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もう何年前になるかなぁ。まだ日本がバブルで浮ついとる時代やった。
私もまだ修行の身でね、京都のあるお寺でお世話してもろとったんや。
そこの住職は名の知れた人でな、遠方から住職求めて御祓いしてくれ言うて来る人もようけおったんや。
…あら梅雨の時期やったか、朝から雨が降るでもなく止むでもなく、すっきりせえへん日和でな、
突然がやがやと見た目のいかつい人らが寺へなだれ込んでくるのが遠目から見えたんや。
一目で堅気の人間やないとわかったからな、こら只事やない言うて慌てて住職呼んできて。
十人からおったんちゃうかなぁ。その中の一人がえらい畏まって言うたんやわ。
「こんな大勢で押しかけてきてしもて、えらいすんません。叔父貴を助けてください」て。
事前に連絡があったんか、住職もわかってたみたいにうんうん言うて招き入れてな、私もそろそろついて行った。
広間では叔父貴いうて呼ばれとった背の高い男が中央に座らされて、その後ろで連れの連中がびしっと並んで座ってな。
私は御祓いの場に居合わせることなかったもんやから、そのまま広間から離れて些事にかまけとった。
ほんでしばらくしたら急に広間の方がざわざわし始めてな、行ってみたら、なんや揉み合いになっとったんや。
「やっぱりいらんちゅうとんじゃ。俺は帰る」言うて、叔父貴…名前をクガヤマいうねけど、クガヤマさんが暴れとった。
「叔父貴、もうここまで来たんですから」て、舎弟が押さえつけて…私らあたふたしながら見てるだけや。
住職も住職で「本人がいらんいうてんねんからそっとしとけ」てな冷たいこと言うてな、いったん寺の外へ追い出したんや。
そんとき一人の若い舎弟の子に話訊いたら、クガヤマさんはもう半年ほど身体崩しとったそうでな。
針や推拿に薬膳、色々やっても良うならんから病院へ行ったらそこでも施しようない言われて、いよいよ万策尽きたんやと。
こらもう悪霊の仕業とちゃうかってなことを冗談半分で言うてみたら、思いのほかクガヤマさんが慌てたそうでな。
口では「極道モンが、弾きは怖ない、わしゃお化けが怖いて、冗談でも笑えるかいな」ちゅうて虚勢張っとったらしいけど、
夜んなるとがたがた震えだしたり奇声上げたり、こらもうあかんて周りの人間が無理からここへ連れてきたみたいなんやわ。
寺の外へ出てもまだ喧しいしとって、御祓いしましょ、いやいらん、て押し問答でな。
私らとしてもやくざにいつまでも屯されたらかなわん。住職が出てきて、「はよ居んでくれ」言うて。
「でも叔父貴にはなんか憑いとるんでしょ?」て誰かが訊いたら、住職も「ああ間違いなく憑いとる」て言うもんやからな、
ほらやっぱりちゅうて舎弟たちはクガヤマさんを寺へ押し返そうとしてな、祓いましょ祓いましょ言いながら。
見かねた住職がクガヤマさんに近づいて身体に触れようとしたら、突然や、クガヤマさんがえらい剣幕で吼えたんや。
「祓うな!」
…その一喝でみんな固まってしもた。目ぇひん剥いて、もう人間の形相やあらへん。
そしたらあああああああああああああちゅうて大声上げて、こらとんでもないモンが憑いとるんやて私も腰抜けるか思たわ。
そやけど住職はクガヤマさんの肩をしっかり掴んでな、真っ直ぐ目ぇ見て言うたんや。
「クガヤマさん、わしは他人の渡世に口出しせん。ただわしとあんたではおんなじ人でも生きとる世界は天地ほど違う。
あんたらの世界の掟やら信条みたいなもんは、一歩でも寺へ入ったらすべて捨てなはれ。…わしが言うとることわかるな?
