今日こそは、秘書課の優子さんを誘う。
昨日の感触では、優子さんもまんざらじゃなさそうだった。
今日は食事に誘って、その次は酒でも飲んで、次は…ぬはははは。
だけど、営業のヤツも総務のヤツも狙っている。油断はならない。
昨日、上京してきた幼馴染の真由の事も気になるけど、やっぱり本命は優子さん。
よし!と意気込んで、俺は布団を蹴飛ばして跳ね起きた。
その布団を蹴った脚を見て、俺は固まった。
俺の両脚は蛸の足みたいにうにょうにょと蠢いていた。
ご丁寧に吸盤みたいなものまで付いているし、気持ち悪い色のぬるりとした皮膚で、
どう見ても深海の軟体生物だ。
夢ではない。狼狽しながらもベッドから出ると、一応、脚らしくちゃんと二足歩行できる。
蛸足をどうにかズボンの中に押し込み、靴下と靴を履いてみると、かろうじて誤魔化せる。
こんなの病院に行っても大騒ぎされるだけだ。
とにかく会社に行って、優子さんを食事に誘う。俺的には蛸足より最優先事項だ。
俺は、自宅マンションを出て、駅に向かって歩き始めた。よし、誰も気付いていないようだ。
道すがら、すれ違ったジョギング爺さんに「おはようございます」と挨拶すると、なにやら紫色のガスが声と共に口から出た。
そのガスを浴びた途端、爺さんはまるで塩をかけられたナメクジみたいに、シュワシュワと泡を吹きながら溶けるように縮んで消えた。
うわああああああ!
え? 今の、俺のせい? なんで?
俺が慌てふためいていると、ゴミ出しに出ていた近所のオバハンが雑巾を裂くような悲鳴を上げた。
犬の散歩中の人とか、通勤中の人とか、周囲にいた人が俺を見て悲鳴を上げ、逃げて行った。
中には、俺のガス?に当てられたのか、じゅわじゅわと溶け消えていく人もいる。
見ると、俺の手までもが蛸のようにうねり、さらに一張羅のスーツをちりぢりに引き裂きながら、俺の体は巨大化した。
あああ、大事なスーツが。
いや、それどころではない。
瞬く間に自衛隊の警察だのが出張ってきて包囲網が敷かれた。
蛸の体に人間の頭がくっついたみたいな体になった俺は、包囲を蹴散らし、周囲の建物を轢き潰しながら、ずるずると都心に向かった。
戦闘機が俺の周囲を蠅みたいに飛び回り、蚊みたいに刺してくる。(多分、攻撃されてる)
それでも俺は構わず会社に向かった。
優子さん、俺こんな体になったけど、今晩、食事でもどお?って今日こそ誘うんだ。
そこへ、幼馴染の真由が、戦隊ヒーローみたいな極彩色の衣装に身を包み、ポーズと共に現れた。
色違いの衣装を着たヤツ4人とタッグを組んで、何やら大仰な技の名前を叫びながら俺を攻撃してくる。
…って言うか、真由お前、何そのカッコ。何その決めポーズ。ももクロ?
真由と他4人は力を合わせて、何かすごいエネルギー的なものを俺にぶつけてきた。必殺技らしい。
俺の体はバラバラに弾け飛んで、俺の意識もその時どこかへ吹っ飛んだ。
◇◇◇◇◇◇
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ふと目が覚めると、俺は何か乗り物の中にいるようだった。
白くてプラスチックみたいな、やけに安っぽい内装だけど、外の景色がゆっくりと後ろへ流れていくので、これは乗り物だと分かった。
その外の景色は、宇宙空間だった。遠くの方に見た事もない惑星みたいなのが見える。綺麗だ。
っていうか、じゃあこれは宇宙船か? なんで俺、宇宙にいるの?
