俺には四つ年上の姉さんがいる。
彼女は戸籍上では確かに玖之霧家の姓を名乗っているし、パパやママ、そして俺とは一つ屋根の下に住んでいるのだが……。姉さんは養子である。
つまり両親や俺とは何の血液関係もない。義理の姉弟であり、偽物の姉弟であり、擬似の姉弟であり、模倣の姉弟というわけだ。
そんな姉さんはーーー密かに恋をしているらしい。
いや、それは恋とは言い難いかもしれない。それこそ擬似ーーー擬似恋愛ごっこの深みに、どっぷりと嵌まってしまっただけなのかもしれない。
芸能人に憧れてみたり、アニメや小説に登場するキャラクターを好きになるとか。アニメや小説に登場する人物とは、それこそ決して結ばれるわけにはいかないのだけれど、想うことは自由なのだから。
姉さんの恋する相手は、芸能人でもなければアニメや小説のキャラクターではない。実際に存在する個人の人間であり、今も生存する人間だ。
その人間とはーーー俺である。戸籍上では姉さんの弟にあたる玖之霧欧介その人なのだ。
浮かれた発言をしていると自分でも思う。何を勘違いしてるんだと言われても仕方のない話かもしれない。しかし、姉さんと一つ屋根の下で暮らし、毎日のようにラブコールや執拗なアタックを受けていたら、そう思ってしまっても無理はないだろう?
この間、久々にキャンディーを舐めていたら、姉さんに奪われた。その奪われ方がまた凄い。俺の口に指を突っ込んだかと思うと、唾液にまみれたキャンディーを取り出し、自分の口に入れたのだ。これには流石に言葉を失った。
キャンディーは他にもたくさんあったのにも関わらず、である。姉さん曰わく「欧介が一度口にしたやつが欲しかった」。この発言を聞いて、精も根も力尽きていくのを虚しく感じた。
そりゃ俺だって姉さんのことは好きだし、尊敬もしている。窮地に立たされた時、何度だって救ってくれたのは事実だし、自慢の姉だ。世界中に「俺の姉さんは最高だ」と叫びたい気持ちはあるけれど。
幾ら姉さんが俺を異性として見ていてくれても、結果として叶わないのだ。だって俺達は姉弟なのだから。それが例え紙面上の約束であっても、法律の壁は厚い。ベルリンの壁級並みに。
俺達に行き着く先などないのなら、擬似恋愛ごっことして遊んでいたほうが幾らかマシなのかもしれない。要は本気にならず、現状維持を続ければいいだけだ。
なあ。そうは思わないか?
◎◎◎
事件は冬休みの初日に起こった。
昼近くまで惰眠を貪っていた俺は、枕の横に置いたiPhoneのメール着信音により起こされた。布団から手だけ伸ばし、寝ぼけ眼のままメールを確認する。
差出人はクラスメートの日野祥子からだ。彼女はチョコレート類に目がないことと、名前の祥子をもじってショコラと呼ばれていた。
「何だ、ショコラかよ」
俺は道端で芋虫を踏んづけた時のような顔をした。失礼な態度かもしれないが、ショコラはなかなかのトラブルメーカー及びに困ったちゃんであり、面倒事を起こしてくれる子なのだ。
俺はこれまでに二度ほど、ショコラの面倒事に巻き込まれ、散々な目に遭っている。二度あることは三度ある。しかし三度目ともなれば、いい加減うんざりしてしまう。
無視して二度寝でもしようかと思ったが、再びメール着信音がした。やはりショコラからである。
「……急ぎの用なのかな」
仕方なしにメールボックスを開く。件名には「助けて!」とあり、本文には「悪い人に追われているの。晴明中学校にいるから早く来て」とあった。
晴明中学校というのは、俺やショコラがゆ通う公立の中学校だ。何やらただならない事態ではありそうだが……信用していいのだろうか。第一、晴明中学校に隠れてると言ってるけど……今は冬休みだ。学校には鍵が掛かっていて開かないのでは?
不審に思いつつ、二つ目のメールを見る。件名には「心配ご無用」とあり、本文には「こういう時のために、学校の合い鍵を持ってるの」とあった。
「………」
ますます怪しい。こういう時って、どういう時だ?悪い人に追われている時のためってこと?
