先程、母が帰宅した。
何時もより遅い帰宅だった。
母はケーキ屋の物らしき包みと、小さな花束を持っていた。
「お帰りー・・・あれ、其の花束は?」
母は甘味が好きなので、菓子を土産に買って来る事はしょっちゅうだ。然し、花と言うのは珍しい。
僕がそう思い、何気無く質問をすると、母は堰を切った様に泣き出した。
僕は突然の出来事に、酷く驚いて呆然としてしまった。
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・・・・・・・・・。
我が家の母は強い。メンタル的に。
《母は強し》とかそう言うレベルじゃない。
一般論として、メンタル面に於いては女性の方が男性より強いとされているが、其れを考慮してもかなり強い方だと思う。
僕が産まれて此の方、母が泣いている所を見たのはたった一度、僕の中学の卒業式だけ。
其れだって、ハンカチで軽く目を押さえる程度だったのだ。
其れが、今は手放しで、鼻水や涙を垂れ流しながら大泣きしている。
こんな凄い泣き方、見た事が無い。前代未聞だ。
一体何があったと言うのだろう・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・駄目だ。全く思い付かない。
・・・兎にも角にも、此の状況を何とかせねば。
こんな時こそ親を支えられてなくては、一人息子の名が廃る。
僕はそう決心し、母に話し掛けた。
「・・・何かあった?」
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・・・・・・・・・。
「うん。寧ろ此の状況で、何も無かったと思う?」
「スミマセン・・・・・・。」
何時の間にか母は泣き止んでいた。
「確かにね、自分でもこんな事は滅多に無いと自覚してる。でもね、まさか泣きっぱなしのまま放置された挙げ句に《何かあった?》って。」
眉間を軽く摘まむ様にしながら、大きく溜め息を吐く。
「まぁ、お母さんとしてもらしく無かったしね。ちゃんと説明する。・・・・・・靴脱ぐから、退いててくれる?」
御怒りの御様子だ。
恐ろしや恐ろしや。
靴を靴箱にしまった母が、此方に向かって呼び掛ける。
「夕飯は?出来てる?」
「出来てる。」
「そ。お疲れ様。じゃ、取り敢えずご飯にしよう。」
母はそう言って、悠々とダイニングへと向かって行った。
さっきまでの涙は一体何だったのか・・・。
僕は首を傾げながら、其の後に続いた。
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・・・・・・・・・。
夕飯を食べていると、唐突に母が言い出した。
「今日、ちょっとだけ懐かしい人に会ってね。」
チラリと花瓶に飾られた花束を見遣る。
「・・・懐かしい人?」
僕がそう聞き返すと、母は小さく頷いた。
「お姉ちゃん。」
「・・・叔母さん?」
でも、叔母さんは名古屋在住の筈だし、抑、姉じゃなくて妹だった様な・・・。
僕が眉根を潜めると、母はちびちびと口を付けていた缶ビールをコトン、とテーブルに置いた。
「お母さんのじゃなくて、○○のお姉ちゃん。」
「・・・・・・はぁ?」
僕は一人息子の一粒種だと勝手に思い込んでいたのだが、どうやら其れは違ったらしい。
・・・でも、姉ならどうして僕と一度も会った事が無いのだろう。
もしかして・・・・・・。
「隠し子?」
「いーえ。お母さんとお父さんの子供。」
違った。
見てみると、母はあくまでも真面目な顔だ。
どう言う事なのだろう。
肉親の存在を此の歳まで全く知らなかった何て。
「今日、電車を少しだけ乗り過ごしちゃって。」
考え込んでいる僕には御構い無しに、母が話を始めた。
・・・まぁ、百聞は一見に如かずだ。
実際に聞く方が思考するより手っ取り早い。
・・・・・・意味、ちょっと違うか?
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・・・・・・・・・。
「ほら、私って基本的には××駅で降りるでしょ。其れを寝過ごして、七つ先の駅で降りたの。」
「母さん、其れは《ちょっと乗り過ごした》とは言わない。《大分乗り過ごした》って言うんだと思う。」
「黙って聞いてなさい。・・・で、七つ先の駅で降りた私は、取り敢えずケーキを買おうと思った訳よ。」
「さっき持ってた箱?」
「そう。チーズケーキ。ベイクドのブルーベリーとレアのマンゴー、どっちが良い?」
「ブルーベリー。・・・で、其の花束は?」
「うん。お姉ちゃんから貰ったの。」
「で、結局、其のお姉ちゃんって誰?何て言う人?」
「・・・そうね。ぶっちゃけちゃうと、昔にお母さんが流産しちゃった筈の子。」
「幽霊?其れとも人違いの別人?」
「どうなんだろね。お母さんにも分かんない。」
「でも、其の花束は確かに本物だね。」
「偽物の花って?造花とか?」
「其れは何か違う気がする。ニュアンス的に。」
「・・・あれ?と言うかお母さん、あんたにお姉ちゃんの話、した事あったっけ?」
「無いねー。」
「嘘ーー?じゃ、説明とか其処から?」
「そうして頂けると有難いです。」
「うわぁ一気にめんどい。」
「子育てにさ、そう言うやる気の無い姿勢ってどーよ。」
「しかも息子の可愛い気が皆無。」
「誰が此の夕飯を作ったと思ってる。」
「誰がケーキを買って来たと思ってる。」
「ごめんなさい。」
「許す。明日は煮魚が食べたい。」
「明日はロールキャベツ・・・」
「煮魚。銀鱈が良い。」
「・・・・・・分かったよ。」
「で、お姉ちゃんの件だけど。」
「はいはい。」
