大学3回生の時の話である。
私の父親は、私が大学2回生のときの冬、 1月4日に他界した。
父親の死は突然であった。
年末から風邪をこじらせていたが、お正月中は寝込むこともなく、普通に過ごしていた。
父親は専門学校の理事長をしていて、 その日は日曜日であったが、
その専門学校で中学生の学力テストに会場を貸していたため、管理のため出勤することになっていた。
父親は朝、顔を洗っている時に突然倒れた。
救急車で運ばれたが病院で死亡確認、急性心不全だった。
それから、祖母と母親と、そして私の3人暮らしとなった。
母も祖母も落胆は大きかった。
母親は毎日泣き暮らしていた。
百箇日の法要が過ぎ、私は母親に、いつまで泣いて暮らしている。いい加減にしろ。と、かなりきついことを言った。
それ以降、母親は私の前で泣き顔を見せることがなくなった。
その頃のことである。
当時、私は二階の自室で、母親は一階で、祖母は離れ座敷で寝ていた。
私が布団に入ってうとうとし始めた頃、急に私の部屋に父親が入ってきた。
何を思ったか、父親は私の布団の中に潜り込んできた。
「久しぶりに親子一緒で寝よか。子供の時以来やな」
その時は、かなり肝を冷やした。
父親は私の横に寝て、私の体を触ってきた。それはかなり冷たい手であった。
「親父、一体なんやねん」
「親子やからええやんか」
私の恐怖は、その時怒りに変わった。
「アホか!出て行け!もう出てくるな!」
と、私は起き上がって布団に座り、怒鳴りつけると、父親は布団から出て行った。
「お前冷たいなぁ」
と、えへえへ笑いながら…。
「親父、一体何しにきたん?」
すると、親父は無表情な顔でこちらを振り向いて、
「鑿を探しに来たんや」
生前父はよく彫刻をしていた。
それでも今の状況では、 親父が鑿を彫刻に使うとは思えない。
私は、父が階段を降りていくのを追いかけた。
廊下を走って、母親の部屋に入るなり、
「今、お父ちゃん、来たんと違うか? 」
大きな声で母親を起こすと、
「いや、来てないで」
私の祖母のいる離れに走った。
祖母は普段元気だったが、急に起こすとショック死するかもしれないと思ったので、そっと部屋の中を覗いた。
祖母も無事だった。
私は思った。
クソ親父にからかわれた。
真夜中に、家中どたばたと走り回らされた。
生きてる時と変わらんな。
生きている時の親父は、私が作っているものを勝手にいじくったり、使っているのと隠したり、嘘を教えたり…。
そこで私は思い出した。
父が亡くなる1週間前に母親からきいたこと。
「お父ちゃんは、お前が死んだら、できの良い姉を跡取りにできるのに、あいつ死んだらいいのにと、いつも言っていた」
私は別にぐれたこともなく、父に逆らったこともなかった。
仕事のストレスを晴らすために、私に八つ当たりして殴ったり、
私が彫っている仏像の耳を切り落としたり、鼻をサンドペーパーですりつぶしたりして、
「お前も彫っている仏像、きれいにしといてやったぞ 」
と、にへらと笑っていた。
そして母親に、
「あいつアホやから、何をされてもわかれへんやろ」
そう言って、へらへら笑っていたそうだ。
私が嫌だったのは、母親が一々それを報告しに来ることである。
八つ当たりされていることをわかっていた。仕事がうまくいかなかったのだろう。それで気休めのるんだったら… 。
今から考えると、私は超偽善者的な子供だった。私のそのような性格が、憎らしかったのだろう。
待てよ。父は、鑿を探しに来た。父はそれで何をしたい?何をしたかった?
そこで、ああそうだったのかと私は思った。
あの時、父親がもしも、見付けていたら、
私は鑿を使って自殺したことになっていたのだろうなと。
今でも胸くその悪い思い出である。
作者純賢庵
かなり胸くその悪い思い出です。私としてはエグいお話なのですが、今から考えると、いい思い出かもしれません。