ついにやってしまった。
足元に転がる、小さな体はピクリとも動かなくなった。
何度か、その子の名を呼ぶ。
「おい、ユキナ、起きろ。」
いつもなら、恐怖から痛む体を無理にでも起こして、泣いて許しを乞うはず。
「おい。」
男は女の子の肩を揺さぶる。
その反動でうつ伏せだった女の子の顔が、ごろりと上を向いた。
首は変な方向に曲がり、泡と血が混じったどろりとしたものが口から零れ落ちた。
どうしよう。死んでる。
男は先程までの激昂が見事に吹き飛び、頭の上からつま先まで、冷たい血液が流れたようにしびれた。
お前が悪いんだぞ、お前が。
ちゃんとしないから。
そう呟いてみて、ちゃんとしなかったことが何かすら思い出せない。
きっと些細なことだ。だから思い出せない。
そうだ、些細なことでユキナをいたぶるのが、最近の俺の楽しみになっていた。
元はと言えば、あの女が悪い。
他の男と逃げたからだ。
連れ子のユキナを置いて。
あの女は未亡人だった。
弁当屋でパートで働くその女に一目惚れした。
彼女は美しかった。
女は貧しく、夜も昼も働いていた。幼い子供を抱えて女手で生活するのは苦しかったのだ。
男は、一目見た日から、猛烈にアタックを開始した。
ぶっちゃけ男はあまり見た目が良くなかった。小太りで薄毛、顔もいまひとつぱっとしなかった。
だが、男はついに彼女を落とすことができた。
何度も何度も貢いだ甲斐があった。
女にいろんなプレゼントや、困窮していそうな時には、お金まで貢いだ。
「これは、返さなくていいから。」
そう女に言うと、美しい目に涙がいっぱい溜まって「ありがとう」と言われた時には
男は天にも昇る気分だった。
そしてついに、男は女と所帯を持つことになった。
子供は女の子で天使のようにかわいかった。
男は良きパパになるつもりでいた。
ところが、女の子はなかなか懐いてくれなかった。
いつも母親の影に隠れて、男をいつまでもオジサンと呼んだ。
男はイライラが募った。
女の子は天使のような顔をしているが、母親とはまた違った美人だった。
母親と全く似ていない。
そんなおり、男は女の家財道具から、女の亡くなった夫の遺影を見つける。
その顔はユキナにそっくりだった。
男を真っ黒な感情が支配した。
その日、ユキナが冷蔵庫を開けて、牛乳のパックから直接牛乳を飲んでいるのを見つけた。
横目でちらりとこちらを見る目が、男をバカにしているように見えたのだ。
男は急に走り、ユキナの髪を掴み、頬を打った。
ユキナも母親も、びっくりして男の方を見た。
幼いユキナの顔が、見る見る崩れて行き、火がついたように泣いた。
「牛乳を直接飲むなっていつも言ってるだろう!なんでわからないんだ!」
そう言いながら、二度三度ビンタした。
女は、やめて、やめてと懇願して、男の手にまとわりついてきた。
男は、女を力いっぱい突き飛ばすと、か細い女は、思いっきり壁に頭を打ちつけた。
男は罪悪感より、自分を見下してきたであろう存在に力を見せ付けたことに、
言いようも無い優越感を感じた。
俺が不細工だと思って、バカにしやがって。
知っているんだぞ。お前だって生活のために、俺で妥協したんだろう?
