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中編3
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それで何をしたい?

大学3回生の時の話である。

私の父親は、私が大学2回生のときの冬、 1月4日に他界した。

父親の死は突然であった。

年末から風邪をこじらせていたが、お正月中は寝込むこともなく、普通に過ごしていた。

父親は専門学校の理事長をしていて、 その日は日曜日であったが、

その専門学校で中学生の学力テストに会場を貸していたため、管理のため出勤することになっていた。

父親は朝、顔を洗っている時に突然倒れた。

救急車で運ばれたが病院で死亡確認、急性心不全だった。

それから、祖母と母親と、そして私の3人暮らしとなった。

母も祖母も落胆は大きかった。

母親は毎日泣き暮らしていた。

百箇日の法要が過ぎ、私は母親に、いつまで泣いて暮らしている。いい加減にしろ。と、かなりきついことを言った。

それ以降、母親は私の前で泣き顔を見せることがなくなった。

その頃のことである。

当時、私は二階の自室で、母親は一階で、祖母は離れ座敷で寝ていた。

私が布団に入ってうとうとし始めた頃、急に私の部屋に父親が入ってきた。

何を思ったか、父親は私の布団の中に潜り込んできた。

「久しぶりに親子一緒で寝よか。子供の時以来やな」

その時は、かなり肝を冷やした。

父親は私の横に寝て、私の体を触ってきた。それはかなり冷たい手であった。

「親父、一体なんやねん」

「親子やからええやんか」

私の恐怖は、その時怒りに変わった。

「アホか!出て行け!もう出てくるな!」

と、私は起き上がって布団に座り、怒鳴りつけると、父親は布団から出て行った。

「お前冷たいなぁ」

と、えへえへ笑いながら…。

「親父、一体何しにきたん?」

すると、親父は無表情な顔でこちらを振り向いて、

「鑿を探しに来たんや」

生前父はよく彫刻をしていた。

それでも今の状況では、 親父が鑿を彫刻に使うとは思えない。

私は、父が階段を降りていくのを追いかけた。

廊下を走って、母親の部屋に入るなり、

「今、お父ちゃん、来たんと違うか? 」

大きな声で母親を起こすと、

「いや、来てないで」

私の祖母のいる離れに走った。

祖母は普段元気だったが、急に起こすとショック死するかもしれないと思ったので、そっと部屋の中を覗いた。

祖母も無事だった。

私は思った。

クソ親父にからかわれた。

真夜中に、家中どたばたと走り回らされた。

生きてる時と変わらんな。

生きている時の親父は、私が作っているものを勝手にいじくったり、使っているのと隠したり、嘘を教えたり…。

そこで私は思い出した。

父が亡くなる1週間前に母親からきいたこと。

「お父ちゃんは、お前が死んだら、できの良い姉を跡取りにできるのに、あいつ死んだらいいのにと、いつも言っていた」

私は別にぐれたこともなく、父に逆らったこともなかった。

仕事のストレスを晴らすために、私に八つ当たりして殴ったり、

私が彫っている仏像の耳を切り落としたり、鼻をサンドペーパーですりつぶしたりして、

「お前も彫っている仏像、きれいにしといてやったぞ 」

と、にへらと笑っていた。

そして母親に、

「あいつアホやから、何をされてもわかれへんやろ」

そう言って、へらへら笑っていたそうだ。

私が嫌だったのは、母親が一々それを報告しに来ることである。

八つ当たりされていることをわかっていた。仕事がうまくいかなかったのだろう。それで気休めのるんだったら… 。

今から考えると、私は超偽善者的な子供だった。私のそのような性格が、憎らしかったのだろう。

待てよ。父は、鑿を探しに来た。父はそれで何をしたい?何をしたかった?

そこで、ああそうだったのかと私は思った。

あの時、父親がもしも、見付けていたら、

私は鑿を使って自殺したことになっていたのだろうなと。

今でも胸くその悪い思い出である。

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