十八回目の投稿です。
前回までのあらすじは大変恐縮ですが割愛させていただきます。
あれは高校一年の凍えるような寒い冬のことだった。
nextpage
朝礼のチャイムがそろそろ鳴りだすという時に、僕は今廊下に立っている。
そして僕の目の前には『倉持沙奈』が無表情のまま立っていて、僕に小さな木箱を差し出してきている。
その木箱の中には黄ばんだ『爪』が入っているのだ。
「これは『爪』です」
「えっ?誰の?」
僕は反射的にこの『爪』が誰のものかを訊いてしまった。
倉持さんは僕の問いに反応は無く、手に持っている木箱を無言で僕の胸に押し付けてきた。
「倉持さん、ちゃんと説明してくれないと分かりませんよ!」
僕はそう言って木箱を押し返す。
「キーンコーンカーンコーン…」
朝礼の鐘が学校内に鳴り響く。
倉持さんは僕の手から木箱の蓋を取ると、静かに木箱に蓋をしてコートのポケットに入れ込んだ。
「また後程…」
倉持さんはぼそっとつぶやくと、踵を返して自分の教室の方へ戻っていった。
倉持さんが去った途端に、強い緊張感から解放されたように体が軽く感じられる。僕も教室へ戻り、自分の席に座った。…
朝礼が終わると亮介が僕の席に近付いてくる。
「よぉ、さっき倉持さんと何話してたんだよ!」
亮介は珍しく真剣な表情をしている。
「話というか何というか…」
「おい!もったいぶらないで教えろよ!」
亮介は強めに僕の肩を押してくる。
「爪を見せられた」
「はぁ?」
亮介はぽかんと口を開けている。
「だから爪を見せられたんだよ!」
「何だよ爪って!?やばいだろ!完全にやばいだろ!もう関わるのやめとけって!無理無理無理っ!俺は絶対頼まれても関わらないからな!」
亮介はそう言って手を振りながら席に戻っていった。
亮介に関わってもらおうとは1ミリも考えていないと言ってやりたかったが黙っていることにした。
それにしても今回の『爪』のことは昨日の『怨霊』と同様に『やばい』ことは間違いない。倉持さんも言葉が少なすぎるため、どうしてほしいのか、どうしたいのかが明確には分からない。
でも…
倉持さんは困っていて、僕に助けを求めているに違いない。
僕はそう思い込むことにした。
nextpage
《放課後》
「龍くん」
いつものように教室の入口から七海が僕を呼んでいる。
僕はバッグを肩に担ぎ、亮介に手を振った。
「亮介、また明日」
「お前らって本当に仲良いのなぁ。俺も彼女が欲しいよぉ。あっ、でも優しくておしとやかな子ね!」
亮介はわざとらしく僕向かって、ニカッと笑った。
教室から出ると七海のいつもと変わらない笑顔が待っていた。
「今日寄りたい所があるんだけど、いい?」
「うん、いいよ」
「じゃあ、新しく出来たデパートに美味しいクレープ屋さんがあるみたいなんだけど、一緒に行こ!」
七海はにっこりと笑っている。
僕と七海はそのまま駐輪場へ向かった。
教室を出たあたりから背後に異様な気配を感じる。それは一定の距離を保ちながらも、確実に僕たちの後ろをつけてきている。
駐輪場に着くと僕は間、髪を入れずに振り返った。
振り返った先には亮介がポケットに手を突っ込みながら僕と七海を見ている。
「なんだ亮介か。何か用?」
亮介はポケットから手を出し、口をすぼめながら頭を掻きだした。
「いやぁさぁ、俺も今日丁度クレープを食べたいなぁって思っててさぁ」
「それで?」
亮介は僕に顔を近付けて、にかっと笑った。
「俺もそのクレープ屋さんに連れてって!」
亮介はムカつくほどの満面の笑みで、目をぱちくりさせている。
「塚原くんさぁ、勝手についてくるのはいいけど、邪魔しないでね」
七海はそう言うと、自転車に乗って校門を出て行ってしまった。
「なっ?やっぱり七海ちゃんは俺にツンデレだろ?」