というか学校の合い鍵を作るなんて、それこそが犯罪なんじゃないか?
ぐるぐると考えていると、iPhoneに着信音があった。ショコラからだ。無視するのも躊躇われ、俺は仕方なしに電話に出た。
「もしもし」
「あ、欧ちゃん?ショコラだけど。メールは見たかな」
「見たよ。見たけど……」
電話越しに聞こえるショコラの声。その声は小さく、逼迫していた。まるで何者かから隠れて電話しているかのように。
「お前、一体何してるの?」
「何してるのも何も、メールに書いた通りだよ。悪い人に追われてるんだってば。助けに来てよ」
「いや……そんなにヤバイ事態なら、警察呼んだほうが話は早くないか?」
「警察はだめ。だって警察にどうこう出来ることじゃないし」
警察にどうこう出来ることじゃないなら、尚のこと俺がどうこう出来るとは思わないが。
「一体何があった?悪い人って誰だ。悪の秘密結社か?」
「発想が古いなぁ。悪の秘密結社って……センスわるっ。欧ちゃん、本当に現代人?」
「お前はこんな状態に置かれても、俺の悪口は言えるんだな」
大したもんだよ、その度胸。
「とにかく。今、晴明中学校にいるの。教卓の中に身を潜めてる。早く来て。待ってるから」
「待ってるからってーーーおい、ちょっと……」
「じゃあ後でね。すぐ来なさいよ。来なかったら黒板に欧ちゃんの悪口書きまくった上、舌噛み切って死んでやるから」
それだけ言うと電話は切られてしまった。これが人に頼み事をする時の態度であろうか。「お願いします」のおの字もない。
「仕方ねーなー」
真偽のほどは定かではないが、ショコラがここまで言うのだから、全てが嘘だというわけでもないのだろう。
俺は外出着に着替えると、ジャンバーを羽織り、自室を飛び出した。
◎◎◎
通い慣れた通学路をつっ走り、ようやく公立晴明中学校に辿り着いた。乱れた息を整えつつ、昇降口のほうへ回ってみたが、残念ながら鍵は閉まったまま。
ならばと思い、職員用の玄関に回るとーーービンゴ。鍵は開いていた。ショコラはここから入ったのだろうか。
念の為、ショコラに「学校に着いた」とメールを送った。すると数分もしないうちにショコラから返信が来た。
「教室にいます。教卓の中。ポッキー食べて待ってます」
教室というのは、俺達が所属しているクラスの教室だろう。それにしても、何だか余裕を感じるメールだな。焦って駆け付けた俺が莫迦みたいじゃん。
階段を上がり、廊下を曲がり、教室の前についた。カラリと戸を開けると、教卓の中から伸ばされた細い腕がピースサインを送ってきた。
「欧ちゃん?欧ちゃんなの?」
「欧ちゃんだよ。ショコラ、大丈夫なのか?」
「今のところは何とかね」
ゴソゴソと教卓から這い出してきたのは、やはりショコラだった。口にポッキーを三本ほどくわえ、ポッキーだけにポキポキと食べながらの御登場だ。
「良かったぁ。一人で待ってるの、すっごく寂しかったんだよぅ」
「ポッキー食べながら言う台詞だとは思えないけどな。で、一体何がどうしたんだよ。呼び出されたはいいが、わけが分からないぞ」
「詳しく説明してる暇はないの。欧ちゃん、これを預かって」
ショコラはグイと俺の手を掴むと、赤い布地の御守りみたいな物を差し出した。新品の御守りではない。布はところどころ擦り切れているし、何の御守りなのかも書かれていない。
見た感じ、神社や寺で販売されているような物ではなくーーー手作り感のある素朴な御守りだった。
「何だこれ……。ショコラのか?」
「ううん、違う。でもとても大切な物よ。なくしたり落としたりしないでね。大丈夫、欧ちゃんなら守れる。ショコラ、信じてるから」
ショコラは御守りごと俺の手をぎゅうぎゅう握り締め、真っ直ぐな瞳できっぱりと言い切った。一見、ありがたいことを言われているようだけれど、面倒事を全て押し付けようと企んでいるようにも思える。
何を企んでいるんだ、こいつ。
俺が何か言い掛けようと口を開くと同時に、ショコラは実に晴れ晴れとした表情で立ち上がった。冤罪が晴れた時のような、厄が落ちたような顔つきだ。
「よしっ。これでひとまずは安心。というわけで、私はこれで帰るね。欧ちゃんはも少しここに隠れてて。じゃっ、健闘を祈る!」
「はあ?こら、ショコラ……」
言うが早いか。ショコラは可愛くウインクなどして、踵を返して教室を飛び出した。いつもはマイペースでおっとりしているショコラとは思えないくらい、機敏な動きで。
慌ててあとを追うが、ショコラは凄い勢いで走り去っていった。床に足がついてないんじゃないかってぐらいのスピードだ。
あいつ、羽でも生えてんのか?