「お母さん、結婚して十年目近くにあんたを産んだでしょ?」
「そーですね。」
「普通、子供作るならもうちょい早く産んでおく物だと思わない?不妊とかは無しにして。」
「そーでもないですね。経済状況とかを考慮した家族計画の場合、子作りが遅くなってしまう事も有りがちです。然し、高齢出産は当然の如く母子共に負荷が大きくなるのでタイミングはちゃんと考えてましょう。」
「ごちゃごちゃ五月蝿い。」
「一言で片付けられたー。」
「つまり、お母さんはあんたの前に一人流れちゃった子が居た訳です。」
「そして強引に話を進められたー。」
「で、其の子に今日、駅前の大通りで会ったと。そう言う事です。」
「意味が分かりません。」
「・・・仕方無い。最初から説明する。茶々は無しで。」
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・・・・・・・・・。
結婚して三年目、お腹に赤ちゃんが居るのが分かったの。
お医者さんからは、女の子だって言われた。
もうね。ベビー用品買いまくって、名前も考えまくって、凄い騒動だったんだ。
其れだけ其の子がいとおしかった。
可愛くて仕方無かったの。自分の中に居る其の子が。
ババア(父方の祖母)は何だかんだと五月蝿かったけどね。ほら、頭が錆び付いてるからさ、男の子が欲しかったんだって。
其れでも、やっぱり嬉しそうではあった。
うん。
クソババアだけど。一応、おばあちゃんになる自覚は有ったぽい。当時は。
・・・・・・でもさ。
居なくなっちゃった。赤ちゃん。
死んで出て来たの。
あんたはお母さん似だけど、其の子は見るからにお父さん似でね。
何だか困った様な顔してて、死んでる何て嘘みたいだった。
死んでても・・・・・・本当にお父さんそっくりで、可愛かった。お腹を痛めて産んだ子だもの。
可愛くて可愛くて仕方無かった。
・・・でも、ずっと一緒に居られる訳が無かった。当たり前だよね。死んでるんだもん。
小さい小さい棺に入れて、焼いたの。
名前は・・・・・・。
結局、適当な名前にしちゃったなぁ。
だって、呼んだって返事してくれないのが分かってるし。
最初は頑張ってちゃんとした名前を付けようと思ってたんだけど・・・・・・。
駄目だね。自分の不甲斐なさに驚いたよ。
考えると涙が出るの。本当に馬鹿みたいに。
・・・・・・あ、でも、別に、其の反動で今泣かないって訳じゃ無いから。
○○が死んだらちゃんと泣くと思う。
・・・・・・。
・・・ですよねー。
で、赤ちゃんが死んで数年、私は地獄な日々を過ごして来た訳です。
でも、お父さんが「もう一度だけチャレンジしてみよう」とか言い出してですね。
いやー、正直な所、乗り気じゃなかったんだよね。
いや、子供が欲しく無かった訳じゃないよ。
でもさ、また、流れちゃったらって考えるとさ・・・。
どうしても二の足を踏むよね。
・・・まぁ、チャレンジしたんだけどね。
だから○○が産まれたんだけどね。
本当にあんたはねー、楽に産まれたの。
スッポーンって。
しかもあんたってば妙に小器用でしょ?
読書好きだし、料理好きだし。
もうね、あの子の生まれ変わりと思ってた。
今日まで。だから言わなかったの。
結局、違かったんだけど。
だって今日、会ったかも知れないんだから。
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・・・・・・・・・。
さっきも言ったけど、今日、お母さんは帰りの電車を乗り過ごしたのね。
で、せっかく何時もと違う所に来たんだから何か買って帰ろうとケーキ屋を探してたら、一人の女の子・・・・・・ううん、若い女の人が話し掛けて来たの。
頬に大きな痣がある子だった。
「あ、お母さん!どうしてこんな所に居るの?」
って。
びっくりしちゃった。
いきなり、お母さん、何て呼ばれるんだもの。
「駅、違う筈だよね?何かあったの?」
女の人は不思議そうに此方を見てて・・・・・・。
「会いに来ちゃったの?」
お母さん、何も言えなくなっちゃって。
黙りこくってたの。
女の人は暫くの間、じいっと此方を見てたけど、いきなり近くの花屋さんへ駆け込んだの。
「待ってて!」
って言って。
・・・で、戻った時、其の女の人から此れを渡されたの。
「寂しいと思うけど、私はまだ一緒には帰れないから、此れ、持ってって!!じゃ、お休み!!」
女の人はそう言って、何処かに駆けて行ってしまって。
結局、お母さん《人違いです》って言えなかった。
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・・・・・・・・・。
「何だ。じゃあ、只の人違いだろ。」
「一概にそうとも言えなくて。お姉ちゃんが生きてたらあの位の歳だったし、赤ちゃんにも頬に痣があったから。其れに何より・・・」
「何より?」
僕が首を傾げると、母は嬉しそうに笑った。
「あの子、本当にお父さんにそっくりだったの。」
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・・・・・・・・・。
話を聞いた後、僕はチーズケーキの店を探す為に其の駅をネットで調べた。
然し、実際の其の駅は田園の真ん中に建っていて、ケーキ屋どころか大通り自体が存在しないと言う事だった。
其の周辺も一応調べてはみたのだが、結局、其の母が辿り着いたと言う駅も、チーズケーキを買ったケーキ屋も、姉(?)に花束を買って貰った花屋も、見付からなかった。
作者紺野-2
どうも。紺野です。
驚いたなぁ、もう。って話。