亮介は僕の肩を数回叩き、自転車に跨がる。
僕はため息をついて、七海の後を追った…
デパートに着くと駐輪場に置ききれない程の自転車が乱雑に置かれていた。さすが新しくできたデパートだけあって、沢山の人でごった返している。
僕たちは人混みを掻き分けながら目的のクレープ屋さんを目指した。
クレープ屋さんにたどり着くと、やはり長蛇の列が僕たちを待っていた。
「すげぇ混んでるじゃん!かなり待ちそうだし違う場所でクレープ食べるってのはどう?」
「このくらい待つのは予想してたし、待つのが嫌なら塚原くん一人で違うクレープ屋さんに行きなよ」
「七海ちゃんそんなこと言って、本当は俺がいた方が楽しいと思ってるんでだろ?分かった!俺も黙って待つことにする!」
「塚原くん、本気で怒るよ」
僕はへらへら笑っている亮介と、機嫌が悪そうにぶすっとしている七海を見て、なんだか楽しくてしょうがなかった。
「龍くん、何笑ってるのよぉ」
七海は僕のほっぺたを軽くつねってくる。
「ごめんごめん。二人のやりとりが楽しくって…」
僕のほっぺたから七海の手が離れた瞬間、突き刺さるような鋭い視線を感じた。
咄嗟に周りを見渡すが、あまりの人混みでその視線の正体が分からない。でも誰かが僕のことを見ているような気がする。
「龍くん、そんな怖い顔してどうしたの?」
七海は心配そうな顔をして僕を見つめてくる。
「なんか、誰かに見られているような感じがするんだよね…」
「何言ってんだよ!気のせい気のせい!ほら、順番が来たぞ!」
僕は亮介に背中を押され、カウンターでクレープを注文した。
僕たちは円テーブルに三人で座り、クレープを食べ始めた。
七海は甘いものが大好きで、夢中でクレープにかじりついている。
そんな七海を見ていると、何やら足に違和感を覚えた。もぞもぞと僕の足の甲を撫でられているような。
どうせ亮介がふざけて僕の足の上を踏んでいるんだと思いながら、自分の足下を見てみる。
nextpage
「えっ…」
僕の足の上に、まるで血の気を感じられない青白く細い手が乗っかっている。
僕は反射的に足を引っ込めた。しかし、その白い手はゆっくりと僕の足に向かって伸びてくる。
「ひぃっ…」
僕は小さく悲鳴を上げてしまった。ふつふつと恐怖心が湧き、僕の体は硬直してしまったかのように、動かすことが出来ない。
「龍くん、どうかしたの?」
七海の問い掛けに反応したいが、白い手から視線を外すことが出来ない。
白い手は徐々に伸びていき、僕の左足首を強く掴んだ。
「ズズズズズズ…」
床を擦るような異様な音が聞こえ、掴まれた足首に痺れるような痛みが生じる。
「ズズズズズ…」
異様な音と共に真っ黒い頭部の先端がテーブルの陰から見えてきた。
そいつは長くて真っ黒な髪の毛であることは分かるが、下を向いているためどんな顔をしているのかまでは見ることが出来ない。
そしてそいつは床に左手をつき、上半身を少し上げ、俯いていた顔をゆっくりと上げていった。
「目を見てはいけません」
後ろからか細い声が聞こえ、僕の視界は急に暗闇に包まれた。
誰かが後ろから僕の両目に手を当てている。
僕は恐怖で身動きがとれない。
「なんであなたがここにいるんですか。龍くんから離れて」
七海の怒りに満ちた声が聞こえると、僕の両目は暗闇から解放され、元の視界を取り戻した。
机の下にいた女性の姿は消えている。
nextpage
「間に合って良かったです」
聞き覚えのある声が後ろから聞こえる。振り返ると倉持さんが僕の後ろに立っていた。
「もう龍くんには関わらないでください」
七海はそう言って立ち上がる。
「何故ですか」
倉持さんは無表情のまま七海に近付く。
「何故関わってはいけないのですか?七海さんにそんな権限は無いと思いますが」
