中編5
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老婆のゲロゲロ

冬も終わろうかという頃、出張先での出来事だ。

急に決定した出張先ということもあり、宿の予約が取れない。

ネットの予約サイトでも全て満室。あげくの果てにホームページも無いような所までしらみつぶしに電話した。

やっとの思いで予約が取れたのが、この古びた旅館だったのだ。

「・・・もしもし丸々旅館でございます」

老いた女性の声が優しくゆっくりとした口調で返答する。

「はぁ、予約ですね。確認して参りますので少々お待ち下さい・・・」

「・・・ブッ」

ん?なんだ?急に切れたぞ。こっちの電波が悪いようだと見てかけ直す。

「はい。丸々旅館!」

「予約?空いてます空いてます。うちは和室で風呂は無し。近所に銭湯はありますよ。トイレは共同です。それでもよろしいですか?」

軽快な口調で返答が返ってくる。先ほどとは別人のようだ。選択肢は無いのだが値段を聞いておくか。

「3,200円です!」

妙に安いな・・・不安ではあるが選択肢は元より無いのだ。

ここにするほかない。当日は夜勤となるのでその旨を伝えておく。

「はぁ・・・なるほど。うちはチェックインは午後3時からなんですが、前日から予約の入っていない部屋もありますから半日分の料金加算して頂ければ午前からでもチェックイン可能ですよ。今回限りの話ですよ~」

それは助かる。ここにしよう。

当日、宿に到着した俺はその決断をした2日前の自分を殴ってやりたかった。

外観はまるで幽霊屋敷と言ったところか。看板は斜めに傾いている。

空室があるなどと言っていたが、平屋で部屋数がそんなにあるとも思えない。

もしや俺しか客はいないんじゃなかろうか?

動きの悪い引き戸を開けて中に入る。

まだ昼前だというのに中は妙に暗かった。両隣りの建物のせいだろうか。

こんにちわ。そう声をかけるも誰も出てこない。

ん?

今何か。奥に人影が見えた。背の低い女性に見えたが・・・

こんにちわー。前より大きい声をかける。

その返答が来たのは背後からだった。

「こんにちわ。すいませんね。表の掃除をしてて」

そこに立っていたのは初老の男性だった。電話の人物か。

どうやら店主のようだ。

「今お部屋に案内しますね」

案の定他の客の気配は無い。部屋数も3つほどだろう。

通された部屋は思っていたより小奇麗であった。

十畳ほどの広さがあり、大きいテーブルが真ん中に、左の壁には押入れがある。

その反対側には掛け軸と桐の小物入れがある。

普段はこんなことしないのだが・・・つい掛け軸の裏を見てしまった。

お札の類は無い。良かった。

念のため小物入れの方も見ておこう。

そちらも大したものは入っていなかった。家内安全のお守りだけだ。

さて、昼飯も早めに済ませてから来たし夜までひと眠りするか。

押入れからふとんを取り出す。

wallpaper:530

!?・・・今なにか

ふすまのスキマからなにか覗いていたような。

勢い良くふすまを引く。

・・・・・何もいないか。

雰囲気が、この旅館の雰囲気がそういうものを見せるのだ。

そう自分に言い聞かせる。それにまだ昼。

幽霊には早い時間だ。

さっさと布団をしいて寝てしまおう。

布団に入ってから30分は経っただろうか。

夜勤前はいつもそうだが、中々深い眠りにつけない。

寝ては起きてを繰り返している。

それに妙に寒い。

そして一番の問題は・・・視線だ。

視線を感じる。そちらを見ても当然何もいないのだが、妙な視線を感じてしまう。

寝てしまえば気にならんはずだ。

とにかく寝るんだ。

夢を見た。

老婆が2人出てくる夢だ。

一人は・・・あれは祖母じゃないか。5年前に他界している。

もう一人は知らないな。

祖母が何度も頭を下げている。何かを必死でお願いしているような・・・

ふと目が覚める。

視界に飛び込んできたのは老婆の顔だ。

本来目があるべき所には何も無く闇があるばかりである。

歯の無い口は笑っているように見える。

俺の顔を覗き込んでいるようだ。

動けない。金縛りというものか。

「・・・ゲロ・・・ゲロ・・ゲロ」

耳元で何か囁いている。

shake

バリン!

天井にぶら下がっていた電灯が頭の近くに落ちた。

ポルターガイストというやつか。

視線を戻すと老婆がいない。

安心する暇も無く足首に掴まれているような感覚が・・・

唯一動く眼球を足元に向けると先ほどの老婆が足首を掴んでいる。

次の瞬間思い切り足を引っ張られた。

テーブルの下に引きずりこまれた。

先ほどのポルターガイストは続いているらしくテーブルもガタガタと揺れている。

テーブルどころでは無い。部屋全体が揺れているかのようだ。

足を掴んでいた老婆は上まで這い上がって来ていた。

「・・・ゲロ・ゲロ・・・」

良く聞き取れない。

「ニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロ」

段々と語気が強くなりようやく聞き取れた。

この老婆は人を掴んで離さず、ニタニタと笑いながら逃げろと言っているのだ。

逃げてみろということか?

足掻く俺を面白がっているのだろうか。

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その時急にポルターガイストが収まった。

「・・・こっちよ」

聞き覚えのある声が部屋の窓から俺を呼んでいる。

この声は・・・祖母だろうか。

すっと体が軽くなった。老婆もいない。

俺は中々空かない窓を叩き割って逃げ出した。

俺が部屋を飛び出すと同時にギシギシと音を立てて旅館が倒壊した。

事態がうまく飲み込めない。

「こっちこっち!大丈夫だった?」

旅館の店主が手招きしている。

何があったのか聞いてみる。

「いやぁ!すごかったね。こんなにでかいの初めてだよ。いや二回目か?無事で良かったぁ」

どういうことだろうか?

「地震だよ!地震!大事なもんだけ持って一目散に飛び出したよ!置いてったのは悪かった」

店主が言う大事な物というのを見て、だんだんと理解が追いついてきた。

その手には通帳や印鑑の他に、遺影と位牌があった。

その遺影には見覚えのある老婆の顔が映っていた。

「ん?これかい?私の母だよ。5年前亡くなったんだ。今は一人で旅館経営さ」

どうやら私は祖母とその友人に救われたようだ・・・

3月11日の出来事である。

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怖い!と思ったら、良い話でした、お婆さんは、机の下に避難させてくれてたんですね。

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最後のオチが良いですねー‼︎
おぉーっと声出ちゃいました(笑)

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最初は怖話だと思いましたが、
いい話でした。
私は、フィクションか実話かなんて
気にしませんよ?

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