俺には4つ年上の姉がいる。やることなすこと無鉄砲で、弾丸みたいな性格をしている。「1+1」が幾つになるかと姉さんに問えば、「根性次第で3くらいにやるんじゃねーか?」と言い出すくらいの暴れっぷりだ。
そんな姉さんも高校3年生。1つの節目を迎える彼女は、これからの進路について真剣に考えなくてはならない年頃なのだ。
そういえば、ついこの間、両親と姉さんが珍しく言い合いをしていた。喧嘩というほど大袈裟なものではなかったが、深刻そうな様子だったので、心配していたが……何のことはない、彼女の進路についての話し合いだったらしい。
両親としては、地元の大学に進学してほしかったらしいのだが……姉さんがそれを突っぱねたのだ。
「地元では進学しない。私は片田舎の大学に行って民族学を学びたい」
姉さんのいう片田舎とはーーー具体的な地方名は敢えて出さないけれど、片田舎というよりド田舎である。長閑な田園風景の広がる、山に囲まれた小さな町。その町に唯一ある大学に、姉さんは進学したいと言うのだ。
その大学では民族学の研究が有名らしいのだが……とにかく遠いのである。俺達が住んでいる町から新幹線で5時間、それから電車とバスを乗り継いで4時間。合計すれば9時間以上も掛かる。
そんな場所に進学したいと言うのだから、反対する両親の気持ちも分からないではない。結局、話し合いは平行線で、結論は出なかったらしいが……それでも姉さんの決意は変わらなかった。
「まあ、何とか説得させてみるよ。あの人達も頭が固いばかりじゃない。時間は掛かるだろうが……それでも、最後はうんと言ってくれるさ」
そう言って。朗らかに笑う姉の姿を見て、俺が感じたことは1つだけ。
”姉さんの未来は、一体どこに向かっているのだろう”
その日、俺は日直当番のため、誰もいない放課後の教室にて、一人日誌を書いていた。本来であれば、日直当番というのは出席番号が隣り同士の者でペアを組むのだが……生憎と俺のペア相手は不在だった。
といっても、その子は体調不良や忌引きなんかで欠席しているわけではない。欠席というか、永遠に欠席せざるを得ない状況になってしまったのだ。1ヶ月と少し前ーーー交通事故に遭い、亡くなった。
彼女の名前は國達晃。腰まである長い黒髪に、病人と見違えるほどの血の気のない素肌。常に右目を眼帯で隠している、オカルト好きな女子中学生。特徴的な笑い方をする奴でーーー
「きひひひひ。久しぶりだねぇ、玖埜霧。会えて嬉しいよ。最も、お前は私の顔なんか見飽きてるだろうけれど。見たくもないかもしれないけれどね」
「……何でいるんだよ。この間、成仏したんじゃねえのかよ」
俺は日誌を書く手を止め、頭上を見上げた。そこには蛍光灯にぶら下がるセーラー姿の女子中学生。ニヤニヤしながら俺を見つめている。
彼女こそ、1ヶ月と少し前、交通事故に遭って亡くなった國達晃の幽霊である。実は國達の幽霊に会うのはこれが2度目となる。だが、1度目に会った時に、成仏するようなことを言っていたような気がするのだが……。
國達は蛍光灯からパッと手を離すと、ふわふわ降りてきて教卓の上に立った。さすが幽霊、重力云々は関係ないようだ。
彼女は「きひっ」と笑うと、今更ながらにスカートを押さえた。
「やーい、玖埜霧のえっちー。私のパンツ見ただろー」
「み、見てねえ!水色の水玉模様のパンツなんて、断じて見てないぞ!第一、あれは不可抗力じゃん。頭上から声を掛けられたら頭上を見るだろ。お前がスカートを履きながら蛍光灯にぶら下がっているのがいけないんだろ」
「見てんじゃん。模様までしっかりと。模様まで分かったってことは、まじまじ見てたってことでしょ?」
尤もな台詞を言われた。反論する余地もない。
それはともかく、と俺は強引に話を戻した。
「何してんだよ。何でまだウロウロしてるんだ。日直当番を手伝いにでも来たのか」
「仕方ないじゃん。成仏っていってもねぇ、そんな簡単に旅立てるもんじゃないんだよー?”四十九日”って言葉、知ってるかい?」
「ん?人の死後、49日間経った日のことじゃなかったっけ。確か、納骨する日でもってあるんだよな」
「まあ、大雑把に要約するとそうなるねぇ。更に注釈を加えると、死者は死後、49日の間は成仏するために修行を重ねるんだ。前世までの善行、悪行、報いを定め、来世へと旅立つための準備期間。それ則ち四十九日のことさね」
「ほう……。初めて聞いた。見掛けによらず博識なや奴め。つまり、お前は今まで成仏するための修行をしていたんだな」
「んー。初めは頑張ってたけどねぇ。きひひひひ。飽きたし面倒だから、最近サボリがちなんだよねぇ」
……この破戒僧め。飽きたからサボるって、それじゃダイエットじゃねーか。
「じゃあ、何の用だよ」
俺は書き終わった日誌をパタンと閉じた。正直、さっさと帰りたかったが、幽霊となった國達1人残して帰宅するのも気が引けるので、帰るに帰れない。
すると、待ってましたと言うように國達はニヤリと笑い、教卓に腰を下ろした。
「玖埜霧には確か、高校3年生になるお姉さんがいるんだよね?高校3年生ともなれば、進学か就職かで色々と思い悩む時期だよねぇ。お姉さん、どうするって?進学?それとも就職するのかい?」
「な、何でそんなことお前に話さなくちゃいけないんだよ」
「きひっ。べぇーつにぃ。深い意味はないんだけどさ。ただ……私も事故で死んだりしなければ、いずれ高校、大学に進学して、”夢”を叶えたい思ってたんだけどーーーその夢も、潰されたなぁと思ってさ。きひひひひ。そんな顔するなよ、玖埜霧。同情はごめんだぜ。それにさ、別に死んじゃったから夢が果たせなくなったってわけじゃない
「生前からだよ。私の描いていた夢は、未来は、ある日木っ端微塵に砕けた。砕け散ってしまったんだ。
「おや、気になるかい?なら、話してあげようか。つまんない話だけれども、そこは辛抱して聞いてくれよ?