「何故って、私たちはあなたのせいで危険な目に遭ってるんですよ!これ以上あなたと関わりたくないんです」
「七海さんと私の関わりを断つのは御自由にどうぞ。私は龍悟さんにだけ用事がありますので…」
「バンッ」
七海はテーブルを強めに叩いた。
「だから、龍くんにも近付かないでって言ってるの!」
倉持さんは静かに目を閉じ、深く息を吐き出してから再び大きく目を開けた。
「先程も申し上げましたが、七海さんは何の権限があって私と龍悟さんの関わりを止めようとしているのでしょうか?」
「私は龍くんの彼女なんだから当然のことをしてるの!」
七海と倉持さんはお互いに睨み合っている。ピリピリとした空気が僕たちのまわりを包み込んでいるようだった。
「ちょっ、ちょっと二人とも!一旦落ち着いて話を整理しようよ!」
僕の声に反応して七海と倉持さんは僕のことをぎろっと睨みつけてくる。
「とりあえず椅子に座ろっ!」
七海はそのまま椅子にストンと腰掛け、倉持さんも空いている椅子に腰掛けた。
「先ずは倉持さん、どうしてここにいるのか説明してくれますか?」
倉持さんは着ているコートのポケットから木箱を取り出し、テーブルの上にそっと置いた。
「この箱は朝に龍悟さんにお渡ししようとした物です」
「これって龍悟が朝話してたやつだろ?!中身は『爪』なんだろ??」
亮介はそう言って椅子に座りながら顔をひきつらせ、大きく仰け反っている。
「はい。この箱の中には爪が入っています。そしてこの爪のことを説明したかったのですが、学校でお話する機会を逃してしまったため、このように龍悟さんの後をつけてきた訳です」
倉持さんは静かに木箱をポケットに戻し、僕の瞳を見つめてくる。
「倉持さん、その木箱の爪のこと詳しく話してくれませんか」
倉持さんはコホンと小さく咳払いをして話し始めた。
「この木箱は私がよく行く骨董品店の店主から無理を言って譲っていただいた物です。その店主の話によると、この木箱は御守りみたいなもので、魔除けになるのだとか…」
僕は倉持さんの話を聞いて、少しホッとした。倉持さんはそんな大事な物を僕にくれようとしていたのかと思うと嬉しくも感じられた。
「ですが、この木箱を開けた者には災いが降りかかるといわれている曰く付きの物です」
「えっ?どういうこと?」
また倉持さんは淡々と不思議なことを言っている。『御守り』なのに『災い』が降りかかるなんて意味が分からない。そもそも何かの『爪』が御守りだなんて、気味が悪すぎる。
「どんな災いなんですか…?」
恐る恐る訊いてみると、倉持さんは少しだけ目を細めた。
「詳しくは分かりません。ただ…」
「ただ…なんですか?」
「ただこの箱を開けた者は皆失踪してしまうか、または精神を酷く病んでしまうらしいのです。この箱を譲ってくださった店主の奥様は、箱を開けた次の日に失踪してしまったとのことです」
僕は頭の中が真っ白になった。もし倉持さんの言っていることが本当であれば僕はこれから失踪するか精神がおかしくなってしまうことになる。
なんだか怒りすら湧いてこない。
「あなた龍くんに何をしたのかわかってるの?!」
七海は急に椅子から立ち上がり、顔を真っ赤にして倉持さんを見下ろしている。
「分かっています!」
常に冷静沈着な姿からは想像もつかないような大きな声を出して、倉持さんも立ち上がった。
「分かっています!箱を開けた者にしか『あいつ』の姿が見えないのです。もう時間がないんです!私の妹が箱を開けてしまって…」
倉持さんは言葉を詰まらせて俯いてしまった。倉持さんの体は小さく震えている。
僕も立ち上がり、倉持さんの肩にそっと手を置いた。
「倉持さん、ちゃんと説明してくれればいつでも協力しますよ!」
