よくある話と笑われるかもしれないが、体験してしまった。
随分秋めいてきた、ある夕方、用事があって美章園の駅から桃谷まで歩いた。桃谷で用事を済ますとすっかり夜、
警察病院の前の道を浪速区まで歩く。
電車に乗っても、歩く距離はほとんど変わらない。NTT病院前の坂道をえっさか歩いていると、警察病院。行き来する人影もない。車すら通らない。物音すら聞こえない。でも、こんな日もあるよな、ってあり得ない納得をしていた。
上町筋でふと後ろを振り返ると丸い月が登っていた。
中秋の名月か?
携帯で旧暦を確認すると今夜はお月見前夜だった。
それは見事な月だったな。
それにしても、この街中で、人とすれ違うこともなかった。
なんとも妙な気分だ。ここでふと、私は愛染坂を下るか、口縄坂を下るか、迷ったんだ。
この道のどん詰まりは谷町筋、四天王寺前夕陽ヶ丘という、谷町線によくあるハイブリッドな名前の駅がある。
頭の中は、喜連瓜破とか野江内代とかいう駅名を思い出している。多分四天王寺前夕陽ヶ丘という名前が一番長そうだ。などと考えていた。
依然人影も車の行き来もない。
私は信号待ちでふと左の前方に目を遣っていた。口縄坂を下る道が一番住処に近いのだが……。
なぜか愛染坂のほうが気になった。
月が綺麗だ遠回りしようって、馬鹿で間抜けな事を考えた。
そう、月は私の背後にあるんだ。
でも、信号が変わり横断歩道を渡ると六万体の方に歩を進めていた。ここでは月を少し見れた。
そして愛染坂の方に曲がって、源氏堂の前を歩くが依然人影もない。シーンという耳鳴りだけがうるさかったよ。
愛染坂は大江神社の脇にある。
何気に坂道を降りようとすると、前方約十メートル辺りに女の人が坂を下っている。
思わず鳥居の脇で立ち止まったよ。
定番と言うか、鉄板と言うか?その人、白のワンピに黒のロングヘアー、当然私は鳥居の方をくぐった。
そして拝殿を遥拝して、神社の階段の方に走ったよ。
そして、注連縄掛けをくぐり、階段を降りようとすると、
さっきの女の人が階段を下っていた。
そこで私はそっと引き返して、拝殿の前に行き、もう一度参拝、今度はお賽銭を上げて、きっちり二礼二拍手一拝、谷町筋に戻ると、何時も通りに人が歩いている。
なんだったんだ?
口縄坂の道の方に戻ると、地下鉄の駅から出てきた人が数人口縄坂の方に行く。そこで私は、その人たちとともに坂を下って住処に帰った。ミニストップの明かりを見ながら、帰りの曲がり角に入ると、私の後ろから「なぜ引き返したの?」と声がかかった。なんかハウリングかかった声だった。何気に振り向くと女が立っていた。ワンピでロン毛の……顔に髪の毛がかかっていて口しか見えない女の人が。
声は出なかったね。
五十メートルダッシュして住処に辿り着き階段を4階まで駆け上り、もたつきながら部屋の鍵を開けて飛び込み、しっかり施錠して、朝まで震えていたよ。
なんだったんだ?あれは……。
作者純賢庵
この場所では一回こっきりの体験なんです。
土地勘のある人にはわかる場所です。