これは学校の七不思議の一つです…
「廃校…?うちらの学校が?」
高校からの帰り道。私はアイスを片手に驚きの声を上げた。私達が通っていた小学校が、ついこの間廃校になったという噂を聞いたからだ。
「まぁ、分かるけどね~」
「ボロかったもん」
加織と利歩が揃って頷く。確かにそうだ。あの小学校は築60年と言われており、今時珍しく木造だった。というより、長いこと建て替えをしておらず、ほぼ建築当初のままなのだ。
「おせーぞ、愛美!早くアイス寄越せよ」
「あ、嗚呼…。ごめん」
私はベンチに腰掛ける玖美にアイスを手渡した。玖美に買ってこいと命じられていたのだ。
「今から行こうよ、小学校!」
アイスを食べながら、玖美が唐突にそんな提案をした。玖美はいつもそう。思い立ったら後先を考えずに行動するタイプなのだ。
「いや…」
「もう暗いし…」
加織と利歩がやんわり牽制するも、玖美は引かなかった。
「いいじゃん!肝試しだって!…何?文句ある?」
ギロリと睨まれ、2人は慌てて首を振った。玖美を怒らせると後々大変だということを熟知しているからだ。勿論、この私も知っている。
玖美に逆らうということは、教室から自分の居場所がなくなることなのだ。
「でしょっ!決まりっ!」
玖美は上機嫌になって笑いながら、先陣を切って歩き出す。私達は気乗りしないまま、仕方なく玖美の後に続いた。
ーーーでも……
小学校だけには来てはいけないと……
気付くべきだった……
辺りはすっかり日が暮れかけていて、黄昏時というに相応しい時間帯だった。
薄い闇の中、黒々と聳え立つ木造3階建ての校舎は、あちらこちらが傷んでおり、蔦が壁に生い茂り、不気味な風格を醸し出している。
「なっ…中に入るの?」
恐る恐る玖美に尋ねると「当たり前でしょ」とぶっきらぼうに言われてしまった。幾ら慣れ親しんだ校舎とはいえ、こんな時間に足を踏み入れるのは気が進まない。それに廃校になったとはいえ、勝手に入ったらは不法侵入になるのではないだろうか。
「!?」
その時、2階の窓に人影らしいものがスッと歩いているのが見えた。
「いっ…今!窓っ…!」
「うるっさいな、行くよ!」
玖美は本気で中に入る様子だ。まさか中に入ることまでを想像していなかった加織と利歩も、不安そうに校舎を見上げた。
「ホントに入るの…?」
「マジかよ…」
沈んだ声で言い合いながらも、2人はか玖美のあとに続いて歩いていく。私も慌てて3人のあとを追った。
昇降口の扉を開け、中に入る。キィィィィ…と軋む音が嫌に耳に付いた。
中の空気は外とは打って変わったようにヒヤリと冷たく、また湿っぽい感じがした。
廃校になってからは手入れがされていないらしく、床には埃が舞い落ち、壁は煤けている。
「もう充分でしょ?出ようよ」
おろおろしながら玖美に話し掛ける。だが玖美はまだまだ校舎内を散策したいらしく、不機嫌な顔になった。
「何でよ。来たばっかじゃん」
「だってここは…『マリ』のことがあった場所だよ…?」
『マリ』と聞いた途端、加織と利歩はギクリと肩を震わせた。
思い出したくもない、あの忌まわしい事件ーーー記憶の隅に追いやった筈の記憶が、ゆるゆると思い起こされていく…。
「ねっ?だから帰ろう?お願いだから…」
「ったく…。さっきからウザい奴だな!いつまで昔のこと気にしてんの?」
「だって…」
「ーーーそうだ。だったら『鬼ごっこ』してみようじゃん。スリル満点の肝試しになるよ」
鬼 ご っ こ……?