「行っちゃったよ」
やれやれ、せっかちな。事のあらましや経緯だって聞いていないというのに。
俺は仕方なく教室に戻る。ショコラから絶対なくすなと言われた御守りは、とりあえずなくさないようにジャンバーのポケットに突っ込んだ。
と。
教室にはーーー先客がいた。
『うふふ♡初めまして♡私は柚希と申します♡』
メイドキャップにメイド服。腰まで伸ばされた金髪はツインテールに結ばれている。まるでフランス人形かと見紛うほどに精巧な顔立ち。美人というより、可愛らしさを全面的に押し出した風貌。
メイド服は胸元の露出に心血を注いでデザインされたようだ。大胆に開かれた胸元からは、大きく形の良いバストが覗いている。右鎖骨の辺りには蝶々をあしらったタトゥーが彫られてあった。
彼女ーーー柚希と名乗るメイド服の女の子は、教卓の上に立ち、上品にスカートの端を摘まんで一礼すると、にっこり微笑んだ。
『盗っ人様のお名前は何と仰いますか♡』
「ぬ、盗っ人様……?」
何その肩書き。それって俺のこと言ってるの?
「えと…、盗っ人様って……?」
『あなた様のことですわ♡』
柚希は微笑んでまま、ふわりと教卓から飛び降りた。語尾に♡マークを付けてるし、言い方も丁寧なんだけど……にこにこしてる割には、全然機嫌が良さそうじゃない。
むしろ怒ってる。めちゃくちゃ怒っているようにもーーー見える。
「や、あの……。盗っ人って言われても、何が何だか分かんないんだけど。そもそも、俺は何も盗んでなーーー」
『お黙り下さい♡』
バシュっ。
柚希は太ももに装着された見慣れぬ銃を取り出すと、何の躊躇いもなしに天井を撃った。威嚇射撃である。
『サブマシンガンですわ♡勿論、玩具じゃありません♡色々と改造しまして、普通なら総弾数二十発のところを三十発にしております♡フルオートにすれば、およそ二秒で盗っ人様は蜂の巣ですわ♡』
「……ひ、」
何この展開。何この人。新手のテロなの?
ショコラが追われてるって言ってたけど……もしかして、この人にってことか?
