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僕は幼少から運動音痴だったし、これはもう遺伝的な問題だと割り切っていた。
だけど人生一度きりの青春をサッカーに賭けてみたかった。
別に三年間ずっと補欠だっていい。一生懸命取り組むことに意味がある。
ところが、端無くも苛烈な現実を僕は受け入れられずにいた。
僕も馬鹿ではない。先輩の厳しさは愛情の裏返しであり、いくらつらいからと言ってこれを愚痴るのはナンセンスと知っている。
腹筋腕立て10×10セット?上等です。鏡に映る魅惑の肉体が、すでに僕には見えていますよ。
外周三週?ありがとうございます。散歩待ちの犬ってこういう気分なんですね。
そういうことなら喜んでやってみせましょう。でも先輩、あれだけはやめて下さい。
オバケ部屋監禁の刑だけは。
設立から一度たりとも公式戦で勝利を挙げることなく遠い昔に廃部になったというバドミントン部。
そして今もなおバドミントン部の標識を掲げたまま空き部屋となり、「出る」と噂の部室。…それがオバケ部屋。
そこでの監禁は我がサッカー部において最大の罰。ヘタをすると問答無用で放り込まれる。
僕は刑を受けるたび、もう二度とヘマはしないと誓っていた。
しかしあの日、僕はまたしてもしくじった。
お茶を六本買ってくる。教えりゃ猿でもこなせることが僕にはなぜか出来なかった。
先輩からまた九百円の小銭を預かり、僕は次こそはと息巻いて自販機へ走った。
校門を出て五十メートルも走ればサントリーの自販機がある。
僕は小銭を一枚ずつ慎重に投入口に滑り込ませる。
焦ってはいけない。過って指を滑らせると硬貨は真下の格子蓋をすり抜け排水路に沈んでしまう。
落ちた小銭を拾い上げるにはこの重たい鉄製の蓋を持ち上げる他ない。
僕一人の力では一ミリたりとも持ち上がらないことは、すでに以前のおつかいで証明済み。
そうなればオバケ部屋監禁の刑が言い渡されることも証明済み。
僕に抜かりはなかった。手のひらをびっしょりと濡らす汗をこまめに拭い、全ての硬貨を投げ入れた。
あとはボタンを押すのみ。最大の山を越えて僕は安堵していた。
五回目のボタンを押したときだった。…何かがおかしい。
ガシャンという激しい落下音が聞こえないのだ。…売り切れランプは点いていない。
恐る恐る取り出し口を覗く…
ひぃぃいいいいいいいいいいいい!!!
なんだ…なるほど、内部でペットボトルが詰まっている。
僕は呼吸を整えてから一本の伊右衛門を掴み、引っ張り出そうとした。
…びくともしない。互いを押し付けあうようにして数本の伊右衛門ががっちりと固定されている。
もう一度、渾身の力で引っ張る。…駄目だ。
それからどのくらい格闘しただろうか。一向に抜き出せず、このままでは埒が明かない。
…この状況で最善の策は何か。
…この自販機を見切って、自腹を切る。
先輩への報告は時期尚早。彼らに悟られないよう直ちに自分の財布を取りに帰り、チェリオの自販機へ走る…
経過時間を考慮せずとも、距離的に無謀ではある。しかし…チェリオはオール100円。
お釣りが返ってきたとなれば先輩たちはむしろ喜ぶのではないか…
そうなれば災い転じてなんとやら。やってみる価値はある…迷っている暇はない。
踵を返し走り出した瞬間、いきなり何かに激しくぶつかった。
足が縺れてふらふらよろめく女の子が目に入る…悪いと思いつつも構わずコーナーを曲がる。
すぐさま正面からトラックが飛び出してくる。肝を冷やしたが間一髪でかわす…ここから一分一秒のロスが命取りになる。
どんな障害が待ち受けていようと、今の僕を止めることはできない。
「オメエおっせーんだよ何してんだ」
前方から僕に向けられた声。ぞろぞろとこちらへ向かってくる一塊の人影。
…先輩たちだ。
…万事休す。僕はオバケ部屋監禁の刑を覚悟した。
●
懲りずにチャンスをくれた先輩にむしろ感謝しなければいけない。
僕はもはや宿敵となったサントリーの自販機と対峙し、イメージトレーニングを繰り返す。
…よし、今日こそは成し遂げてみせる。同じ轍は踏むまい。
まずは硬貨の投入。…大丈夫。ここで躓くことは二度と無いだろう。
僕は伊右衛門のボタンを押した。ガチャンという落下音。
そう、着実に一本ずつ取り出していくことを忘れてはいけない。僕は取り出し口から伊右衛門を抜き出した。
ところが…
ううううわあああああああああ!!!