「洒落にならないって、それ…!」
「ヤバいよ、止めようよ…」
加織と利歩も流石に玖美を止めた。この学校で、このメンバーで、しかも『鬼ごっこ』をやるなんて……。幾ら玖美の提案とはいえ、それだけは出来ない。
『マリ』のこともあるのだし……。
「いいからやるんだよ!分かった!?」
玖美が声を荒げ、廊下の隅に置かれた机をガツンと蹴り飛ばす。その迫力に私達は了承せざるを得なかった。
「鬼は愛美な!」
「えっ…!」
「あんたのせいで盛り下がったんでしょ!」
「はっ、はい…」
「10数えたら追ってきていいから。んじゃね~、鬼さん♡」
アハハと笑いながら玖美は廊下を駆け出す。加織はそのすぐあとを追い、利歩は「頑張ってね」と苦笑いしながら走っていった。
1人残された私は、壁に額を付け数を数え出した。
「いーち、にーい、さーん、しーい、ごーお、ろーく……」
暗い廊下を自分の声が反芻していく。湿っぽい空気がジトリと肌に絡みつき、背筋が寒くなってきた。
「もう駄目…!耐えられない!」
帰ってしまおうか。でも勝手に帰ったら、玖美が怒るだろうし…。どうしよう…
「そうだ、お腹痛いとか言って…」
仮病を使うのは狡い手だと思ったが、もう構っていられない。私は鞄から携帯を取り出すと、玖美にメールを送ろうとボタンを押した。
タタタタタ…ッ
背後から聞こえる足音に、ビクリとして振り返る。
そこには息を弾ませた利歩が立っていた。
「利歩!脅かさないでよ~」
「それはこっちの台詞だよ。だって、愛美は私を後ろから追い掛けてたのに、いつの間に先回りしてここに来てたの?」
「わっ、私、利歩のこと追い掛けてないよ?」
「えっ…?嘘、そんなはず…」
狼狽える利歩の背後から、やはり息を弾ませた人物がひょこっと現れた。加織だ。
「加織!」
「あれっ、おかしいな…」
加織は不思議そうな顔をして、私を見る。
「向かいの校舎から人影が見えたから、こっちに来たんだけど、あの影、愛美じゃなかったの?」
「違うよ!私、全然動いてないもん!」
私達は互いに青ざめた顔を見合わせた。
利歩を追い掛けてきた人物…
加織がま見たという人影…
嫌な胸騒ぎが脳裏を掠めた。
「これって、やっぱり…」
「玖美を呼んで、もう帰ろう…」
玖美を電話で呼び出し、私達は廊下の隅に固まってこれまでの経緯を話し終えた。
「追い掛けられた…?」
「私も人影みたいなの見た…!」
「ホントなんだって!ここ…、やっぱりいるんだよ!私達4人以外にーーー」
5 人 目 が 。
利歩の言葉に、一瞬その場は静まり返った。だが、果敢にも玖美はそんな利歩に食って掛かった。
「馬鹿じゃないの?誰だよ、その5人目って…」
「『マリ』だよ…」
利歩の顔は暗闇でもハッキリ分かるほど、血の気が失せて真っ白だった。恐怖のためか、声が変な風に上擦っている。
「マ リ の 霊 だ よ 」
ーーーそれは遡ること6年前……
私達が小学5年生だった頃……
玖美と加織、利歩と私はいつも4人でつるんでいた。仲が良かったというより、女王様気質の玖美につき従っていた、という表現の方が正しいかもしれない。その関係は、まるっきり今と同じだ。
玖美は気が強く、苛めっ子だった。玖美がいつも目を付けていたのは、『マリ』というグラスでも大人しめの女の子だった。
主犯となっていたのは玖美だったが、加織や利歩も玖美に命令されるがまま、マリを苛めていた。
私は直接は手を下さなかったけれど…。玖美が怖くて知らないフリをしているだけだった。
見て見ぬフリをしていた。
ずっとずっと……
あの日ーーー放課後になると、マリが涙ながらに玖美に訴えにきた。苛められていることを、ひたすら隠して耐えてきたマリだったが、ついに限界を迎えたようだ。
「お願い!もう止めて!」
涙をポロポロ零しながら訴えかけるマリの姿に、私と加織、そして利歩は怯んだ。マリに対する罪悪感も加わり、気まずく黙っていると、玖美がこんなことを言い出した。
「じゃあ、こうしよう。鬼ごっこするの。マリが鬼になって、全員捕まえることが出来たら、もう苛めないよ」
「ホント?約束よ!」
それまで泣き顔だったマリの表情がパッと明るくなる。マリは嬉しそうにしていたが、私は何だか素直に喜べなかった。
「愛美」
すれ違い様、玖美が私の耳元で囁く。
「…すぐ捕まるんじゃねーぞ」
その言葉が何を意味するのか、私には瞬時に悟った。事を穏便に済まそうなんて、考えが甘かったのだ。
鬼ごっこはすぐさま開始され、私達は校舎内を逃げ回った。校舎は意外と広く、おまけに3階建てである。隠れようと思えば隠れる場所などたくさんあったし、そもそもマリはあまり足が速い方ではない、
当時のマリが私達4人を捕まえられる可能性は零に等しいものだったのだ。
それでもマリは必死だった。息を切らせ、足をもつれさせながらも一生懸命走って、私達を捕まえようと躍起になっていた。
マリに見つかったのは、私が1階の踊場で足を止めた時である。呼吸を整えるため、休憩していると、必死な表情のマリがいつの間にか階段の下まで来ていたのである。
「愛美!」
マリの声にハッとする。マリはもう階段を半分ほど上がってきていた。私は踵を返し、上の階へと走った。
「逃げないで!私、もう苛められたくないの…」
泣き出しそうなマリの声を背中に受けた。
可哀想な気もしたが、私は自分自身のことで頭が一杯だった。
ごめん…
私も捕まるわけにはいかない…
すぐ捕まれば…
次 は 私 が 苛 め ら れ る!!
