長編12
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爪切り

とある保育園でその昔起こった話。

30代半ばの女性保育士のBさんはある保育園で保育士をしていた。

昔から子供が好きで子供と関わる仕事に就くのが夢だったBさんには、とてもやりがいのある仕事だった。

しかし保育士の仕事は楽しいことや嬉しいことばかりではない。

当然辛い事や大変な事もたくさんある。

職場の人間関係だったり保護者とのやり取りが大変でいつも神経をすり減らされる。

また給料の割に仕事量・仕事内容がとてもハードだ。

保育園で仕事が終わらないときは、自宅に持ち帰って仕事をする時もある。

それなのに家に帰れるのが深夜遅くになってしまう事も珍しくない。

Bさんも新人の頃は何度も辞めようかと思ったそうだ。

だが経験を積んで保育園の流れや仕事を理解してくると要領が掴めてくる。

空いた時間を上手く使い仕事をこなすのが保育士にとって重用だそうだ。

例えば子供達がお昼寝をする時間は数少ない子供に邪魔されない貴重な時間だ。

子どもが寝ている間に、連絡帳に今日の子どもの様子を書いたり保護者への手紙を書いたり等を片付けておける。

ほとんどの保育士が子供達のお昼寝の時間を有効活用して仕事に余裕を持たせようとする。

もちろんBさんも御多分に漏れず、毎日お昼寝時間中に多くの仕事をこなしていた。

 

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それはある年の少し寒くなり始めた冬の初め頃の事だった。

その日もBさんはお昼寝の時間になると子供達を寝かしつけ、仕事に取り掛かった。

昔は子供達だけを部屋に残し仕事は職員部屋で行っていたが今は違う。

途中で起きてしまった子供が何かしら問題を起こす事も多いので、部屋の隅の机で小さな明かりの下こじんまりと作業しなくてはならない。

もちろん子供達を起こさないように常に注意しなければならないのでとても気を使う。

新人の保育士はよくここで苦労する事が多い。

一旦起きてしまった子供は中々寝付いてくれないからだ。

とはいえ十数年経験を積んでいればある程度余裕が出てくる。

Bさんは慣れた手付きで次々と連絡帳にその日の子供達の様子を記入していき、早々と作業が終わらせた。

時計に目をやるとお昼寝終了までまだ少し時間があった。

机の引き出しをそっと開けると中から小さな箱を取り出す。

箱はダイヤルロック式で鍵が掛かっており、4桁の数字を揃えるとカチンという小さな音と共に中が開いた。

箱の中にはいくつかの道具が入っていた。

はさみ、カッター、接着剤等々。

どれも園児達が勝手に触ると危険な代物だ。

Bさんは箱の中からある物を取り出した。

それはキャクター物の絵の入った小さな爪切りだった。

子供と触れ合う仕事という関係上、女性でも爪はあまり伸ばしてはいけないとされている。

子供を傷つける可能性もあるし、爪の間に汚れが溜まった手で接するのも衛生的に良くないからだ。

基本的に自宅で切るのが普通なのだが、神経質なBさんは時々こうして仕事の合間に気になった指の爪だけ切る事があった。

多少の音なら子供達がすぐ起きる事もない。

Bさんはなるべく音が立たないように手を机の下の方へと隠した。

パチン

人差し指の爪を少しだけ切り落とす。

顔を上げ部屋の中を見回してみるが起きた様子の子供はいない。

ふぅと一息漏らしてから視線を下げたその時だった。

「せんせいそれ可愛いね」

机の下から子供の呟くような声が聞こえてきた。

 