その後も二人してメソメソ泣くので男は
「うるせえ、静かにしろ!」
と一喝すると、二人は抱き合って、驚いたように黙った。
いい気味だ。俺を今までバカにしてきた罰が当たったんだ。
それからの男は、暴力で女とユキナを支配した。
少しでも気に入らないことがあれば、暴力を振るう。
女とユキナは従順にならざるを得なかった。
自分の圧倒的な力に、男は酔いしれていた。
もう俺をバカになんてさせない。
男にはかなり容姿と異性に対してコンプレックスがあった。
商売の女以外と寝たのも、初めてだったのだ。
生まれながらにして、美しい二人が妬ましくもあった。
男は以前にも増して、ひねくれて、浴びるように酒を飲み、暴力を振るった。
しかし、二人の様子を見れば何かがあったことは、周りに言わずとも知れることで、
しかも大きな音がするので、隣の住人が苦情を言いに来たこともあった。
「かわいそうだから、暴力はやめてあげて。」
お節介なババアめ。
「うるせえ。これは躾なんだよ。あんたにとやかく言われる筋合いはねえ!」
そう怒鳴り散らして、思いっきりドアを閉めてやった。
それ以来、隣の住人は来なかったが、そのあくる日にすぐに児童相談所の職員が訪ねてきた。
あのババア、チクりやがった。
男は、再三、児童相談所、学校などの訪問を受けることになり、その度に、子供は今、
熱を出して寝ているとか、実家に預けているなどの嘘を重ねたり、学校の訪問は
居留守を使ったりして、なんとか誤魔化して来た。
そろそろ、子供を学校に行かせることも、厳しくなって来た。
男は考えた。このままではまずいと。
だが、男の暴力の衝動は抑えられなかったのだ。
そんなある日、女はパートから帰ってこなかった。
女は、男が生活にだらしなく、仕事を休みがちだったので、生活のため
勤めは辞めなかったのだ。
家出?それとも・・・。男には心あたりがあった。
女の店の店長が、家を訪ねてきたのだ。
背の高い、がっちりとした男で、まともに戦って勝てる相手ではなかった。
虚勢を張ってはみたもの、相手は余裕だった。
とにかく、女に暴力を振るうなと言われた。
悔しかった。
なんで他人にそんなことを言われなくてはならないのだ。
「お前、あの男とデキてるんだろう!」
男はまた、嵐のように暴力を振るおうとしたその時、女の携帯が鳴った。
女が携帯を取ろうとした手から、携帯を奪った。
「もしもし、誰だ。」
男が言うと、その相手は店長だった。
「あなたは、彼女を疑っているのかもしれないけど、私と彼女は上司と部下以外の何者でもない。
もしまた、彼女に暴力を振るうことがあれば、許さない。警察に通報する。」
それだけ言うと、電話が切れた。
「バカにしやがって!」
男は携帯を、壁に叩きつけて壊した。
そのあくる日、女は失踪した。
携帯も、男が壊したから、女と連絡を取る術はない。
男は、逆上し、弁当屋に乗り込んだ。
「店長を出せ!」
男は店先で怒鳴り散らし、パートの女性が慌てて、奥に店長を呼びに行った。
「私が店長です。何かご用でしょうか?」
出てきた男は、先日訪ねてきた男とはまったく別人だった。
「俺をなめてんのか?店長出せって言っただろ!」
「今は私が店長です。以前の店長でしたら、3日前、転勤になりましたが?」
男は雷に打たれたようなショックを受けた。
あの野郎、俺の女を連れて逃げやがった。
「転勤先を教えろ!」
男がまた叫ぶと、新しい店長は落ち着き払って言った。
「個人情報なので、お教えできません。」
「教えろつってるだろう!俺の女とあいつは逃げたんだよ!」
「できませんね。お客様、これ以上お騒ぎになるのでしたら、警察を呼びますよ?」
そう言われ、男は黙って帰るしかなかった。
男は腹の虫がおさまらなかった。
家のドアを思いっきり蹴って開けると、ユキナが部屋の隅で怯えた目で見た。
男は、些細な理由をつけて、ユキナの髪の毛を掴み、頬を何度も殴った。
お腹を蹴り、床に叩き付けた。ユキナは、声を出さなかった。
声を出して泣けば、男にもっと酷い目に遭わされるから。
だから、男は気付かなかった。
もうユキナが声を出せないことに。
男は夜になるのを待って、ぐったりとしたユキナをタオルケットでぐるぐる巻きにし、
ダンボールに詰めて、夜陰に紛れて密かにワンボックスカーの後部座席に積んだ。
土地勘のある山道をぐんぐんと登った。
そして、ある雑木林のあたりで路肩に車を停めた。
周りには誰もいない。
男は車のハッチバックを上げ、シャベルを取り出し、暗闇の中、穴を掘り始めた。
汗だくになりながら1メートルくらい掘り下げた。
車に戻り、後部座席に寝かせた、タオルケットで巻かれたユキナを箱から取り出した。
子供ってこんなに軽いんだ。ユキナが華奢なのもある。
男は、ユキナを抱え、穴のほうへ向かった。
穴にユキナを放り込むと、その反動でタオルケットの顔の部分がはらりとはだけ、
おかしな方向に折れたユキナの首がごろりと男を見た。
「ひぃっ!」
男は無我夢中で、その顔の方から土を掛けた。
「う、恨むんなら、お前の母親を恨めよ。お、俺とお前を捨てて男と逃げたんだから。
俺は、躾のつもりでちょっと力が入りすぎただけなんだ。お前とあいつが全て悪いんだからな。」
男は一人でぶつぶつ呟きながら必死で穴を埋めた。
男は一通り作業を終えると、車に飛び乗り、山道をおりた。
さすがの男もその夜は、一睡もできなかった。
これからどうやって、子供の不在を誤魔化そう。
そればかりを考えていた。
そのあくる日の夕方、男の家に訪問者が訪れた。
男はドキドキしながら、レンズを除く。
「宅配便でーす。」
男は、ドアを開けた。
「ここにサインを」
言われるがままに、男はサインをした。
やけに宅配便にしては重いな。クール宅急便。何が入ってるんだろう。
男は怪訝に思い、差出人の名前を見た。
俺の名前?住所もここだ。
何かがおかしい。
男は、箱のガムテープを外し、中身を確認しようとした。
すると、中に篭っていた冷気が箱から漂い、一瞬見えなかったけど、
すぐにそれが何かを知ると、叫び声をあげ、尻餅をついた。
ユキナ!なんで?