俺が固まったのを見、柚希はにこにこしながら銃を構え直した。銃口は真っ直ぐーーー俺のほうを向いている。
『質問に答えて下さらないのは失礼ですわ♡私は盗っ人様のお名前をお聞きしたんです♡今度、それ以外のことを仰ったら、耳を撃ち飛ばしますよ♡』
「く、く…、クノギリオウスケデス」
『欧介様ですね♡良い名前ですわ♡』
「ア、アリガトウゴザイマス……」
『私は式神ですわ♡戦闘用に造られた式神です♡怪異に対しても人間に対しても、存分に戦えるよう出来ております♡』
「式神……?」
式神というのは、古来より伝わる陰陽道からきたもので、陰陽師が使役する怪異のことである。
式というのは「用いる」または「使役する」の意味。神というのは、物の怪や神霊、鬼神のことを示す。
陰陽師の命に従い、時として変幻自在にその姿を変え、人心から為る悪行を解決するために造り出された怪異ーーーそれが式神である。
『私は生まれたての式神ですわ♡今日が初陣となるわけです♡そして先ほど、御主人から命令が下りました♡盗っ人様を排除せよーーーと♡』
「……、いや、だから」
だから、俺は別に何も盗んじゃいないんだって。とんだ冤罪である。
じりじりと後退するが、まさかこれで逃げられるとは思えない。ただ、背中を向けたらアウトだと思った。銃を持つ相手に、背中を晒すのはデンジャラス過ぎる。
柚希は、相変わらずにこにこしながら銃口を構えている。式神だか何だか知らないが、それにしてもすげー格好……。
『この格好は相手を油断させるためですわ♡』
俺の内心を読み取ったかのようなタイミングで、柚希は言う。
『式神が相手にするのは主に人間ですから♡人間は可愛らしい女の子には油断するものでしょう♡メイド、ツインテール、ロリ、巨乳……これだけ揃えておけば、敵とて油断もしますでしよ♡』
うん。油断もするし、欲情もするかもね。今の俺みたいに。
うふふ、と。柚希はゆっくりと引き金に指を置く。
『可愛い坊やのお顔に風穴を開けてしまうのは心苦しいですわ♡それか、手榴弾も持ち合わせていますら、一気に木っ端微塵になるほうが宜しいかしら♡一瞬で死ねますし、痛みも感じませんわ♡』
「タンマタンマ!柚希さん、ちょっと落ち着いて!」
俺は両手を上げて無抵抗を表し、一か八かで説得を試みでた。してもいない罪で殺されては堪ったものじゃない。それこそ死んでも死にきれない。
「ぬ、盗っ人って言われても……。本当、俺には何のことだか分からないんだよ。俺が盗っ人っていうなら、何を盗んだのか教えてほしい」
バシュ!
「っ、」
柚希が撃った弾は俺の右頬を掠めた。恐らく、わざと外したのだと思うが……外そうという意思がなかったらと思うと、腰が抜けそうになる。
ピリッとした痛みと。一筋の生温かい血が垂れているのが分かった。
『盗っ人猛々しいとはこのことですわ♡』
今し方、火を噴いたばかりの銃口を口元に当て、柚希は笑う。火傷しないといいけれど……と、こんな時でも的外れな心配をしてしまう俺はやっぱり莫迦だろうか。
火傷って。式神相手に火傷も何もあったものじゃないのに。
『物証を身に付けておきながら、のうのうと自分は盗みをしていないなどと嘯くなんて……♡今のは流石に呆れましたわ♡』
「物証?」
『お召し物のポケットに入ってらっしゃるじゃありませんか♡』
ポケット……?
はっとしてポケットの中を弄る。……あった。ショコラから預かった、赤い布地の御守りが。
思わずポケットの中でぎゅっと御守りを握り締める。もしかしてーーー柚希が俺のことを盗っ人呼ばわりするのは、この御守りのせいか?
『言い訳は無用ですわ♡では欧介様♡良い夢を♡』
柚希がじわりと引き金に指を置く。俺はまるで石膏に固められてしまったかのように、身動きが取れずにいた。
ヤ バ イ。撃 た れ るーーー
「ーーー伏せろ!!」
ドンッ!