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「・・・・Cちゃんまたそんなとこにいるの」

いつの間にか机の下のスペースに一人の女の子が侵入していた。

クラスの問題児のCちゃんだ。

実は、Cちゃんがお昼寝の時間中に机の下に潜り込んでくる事はこれが初めてではなかった。

何度注意しても注意深く見張っていても、いつの間にか机の下に潜り込んでくるのだ。

ついにはBさんも根負けしてあまり怒らなくなった。

眠れないで起きてしまう子は珍しくないし、他の子供達を起こしている訳でもなかったからだ。

「Cちゃん、このキャラクター知ってるの?」

Bさんは爪切りに描かれているキャラクターを指差して言った。

その昔流行ったアニメのキャラクターでBさんが大ハマリしたアニメだった。

「知らない・・・でも凄い可愛い。あたし気に入っちゃった」

Bさんはその言葉に少し気分を良くした。

以前園児に「変な顔のキャラ」と言われた事が地味にショックだった事があった。

自分で見ても確かに古臭いタイプの絵柄だと思う時もある。

だからそれからはあまりそのキャラクターグッズは園内では使わないようにしていた。

爪切りだけは園児達に見られる機会がほぼないのでそのままだったのだ。

「Cちゃん、このキャラ気に入った?」

「うん、それ欲しい。ちょうだい」

「ごめんね、これはあげられないわ」

「いやっ、欲しい。ちょうだいちょうだい」

・・・始まった。

Cちゃんは一旦何かに執着しだすと全く言うことを聞かなくなる所があった。

一部の保育士の間では『暴走機関車』と呼ばれていた程だ。

「それ欲しい。せんせい、それちょうだいちょうだい」

こうなってしまうとテコでも動かなくなるのが問題児と言われる所以である。

しかしBさんも、そのCちゃんともう長い付き合いでその扱いに慣れていた。

「じゃあ帰りにCちゃんのお母さんに渡すから。それで家で使ってもらおうか」

「えぇ~」

「おうちならCちゃんの好きなだけ使えちゃうかもよ~。あぁ~羨ましいなぁ~」

「・・・・・・・・うん、解った。じゃあおうち帰ってからお母さんから貰う」

「良い子ね~。Cちゃんはお利口さんだ」

Cちゃんは少し不満気だったが渋々納得してくれた。

その日のお迎え時、BさんはCちゃんのお母さんに事情を説明し爪切りを手渡した。

「明日同じキャラクターの他の安全なグッズを持ってきますので、それと交換という形で取り替えれば問題ないかと思います。お手数をお掛けして申し訳 ありません」

「いえ、私は大丈夫ですから。解りました。あの子も単純ですし、今日だけなんとか誤魔化してみます」

そう言ってCちゃんのお母さんはCちゃんを連れて車で帰っていった。

なんという事はない、いつものちょっとした小さな問題だとその時は思っていた。

だがその次の日、Cちゃんが保育園に来る事はなかった。

 

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『園児を迎えに行った帰宅途中、交通事故で母子共に死亡』

突然の悲報だった。

世間から見れば特に問題になるような事もない事故だ。

けれどもBさんにはとてもショックな事故だった。

何日か気が抜けて仕事に身が入らない日が続いた。

同僚の保育士にも心配を掛けてしまい、気が滅入るばかりだった。

しかしいつまでも落ち込んでばかりはいられない。

仕事内容は相変わらずハードで、何かを忘れさせるには充分な程忙しかった。

お陰で一週間もするとBさんはいつもの様子に戻り、調子を取り戻した。

そのまま何事もなく日々が過ぎていくはずだった。

Cちゃんの事故から十日程経った日の昼過ぎの事。

お昼寝の時間中に仕事を片付けたBさんはいつものように時計を確認した。

お昼寝終了時刻まであと十分位だ。

前日夜遅くまで仕事をしていた為に少し疲れが溜まっていたBさんは、少しだけ疲れを取るつもりでそっと目を閉じた。

子供達の寝息が薄らと聞こえてきてとても心地が良かった。

そのまま本当に眠ってしまいそうだった。

意識が飛びそうになった時、彼女を現実の世界に呼び戻したのは左指に走る激痛だった。

バチン

「痛っ!?」

突然の事に思わず下ろしていた左手を引っ込める。

痛んだ指を確認すると指先から血が溢れていた。

机の何処かに引っ掛けたのだろうか?

そう思ってBさんが机の下を見た時、彼女は信じられない光景を目にした。

机の下に一人の少女がいた。

見間違えようのないあどけない顔。

Cちゃんだった。

なにより手に持った見覚えのある爪切りがCちゃんである事を証明していた。

「Cちゃん・・・あなたCちゃんなの・・・・」

震える声で問いかける。

Cちゃんと思われる女の子は薄らと笑みを浮かべながらBさんを見つめていた。

Bさんは金縛りにあったように身動きがとれなくなってしまった。

やがて女の子は机の奥の影へとゆっくりと消えていった。

「待ってCちゃん!」

急に体が動くようになった。

慌てて机の反対側に回り込む。

だがそこにCちゃんの姿はなかった。

幻、妄想、夢。

色々と考えられたがどうしても説明がつかない事があった。

Bさんの怪我した人差し指の先は何かによって千切られたような傷だった。

机に引っ掛けて出来た傷だとは到底思えない。

だとすれば今のは現実・・・・

とはいえこんなおかしな話を他の保育士の仲間に話す事なんて出来ない。

やっとCちゃんの悲しみから立ち直ったと皆に喜ばれていたのだ・・・

仕方なくBさんは一人悶々としたままその日を終えた。

そして翌日。

悩んでいてもあっという間にお昼寝の時間は来てしまう。

昨日の事を思い出すと気が気出なく、とても仕事なんて出来なかった。

あれは本当にCちゃんだったのだろうか?