倉持さんは静かに頷く。
「本当に申し訳ありません…妹を助けてください。助けてもらえるのであれば私、なんでもしますから…」
「ガタッ」
亮介が勢いよく立ち上がる。
「倉持さん、今『なんでもします』って言いました?」
「…はい」
「そのぉ、なんでも…ですよね?」
「…妹を助けてくださるのであれば」
亮介は鼻の穴を大きく広げ、息を深く吸い込んだ。
「じゃあ、もし妹さんを助けられたら、僕とエッチしっっ…」
「バチンッ」
弾けるような音と共に、亮介の左頬は手の形に真っ赤に晴れ上がる。
「い、痛っ!ちょっ、待ち!冗談冗談!」
七海は再び亮介に『ビンタ』をする体勢を整えていて、亮介は必死に防御の構えをしている。
「ほんっと塚原くんって最低ね」
七海はそう言って亮介をバシバシと叩いている。
「亮介、さすがにそれはないよ。冗談を言うところじゃないよ」
「いやっ、なんだか空気が悪かったから空気を変えようと思ったんだよ!」
「スッ」
倉持さんは静かに立ち上がる。
「もしよろしければ、明日私の家に来てくださいませんか」
僕もつられて立ち上がってしまった。
「もちろんいいですよ!」
七海と亮介の方を見ると、二人とも頷いてくれた。
「ありがとうございます。それでは明日の十時にお待ちしております」
倉持さんの表情は思いなしか明るくなったように見える。まだ倉持さんには訊きたいことが山ほどあったが、倉持さんはバッグ持つとそのまま足早に立ち去ってしまった。
僕たち三人は椅子に座り直した。
「とにかく塚原くんは金輪際私に話し掛けないでね」
七海は亮介に冷たい視線を送っている。
「だから冗談だってば!」
亮介は少し半泣きになっている。
「そう言えば龍くん大丈夫なの?あの箱を開けちゃったんでしょ?倉持さんの話では、箱を開けた人には災いが降りかかるとか。それに『あいつ』が見えるってなんのこと?」
「うぅん…僕は大丈夫だよ!別に変な物も見えないし…」
僕は不安な気持ちで体が満たされていたが、七海に心配かけたくなかったので、『あいつ』を見たことは黙っていることにした。
僕たちは少し雑談をしてから解散した。
家に帰り、食事とお風呂を済ませてから部屋でベッドに横になり、テレビを見ながらくつろいでいると急に眠気に襲われて、そのまま僕は深い眠りに落ちてしまった。
nextpage
「…ザッ、ザーーーーー…」
耳障りな音で目が覚め、眠い目をこすりながら時計を確認すると時計は午前二時を指している。
部屋の電気もテレビも点けたまま寝てしまったのだ。
僕は大きな欠伸を一つして、ベッドからゆっくりと降りる。
とりあえずテレビの電源を切ろうと、スピーカーから無機質な音を出し続けているテレビへ近付いた。
「ザーーー…ブブ…ザーーー…ブブブ…」
テレビに近付くと、テレビから聞こえる砂嵐の音に混ざって『ブブブ』と奇妙な音が微かに聞こえる。
何の音か確認するため、テレビに耳を当ててみたが、テレビから出ている音ではなさそうだ。
テレビを消してみようと、テレビの電源スイッチを押してみる。
「カチャ」
「あれっ?」
電源スイッチを押したが、テレビの画面は砂嵐を映し続けている。
「カチャカチャカチャカチャ」
何度も電源スイッチを押してみるが、一向に電源が消える気配はない。
仕方がないのでコンセントからコードを抜いてしまおうと、コンセントに手を近付けた。
「ブブブブブブブブブ…」
テレビの上に位置する窓から聞こえてくる。それも音が徐々に大きくなっている。
立ち上がって窓を見た瞬間に、全身の毛穴から汗が一斉に噴き出した。
「ブブブブブブブブブ…」
僕の目の前の窓ガラスの外側に、女性がしがみついているのだ。長い髪の毛が前に垂れているので、顔は見えない。