後頭部を掴まれ、一気に床へと叩きつけられた。鼻の骨に罅が入ったんじゃないかってくらい、強い力で押さえつけられた。
いだい…。でも痛いということは、まだ生きている。
「走れるか!?」
聞き覚えのある声。顔を上げると、そこには姉さんがいた。
『逃がしませんわ♡』
柚希が再び銃を構える。姉さんはそこいらにある机を片手で掴むと、柚希に向かって投げつけた。
『っ、きゃあ♡』
机は柚希の銃にぶつかり、その衝撃で銃は床に落ちた。その隙に姉さんは俺を引きずり立たせると、強引に引っ張り、廊下を走った。
「ね、姉さ……、」
「上に行くぞ!階段はどこだ!?」
「突き当たりを曲がって……」
「ここか!」
一足飛ばしで階段を駆け上がり、三階へ。三階は三年生の教室と視聴覚室、資料室がある。俺達は資料室に駆け込み、ドアを閉めた。
普段からロクに手入れがされていないのだろう。薄暗い室内は埃っぽい。陳列した本棚の後ろに隠れるようにして息を潜める。
「……大丈夫か」
姉さんがぼそりと呟く。俺は目にいっぱい涙を溜めながら、必死に頷いた。まさか、こんな田舎町で銃撃戦が起こるなんて誰が予測出来ただろう。
「ねえざん~、じぬがどおもっだよ~」
「それだそれ。お前、何であいつに狙われてんの?あいつ、式神じゃん。滅多なことがなきゃ人間を襲ったりしないはずなんだけど」
「ぞれが~、おれもよぐわがんなぐで~」
「いい加減、泣きやめよ。みっともない」
俺はめそめそと泣きながら、姉さんにショコラから渡された御守りを見せた。それを見た途端、姉さんの表情がさっと険しくなる。
「これ……忍冬(スイカズラ)神社に奉納されてる護符だよ。噂には聞いてたけど、実物は初めて見た……」
忍冬神社とはこの町にある謎多き神社のことだ。寂れた小さな神社であり、何故か一般人は立ち入り禁止区域とされている。厳重に注連縄が施されており、関係者でないと入れないのだ。
実はこの神社には色々と因縁があり、立ち入り禁止区域にも関わらず、俺や姉さんは何度か立ち入っている。そしてその度、命からがらな目に遭っていたりするんだけど。
俺は改めて御守りを見つめた。指先でそっとなぞると、布地の感触の下に、確かに紙っぽい感触がある。この中に護符が入っているんだろうか。
「お前、あの神社についての謂われを知ってるか」
ふいに姉さんが押し殺したような低い声で囁く。その迫力にゾクリとしながらも知らないので首を振った。初詣や願掛けも出来ない神社のことなど、詳しく知ろうとも思わないし。
ただ。一般人が立ち入り禁止区域されているんだから、何らかの曰わくがあるんだろうとは思っていたけど。
姉さんは苦虫を噛み潰したような表情のまま、語り出した。
「あの神社はね、人身売買に利用された神社だとされているんだよ」
古くから伝わる童謡に「とおりゃんせ」という歌がある。「かごめかごめ」や「花一匁」と並ぶ有名な童謡だ。
この歌には実は恐ろしい説がある。人身売買に出された幼い子どもの悲劇を表した歌ーーーというのがそれだ。
とおりゃんせの歌詞を簡素に要約すると次のようになる。
とおりゃんせとおりゃんせ(通して下さい)
ここはどこのほそみちじゃ(この道はどこに繋がる細道なのですか)
てんじんさまのほそみちじゃ(この道は天神様を祀った参道に繋がっております)
ちょっととおしてくだしゃんせ(お願いですから通して下さい)
ごようのないものとおしゃせぬ(参拝客でないのなら通すことはなりません)
このこのななつのおいわいに(この子が七つになったので)
おふだをおさめにまいります(神社に参拝し、御祓いをしに行くのです)
いきはよいよい(行く時は気分が楽だけれど)
かえりはこわい(帰りは恐ろしい。甦ったらと思うと、生きた心地がしない)
こわいながらも(例えどんなに恐ろしくとも)
とおりゃんせとおりゃんせ(通して下さい)
昔々の話である。貧しい農村に生まれた子ども達の中には、口減らしと言って人身売買に出されたり、棄てられてしまうこともあった。
特に人身売買に出される子どもの比率は多く、大抵は十歳未満の子ども達が商品として売りに出されたのだ。
夜も更けた頃。人身売買の商談をするために、母親は我が子の手を引いて神社へと向かう。行き交う人々が夜更けに子どもを連れ出しているのを見て、時折声を掛ける。
「こんな夜遅くにどこへ行くのだ?」
