近頃、めっきり生きていくのが嫌になってしまった。年のせいだろうか。
妻は気づいていないが、私は彼女がこっそり浮気していることを知っている。相手が私の血を分けた弟だということも。
年頃の娘はほぼ毎日帰ってきていない。タチの悪い友達とつるみ、たまに家に帰ってきても、私や妻とは一切口を聞こうとはしない。妻もそんな娘の態度に平然としている。
家庭はギリギリの平衡を保たれているだけだった。いや、いっそのこと崩壊しきってしまったほうがどれだけ楽だろう……
毎日、身を粉にして働いているのに成績は上がらない。自分と同世代の上司から罵声を浴びせられ、私は何度も頭を下げる。うだつの上がらない私を、同僚はだんだん飲みに誘わなくなった。後輩からも時たま嫌みを言われる。
嗚呼、嫌だ嫌だ……
世間のしがらみとは、何だってこんなに面倒なのだ。
最寄り駅のホームで電車を待つ。終電近くだというのに、ホームで待つ人間はポツリポツリとしかいない。近くに立つ若い女が、携帯で電話をし始めた。キツい香水の匂いが鼻をつく。この寒空の下、かなり短いスカートを履いている。風邪を引くだろうに……寒くないのだろうか。
「じろじろ見てんじゃねーよ、スケベ!」
彼女は私を睨んで怒鳴った。そして私の前に割り込むと、電話したまま電車に乗り込んだ。
嗚呼、嫌だ嫌だ……
「一人になりたいなあ……」
空いている車内で、ポツンと呟く。勿論、独り言だった。
「お前さん、一人になりたいのかね」
ハッとした。いつの間にいたのか、杖をついた老人が私の前に立っていた。今の独り言を聞かれたのだろうか。思わず赤面する。
「一人になりたいのかと聞いてるんだ」
老人は静かに聞き直した。私は頭をかきながら、誤魔化すように笑った。
「はは……。いやね、家族ともうまくいかないし、仕事にも行き詰まっててね。お恥ずかしい……」
「お前さんの覚悟が本物ならば、願いを叶えてやるよ。この場所へ来なさい」
老人は懐からしわくちゃに丸められた紙切れを取り出すと、押し付けるようにして寄越した。戸惑いながらも受け取り、地図を見る。そこには、この町に古くから伝わる鎮守の森までの道順が細かく書き記されてあった。
鎮守の森に来いということだろうか。
顔を上げると、老人はどこにもいなかった。
翌日は日曜日だった。私は老人から託された地図を握り締め、鎮守の森へ向かった。森は迷うほどに広くはないが、それでもかなりの敷地である。
アテもなく森の中をさまよい歩いた。すると、ある場所の土が盛り上がっていることに気付いた。傍にはスコップも放り出されてある。
私は駆け出し、スコップを握った。何故、そんなことをしたのか分からない。しかし、自分でも分からぬまま、衝動の赴くままに地面を掘った。掘り進めていった。
体力にはあまり自信はなかったが、無我夢中で掘った。寒い季節ではあったが、体は汗ばみ、呼吸もどんどん荒くなってくる。額から滴り落ちる汗が目に入って痛かったが、決して手は止めなかった。
……どれくらい掘り進めただろうか。辺りが薄暗くなった頃、スコップの先にカチンと固い何かが当たった。私は気が触れた人間のように笑い狂い、スコップを動かし続けた。
出てきたのはーーー棺桶だった。興奮冷め終わらぬうちに棺桶を開けたが、中には何も入っていなかった。
その瞬間、私は呪縛から解けたように正気を取り戻した。一体、何をしていたんだろう。何かに取り憑かれたように掘り進めてしまった……。自分が掘り当てた棺桶を目にし、悪い夢から覚めたような気がした。
すると、耳元で老人の声がした。
「この棺桶はお前さんの物だよ」
一人になりたいんだろう?
作者まめのすけ。-2
表紙は老人と見做してご覧ください。