俺には4つ年上の姉がいる。最近、やたらとSっ気満載なオラオラ系姉さんだ。
この間、初めてクラスメートの女の子数人を自宅に呼んだんだが……玄関先でバッタリと姉さんに遭遇した。どうせだから姉さんにも紹介しておこうと思ったんだが、冷ややかに俺達を一瞥すると2階に上がってしまった。それから1週間、姉さんは口聞いてくれなかった。
1週間経って、珍しく姉さんが上機嫌な様子で俺の部屋にきた。「これ、お土産」と紙袋を差し出されたので、中を見てみると犬用の首輪が入っていた。
「これ……首輪だよ?」
「うん、そう。お前の首輪だよ。悪い虫が付かないように首に付けとけ。お前の飼い主は私。いいな?」
姉さんの表情は、どこまでも大真面目で冗談を言ってる風には見えなかった。それが余計恐ろしかったことを今でもハッキリ覚えている。
閑話休題。姉さんは確かにジャックナイフみたいな御仁だが、普段は割と穏やかで俺とは仲が良い。俺が風呂に入っていると一緒に入ろうとしたり、トイレを覗かれそうになったこともある。まあ、少々ブラコンな一面もあるのだ。
だが……。俺がまだ小さいガキだった頃は、姉さんとは仲良くなかった。俺と姉さんは戸籍上は姉弟だが、実際は血が繋がっていない。詳しい説明は裂けるが、姉さんは養子縁組を結んで、我が家に来た養子だった。
姉さんが初めて家に来たのは、俺が小学2年生になった春先のこと。母親に呼ばれてリビングに入ると、見知らぬ女の子がいた。
「今日からあなたのお姉さんになる人よ。仲良くしてあげてね」
母親が紹介してきた女の子は、何の感情も浮かべないまま俺を見つめている。勿論、これから宜しくねの一言もなかったし、終始無言だった。俺としても1人っ子だった期間が長かったものだから、急に出来た姉の存在には戸惑った。
仲良くしようにも、まず姉さんは俺と口を聞こうとしないのである。俺どころか、父さんとも母さんとも話そうとはしなかったし、家で顔を合わせても避けるように自室へ入ってしまう。学校に通う以外は自室に籠もりきりで、1日中部屋から出て来ない日もあった。こんな状態で、どうして仲良くなれようか。姉さんは「家族」ではなく、「居候」のような存在だった。
だが、俺達はとある出来事がきっかけで急速に打ち解けるようになる。いったん打ち解けてしまえば早いもので、今現在に至るまで良好(?)な関係は継続中である。では、何故俺達は仲良くなれたのか。それが気になるという人もいるだろうし、別に気にならないという人もいるだろう。興味がないという人は読み飛ばして構わない。もし興味があるというのなら、どうかその時の出来事を聞いてほしい。そして聞き終わったら俺に教えてくれないだろうか。一体、「カミサマ」というのが何であるのかをーーー
「カミサマ、見に行こう」
姉さんがそう言いだしたのは、俺が小学2年生の夏休み。リビングで夏休みの宿題であるドリルと睨めっこしている俺に向かい、姉さんはワケの分からんことを言い出した。
「……カミサマ?」
「うん。カミサマ」
カミサマって……神様、か?貧乏神とか福の神とか、人智を超えたパワーを持つ、究極の存在である神様?訝しげな顔をしていると、姉さんは俺の手首を掴み、「今行かなきゃ。もうすぐ会えなくなるから」と続けた。
ますます意味が分からない。大体、会いに行こうとか言われても、どうやって会いに行くんだ?徒歩?バス?或いは電車?