慌てて飛び起きると、体は元に戻っていた。
手も脚も、人間の、いつもの俺の手足だった。
うーん、惜しい事をした。一度くらい優子さんと触手プレ…あわわわわ。
…さておき、状況を把握しないと。誰かいないか、船内をうろついてみる。
すると物陰から、いきなり怪物が襲ってきた。
牙みたいな鋭い歯が二重三重に生えた口から涎を垂らし、辺りを嗅ぎまわっている。
目はないようだ。駝鳥みたいな強靭な脚でズシンズシンと歩き回る。
ふと気づくと、俺の腰には銃らしきものがぶら下がっていた。
試しに、俺の匂いを嗅ぎまわっている怪物を狙って物陰から撃ってみると、光線のような一筋の光が怪物の体の一部を吹っ飛ばした。怪物はぎゃあぎゃあと悲鳴を上げて、のた打ち回った。
おお、これはイケる。
俺は物陰から回り込んで息を潜め、匂いと気配だけで俺を探し回っている手負いの怪物の頭に狙いを定めた。
どんな生き物だか知らないが、頭を吹っ飛ばせば大体は死ぬだろう。
首尾よく怪物の頭を吹っ飛ばすと、何故か全身が弾けたみたいに破裂して四散した。
そして飛び散った怪物の体の一部分…腕らしいものが、船内の計器盤のようなところを直撃した。
突如、船内に赤いランプが明滅し、不安を煽るようなビープ音が鳴り響いた。
計器盤の赤々と点滅しているボタンを見ると、よく分からない文字に、この宇宙船の機体らしいマークが記され、点滅に合わせて機体マークがバラけては元に戻り…を繰り返していた。
その隣では、横一列に並んだ光るゲージが、一目盛ずつ消えていく。
まさかの自爆ボタンですか?
俺は焦って解除しようとそこら辺のスイッチを押しまくったが、赤い点滅も消えゆくゲージも変わらなかった。
何語か知らないがアナウンスが流れる。
多分、自爆まであと何分何秒、乗組員は避難してくださいとか何とか言ってるんだ。
どうしよう、どうしよう、こんな所で死にたくない。
こんなワケの分からない死に方したくない。
俺はまだ優子さんと何もしていない。どうしてこんな目に。
ゲージの最後の一目盛が消えた。
その時、ものすごい衝撃がきて、眩しい光に包まれて、俺は意識を失った。
◇◇◇◇◇◇
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目が覚めると、俺はどこかの地下室っぽい場所に監禁されていた。
確かさっきまで気密服みたいなの着てたと思ったんだが…いつの間にかスーツ姿だ。
いつの間に着替えたんだろう。よく見るとアルマーニだ。ふふふ、得したぜ。
そこへ禿げ頭のワルそうなヤツが来て、なにか喚き始めた。
聞いた事もない外国語みたいだったのに、何故か俺には言葉が分かった。
機密コードを吐けとか何とか言っている。何の事だか分からない。
そう答えると、禿げ頭は俺を殴りつけた。椅子に縛られて身動きできない俺を!
痛え…顔が腫れたらどうしてくれるんだ。
今夜は優子さんとデート(予定)なのに困るじゃないか。
禿げ頭はしつこく吐け吐けと言いながら、俺を痛めつける。
困った。人違いだと言っても聞き入れてくれない。
その時、後ろ手に縛られた手の、腕時計だと思っていたものから何か刃物的なものが出て、俺の手を縛る縄を瞬時に切った。
両手が自由になった俺は、椅子から立ち上がると同時にその椅子を持ち上げて、禿げ男の頭に叩きつけた。
よし、逃げよう!
俺は、まず身を守る武器を探して辺りを見回し、気絶している禿げ頭から拳銃を奪った。
ずっしりと重い。本物なんだろうなコレ。
ここがどこだか分からないが、とにかく部屋を出ると細い廊下から出口らしいドアが見えるホールがあって、そこにラスボス臭ぷんぷんの大男とザコキャラくさいヤツが数人いた。
奴らは銃を構えて俺に向かってくる。俺は柱の陰に隠れて敵の銃弾をよけ、素早く身を翻して連中に向かって銃をぶっ放した。
夜店の射的でさえ命中した事のない俺の弾丸は、百発百中で連中をバタバタとやっつけた。
しかし、ラスボスだけがまだ残っている。
俺は自分でも驚くぐらい身軽に大立ち回りを演じてラスボスと肉弾戦を繰り広げた。
俺ってこんなケンカ強かったっけ。いやしかし俺カッコいい。優子さんに見せたいな。
最後にラスボスは自分が崩した柱の下敷きになって自滅した。
ぬはははは正義は勝つ。体育2でも勝つ。
勝利を収め、揚々と建物の外へ出ると、明るい日差しの中で、すげえ金髪美人が真っ赤なコルベットの傍らに佇んで、俺を出迎えた。
金髪美人は俺を見るなり、抱きついてキスしてきた。デカい乳が俺の体に押し付けられて、俺は陶然としながら美人の唇に酔いしれた。
いやいやいや、いかん。こんな事をしている場合でわっ。
俺は今夜、優子さんと………ま、いいか。
金髪美人のジェシカちゃんと俺は、コルベットに乗って海を臨む道をかっ飛ばした。
「あなたのアストン・マーチンはちゃんと修理して隠れ家に運んであるわ」
ジェシカがそう説明した。いや、俺の車は日産マーチ(5年落ち)なんですが。
まあいいや。今夜はこのまま隠れ家に身を潜めるらしい。ジェシカちゃんと二人きりで。ぬははははは。いやいやいや。
そこへ、いきなり戦闘ヘリが現れ、俺たちの車に向かって爆撃してきた。
ギリギリで避けたが、道がそこらじゅう破壊されてしまい、俺は車ごと崖下へ放り出された。
車から投げ出されたジェシカが長い金髪をなびかせて落ちていく。
OH!ジェシカちゃ~ん!…じゃなくて、こんなとこで、優子さんと何もしないまま死ねるかあ!
