これは、私の育った田舎での話。
村にお母さんと息子さん、 2人で暮らしている家があった。
その息子さんは非常に勉強ができ、受験勉強に励んでいた。
しかし、受験に失敗し、その後精神を病んでしまったらしかった。
息子さんは、誰とも話をすることなく、黙々と家の農業を手伝っていた。
その頃息子さんは、もう40代を過ぎていたと思う。
祖母はそのお母さんと親しくしていた。
祖母が他界した時、そのお母さんは、母に、
「うちの2人暮らし、あんたとこも2人暮らしになったな」
と言っていた。
その後何年か後、母親が他界した。
その後、私はそのお母さんと道で出会った。
何気無く挨拶すると、
「うちは2人やけど、あんたのところは1人になってしもたな」
そう言って、曲がった腰をぐーっと伸ばして、嬉しそうに二カーッと笑った。
私はその時、背筋に寒いものを感じた。
多分そのお母さんは、母に勝ったと思ったのであろう。嫌なものを見てしまった、と思った。
しかし、11月に母が他界して、その明くる年の5月か6月ごろにそのお母さんはなくなった。
月遅れのお盆になり、姉とともに車で先祖の仏お迎えをして帰る途中のことであった。
朝、またお昼前のことである。
国道から家に向かう道に入ると、
例の息子さんが、砂利運び用の一輪車を押してくるのが見えた。その一輪車に、亡くなったお母さんがちょこんと座っている。
とても嬉しそうに笑いながら、一輪車に揺られていた。
私は一番聞いてはいけない相手に聞いてしまった。
「お姉ちゃん、一輪車におばちゃん乗っている見える?」
「うん、見えるけど」
そして私は、言ってはいけないことを、最も言ってはいけない相手に行ってしまった。
「あのおばちゃん、今年の5月頃に 亡くなってる」
姉は相槌を打つ。
「そう、そう言えばなんかあのおばちゃん、形、変やね」
その時姉にも見えていたらしい。
この姉は弁証法的唯物論とフロイト心理学の信奉者で、かつてはKS党の党員、管理職になるため離党した。その頃はどこかの小学校の校長をしていた。
おかげで私の就職活動の時には、これがかなり響いた。
翌年、寺の住職が亡くなったので、姉がその娘さんと同級生だったから連絡したら、村の親戚何軒かに電話して、
「弟から電話が来まして、お寺のご住職さまの事ですが、元気にされてますか?…あ、そうですか。いえ、母が死んでから、弟ちょっとおかしくなってしまったみたいです」
これは後から親戚から聞いた話である。
作者純賢庵
ここだから話せますが、見たものをそのまま口にすると酷い目に遭う、そういう体験です。
私にとって大きな教訓になりました。
私も人の生き死にについてのモラルが、その頃欠けていたのだと思います。