すると母親はこう答える。
「この子が七つになったので、これからも無事に過ごせますようにと参拝に行くのです」
当時、飢饉や流行り病などに掛かり、七歳まで生きられる子どもは珍しかった。そのため、七歳まで生きた子は神様の御加護によるものだといわれ、これから先も無事でいられますようにと神社で守り札を貰う風習があったのだ。
だが、その風習を母親は利用する。参拝しに行くというのは口実であり、実は我が子を売り出すために、人目を阻んで神社へと連れ出したのである。
神社に着いた母親は、待ち合わせの相手ーーーこの場合、子どもを買い取る人買いから料金を貰い、我が子を引き渡す。その際、売られていく我が子のために、母親は護符を渡したのだという。
「護符を渡す理由は子どもの安泰を祈るためらしいが……それは建前なんだよ。実際は売られた子が例え死んでも、化けて出ないことを祈って渡したっていう説もある」
自分の利益のためだけに、平気で子どもを売り飛ばした上。尚且つ怨んでくれるなということなのだろう。何とも残酷で、手前勝手な母親の心情だ。
その時の護符が忍冬神社には奉納されているという。忍冬神社は何らかの神様を祀っているのではない。売られた子ども達の霊が迷い出て来ないよう、封印してある場所だったのだ。
そしてその護符というのがーーー俺が今持っている御守りであるらしい。
ごくりと生唾を呑む。何だってショコラは神社に祀られていた曰わく付きの護符なんかを持ってるんだよ。持ってるならまだしも、それを俺に託しやがって。
そう考えると、柚希が俺を指して「盗っ人」と言っていたのも合点がいく。
「あの柚希って人……嗚呼、人じゃなくて式神か。柚希は忍冬神社の関係者なのかな」
「まあ、そう考えるのが妥当だろうけど。式神は基本的に主人の名前は明かさないからね。聞き出すのは無理だろうな」
『その通りですわ♡』
ズダダダダダダダダダダッ!!!!!!!
俺はまたしても姉さんに組み伏せられ、顔をしこたま床に打ち付けた。銃弾は資料室の窓という窓を貫き、四方八方にガラスの破片は飛び散った。
いつの間にそこにいたのか。柚希はサブマシンガンを肩に担ぎ、悠々と俺達を見て笑っていた。
『御主人様のお名前はトップシークレットですから♡やすやすと明かすはずありませんわ♡』
「……このロリ破壊魔」
姉さんが小さく舌打ちする。
『ロリ破壊魔などと♡私には御主人様から頂いた柚希という名前があるのですわ♡そういうあなた様は何と仰るの♡』
「私は御影だよ。玖埜霧御影。ここにいる玖埜霧欧介の姉だ」
『なるほど♡ではつまり、私の敵ですわね♡』
「私には敵も味方もない。欧介の保護者であり、御主人であり飼い主でもある」
……保護者はともかく、御主人と飼い主は余計だよ。
柚希も一瞬「?」という顔をしたが。だが、すぐに任務を遂行することを思い出したらしく、胸元に手を突っ込んだ。その手に握られていたのはーーー小振りの手榴弾だった。
こいつ、胸の谷間にでも挟んでたのか。すげえ場所に隠してたんだな……などと感心している場合ではない!
「こらこらこらこら!このロリ破壊魔!」
『嫌ですわ、欧介様まで♡私は柚希ですよ♡』
「手榴弾なんか取り出してどうする気だ!言っておくが、こんな場所で手榴弾なんかブッぱなしてみろ。俺の体ごと護符だって木っ端微塵になるぞ!」
『ええ♡そうでしょうね♡』
「そうでしょうねって……。お前、これを取り返したいんじゃないの?」
取り返すために執拗に追い掛けてきてるんだと思ったけど、違うの?
柚希は「ほほほほほ!」と高笑いを上げ、お手玉でもするかのように、手榴弾を高く打ち上げては左手でキャッチした。
『取り返すも取り返さないもありません♡要は神聖なる神社に侵入し、あまつさえ奉納されていた護符を盗み出した♡それこそが罪♡ですから死んで頂きます♡』
「…、だから俺が盗んだんじゃなくて」
「前にも言っただろ。怪異には人間側の理屈は通じないよ。ましてやこいつは聞く耳持たず出しな」
『御影様は本ッッッッッ当に失礼な方♡私は式神です♡怪異よりずっと格上ですわ♡式神は本来、人心からなる悪行をーーー』
「逃げるぞ!」
「おわっ…、」
姉さんは俺の肩を抱くと、窓際まで走った。それに気付いた柚希がマシンガンで狙撃する。
『蜂の巣がお好みでしたか♡』
スダダダダダダダダダダッ!!!
