たいてい壁という物は白が多い。
例外にももれず、ゆかりの住む賃貸ワンルームのアパートも、壁は白だった。
白という色は、部屋を広く見せてくれるというメリットと、汚れが目立つというデメリットもある。
シャワーを浴びて、髪の毛を拭きながら出てきたゆかりは、壁に黒い影が走るのを見たのだ。黒い影はテレビの棚の後ろへと消えた。ゆかりは懐中電灯で、テレビの裏を照らし、正体を見極めようとしたが、裏には何もいなかった。
嘘、やだ、何今の黒い影。ゴキブリ?それとも。最近、近所で草刈機を使った大掛かりな草刈が行われたばかりで、もしかしたら、ムカデが侵入してきたのではと、彼女は思ったのだ。ヤモリ程度なら出てきても驚かないのだけど、ムカデはいやだ。
やだやだ、怖い。ゆかりは慌てて近所のホームセンターで殺虫剤とゴキブリホイホイを買ってきて、通り道と思われる場所に殺虫剤を吹きつけ、いたるところにゴキブリホイホイを設置したのだ。
毎日、設置したゴキブリホイホイを覗いてみても、何一つ引っかかってなかった。ゆかりはしばらく、得体の知れない侵入者に怯えていたのだけど、いつになっても出てくる様子がないので、自分の見間違いかもと思うようになり、日を追うごとにさほど気にならなくなっていった。
ところが、またゆかりは壁に黒い影を目撃することになる。今度はテレビの棚の裏から、壁を横切り、となりのシェルフの裏に移動したのだ。
何か居る!ゆかりはまた、その日から神経をすり減らす日々が続く。相変わらず、ゴキブリホイホイには何もかかっておらず、勇気を出してテレビの棚や、シェルフを移動してみたりしたが、そこには何も居なかった。得体のしれない虫か何かわからないものが潜んでいると思うと、気が気ではなく眠れない日々が続いた。体が徐々に衰弱し、そろそろ限界に達していた。
「ねえ、今日、裕子んち、泊まっていい?」
ついに自分の部屋に帰ることに耐え切れなくなったゆかりは事情を話し、友人の部屋に泊めてもらうことにした。
「ほんと、何か正体がわからないから。気持ち悪くて。」
「バルサンとかやっちゃダメなの?」
「ダメだよ。火災報知機が反応しちゃうよ。」
「そっかぁ。ぜんぜん、正体がわからないって、気持ち悪いね。通った瞬間、見えないの?」
「うん、速過ぎて、目がついていかない。」
「まあ、今日はゆっくりしていきな。最近寝不足って顔してたもんね。」
「うん、ありがとう。」
ゆかりは、裕子と夕食を共にし、裕子がシャワーを浴びたあとに、自分もシャワーを浴びた。テレビを見ながら笑う裕子に、お風呂ありがとうね、と声をかけようとした瞬間だった。ゆかりは裕子の部屋の壁を黒いものが走るのを見たのだ。
「きゃっ!」
ゆかりが小さく叫ぶと、裕子が驚いて振り向いた。
「どうしたの?」
裕子が心配して立ち上がり近づいてきた。
「い、今、壁を黒いものが!」
「え?どこどこ?」
裕子も壁を見る。
「今、そこの壁を、上から。」
「えーやだー。うちにも何か入ってきたのかしら?」
「きゃーっ!」
裕子はゆかりの叫び声にびっくりして、彼女を見た。
「今度は何?」
そう言いながら、ゆかりの恐怖に怯える顔を見て、裕子は、あっ!と声を出し、あとずさりした拍子に足がもつれ、尻餅をついた。
「また壁を黒いものが!」
ゆかりがヒステリックに叫ぶと、裕子は意外なことを口にしたのだ。
「か、壁じゃないよ・・・。」
声が震えている。
そしてゆかりを震える指で指差しながら言った。
「ゆかりの・・・目の中を・・・横切った!」
彼女は意味がわからなかった。
「ゆかりの目の中を・・・小さいヤモリみたいなものが!!いやぁっ!」
壁ではなかった。
ゆかりの白目の中の裏側に黒い物体はぐるりと潜り込んだのだ。
作者よもつひらさか