僕は右手に掴んだ見たことも無いボトルを滑り落としそうになるのをやっとのことで堪えた。
グリーンDAKARA?…伊右衛門ではない。DAKARAですらない。
まさか押し間違えたか。…何かがおかしい。
もう一度だ。僕は伊右衛門のボタンを確かに押した。
…グリーンDAKARAだ。
そんなはずはない。もう一度。
…グリーンDAKARAだ。
しかしこの程度のことで震え上がってはいけない。恐れるな。これは業者のミスであって僕の責任ではない。
とはいえ僕に与えられた仕事は今回もお茶を六本買って帰ること。業者を責めたって何も解決しない。
別にお茶でなくともグリーンDAKARAで許されるのでは、という楽観に縋りかけ、すぐに打ち消す。
よしんば許されたとして、見過ごせないのは価格の罠。伊右衛門が150円であるのに対し、どういうつもりかグリーンDAKARAは130円だ。
一体なんなんだグリーンDAKARAって。気味が悪い。
ともかく現状、業者の装填ミスによりグリーンDAKARAに姿を変えた伊右衛門を三本購入したということで450円を消費している。
一本の差額はたった20円だが、万一ネコババの疑いを掛けられては罰則は必至、のみならず今後の学生生活にも影を落としかねない。
…なんにしても、やはり自腹を切ることは免れない状況だ。
勿論、今度の僕に以前のような抜かりはない。こんなこともあろうかと財布を持参している。
それはいいとして…ここからどうするべきか。
この時点で確かなことは伊右衛門を押せばグリーンDAKARAが出てくるということだけ。
伊右衛門を押してグリーンDAKARAが出るなら、翻ってグリーンDAKARAを押せば…
以前までの僕なら、そんな浅い素人考えに飛びついてまた馬鹿を見ていただろう。
仮にグリーンDAKARAを押して、普通にグリーンDAKARAが出てきてしまったときのことを想像して欲しい。
…こんな馬鹿らしいことが他にあるだろうか。いかにも起りそうだから尚更恥ずかしい。
まずもって今手にしている三本のグリーンDAKARAはお茶ではないからノーカウント。
カウントされないものは不本意であっても僕が個人的に自腹で買ったものになる。
一本ならまだいい。二本目も仕方がない。
三本目の追い討ちを堪えたところで、四本目のグリーンDAKARAに耐えられる人間はサントリーにもいまい。
よって、伊右衛門とグリーンDAKARAのボタンは選択肢から除外した方がいい。
残るはペプシNEXとCCレモン。…いくら考えたところで押してみなければ答えは出ない。
僕はペプシNEXのボタンを押した。
…ペプシNEXが出てきた。
僕は胸をなでおろした。正直不安はあったが、思惑通り四本目のグリーンDAKARAという無間地獄は免れた。
しかし、ここで肝心なことを思い出した。
我が中学で持込みが許されているのは原則お茶と水のみ。スポーツドリンクがグレーゾーンで、ジュースはNG。
…いや、この期に及んで何を恐れる必要があるのか。いっそ捨てたっていいじゃないか。僕はただお茶を六本買って帰ればいいだけだ。
僕は迷わず残されたボタンを押した。
…CCレモンを拾い上げ、僕は大きく息をついた。
両手に抱えた五本のペットボトルをざっと眺めてみる。
CCレモン、ペプシNEX、グリーンDAKARA、グリーンDAKARA、グリーンDAKARA。
……
僕はただ、お茶を六本買って帰ればいいだけだ…
照りつける太陽の下、なぜか視界がぼやけ始める。
瞬きの後、両目からつるりと涙が零れ落ちた。
…僕はいったい何をしているんだ。
お茶を六本買うだけのことを、なぜいつまでたっても出来ないのだ。
いつも失敗ばかりで罰を受け、その罰をこなせずにまた新たな罰を受けて。
万年補欠でもいい。皆よりサッカーが下手なのは気にしていない。だけど…
抱えていたペットボトルがぼとぼとと地面に落ちた。
…どうにでもなれ。
五本が転がった先に、なぜか花束と共にペットボトルのジュースが捨てられている。
グリーンDAKARAだ。
僕はそれを思い切り蹴っ飛ばし、その場を去った。
作者たらちねの
ちょっとわかりにくいけど、わかってもたいした話じゃないです。