しかし、荒々しい岩肌の地面が容赦なく近づき、俺は恐怖のあまり目を固く瞑った。
◇◇◇◇◇◇
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いつまで経っても地面に激突する気配がないので恐る恐る目を開けると、俺は小汚い木造小屋の中にいた。
壁中にどす黒いような、赤茶色のような、気持ちの悪い染みが広がっている。
ここはどこだ? ジェシカちゃんは?
辺りを見回していると粗末なドアが壊れんばかりに開いた。
そして、やはり赤黒い染みだらけのオーバーオールを着て奇妙なマスクを着けた大男がチェーンソー片手にのしのしと入ってきた。
大男はチェーンソーのリコイルを目一杯に引っ張って、エンジンを始動させた。
錆びついたような刃が高速で回転し始める。
ヘンな面のせいで表情の分からない大男が、無言でチェーンソー構えながらこっちに向かってくる。
明らかにヤバイ。
案の定、大男はチェーンソーを俺に向けて振り回し、ギザギザの鋸刃が俺の腕や太股をかすめた。
痛い。マジで痛い。かなり刃が鈍っているのか、傷口はグチャグチャだ。
これじゃあ今夜のデートどころじゃない。
さっきまで持っていたはずの銃はなく、丸腰でこんな奴に立ち向かえるわけがなかった。
出入り口は男の後ろのドアしかない。
窓もない狭い小屋の中で、俺は死に物狂いで逃げ惑い、スキを見て男の脇をかいくぐり、ドアから飛び出そうとした。
その時、男が後ろから俺の髪の毛を鷲掴みにして持ち上げた。
捕まった。もうダメだ。
チェーンソーの凶悪な回転音がすぐ横に迫る。
殺される。チェーンソーで切り刻まれて死ぬ。どうしてこんな目に。
優子さん、俺はもう死にます。死ぬ前にせめて優子さんとあんな事やこんな事…いやいやいやいや。
間際に迫った死の恐怖から目を固く閉じると、突然、チェーンソーの音が消えた。
髪の毛を掴んでいた男の手も消えて、俺は下に落ちた。
床の上に落ちると思ったら、何故かドボーンと音を立てて水の中に落ちた。
俺の体は落ちた勢いで深く沈み込み、慌てて水面に顔を出した。
そこは海だった。大海原だった。
◇◇◇◇◇◇
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俺は唖然として周囲を見回した。青空、白い雲、そして見渡す限りの海。水平線しか見えない。
そうだ、俺は腕と脚を大怪我している。海で血を流していたらサメがくるじゃないか。
焦って傷を確かめると、腕も脚も何ともなっていなかった。ただし、スーツはボロボロだった。
ああ、アルマーニなのに。勿体ないな。
それはともかく、陸地か船を探さないと。俺は立ち泳ぎしながら考えた。
しかし、こんな何の目印もない、方角も分からない大海原のど真ん中で下手に泳ぎ出しても危険だ。
とりあえず浮いていれば、いずれは船か飛行機が見つけてくれるかもしれない。
まずは体力の温存を最優先して…そう思って背泳ぎの体勢で体を浮かせていると、
しばらくして横から不自然な波に煽られた。
船だ!と思って体を向けると、巨大なガレー船が現れた。
船底の方から生えた無数の櫂が、規則正しく前後に動いて、船を動かしていく。
なんで今時ガレー船?