幾ら柚希がマシンガンの名手でも、動く獲物を一発で仕留めるには無理があったようだ。弾は姉さんの右肩、右足首、左頬を掠めていくが、なかなか急所には当たらない。
一方、俺には一発も当たっていない。姉さんが身を挺して銃弾から守ってくれたからだ。
「ッ!」
次の瞬間。姉さんは俺を抱き抱えて窓の外に飛び出した。ここは三階である。
三階。さんかい。サンカイ。SANKAI。
「おおおおおおちぃぃぃぃぃぃぃるぅぅぅぅぅ!!!」
人間の体は重力に逆らうべく構造されていないのだ。俺は固く目を瞑り、先立つ不幸をお許し下さいとか何とか考えていた。人は死の瞬間、走馬灯を見ると聞いていたがーーー見えなかった。
ザサッ!ドサッ!
「………!」
「いてぇな。早くどけ莫迦」
そろりと目を開ける。かなり強く目を瞑っていたため、若干視界がぼやけていたが……どうやらここは天国でも地獄でも、はたまた三途の川でもないらしい。
仰向けになった姉さんの上に、うつ伏せで寝ているのだった。
「っ、うわあ!ねねねね姉さん大丈夫!?さささ三階からおおおおお落ちっ、落ちっ、落ちたっ、」
「平気だよ。植え込みの上に落ちるよう着地したし、三階の高さなら一見死にそうだけど死なないよ。私は頑丈だから」
「でっ、でも……」
「いいから早くどけ。左腕骨折して痛いんだから」
「っ、」
慌てて立ち上がり、姉さんを助け起こす。姉さんが言った通り、そこは植え込みの上だった。姉さんの体がクッション代わりになり、俺は掠り傷一つない。
一方の姉さんは、銃弾を三発も浴びた上、左腕骨折である。重傷だ。俺なんかを庇ったばっかりにーーー
『窓から飛び降りるとは……想定外でしたわ♡』
フリルの付いたスカートをふわりと靡かせて。柚希は俺達が出てきた窓から舞い降りる。こちらは重傷に逆らいまくり、ゆっくりと華麗に地面へと着地する。
『人間の考えることは本当に理解出来ません♡主従の関係ならばともかく、あなた方は血の繋がらない他人同士ではありませんか♡血の匂いがまるで違いますわ♡』
「血の繋がりが何だ。そんなモン、私は一度だって信じたことはないよ」
俺の肩を借りて何とか立ち上がりながら。姉さんは飄々とした口調で答えた。
『随分と口が減らない方ですわね♡そのような無様な格好になって尚、大口を叩くとは♡呆れるを通り越して哀れですわね♡』
「なあ、柚希。お前、こんな小話知ってるか」
ある時、一人の罪人が公開処刑をされることになった。処刑は殿様やその家来が見守る中、城の庭先で行われた。
罪人は両手首に縄を縛られ、打ち首される予定であった。処刑人に何か言い残すことはあるかと聞かれた時、罪人は殿様を睨み付けてこう告げた。
ー私はお前を許さない。末代までお前を祟ってやるー
鬼気迫るその表情に、家来達はみな恐れをなした。しかし殿様だけはまるで動じず、こう返した。
ーお前が本当に私を末代まで祟るというのならば、その証を見せよ。もし首だけとなったお前が、目の前に転がる石に噛み付くことが出来たその時は、お前の言うことを信じてやろうー
いよいよ公開処刑は行われた。みなが固唾を呑んで見守る中、刀は振り下ろされ、罪人の首は飛んだ。そのままゴロリと地面に転がるかと思われた生首は、手前に転がる石に歯茎を剥き出しで噛み付いた。そしてニヤリと笑い、事切れたという。
「いいか、柚希。よーく覚えとけよ。今の私にも同じことが出来る。マシンガンで蜂の巣にされようが、手榴弾で木っ端微塵にされようが関係ない。欧介に手ェ出したら……私はお前を殺すよ」
常識や理屈なんて関係ない。どちらが善でどちらが悪かも知ったこっちゃない。私は杓子定規な人間じゃないんだ。
だけど。
「欧介を殺してみろ。私はお前を殺す」
「蜂の巣にされようが」
「木っ端微塵にされようが」
「脳漿を吸い尽くされようが」
「心臓を握り潰されようが」
「首をはねられようが」
「殺す」
