三歩
現代社会ではそんな馬鹿なと、一笑に伏されてしまいそうな題材ですが、実際の体験談を元に書きました。
自然への畏敬の念を忘れないようにしたいと思います。