ユキナは今頃、山の土の中のはずだ!
ユキナは土一つ着かず、死んだ時に口から溢れていた血のりも綺麗に洗われて、
目を閉じて、生前の天使のような姿で再び現れた。
男は慌てて、蓋を閉じた。
あの宅配野郎!誰だ!
俺の犯行を知っているのか?
男はユキナを箱のまま、また持ち出し、車の後部座席に乱暴に押し込めた。
ヤバイ。バレてる。とりあえず死体をどこかに。いったい誰なんだ。
男は言いようの無い恐怖に襲われた。
あの場所はもうまずい。男は別の山を目指した。
今度は、先日埋めた場所より、かなり離れた山に。
誰かにつけられてはいないだろうか?
男は始終バックミラーを注意して伺ったが、つけられている気配はなかった。
男は、山中の雑木林の中まで車で乗り込み、生い茂った草むらの中でユキナをバラバラにした。
その山のいたるところに、ユキナのバラバラにした遺体を埋めた。
誰にも見られていない。
今度こそは大丈夫だ。
周りは墨を垂らしたような闇が広がっているのみだ。
男は来た山道を車で降りて、帰宅した。
誰だか知らないけど、俺の犯行に気がついている。
ここもヤバイ。住所を知られているのだ。
いったい誰が。
そのあくる日の夕方、またピンポーンとチャイムが鳴った。
男がドアに張り付いてレンズを覗いた。
あの宅配野郎!
チャイムを鳴らしただけで、その男は箱を置いて去って行った。
「待て、コノヤロウ!」
男が叫び、ドアを開けると、ガツンと音がし、重みでドアが開かなかった。
それでも、無理やり力任せに男がドアを開けると、ズーッと音がして、
宅配の箱がドアに押されて動いた。
男は周りをキョロキョロしたが、もうその宅配人は見つからなかった。
男は、慌てて、その箱を取り込んだ。
放置されていれば、誰かが警察に届けてしまう。
男が抱えた宅配の箱は、ほぼ先日のものと同じ重さだった。
まさか。嘘だろう?
男は震える手で、箱を開けた。
やはり冷気で一瞬視界が曇った。
そして、思ったとおり、ユキナのパーツが生前の姿のように配置され、綺麗に洗われて
まるでお人形のように入れてあったのだ。
「わああああああああ!ちくしょう!誰なんだ!」
男が狂ったように叫んだ。
すると、箱の中のユキナの体がかすかに揺れた。
そのとたん、部屋の電気が全て、バチンと音を立てて切れた。
「おじさん。」
かすかな声。
ユキナの声だ!
「ぎゃーーーー!」
男は悲鳴をあげて、耳を塞ぐ。
嘘だ!声なんてするわけがねえ!これは幻聴だ!
すると、箱がゴトゴトと音を立て始め、音は次第に大きくなり、
発泡スチロールの箱がバリンと破れる音がした。
暗闇に目が慣れると、そこにはユキナが立っていた。
パーツはバラバラで立っているというよりは、マリオネットのようだ。
吊られている感じ。
「おじさん、お母さんはどこに行っちゃったの?ユキナ、寂しいよ。」
男はすでに失禁していた。
「知らねえよ!俺が知りたいくらいだ!俺達は捨てられたんだよ!」
そう叫ぶと、ユキナは悲しそうな顔をした。
「ちくしょう!なんでお前は死なねえんだよ!戻ってくるな!