「電車で行くよ」
姉さんはそれだけ言うと、俺を引っ張って玄関へと向かった。そして俺の了承も得ぬまま、「カミサマに会いに行こうツアー」は開催されたのだ。
ジリジリと太陽が照りつける中、俺達は駅に向かって歩いた。姉さんは道中何も言わなかったが、俺の手をしっかりと握り締めていた。俺が隙を見て逃げ出そうとしないよう、固く握り締められた。姉さんの手には体温というものがなく、ヒヤリと冷たい。
「こっち。この電車」
姉さんに手を引かれるまま、電車に乗った。座席に腰掛け、一息ついたところで「どこまで行くの」と尋ねてみる。姉さんはすらすら答えた。
「8つ目の駅で降りる。そしたら坂道上って、竹藪抜けて、少し歩くと見えてくる」
「何が見えてくるの?」
「カミサマが住んでるお屋敷」
カミサマはお屋敷に住んでるのか……。今、改めて思い返せば妙な表現なのだが、当時の俺はガキだったため、そこまで違和感を感じなかった。
俺は姉さんと窓から見える景色を眺めていた。綺麗に手入れされた幾つもの田園、高い山々、田んぼの畦道を歩く人々……流れるように景色は過ぎ去っていく。
風景を見ている内に眠くなってしまった俺は、姉さんの「降りるよ」の一言で目が覚めた。姉さんは俺と手を繋ぐと、スタスタと電車を降り、改札を抜けた。
そこはーーー当たり前だが、初めて降りる駅だった。田舎町と呼ぶには相応しいといった風景で、見渡せば田園風景が目に飛び込んでくる。コンビニすら見当たらない。地面はコンクリートではなく、茶色い土に砂利の混じる小道だった。
「こっち」
姉さんが俺の手を引き、歩き出す。俺は手を引かれるまま、黙って歩いた。知らない土地に来ているのだが、不思議と不安はなかった。姉さんの迷いのない、しっかりした歩調を見ていれば迷うことはないと思えたのだ。
ここは真夏日に関わらず、空気は澄んでいて涼しかった。お陰で急な坂道も何なく越えることが出来、竹藪では、竹の葉に幾つか掠り傷を負わされながらも、どうにか無事に抜け出てこられた。
「あれだ。見えてきた。ほら、あれがカミサマのお屋敷」
竹藪を抜けて直ぐ、姉さんがある方向を指差した。指差す方向を目で追う。成程、確かに立派な日本家屋が見える。俺達はお屋敷に出向き、門扉を叩いた。暫く待つと、赤い袴姿の女性が出てきた。彼女は姉さんを見た途端、驚愕したように目を見開いた。
「ど、どうして来たんです……!?ここへはもう来てはならぬと言ってあったでしょう!」
女性は明らかに動揺していたし、話しぶりから察するに姉さんのことは知っているようだった。しかし姉さんはどこ吹く風で、飄々と答えた。
「カミサマに、会いに来た」
「それは……」
「私に逆らうつもりか。お前にそんな権限があるとは驚きだ。使用人風情が、言葉を慎め」
姉さんの口調が急に大人びたものに変わった。威圧感を感じさせる、尖った声。俺は不安気に姉さんの服の端を掴み、「ねえ、帰ろうよ」とこぼした。すると女性は今になって俺に気付いたらしく、眉を顰めてこちらを見た。
「……その子どもは?」
「私の弟。私と同様、丁重に扱え」
姉さんが間髪入れずに答える。女性は一瞬驚いたような顔つきで俺を見たが、また直ぐ表情を曇らせ「部外者を招くなんて……」と呻いた。しかし、それ以上は牽制する気がないらしく、渋々ながら道を譲ってくれた。
「いよいよだね。カミサマに会えるよ」
姉さんがそっと囁く。心なしか少し嬉しそうに見えた。姉さんが嬉しそうにしているところなんて初めて見たので、俺もついつい頬が緩んだ。
俺達は玄関で靴を脱ぎ、長い廊下を歩いた。幾つか角を折れた先に障子戸の部屋があり、姉さんは無遠慮にも勢い良く戸を引いた。
「あ……」