「私の夢はね、児童相談所の職員になることだった。意外かい?まあ、そうだろうね。まさか私みたいな人間が、児童相談所の職員なんていうマトモな仕事に就ける筈がないよねぇ。
「でも、なりたかった。ずっとずっとなりたかった。
「と、いうのもね。私自身が児童相談所にお世話になったからなんだよ。
「珍しい話じゃあないんだけどね……私は母子家庭で育った。幼い頃に父親が死んで、それからずっと母一人子一人。
「その母親というのが、出来た人間でなくてねぇ。ロクに仕事をしないし、お酒ばっか飲んでるし、おまけに苛立ってくると、私に暴力を振るうんだよ。
「お陰で体中、痣だらけ。あの人も知能犯でさぁ。服で隠れる場所にしか攻撃しないんだ。
「だけどね、痣は隠せても悪事は隠せなかった。
「同じアパートに住む住人が、親切にも通報してくれたらしいんだ。
「そりゃそうだよね。毎夜毎夜、物凄い大声で子どもを叱りつけているだもの。不審に思わないほうが不思議さね。
「結局、私は一時的に児童相談所に保護された。その時に職員の先生がとても親切にしてくれたんだ。
「正直、嬉しかったよ。母親の愛情に餓えてたからね。優しくされたり心配されるのが、堪らなく嬉しかったんだ。
「だから私は、将来は児童相談所の職員になろうと思った。私のように、親から虐待を受けて苦しんでいる子どもがいるのなら、救ってやりたいと。
「青臭い台詞だよねぇ。人が人を救うなんて、口で言うほど簡単なことじゃあないのにね。若気の至りというやつかな。
「でもーーー本気だった。私の決意は固かった。
「自分にも人を救うことが出来る。そう思っていたんだよ。
「でも、
「その夢は、ある日アッサリ打ち砕かれた。
「あれは事故に遭う1ヵ月くらい前だったかな。私はデパートに買い物に来ていた。
「そこでね、ちょっと気になる親子連れを見掛けたんだ。
「まず気になったのが、子どもの服装。寒い時期にも関わらず、上着を着ていなかった。おまけに顔や首元に、不自然な痣があったんだ。ちゃんとした食事をしていないのか、体はやせ細り、母親に引きずられるようにして歩いていた。
「直感で分かったよ。あの子は虐待に遭っているってね。
「私は思わず母親の顔を見た。こんな小さな子に、平気で暴力を加えることが出来る母親の顔を見てやりたかった。睨み付けてやろう、いや、その場で怒鳴ってやろうかとさえ思った。
「そしたらさぁ……笑っちゃうよ。
「その人……以前、私に親切にしてくれた児童相談所の先生だったんだ。
「なあ、玖埜霧。笑っちゃうだろ?笑えよ、なあ。笑いなよ。きひひひひ」
「……笑い事じゃないだろ」
笑えねえよ。笑いたくもねえよ。そんなオチで誰が笑えるか。
國達は肩を竦め、「笑えないか。そりゃそうだね」と言った。平坦な口調だったけれどーーーどこか不自然な言い方だった。無理して平坦に言ってるような、そんな感じ。
「なあ、玖埜霧」
「何だよ」
「今日で本当にお別れだ。今日は私の四十九日だからね。修行はサボってばっかりだったけれど……タイムリミットはタイムリミットだからね。きひっ。それじゃあお暇するよ。つまんない愚痴を聞いてくれてありがとさんさん。これですっきりした。心おきなく成仏出来るよ」
「ま、ちょっと待てーーー」
手を伸ばし、國達の肩を掴む。しかし、実体のない彼女の肩に触れられるはずもなく、俺の手はするりと空を掴んだだけだった。
國達はだんだんと薄くなり、周囲の景色と同化していく。國達はーーー最後までニヤリと笑っていた。
愉快そうに、笑っていた。
「じゃあな、玖埜霧。お前は人並みな幸せを掴めよ」
それが。玖埜霧鴎介と國達晃の最後の別れだった。
作者まめのすけ。