そう思ったが背に腹は代えられない。どこかの観光船とかイベント船なんだろう。
俺は必死に泳いで行って、甲板にいる人間に向かって大声を張り上げた。
その内、一人が気付いてくれて、俺は船に引き上げられた。ああ良かった。これで一安心だ。
そう思ったのも束の間、俺は船員たちから奇異な物を見る目で見られ、次々と何かを聞かれた。
言葉が分からない。どこの国の言葉だろう。そう言えば服装も変だ。布を巻きつけただけのような服。
まあ、外国籍の船ならまず日本大使館に連絡してもらって…そう思った時、船長らしい男が周囲の船員たちに傅かれる中、現れた。
日に焼けた偉丈夫といった感じの男は、やはり布を巻いただけの服を着て、体にジャラジャラとアクセサリーを着けている。こんな民族衣装の国、あったかなあ。
船員と男が何やら話し込み、俺は船員たちの手で瞬く間に裸に剥かれた。
ボロボロだったスーツはあっという間に剥ぎ取られた。ああ、俺のアルマーニ。
裸にされた俺は粗末な布一枚を渡され、腰に巻くよう身振り手振りで教えられた。
腰布を一枚巻きつけただけの惨めな格好で、俺は船底に連れて行かれた。
そこは…クサッ! 臭い! 鼻が曲がりそうに臭かった。
場末の公衆便所に輪をかけたような悪臭が充満している船底に、俺と同じような格好の、俺よりもっと薄汚れた連中が、ぎゅうぎゅう詰めになっていた。
左右一列に5人ずつ座り、同じ棒を持って前後に動かしている。どうやら櫂を漕いでいるらしい。
この船底の漕ぎ手が船の動力なのだ。そして俺も動力として使われるらしい。
狭苦しいスペースに押し込まれ、櫂を握らされる。意外と太くてゴツくて重い。
これを横に並んだ連中と一緒に動かすんだが、なかなか合わなくて難しい。
どうやら排泄もここで垂れ流し、食事もここで他の漕ぎ手と交代で。
道理で、この悪臭の理由が分かった。この便所の中で飯を食えと。
冗談じゃねえ。なんでこんな目に…。
漕いでいる内に手の平にマメが出来て潰れた。痛い。
手を休めると、うろうろと歩き回っていた監督官らしい男が腰にぶら下げた鞭を振るった。
それは俺の背中に炸裂し、俺はあまりの痛さに仰け反った。
皮膚が切れたようだ。背中で生温かい物が流れる。
痛ええ…マジか。日本大使館に連絡ついたら外交問題にしてやるぞ。くそ。
っつーか、俺どうしてこんな事してるんだろう。
優子さん、会いたいよ。優子さん…今、どうしてるの?
他の奴の誘いは受けないで。優子さん。
俺は必ず行くから。優子さんのために。二人のために。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
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「店長おお! ありましたよう。歴史劇のコーナーに混ざってましたあ!」
「おお、そうか。良かった。いやあ、お客さんから問い合わせがあってね。確かに入荷したはずなのに見当たらなくて…他の客にレンタル中でもないし、変だと思っていたんだよ。やあ、やれやれだ」
「前にちょっと探した時はこの棚では見つからなかったんですけどねえ」
「ああ、どうせ他のコーナーにでも紛れ込んでいたんだろう。時々いるからなあ。ケースごと引っ張り出して、テキトーな棚に戻しちゃう客」
「こないだ入ったバイトにも、ジャンル別の棚、ちゃんと覚とくように言っときますね。」
「うん。とにかく元の邦画ラブロマンスの棚に戻しておいてよ、それ」
「はあーい」
◇◇◇◇◇◇
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俺はやっと自分の世界に戻ってこれたようだ。
アルマーニではなく、コナカの安いスーツだったけど。
だけど俺の足は蛸足でもなく、ここは宇宙船の中でもなく、
ジェシカちゃんとはもう会えないけど、
チェーンソー男に切り刻まれる心配もなく、便所の中で櫂を漕がなくてもいい。
いつもの生活。いつもの顔ぶれ。
俺はやっと優子さんの元に行ける。
待っててね優子さん、今行くからね。
ぬははははは。
作者退会会員
最近、パラレルワールド物の秀作がいくつか投稿され、どれも面白かったので、
「よし、私も」と意気込んで書いてみたら、
一体どこで何を間違ったのか、アサッテの方向に着地してしまいました。
怖くなくてごめんなさい。
こんなん、タグも付けようがないんで、ノータグです。