そこにいたのは、布団に寝かされている女性だった。病人らしく血の気の引いた青白い顔。同じく色味が全くない唇からは、微かに空気を吸う「ヒュウヒュウ」と頼りない音がする。細い首には、何やら赤い痣のようなものが真横に伸びていた。斑に染まるそれは痛々しく、見ようによっては索条痕のようにも見える。枕元には水飲みと、薬の袋が置かれていた。部屋の中は湿っぽく、薬臭い。
「…この人がカミサマなの?」
「そう。カミサマになる人だよ」
姉さんは横たわる女性の近くに寄ると、立ったまま見下ろした。俺も姉さんの後ろから、そっと様子を窺う。
この人がーーーカミサマ、なのか。
カミサマと呼ばれるには、あまりにも弱々しい。威厳や尊厳など全く感じられず、ただの重病患者にしか見えない。失礼な物言いだが、正直に言って拍子抜けしたような、期待外れな気分だった。
その部屋には祭壇らしき物も祀られてあった。祭壇の中心には仏像が祀られ、注連縄で四方をぐるりと囲まれており、御神酒や供物なんかが捧げられてあった。ただ、その仏像にはーーー首がなかった。
「帰ろう」
ぼんやりと祭壇を見つめていた俺の肩を姉さんが言叩く。どうやら姉さんの気は済んだようだ。俺としても、ここにいるのは退屈だったので、一も二もなく頷き、揃って部屋を出た。
玄関で靴に履き替えていると、先程の袴姿の女性が立っていた。彼女は両手を組んで念仏のようなものを唱え、姉さんに向かって一礼した。畏まった様子だったが、その表情は険しかった。
「ここへはもう来ないで下さい。儀式も近いことですし。もうあなたには何の関わりもないのです。血は水より濃い、とは云いますが。こんな形で一族を抜け出した者が、たまの気紛れを起こして訪ねて来られても困るのですよ。カミサマに成る素質がないのなら殺すべきなのに……。アレが要らぬ同情心など掛けて、養子に出そうと言い出したりするから」
ーーーこの、一族の異形めが。
最後に毒づくように吐き捨て、女性は姉さんを剣呑な眼差しで睨み付けた。それは怒りからくるものではなく、憎しみーーー強い憎悪のこもった、目つきだった。しかし姉さんはそんな視線などものともせず、くるりと後ろを振り向き、来た道を帰っていく。俺は姉さんと手を繋ぎ、振り返ることなく、お屋敷を後にした。
時は既に夕刻だった。赤い夕陽に照らされ、長く伸びた影を見つめながら小道を歩く。ふと姉さんが歩みを止めて俺を見た。どこか思い詰めたような、寂しい表情をしていた。
「……私はね、一生、誰とも結婚しないの。子どもも授かれないの。穢れた血を受け継ぐ子孫を残すことは出来ない。根絶やしにしなければいけない。そう約束したから。カミサマと」
「ふうん……?」
上手く理解出来なくて、曖昧に頷く。結婚とか子孫とか、小学生の俺にはピンとこない話だったからいた仕方ない。
「私は異形……だから。カミサマに、成れないの」
ポツリ、水面に落ちた一滴のように姉さんが呟いた。その言葉も俺には全く咀嚼出来なかったが、あんな姿のカミサマになんて成らない方がいいんじゃないかと心の中で考えた。姉さんはハッとしたように俺を見、そして寂しそうに「私のこと、嫌い?」と聞いてきた。
「嫌いじゃないよ。好きだよ」
俺はいつの間にかそう答えてた。誤解されないよう言っておくが、血の繋がらない姉に恋愛感情として「好き」と言ったのではない。姉さんがあまりにも寂しそうにしてたから、元気づけるために言った言葉なんだろうけど、言わずにはいられなかった。
姉さんは「有り難う」と言うと、左手の甲で目を拭った。多分、泣いてたんだろうな。
あれから何年も経つが、あの時のことは姉さんも俺も、お互いに話題に出さない。何となく口にすることが阻まれるというか、話題に出してはいけないような気がするのだ。
ただ、時折考える。ふと暇な時間が出来てしまうと考える。考えたくなくても考えてしまう。カミサマとは一体何者なのか。カミサマと姉さん、2人の間には、どういった繋がりがあるのか。とにかく、今の俺の頭の中は、姉さんのことで一杯だ。
「……これって、恋患いじゃないよな」
作者まめのすけ。