その女性は力強く窓ガラスに爪を立てて引っ掻いているように見える。
「ブブブ…ブブブ…」
否、女性の指には爪がない。まるで綺麗に剥がされてしまったように、両手の指全てに爪がないのだ。
女性の両手で窓をなぞる音が僕の恐怖心を煽っていく。
「ドスン」
僕は腰が抜けてしまい、その場に尻餅をついてしまった。
「ブツンッ」
目の前のテレビの電源が急に切れ、漆黒の画面には部屋の様子が見えた。
「いぃぃっ!」
僕は電源が消えたテレビの画面を見て、背筋が凍りついた。
テレビの画面には僕の姿の他にもう一人映り込んでいる。
僕のすぐ後ろに窓の外にいた女性が立っているのだ。
意を決して素早く振り返ったが、そこには女性の姿は見えない。
もう一度テレビの画面を確認する…
映っている。
女性の姿が映っている。
女性は僕の両肩を掴み、僕の顔の真横に頭を俯かせ、長い髪を垂らしている。
指の先から頭の先まで鳥肌が立つ感覚を覚えた。
この場から逃げ出そうにも足に力が全く入らない。
「パチン…」
部屋の電気が急に消え、僕の視界は完全に暗闇に支配された。
「フッフッフッフッフッ…」
耳元で不自然なほどの小刻みな呼吸音だけが聞こえる。
「わぁぁあ!」
僕は無理に大声を出し、震える足に鞭打ち立ち上がった。部屋は真っ暗だが、自分の部屋の構造は知り尽くしている。
僕は迷わず部屋のドアに近付き、ドアノブを握りしめた。
「ヒタ…」
ドアノブを握った右手の甲に冷たい感触を感じる。
それは僕の手を冷たく包み込んでいく。これは人の『手』だ。
手首、腕、肩、足首と同じ様な感触が体中から感じる。
そして僕のことをゆっくりと後ろへ引っ張っているようだ。
「カチャ…」
力を入れていないのにドアノブが静かに回った。
「キキキキキキキキ…」
木の軋む様な音と共に、ドアがひとりでにゆっくりと開いていく。
開いたドアの奥に女性の姿が見え、僕は反射的に目を瞑った。
「ひっ」
思わず声が漏れてしまう。僕の両まぶたに冷たい感触が襲ってきたのだ。僕のまぶたを無理矢理開かせようとしているのか、まぶたを指で強く押し上げてくる。
抵抗も虚しく、僕の両目はあっさりと見開いてしまった。
目の前に髪の長い女性が俯いたまま立ちすくんでいる。女性はゆっくりと顔を上げる。
『嫌だ!見たくない!』
僕の心の叫びも虚しく、女性の顔がはっきりと見えてしまった。
女性の両目は白く濁ったように見え、真っ直ぐに僕を見つめている。
女性は僕が怯えているのを楽しんでいるかのように、薄気味悪く微笑んでいる。
逃げようにも、もうどうすればよいのか分からない。
女性は僕の手首を掴み持ち上げると、僕の手を女性の口元へ引き寄せた。
そして次の瞬間、僕は目を疑った。僕の人差し指を女性がくわえ込んでいるのだ。
「じゅるん…」
女性の口から解放された僕の人差し指に異変が起きている。
人差し指の爪が無くなっているのだ。
しかし不思議と痛みは全く感じられなかった。
女性はその後も中指、薬指、小指、親指と順番にくわえ込んでいく。
全ての指をくわえ終えると、女性は満足そうな表情を浮かべ、口からはだらだらとよだれを垂らしている…
nextpage
「ピピピピピピピ…」
目覚まし時計のアラームが部屋に鳴り響く。
目を開けると、部屋に窓から朝日が差し込んでいるのが見えた。
咄嗟に起き上がり、周囲を確認するが、女性の姿は見当たらない。自分の両手の指を見ると、ちゃんと爪はある。
けたたましく鳴るアラームを止め、時間を確認すると時計は朝の七時を指していた。
『なんだ。夢だったのか…』
僕は安堵のため息を漏らした。変な夢だったなと思いながらベッドから降りると足の裏に何か違和感を感じる。おもむろに片足を持ち上げ、足の裏を確認すると、白くて丸いものが何個か付いていたため、一つ摘んでみる。
