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これは俺が数年前に体験した話だ
俺はバーテンダーなんだがその当時夢だった自分の店を持った
知り合いのつてで私鉄沿線の潰れたバーをいぬきで借りることになった
冷蔵庫や製氷機をはじめ グラスや食器までそのまま残っていて はじめて店を持つ俺には初期費用をだいぶ下げられたお得な物件だった
なんでも前のオーナー兼バーテンダーは大のバクチ好きで多額の借金をつくり夜逃げしたようなもんだったらしい
酒も一通り残っていたがさすがに封が切ってあるものを出すわけにもいかず処分して新しいのを買いそろえた
だが1本だけ気になった酒があったのでそれは残しておいた
それは何のラベルも貼ってなく透明なボトルに薄い琥珀色のついた酒が入っていて手書きのメモだけが張られていた
そのメモにはサインペンで
「飲むな!!」と書かれている
俺は妙だと思ったが面白味をもち一応それだけをとっておいたのだ
バーテンダーの中には自家製のリキュール(簡単に言うとウォッカやホワイトラムを混ぜたホワイトスピリッツ系の酒にハーブや果物を浸けること)をするやつもいる
そういった類いの物ではないかと思った
いずれにせよ俺は予想以上に費用を抑えて店を持てた
それまでに俺は二軒の店で修行をしていたので前からのお客を持っていたこともあって幸先のいいスタートを切れた
それなのに俺はたった2ヶ月で店を潰すはめになるとは
その経緯はあまりに奇妙で未だに信じられない思いにかられる
オープンして1週間くらいの時だった
俺はもちろん店にたっている間はあくまでも仕事だから お客さんに酒をすすめられない限りは酒を飲まない
古くからのお客さんも多くすすめてくる人も結構いるので一滴も飲まずに仕事が終わることはまず無いのだが
なんとか最初の1週間をいい成績で終えられたとき無性に酒が飲みたくなってきた
どうせだったら面白い酒を飲みたいと思ったのでどこかのバーの勉強がてら飲んだことの無い酒を探しにいこうと思った
だが俺の頭にふと浮かんだのはあの「飲むな!!」という酒だった
だいたい酒は飲むためにあるのだから「飲むな!!」と書くこと自体おかしい話だ
そう考えるとボトルの中身は酒では無いのかもしれないと思ったがキャップを外して匂いを嗅ぐと明らかに酒だった
「飲むな!!」と書かれた理由を探すうちにあることが引っ掛かった
俺と同じで前のオーナー兼バーテンダーが一人で店をやっていたと聞いている
つまり従業員は自分しかいないわけだからわざわざ「飲むな!!」と注意書をすること自体に違和感を覚えた
そんなことから俺はこれを自家製リキュールで面白がって飲むお客さん狙いでわざと「飲むな!!」と書いてあるのではないかと思った
もしも悪酔いするような代物であっても明日は初の休みなので問題なかった
俺は「飲むな!!」の酒をグラスに注いだ
ゆっくりと匂いを嗅いでみると今までに嗅いだことの無い様々な果物の混ざりあったような複雑な香りがした
一発でこれは美味だと思った
俺はそっと一口 口に含んだ
すると驚くほど芳醇な味わいが口内を満たした
飲み下すと今まで味わった事の無い言葉で説明できないような複雑な美味さが全身を駆け巡った
驚いたこんな酒は飲んだことがなかった
酒を扱うのが仕事なので俺はかなりの数の酒を飲み 希少な酒も幾度も口にしてきた
それらのどれにも似てない全く味わった事の無い新しい味だった
こんなすごい代物を作った人間を素直に凄いと思った
簡単に人に飲ませたくない そんな思いから「飲むな!!」と書いたのだと確信するようになった
こんなもの飲んだら他のどんな酒を飲んでも物足りないと感じてしまうほどの魅力的な酒だった
俺はその酒にすっかり惚れ込んでしまいグラスを一気に飲み干した
気が付くと俺は店のカウンターに突っ伏して夕方まで眠っていた
そんなに強い酒とは思えなかったし1ショット(30㍉㍑をショットという通常酒はショットを基本に作る)
も注いでいなかったはずだ
酒を飲んで記憶が喪失するほど眠ってしまうということは1度もなかった
俺は本当に不思議な酒だと思った
何故「飲むな!!」と書かれているのか俺は理解できる気がした
それからというもの俺はその酒の虜となった
だがレシピが分からない以上再び作ることは出来ない
つまりボトル1本分しか味わうことが出来ないのだ
もちろんそんな酒をお客さんに出すことは出来ない
俺は2日か3日くらいに1度ほんの1/2ショットほどを仕事が終えた後に飲むのが楽しみとなった
そうして少しずつ飲んだとしても2ヶ月持つか持たないかの量しかなかった
俺はその夜逃げしたという前の店の人を探しだしたいという思いにかられた
その酒を飲むと俺は自分では気付かないうちに深い眠りに落ちていた
それから2週間くらいたったときのことだ
昔からのお客さんに昼間あんなところで何してたのと聞かれた