「柚希。お前を、」
「殺 す」
それはーーー嘘偽りのない発言だった。
伊達や酔狂で言ってるんじゃない。姉さんは本気だ。本気過ぎるほど本気で言っている。
玖埜霧御影はどこまでも大真面目だった。
『ふっ……』
柚希は視線を下に向けて息を吐いた。もしかしたら失笑したのかもしれないが、よく見えなかった。
そして彼女は、構えていたマシンガンを足に装着し直した。
『そんなに凄まなくとも大丈夫ですわ♡たった今、御主人様から退去の命令が下りました♡御主人様から命令が下った以上、あなた方に手出しは致しませんわ♡』
「そうかよ……正直、助かる」
『欧介様♡』
柚希は冷笑を浮かべ、俺をビシッと指差した。
『あなたを殺せなくて、本当に残念です♡可愛い坊やをいたぶるほど、楽しいことはありませんからね♡』
「欧介をいたぶるのは私の仕事だ」
姉さんがギロリと睨んだが、柚希はどこ吹く風だ。相変わらずにこにこと、愛嬌があるようでないような笑みを浮かべ、彼女は胸に手をやり、優雅に一礼しーーー
『……この変態姉弟』
最後の一言に限り、柚希は語尾に♡マークを付けなかった。表情も一変し、眉をしかめて露骨に嫌そうな顔をしていた。
柚希でもこんな顔をするのだなあと、俺は少しだけ感心した。
◎◎◎
その日、晴明中学校は大騒ぎとなった。
近所に住む住人から「窓ガラスが割れた音がした」「銃声のような音を聞いた」と警察に通報し、ちょっとした騒ぎになった。
俺と姉さんは騒ぎが起きる前にトンズラしていたので、詳細は知らないが……校長先生や教頭先生が呼び出されたり事情聴取をされたりと、色々あったらしい。
結局、どこかの不良が面白半分で中学校に侵入し、暴れたのではないかという結論になり、警察もその線で捜査しているようだ。この程度なら、冬休みが明ける頃には終焉するだろう。
姉さんはあれだけの手傷を負ったにも関わらず、病院には行かなかった。あれこれ検査されるのも、事情を聞かれるのも面倒だからとこうである。
心配する俺をよそに、姉さんは出来る範囲の場所には自分で消毒やら治療やらを施し、左腕に関しては俺にも手伝わせて添え木と包帯を巻いた。パパやママには「自宅の階段で誤って転んだ」と誤魔化しているという。
因みに。姉さんは左腕を負傷したことをいいことに、あれから何やかんや俺に言い付けるようになった。骨折したとはいえ、利き腕ではないから、そこまで不便はないようにも思うけれど……俺を庇って怪我したことは事実なので何も言えまい。
「ご飯食べさせて。あーん」
「はいはい」
「服を着替えるから手伝って」
「はいはい」
「お風呂入るからブラ外して」
「はいはいはい……って、出来るかぁ!」
こんな調子である。一体いつまでこんなことが続くのだろうか。
そうそう、言い忘れていた。俺や姉さんを事件に巻き込んだ当の本人、日野祥子ことショコラのことについても触れておこう。
事件が解決(?)したその日のうちにショコラからラインで電話が来た。「もしもし」と出ると、彼女の第一声は、
「あれっ、生きてたんだ」
「……お前なあ。あんな目に遭わせておいて、第一声がそれか。幾ら温厚な俺だってキレるぞ」
「あはは、冗談だって。無事で良かった。ずっと気掛かりだったんだよ。欧ちゃんが死んじゃったらどうしようかって」
「死にはしなかったけど、死に掛けたよ。お前が俺に押し付けた御守り。あれは忍冬神社に奉納されてる護符だって話じゃないか。どうしてお前がそんな物を持ってたんだ。お陰で色々大変だったんだぞ」
「まあまあ。私だって悪いと思ったから、止めてあげたんじゃない」
「ん?止めたって何のことだ?」
「あっ、たーいへん。携帯の充電終わりそうだ。ごめんね、欧ちゃん。話の続きは休み明けにね~」
それだけ言うと、別れの挨拶もなく電話は切られてしまった。
作者まめのすけ。
学園異能バトルの「異能」ってどういった意味なのでしょう。