「爪だ…」
足の裏に付いていたのは、爪であった。足元を見てみると、床には爪が大量に落ちていて、更にベッドの周りいっぱいに爪が散乱しているのが見える。
「ケホッケホッ」
急に喉に何か詰まったような感じがして咳き込んでしまった。
「ケホッケホッケホッ」
手で口を押さえながら咳き込んでいると、手の平に違和感が。
嫌な予感をひしひしと感じながら手の平を確認すると、手の平に爪が数枚乗っかっている。
「うわぁぁあ!」
僕は爪を投げ捨てて部屋から飛び出し、急いで準備をして家を出た…
「ピンポンピンポンピンポーン」
「はぁい!」
聞きなれた声と共に玄関のドアが開く。
「あれ?龍くんどうしたの?今日の約束は十時だけど、まだ七時半だよ?それに顔が真っ青…」
七海に話したいことがありすぎて、何から話したらいいか分からない。そんな僕の様子を感じとったのか、七海は家の中に優しく迎え入れてくれた。
居間に案内され座布団に腰かけると、七海が僕の顔を覗き込んできた。
「龍くん、何があったのか話して!」
七海の表情は僕を心配しているというよりは、好奇心旺盛の少年の様である。
夜中に見た夢のことと、朝ベッドの周りに爪が散乱していたことをなるべく詳しく話した。
話し終わると七海はジッと僕の肩辺りを見つめている。
「なっ、何?!何か僕の肩に見えてるの??」
「もしかしてこれって…」
七海はそう言って僕の肩辺りを摘んみ、摘んだものを僕に見せた。
「龍くん、これがその爪?」
「わぁぁああ!!」
僕は慌てて七海が摘んでいる爪を叩き落とした。
「ダメだよ触っちゃ!これに触ったら…」
「おっ」
後ろから男の人の声が聞こえた。
振り返ると七海の父がいつの間にか僕たちのそばに立っている。
そして床に落ちた爪を拾い上げる。
「あの、それに触ったら大変なことに…」
七海の父は気にせず拾った爪を眺めている。
しばらく眺めると、近くのごみ箱に爪をポイと捨てた。
「これは念呪だな」
七海の父はそう言ってドスンと座り、あぐらをかいた。
「お父さん、今何て言ったの?捨てちゃって平気なの?」
七海は心配な表情に変わる。
「だから『念呪』だよ。捨てても全く問題無い」
僕も七海もポカンと口を開けてしまっているのを見て、七海の父は『念呪』を簡単に説明してくれた。
nextpage
『念呪』と云うものはその名の通り呪いの一種である。性質としては術者が好意を寄せている相手に対して最も有効に力が働き、相手がいつどこで何をしているのかが把握できたり、相手の夢の中に入れたりすることが出来るらしい。
術者の体の一部に念を込め、相手に渡すか、じっくりと見させることで念呪の効果が発動する。
nextpage
「だから龍悟以外の人が触ったところで、何にも被害は及ばないってこと」
「気持ち悪い。まるでストーカーじゃない」
七海は眉間にしわを寄せている。
「しかし、これはよっぽど好かれてるなぁ。普通なら髪の毛を使うのが一般的なんだが爪を使うとは…念呪で使う体の一部を体から取り出す時の痛みが強ければ強いほど、念呪の力が強くなるんだ。知人の話では、念呪に臓器を用いた術者もいたらしい。それにな…」
七海の父は自慢気な顔をしなが話を続けようとしている。
「念呪のことは大体分かったから、その解き方を教えてくださいよ!」
「まぁ話を最後まで訊け。術者は言葉巧みに話し、相手に術者の言うことを聞かせようとする。相手が術者の言うことを聞けば聞くほど念呪の力は強いものになるからな」
七海の父はニヤリと笑う。
「だが、相手が言うことを聞かなかったり、お願い事を無視された場合は念呪の効果はあっさり消えてしまうんだ」
僕と七海はお互い顔を見合わせる。