せやから祓う祓わんは抜きにして、それでもどうにかしたいんやったら一人の真人間としてわしについて来なさい」
それ聞いてクガヤマさん、なんや腑抜けたような顔になってな。他の者みんな外に残して、住職に寺へ連れて行かれた。
それからどれぐらいしたやろか、もう日ぃも暮れかけたころに、目ぇ真っ赤に泣き腫らしたクガヤマさんがとぼとぼ出てきた。
「ほな帰ろか」言うて、まだなんとなく警戒しとる舎弟たち引き連れて帰って行った。
…その晩、私は住職捜して「ほんで、無事に祓ろたんですか?」て訊いたら一言「いんや、よう祓わん」て。
こらよっぽどのことや思て、普段は私も深入りせんねけど、どういうことか詳しく教えてくださいて頼んだんや。
住職は、「わしにはようわからん世界やわ」て前置きして、全部話してくれはった。
クガヤマさんはある地域じゃたいそう幅利かせとる極道の幹部やねんけどな、
イノウエさんちゅう相棒がおって、まあこの人がえらい向こう見ずちゅうかとんでもない放胆で、
若い頃から遮二無二働いて、上のモンが使えんと見ると引き摺り下ろしてでも出世したような人らしいわ。
その背中を追いかけるようにして、クガヤマさんも一緒に成り上がっていったんやと。
二人は実の兄弟と変わらんような間柄で、イノウエさん無しにはクガヤマさんも今の地位まで来れんかった。
…先に言うてしまうと、クガヤマさんに憑いとったんは、このイノウエさんの怨霊なんや。
ただイノウエさんが亡くなった経緯っちゅうのが、少々ややこしい話で…。
なんでも会長さんがバブルに乗じて見境無く投資してたんやけど、それが大はずれで組にとんでもない損失出してな。
背に腹は変えられんちゅうことで、先代が死ぬ思いで守ってきた大事なシマを他の組にやすやす譲ってしもたんやて。
ただいっぺん弱み見せたらもう止まらん。余所がデカイ顔して自分らとこのシノギに注文つけてくるようになってな、
自信失うたんか単に歳なんか、それから会長は何するにしても後手後手。昔のような威勢がのうなってしもた。
そら恩もあるし慕っとるけど、このままこの会長に居座られたらどうにもならんいうことで、イノウエさんは腹括った。
会長に席譲ってもらお思て、直談判に行ったんや。
クガヤマさんもイノウエさんに賛同して、推薦人みたいな形で同席したらしいんやけどな、
会長も引導渡されんの待ってたみたいで、イノウエさんの話をそうかそうか言うてさっぱりした顔してたんやて。
クガヤマさんは事務所のドアの傍に立って、二人が並んで話しながら奥のテーブルまで歩いていくのを見てた。
そしたらな、会長がイノウエさんに見えんようにして、こっそり拳銃取り出してな、わき腹へ銃口向けよった。
クガヤマさんはとっさに自分の拳銃抜いて、おいイノウエ!て叫んで注意したんやけど、そのときには銃声が鳴っとった。
クガヤマさんはな、会長を撃つつもりで拳銃向けたんや。せやけど一瞬躊躇って撃たれへんかった。その前にイノウエさんが撃たれてしもた。
拳銃構えたまま突っ立ってたら、イノウエさんが崩れ落ちながらクガヤマさんの方振り返ってな、信じられへん、みたいな顔してそのまま逝った。
それ見てクガヤマさんも気がついた。どうやら誤解されとると。
会長は自分に拳銃向けとるクガヤマさんをどやしてな、わしを殺してこの組背負ていけるタマやないやろ、早よ銃下ろせ、言うて。
それでクガヤマさん、結局は会長を撃つことなく、今も会長の下でそれまで通りやっとるらしいわ。
ただイノウエさんが死んでしもた今、クガヤマさんが実質組の二番手の地位に出世した。
…会長はな、他の組からも一目置かれとるイノウエさんを、はじめっから警戒しとったんや。
仕事は誰よりもできるからな、利用するだけ利用して、いよいよ自分が食われそうになったら殺す算段やった。
それに対してクガヤマさんのことを脅威とは微塵も思てなかった。クガヤマは所詮、イノウエの金魚の糞や、言うて。
せやから会長はクガヤマさんの相棒であるイノウエさんを殺した上に、一時は自分に銃向けたクガヤマさんを平気な顔して出世させた。
クガヤマさんにしたらこんな屈辱あらへんわなぁ。…せやけど結局は会長の言うとおりや。
イノウエさんとは違て、クガヤマさんは強いモンにへえへえ言うて聞き分けよぉ付いていくだけの男やった。
……
イノウエさんを殺したんはクガヤマさんやないねんから、謂われない恨みを背負う必要あらへん。
しっかり誤解を解いて、これ以上クガヤマさんを苦しめんように祓ってしもたらええ。
せやのにクガヤマさんは、全部話し終えてから我に返って、なんや急に後悔したみたいでな、「わしからイノウエを祓うな」ちゅうて聞かんのやて。
「あのとき会長を撃たんかったんは、怖気づいたからやない、イノウエが死んでええ気味や」てなことこの期に及んで言い出して。
そっからは私らにはわからん理屈や。
「わしがお前の屍越えて出世していくのを、どんな顔して見とるんや。さぞ悔しいやろなぁ。
お前みたいなもん死んだかてなぁ、わしにはなんも関係あらへん。誰が金魚の糞じゃ。聞いとんのかイノウエ。
わしはお前を祓わせへんど。そこでずっと見とれよ、聞いとんねやろイノウエ。しょうもない死に方しくさってこのボケ…」
…大の大人が、おうおう声上げて泣いてな。住職に掴みかかって、祓うな、祓うな、ちゅうて。
……
そこまで聞いて、私は住職がクガヤマさんを連れて行くときに、あんたらの掟や信条を捨てろ、ちゅうてた意味がなんとなしに理解できた。
クガヤマさんはイノウエさんに誤解されて取り憑かれとることを知った上で、誰にも言わんと、敢えてそのままにしとった。
私にはようわからんけど、古臭い任侠みたいなもんやろか、それがあの人なりの正しい道やったんやろなぁ。
…それはいいとして、せやからいうて住職がイノウエさんの怨霊を「よう祓わん」ちゅうたんはなんでやと思て、それ尋ねたら住職こう言わはった。
「クガヤマさん、みんな吐いてしもて、後からやいやい言うたかてもう遅いわ。
だいたいあんなもん祓えるかいな…今日からあれは守護霊やねから」
作者たらちねの
こういうのもいいかなと思ったので。