走って走って、2階の踊場まで来た時だった。マリの足音がパタリと止み、その姿さえも見えなくなっていたからである。
「マリ…?」
追ってこないマリを心配し、そろそろと様子を見に行った。
マリはーーーいた。
階段の下で俯せに倒れていた。
夥しい血が流れ、マリはピクリとも動かなかった。
慌てて階段を上がっていく際に、足を踏み外して落ちてしまったらしい。
私の喉からは、つんざくような高い悲鳴が上がった……
「馬鹿言うな!霊なんかいるか!」
それまで押し黙っていた玖美が声を荒げる。しかし、利歩は切羽詰まったように喚き出した。
「でも私達…マリに怨まれても仕方ないことした…!もしかしてマリはまだ鬼ごっこを続けてるんじゃない?きっと今も、私達を捕まえる気でーーー」
ヒタヒタヒタ……
利歩の声を遮るように、小さな足音が近付いてきた。まるで忍び足をしているかのような、こちらにその存在を知られまいとしているかのような……そんな足音だった。
ハッとして私達は廊下の奥に目を向ける。足音は確かにそちらから聞こえてきたのだ。
「誰だよ…」
玖美が震える声で呼び掛ける。
「誰だ!!出てこい!」
ヒタ…ヒタヒタヒタ…ヒタ
「見 つ け た……」
あどけない女の子の声が聞こえたかと思うと、廊下の奥からゆらりと影が伸びた。ツインテールの毛先を揺れているのが分かる。マリのチャームポイントとも言える髪型だった。
キャアアアアアアアアア……
誰が叫んだ悲鳴か分からない。しかし、その声を合図に私達はその場から走った。
「いった…」
鈍い私は躓き、その場に倒れ込んでしまった。痛がる余裕もなく立ち上がると、3人の後ろ姿が遥か遠くなっていくところだった。
「待って……!」
※※※※※
玖美は立ち止まって後ろを振り向いた。今し方まで一緒にいた筈の3人の姿が見えない。
「クソ…。あいつら、どこ行った?」
いつもは威張り散らしている玖美だったが、1人になると急に心細くなってきた。いつだって強気でいられるのも、加織や利歩、そして愛美といった仲間がいるからこその虚勢なのだ。
辺りを見渡すが、誰もいない。暗い廊下に1人ポツンと佇む自分がいるだけだ。
玖美はポケットから携帯を取り出すと、加織に電話を掛けた。
プルル…プルル…
数回のコール音の後、相手が出た。
「もしもし…」
「あっ、加織?」
ホッとして友の名を呼ぶ。しかし、電話口から聞こえてきたのは、あどけない少女のものだった。
「捕 ま え た」
玖美の手からカシャンと携帯が滑り落ちる…。
※※※※※
「嘘ー、はぐれた?」
加織は唸った。確か、玖美のあとを追い掛けてきたはずだったのに。いつの間にかはぐれてしまったようだ。
必加織は今、階段の踊場にいた。ふと耳を済ますと、ギシギシと階段を踏み鳴らす音がする。
「誰!?」
ギシ…ッ…ギシギシ…ギシ……
「く、玖美…?」
返事はない。足音はゆっくり近付いてくる。
「…利歩?愛美…?」
声が震えているのが自分でも分かる。笑いたくなんてないのに、口元の筋肉がピクピク痙攣し、口角が吊り上がった。
ギシ……パキッ……
「そんなっ…」
※※※※※
人一倍臆病な利歩は、半泣き状態だった。
「皆…どこ…?」
教室が並ぶ廊下を歩きながら、利歩はキョロキョロと辺りを見回した。だが、見知った友人達からの応答はない。
「もう1人はいやーっ!」
「利歩…」