「倉持さんは今日の十時に家に来るようにお願いしてきた。そのお願いを無視すれば…」
七海はコクリと頷いた。
「もう解決したみたいだな。まぁせっかく来たんだからゆっくりしていきな」
七海の父は僕の肩を優しく叩き、外に行ってしまった。
僕と七海は七海の部屋で休日をゆっくりと過ごすことにした…
nextpage
《数時間後》
「あっ!」
僕は読んでいた雑誌をパタンと閉じ、七海の方を見る。
「急にどうしたの?」
七海も雑誌を閉じた。部屋の時計を見ると、もうお昼前になっている。
「亮介のこと忘れてた!あいつ一人で倉持さんの家に行っちゃってるかも!」
七海は『なぁんだ、そんなことか』と言いたそうな顔をして、再び雑誌を読み始めた。
「心配しなくていいんじゃない?それに塚原くんから何も連絡来てないんだし」
「うぅん、そうだけどやっぱり心配だよ!もう約束の十時を過ぎてるから念呪の効果は切れてるだろうし、行くだけ行ってみてもいいかな?」
「龍くんがそう言うなら…」
七海は多少不満そうであったが、渋々納得してくれたみたいだ…
倉持さんの家の前に着くと、家の門が開きっぱなしになっていた。
僕たちはそのまま門を通り、家の敷地内に入っていく。
不気味な気配を感じながら、家の玄関の前に立ち、思い切ってインターホンを鳴らしてみた。
「ピンポーン…」
静まり返った家の中にインターホンの音が響き渡る。
「ガタン…ドンドンドン…ガタガタガタ…」
二階辺りから異様な物音が聞こえてくる。七海が僕の服の裾を強く引っ張る。
亮介に何かあったのかもしれない。嫌な予感が頭の中を駆け巡る。
僕は意を決してドアノブを掴みドアを開けようとしたが、鍵が掛かっているため開かない。
その間も異様な物音は続いている。
「どこからか家の中に入れるところを探そう!」
七海は強く頷いてくれた。
「ダンダンダンダンダン…」
家の裏に回ろうとした時、階段を荒々しく降りてくるような音が聞こえた。
ピリリと緊張した空気が僕たちの周囲を支配する。
「カチャリ」
ドアの鍵が開錠された音が聞こえ、僕は無意識に唾液をゴクリと喉の奥に流し込んだ。
「カチャ…」
ゆっくりとドアが開く。僕と七海はこれからやってくるであろう『恐怖』に対して身構える。
「お、遅いじゃねぇかお前ら!」
僕たちの目の前に現れたのは『塚原亮介』であった。
「なんだ、無事だったんだ」
僕は亮介の元気な姿に拍子抜けしてしまった。
「どうも」
倉持さんも亮介の脇から顔を出す。
「二人とも二階で何してたの?」
「べ、別に何もしてないって!ただ龍悟と七海ちゃんが来ないから二人で話してただけで…」
七海の問いに亮介はおどおどした態度をとっている。それに亮介も倉持さんも服装がやけに乱れているような…倉持さんに関しては頬が赤らんでいるような…
「それに妹さんのことはもう解決出来たみたいだからさっ!」
亮介はしきりに頭を掻いている。
「じゃあ、私たちはこれで」
七海は僕の手を握り、強く引っ張った。
「あ、ああ!俺はまだ頼み事されてるからもう少し居るわ!」
「ご迷惑お掛けました」
倉持さんはポツリと呟くと、深く頭を下げた。
つられて僕も頭を下げ、顔を上げた時にゾッとした。
倉持さんが僕を睨んでいる…白く濁った目をしながら。
「龍くん、帰ろ!」
七海は早く帰りたそうな顔で僕を見つめている。
倉持さんに視線を戻すと、透き通るような瞳でいつもと変わらない無表情であった。
亮介と倉持さんが家に入るのを見届けてから、僕たちは倉持さんの家を後にした。
家の中から咳き込む声が聞こえた気がしたが、空耳だろうと特に気にしないことにした。
作者龍悟
遅くなりまして申し訳ございません!
この話は一旦終わります!終わりにしておきます
今回も読んでいただきありがとうございました!