「ねえねえ、おじいちゃん、起きて。朝だよ。」
幼い美弥(みや)の小さな手が、皺だらけの頬をぺちぺちと叩く。
美弥はまだ、おじいちゃんが起きて、美弥を抱っこしてくれることを信じて止まない。
その姿が、他の者の涙を誘う。
「ごめん、美弥、嘘ついちゃった。今は夜だよ。おじいちゃん、いつも寝るの早すぎ。もっと美弥と遊んでくれなきゃやだ。」
そう言いながら、美弥は体を揺さぶる。
「美弥、おじいちゃんはね、死んじゃったの。」
母親が涙で詰まる声で、美弥を諭した。
美弥はキョトンとしている。
「死んだ?嘘。朝、元気だったもん。」
急死だった。
散歩から帰ってこないおじいちゃんを心配して、美弥の母親が探しに行くと、山道で倒れていたのだ。
心筋梗塞だった。救急車を呼び、病院に搬送された時にはすでに息絶えていたのだ。
幼稚園から帰ると、おじいちゃんはすでに冷たくなっていた。
美弥は朝の元気なおじいちゃんの姿しか見ていないから、とうてい受け入れがたいだろう。
「美弥・・・。」
母親は美弥の頭をなで、ぎゅっと抱きしめた。
美弥は大のおじいちゃん子だった。
美弥はおじいちゃんにとって、目に入れても痛くないほど、大切な存在であるように、美弥にとってもおじいちゃんは、大切な存在であった。
「ママ、死ぬって、もう会えなくなっちゃうの?」
美弥は母親を見上げて言った。
「残念だけど。もう会えないのよ。」
その言葉を聞くと、幼いなりに死を理解したようで、とたんに涙が溢れてきた。
「いやだー!そんなのいやだー!ヤダー!ヤダー!」
美弥が大声をあげて泣き出すと、一斉に皆も美弥の悲しみが伝染して行くように声を上げて泣いた。
あくる日、葬儀が終わり、火葬場に同行した時も美弥は泣いた。
「ダメ!おじいちゃんを焼かないで!焼いたら熱いじゃない!おじいちゃんがかわいそう!」
じたばたと暴れる美弥を、仕方なく、母親が手を引いて控え室へ連れて行く。
延々と、美弥の泣き声は響いた。
「イヤだー。イヤだー。イヤだー。おじいちゃーん。うえーん。」
葬儀も終わり、美弥はしばらく抜け殻のようになった。
両親も、おばあちゃんも、幼稚園の先生も皆、そんな美弥を心配した。
美弥は何にも興味を示さず、心を閉ざしてしまった。
カウンセリングを受けさせようか、とも考えていた矢先であった。
美弥が行方不明になったのだ。
母親が夕飯を作っていた、ちょっとした隙に、家を出てしまったようなのだ。
母親が、美弥が家に居ないのに気付き、ご近所、友達の家、ありとあらゆる、美弥の立ち寄りそうなところを必死に探したが、美弥は見つからずに、とうとう日が暮れてしまったのだ。母親は、警察に捜索願を出した。2時間くらい経った頃、ようやく美弥が見つかった。おじいちゃんの墓のある裏山で見つかったのだ。
母親は心底、ほっとした。
「ダメじゃない。一人でお墓参りに行っちゃ。ママと一緒に行かないとダメよ。心配したんだから。」
母親は泣きながら、美弥を抱きしめた。
「あのね、ママ、おじいちゃん、飼っていい?」
開口一番、美弥がそう言った。
母親は困惑した。この子は何を言っているんだろう。
「美弥、おじいちゃんは死んだの。もうこの世にいないのよ。」
母親は、美弥の目を見て美弥を諭した。
「いたもん。お墓に。おじいちゃんがね、美弥って呼んだから。おじいちゃんと遊んでたの。」
母親は、事態を重く見た。心的ショックが癒えない美弥を心療内科に連れて行くことを決意したのだ。