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね~~~~~~~~!」
男は叫ぶと、ユキナに飛びかかろうとした。
ユキナはすーっと窓辺に移動した。
男はユキナを追いかける。
そして、ユキナは、ベランダまで移動した。
「このっ!このっ!このっ!」
男が拳を振り回しても、ユキナを素通りするだけだった。
男が無茶苦茶に腕を振り回したり、足を振り回していると、
バランスを崩してしまった。
「わっ、わあぁっ!」
男はベランダでよろけてしまった。
すると、ユキナの手だけが、男の背中を押した。
子供とは思えないような力で。
男は、マンションの11階から、真っ逆さまに落下し、首はあらぬ方向に曲がって
あたりに血溜まりを作った。男は即死だった。
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「どうして死体を届けたんだ。」
僕は、いかつい刑事に詰め寄られている。
僕は押し黙っていると、刑事は質問を変えてきた。
「あの男と共犯なのか?死体の場所を知っていただろう。」
僕はそこだけは、強く否定した。
「違います。あんなクズと共犯なわけないじゃないですか。」
「じゃあ、なんで。死体の場所を知ってた。」
しばらく沈黙をして、僕はゆっくりと口を開いた。
「呼んだんです。ユキナちゃんが。」
「はあ?」
刑事は呆れ顔だ。
「信じてもらえないのは仕方ありませんが、本当なんです。」
あの夜も僕は居てもたってもいられず、隣に怒鳴り込もうとしていた。
もうこれ以上、あの子を傷つけないで。
男と刺し違えてでもという覚悟で、包丁を持ち出し、男の部屋を訪ねようとした。
すると、すぐに暴力が止み、部屋は静かになった。
包丁まで持ち出したが、すぐに冷静になり、朝になったら訪ねて苦言を言い、
彼女に暴力を振るうことを止めるように注意しようと思ったのだ。
しばらくすると、隣の男が出かける気配がした。
男は大きなダンボールを抱えていた。
まさか!僕の頭の中で、大きなアラートが鳴り響く。
男は一階ピロティーから車を出して、山の方へ車を走らせた。
まさかね。いくらなんでも。親が子供を殺すわけが。
でも、あのクズ男だ。やりかねない。
真夜中3時頃、男は帰宅した。
悪い予感がした。
ちょうどその時、ベランダのほうから、声がした。
「お兄ちゃん。」
その声は。ユキナちゃん?
生きてたのか!
僕は、喜んでベランダに走った。
いつも、隣のつい立から小さな顔を覗かせていた。
「お兄ちゃん、お腹が空いたの。」
かわいそうなユキナ。
母親が出て行ってからというもの、父親が勤めに出ている間、
彼女は学校にも行かせてもらえずに、部屋に閉じ込められ放置されていた。
食べ物はほぼ置いてらず、父親が帰ってきても、ユキナが食べさせてもらえないことはざらにあった。
そのたびに、僕はベランダのつい立の向こうから食べ物を与えた。
ユキナは貪るように食べた。
ユキナは天使のようにかわいかった。
ところが、その日のユキナは悲しそうな顔をしていた。
「おにいちゃん、お別れだよ。」
ユキナは俯いて言った。
「どういうこと?」
僕はベランダのユキナを見た。
体がふわふわと浮いている。
ああ。僕は膝から崩れ落ち泣いた。
「いまどこにいるの?」
僕が聞くと、ユキナは答えた。
「〇〇山の土の中。お兄ちゃん、ここは冷たくて気持ち悪いよ。助けて。」
僕は、その夜車を走らせていた。
「ユキナ、どこ?」
「もう少し先だよ。」
ユキナの声に促されて、僕はある雑木林についた。
「早く、ここから出して。苦しいよ。」
僕は一心不乱に土を掘る。
1mくらい掘り下げたところに、彼女は眠っていた。
顔のあたりの土を払う。口元から、どす黒い血が流れ、頬に張り付いていた。
僕は犬のように腹の底から吼えるように泣いた。
酷すぎる。僕のユキナをこんな姿に。
「刑事さん、僕はあの男を許せなかった。本来であれば、死体を見つけた時に、
警察に届けるべきだということは、十分わかっていたんです。それで男が、
刑務所に入って罪を償うだけ。この国は、一人殺したくらいじゃ死刑にならない。」
「だからって、殺したのか?」
僕は溜息をついた。
「殺したいくらい憎かったけど僕にはできなかったんです。調べてもらえればわかります。
部屋は密室だった。僕は、ユキナの死体を、玄関先に置いただけです。鍵も持ってないし、
宅配の箱以外に僕の痕跡は部屋になかったでしょう?」
そう言うと、確かにその通りだったので、刑事は押し黙った。
「何故、そんなことをしたんだ。何故、死体を置いた。」
また堂々巡りのように刑事が質問する。
「あの男に、自分のしたことの罪の重さを少しでも知って欲しかっただけです。
刑事さん、おかしいとお笑いになるかもしれませんが、僕はユキナに恋をしていました。
自分でも、小学低学年の女の子にそんな感情を持つなんて異常だと思いましたが、
こればかりは仕方ないんです。だからあの男をどうしても許せなかった。
でも、死体を掘り起こして、あの男の元へ届けただけ。生前の天使のようなユキナの姿を。
少しでも、罪の意識を持って欲しかったから、僕はユキナの死体を綺麗に洗って、箱につめ、
あの男の部屋へ、宅配便を装い、届けたんです。刑事さん、僕は異常なんですかね?
僕は、何の罪になるんでしょう?」
作者よもつひらさか