すぐ近くの教室から細い声が自分を呼んだ。ふと見やると、扉から白い手が覗いており、手招きをしている。どことなく愛美である気がした。
「愛美…?良かった!もう離れないでね」
ガラリと教室の中に入る。中には乱雑に置かれたままの机と椅子で散らかっており、人影は見当たらない。
「あれ…?」
その時、利歩は後ろに誰かが立っている気配を感じた。
※※※※※
どこをどう走ったかなんて覚えていない。階段を上がったり下がったり、廊下を全力疾走したりを繰り返し、漸く私は昇降口に辿り着いた。
乱暴に扉を開け、外に出る。後ろを見るが、誰も追い掛けてはこないようだ。
「やった…。私、逃げ切ったんだ…」
ハーッと息をついた。こんなに走ったのはいつぶりのことだろう。まだ心臓の鼓動が治まりきらない。
一呼吸置いて顔を上げる。そういえば、玖美達はどうしたのだろう。まさかまだ校舎の中にいるのだろうか……。
そこまで考えたが、被りを振った。運動音痴の私がこうして逃げられたのだ。玖美達は私よりずっと運動が出来るし、きっともう逃げ切ったのだろう。
そしてそのまま、家に帰ったのだ。きっとそうだ。
皆はきっと大丈夫……。
大丈夫だよね……
私は何となく後ろ髪を引かれながらも、家路についた。
家に帰ると、両親はいなかった。テーブルの上には「2人で出掛けてきます」というメモが乗っていた。
やれやれ、仲がよろしいこと。そんなことを思いつつ、私はソファーに寝そべった。
プルル…プルル…プルル…プルル…
電話のコール音にハッとして目が覚める。どうやらうたた寝をしてしまったようだ。
眠い目を擦り擦り、電話を取った。
「…ハイ?」
「あっ、光森さん?担任の笹山だけど。遅くにごめんなさいね」
電話を掛けてきたのは、クラス担任の笹山先生だった。普段はおっとりした先生の、妙に固く強張った声に、私も不安を煽られていく。
「どうかしたんですか」
先生は「ちょっと言いにくいんだけど」と前置きをして話始めた。
「さっき、警察から電話があって……、仙田さんと中越さんと野々村さんが亡くなったそうよ……」
仙田玖美。中越加織。野々村利歩。
3人がーーー亡くなった……?
「なっ…、なん…で…?」
「閉鎖された小学校の階段下で遺体が見つかったそうよ……。3人とも足を踏み外して落ちてしまったらしくて……」
先生の声はだんだんと涙声に変わっていった。
「光森さんは仙田さん達と仲が良かったでしょう?どうして閉鎖された小学校に行ったかなんて聞いていないかしら」
「いいえ…。知りません」
唇が乾いていく。煩いくらいに高鳴る心臓を押さえつけ、なるべく平成を装って答えた。先生もそれ以上は追求してこず、どちらからともなく電話は切られた。
マリがやったの…?
玖美も加織も利歩も、マリに捕まってしまった……?
「ーーー私も…」
あのまま、校舎に残って鬼ごっこを続けていたら。3人と同じ目に遭っていたんだろうかーーー
「良かった…逃げられて…」
あ市の力が抜け、へたりと座り込んだ。3人の死を悼むよりまず、自分の身の安全を知って安堵した。
ヘタすれば、私だって死んでいたのだ。
すると、玄関の扉がカチャリと開いた。私は両親が帰ってきたと思い、嬉しくなって出迎えにいった。
「もーっ、留守番させるなんて酷いよー。ずーっと待ってたんだからーっ。おかえりなさいっ」
「捕 ま え に き た よ……」
ーーーマリが鬼になって
『全員』捕まえることが出来たら
もう苛めないよ……
作者まめのすけ。