その日からの美弥は、別人のように明るくなった。
おじいちゃんが亡くなる前の美弥そのものだった。
母親は、行方不明になった時に言った言葉は、一時的なショックだったのかもしれないと思うようになった。
そんなある日、母親は美弥の異常な行動を目にしてしまう。
「あのね、今日、幼稚園でね・・・。」
庭の隅でなにやらぶつぶつと独り言を呟いていた。
母親は、にわかに不安になった。
ああ、やっぱりショックから立ち直ってなかったんだ。
明日にでも、病院に。そう思いつつ、美弥の背後から近寄って行った。
すると、庭の隅に人影があるのに気付き、母親は恐怖に凍りついた。
「誰っ?」
母親は、後ろから美弥を抱き上げ、その人影から庇った。
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「ミヤッ。ミヤッ。ミヤッ。」
その人影は、四つんばいになり、上目遣いに母親を見ると、美弥を呼ぶように繰り返した。
「キャーーーーー!」
母親は絶叫した。
その人影は、今は亡き、おじいちゃんの姿だった。
四つんばいで、這って来て、まだなお名を呼ぶ。
「ミヤッ。ミヤッ。ミヤッ。」
「こ、来ないで!」
母親は、手に持っていたホウキを、四つんばいのおじいちゃんに振り上げた。
「ダメっ!おじいちゃんに酷いことしないで!」
美弥が足にまとわりついてきた。
「美弥、おじいちゃんは死んだの!これはおじいちゃんではないわ!」
母親は美弥を振りほどこうとした。
「ダメ!おじいちゃんなの。美弥て呼んでるでしょ!おじいちゃんだからだよ。これはおじいちゃんなの!」
母親は美弥を抱き上げ、這い寄ってくる物から逃げた。
「ねえ、ママ。おじいちゃん飼ってもいいでしょ?お願い!おじいちゃん、お魚が好きなの。
この間ね、美弥、水槽の金魚を一匹あげたら、おじいちゃんおいしそうに食べたんだから。」
母親は、美弥を恐ろしいものを見るような目で、見つめた。
美弥、これはおじいちゃんじゃないの。
どうしたらわかってくれるの?
母親は、眩暈がした。
そのまま、その場に気を失って倒れてしまった。
泣き叫ぶ美弥と倒れた母親をみつけたのは、買い物から帰ってきたおばあちゃんだった。
慌てて救急車を呼び、ただただ泣き叫ぶ美弥をなだめた。
意識を取り戻した母親の話を聞き、信じがたい話だが、おばあちゃんはただならぬ物を感じて、霊感の強い人間に相談した。
「猫がいます。お宅の縁の下に。死んだ猫が。」
そう言われ、調べてみると、本当に縁の下で猫が死んでいた。
「ミヤと言ったと言われましたね、お爺様の姿をしたものが。」
母親は思い出すのも恐ろしかったが、答えた。
「ええ。おじいちゃんが、ミヤ、ミヤと呼んで。」
「あれは猫です。美弥ちゃんのおじいちゃんに会いたいという強い思いが、あの猫の骸に通じてしまったのです。猫だから、ミヤ、ミヤと鳴いたのでしょう。それを、美弥ちゃんは、名前を呼んでくれたと勘違いした。あれは獣です。美弥ちゃんのおじいちゃんへの思いが強すぎて、猫の霊をお爺様の姿にしてしまったのかもしれない。」
その霊媒師の言葉は信じがたいものだったが、母親はあの四つんばいの姿を思い出して、あながち嘘ではないのかもしれないと思った。
その時、庭の隅で、美弥の声がした。
「ほら、おじいちゃん。今日は煮干を持って来たよ。おじいちゃんは煮干が好きでしょ?」
美弥はもう、これがおじいちゃんでないことを、たぶん知っているのだ。
作者よもつひらさか