昨夜の仕事終わりにあの酒を飲み眠ってしまっていたのでその日は店で夕方まで眠っていた
ずっと寝ていた事を伝えるとお客さんは俺を駅のホームで見たといった
その駅は俺が乗ったこともない沿線で降りたこともない駅だった
俺は他人の空似だろと笑った
ところがそれ以降もお客さんから昼間に思いがけない場所で俺を見たと言う話を聞くようになった
しかもみんな俺がまるで夢遊病者のようにボーッとしていて声を掛けようとするといつのまにか消えていたと言う
さすがに何人もの人間から言われると不気味に思えてくる
しかも目撃されるのは同じ場所や同じ町ではない
決まって俺が行ったことの無い場所ばかりだった
それだけではなかった
定かではないがどうも俺が目撃されるのはあの酒を飲んで眠り込んでしまった日のようだった
まさかあの酒には夢遊病者のように徘徊させる力があるのか?俺はそんな風に考えるようになった
もしもそうだとすれば「飲むな!!」と書かれているのも納得できる
俺はあの酒を危険なのではと思うようになった
だが1度覚えてしまったその言葉では言い尽くせないような味わいは俺を完全に虜にしていて飲まずにはいられなかった
翌月になって俺の元に驚くべきものが届くようになった
身に覚えもない請求書がいくつも送られて来たのだ
それらは全部街金からの請求書だった
俺は当然何かの間違いだと思った
店を開いたばかりで借金をするほど困ってはなかった
第一俺は借りになど行ってないのだ
俺はすぐに何かの間違いではないかと問い合わせた
だが向こうの言い分を聞くと確かに俺が借りたようで俺が支払いを逃げるように難癖をつけてると思われてしまう状況だった
その金額を全部足すと優に七桁を越えていた
俺は少しずつ返すから待ってくれとしか言いようがなかった
あり得るわけがない
異常な事だった
その時俺はふと思った
あの酒を飲み眠っている間に金をかり何かに使ってるのではないかと
前の人のことも頭によぎった
莫大が好きで多額の借金をつくり夜逃げしたという話……
だが俺は根本的にバクチは一切しないのだ
それならなぜ俺に借金がありその金がどこにも無いのか
そして何に使っているのか
俺はあの酒を飲んではいけないと思った
だがどうしても飲みたくなってしまった
他の酒を飲んでもダメだった
あの酒が欲しくて欲しくて仕方無くなる
俺は思ったこの酒があるからいけないのだ
だがこれほどまでに魅力的な酒を流すことなどバーテンダーとして出来なかった
ならば飲みきってしまおう
そう思った
無くなれば同じ酒を作る事はできない
ボトルにはショット3、4杯分くらい残っていたがそれくらいの量ならいっぺんに飲み干せる
俺は残っている分全てをグラスに注ぎ一気に飲み干した
いつもならその酒を飲むと夕方まで目覚めることはなかった
ところがその日は途中でおぼろ気に目が覚めた
起きた時間は分からない
昼ぐらいだったかもしれない
俺はちゃんと店にいた
カウンターに突っ伏して眠っていた
そんなおぼろ気な俺の眼に人影が見えたのだ
カウンターの中に黒い人影があった
鍵はかけてある
誰かが入れるはずはない
それなのに黒い影がたっていてあの酒のボトルに酒を注いでいるのだ
俺は驚きながらもおぼろ気な頭で言葉にならないようなうめき声をあげた
するとその黒い影は手を止め俺を見つめた
視界がぼやけていたからハッキリとは解らない
だがその顔はとうてい人間とは思えない悪魔のような顔付きで俺を見て真っ赤な口でニヤッと笑った
いつものようにハッキリと目覚めて 外を見るとやはり夕方になっていた
夢を見たのだろうと思った
とにかくあの酒は飲みきった
もう飲むことは出来ない
だが記憶にない借金は現実として残っている
何とか返さなければならないが返せるか分からない
その時だった俺の眼に信じられないものが飛び込んできた
カウンターに置きっぱなしになっていた「飲むな!!」ボトルに首の部分までたっぷりと中身が入っていたのだ
俺は恐ろしくなって逃げ出した
このままでは破滅するのではないかと思った
そして俺は開店から2ヶ月で稼いだ金を持ち出して夜逃げしたのだ
今俺は地方にある小さなバーでバーテンダーのバイトをしながら細々と暮らしている
全て捨ててきたし携帯も解約したので借金取りに追い詰められることは無いと思っている
現にあれから3年が経っている
何の連絡もなく済んでいる
だが俺は戻ることは出来ない
2度と自分の店を持つことは出来ないだろう
あの時「飲むな!!」と書かれた酒を飲まなかったら……
前はそんなことを考えたりもしたが今はやってしまった事だからと仕方無いと思いながら生きている
作者一方通行-2
お話を聞いてくださってありがとうございます。
このお酒には夢遊病者のように徘徊させる力があったんみたいですね。
話のお酒だけかと思いますが、一度も飲んだことがないお酒の好奇心は気を付けた方が良いですね。あの影は何だったんのかは不明だと思います。