だとしたら今日もまた来るのだろうか?

小さな明かりの中じっと息を殺して机の周りを警戒した。

何かが近づいてくればすぐ解るようにと。

しかしその緊張は意外な形で切れる事となった。

「いったぁーーーい!」

突如寝ていた子供の一人が大声を上げて起き上がった。

予想外の事に慌てたBさんは他の子供の事も考えずに部屋の明かりをつけると、大声で泣き喚く子供のもとへ駆けつけた。

「どうしたの?何かあった?」

声を掛けても一向に泣き止まず何があったかも話してくれない。

困るBさんだったがその子の手を見て思わず「あっ!」と声を上げた。

その子の指先が先日のBさんと同じ様に赤く染まっていたからだ。

 

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「嘘でも幻でもないんです。現実に起こった話なんです」

その日の夜、他の保育士達や園長先生を集め事の成り行きを説明した。

ほとんどの人達が信じられないといった様子で聞いていたが、Bさんが冗談を言うような人ではないという事は皆解っていた。

「それっていわゆる・・・幽霊って事・・・ですよね・・・・・」

一人の若い保育士がおずおずとしながらも聞いてきた。

その問いにBさんも少し戸惑いをみせたが「えぇ」とだけ答えると他の職員もザワつき始めた。

「・・・・・・ちょっといいかな」

表情一つ変えずに話を聞いていた園長先生が手を上げ発言の許可を求めると、途端に周りのザワつきがピタリと止んだ。

「仮に・・・・もし仮になんだが・・・・本当に幽霊だったとして。それでもうちの経営状況からすると大掛かりな事は出来ない。なんにしても内密に、それも下手な噂が漏れたりしない事が望ましいんだが」

その場にいた保育士全員が一斉に息を呑んだ。

要するに園としては大事になるような対策は出来ないという事だ。

暗にお祓いや除霊はしたくないと言っているのだろう。

こんな状況で言う事かとも言えるが、園にとって死活問題にならないとも言えないのは確かだ。

園の経営がやっていけなくなったら、そこで働いている自分達も当然仕事がなくなる。

その為園長の発言に対して文句をいう者は特にいなかった。

だがこの一言でその後数分の間誰も発言する事がなくなってしまった。

重苦しい雰囲気がずっと続く。

そんな中、最初に発言したのはBさんだった。

「あの・・・一つだけ気になる、というか思うところがあるんですが・・・・」

「なんだいBさん?こんな状況だ。とりあえずなんでもいいから言ってみてくれ」

園長先生も先程の発言を少し後悔していたのか、口火を切って発言しようとしてくれたBさんを促した。

「実は・・・Cちゃんの姿を見たという子供がもう一人いるんです」

「えっ?でも怪我した子供は一人だけだったはずじゃないんですか?」

横にいた若手保育士が思わず口を挟む。

その問いにBさんは「えぇ」と軽く頷くと話を続けた。

「その子はお昼寝の最中に誰かに手を握られて起きたらしいんです。それで、その手を握っていたのがCちゃんだったって言うんですよ」

「夢・・・にしては出来過ぎか。嘘とも思えんしなぁ・・・」

園長先生は顎に手を当てて考える仕草をしていた。

「でもその子は何もされなかったんですよね?手を握られてまでいるのに・・・」

「確かにおかしいわね・・・」

他の保育士達も次第に言葉を交わし始める。

Bさんはそのタイミングを逃さずに答えを出した。

「手袋をしていたんです。その子」

お喋りが止み全員の視線がBさんに集中した。

「手が冷えるからって事でその子いつも手袋をしているんです。人一倍寒がりな子で、お母様からも出来るだけ暖かくしてやってほしいと言われていたので。特に問題にならないような時は手袋をする事を認めていたんです」

「・・・・もしかしてBさんが言いたい事って」

「その子は、手袋をして爪を隠していたから狙われなかったって事?」

Bさんは無言で頷いた。

部屋の中はまた静寂に包まれた。

「解りました・・・・とりあえずですが、明日のお昼寝の時間は園児達に手袋をさせるという事でいいですね」

「え?」

沈黙の中最初に発言したのは園長先生だった。

途端に今度は園長先生に視線が集まる。

「園長先生。さすがにそれは・・・」

「明日はお昼寝の時間を無しにする方が良いのでは」

みんな口々に園長先生の意見を否定した。

Bさんもまさかこんな流れになるとは思っていなかったので、せめて明日のお昼寝は中止にするようにと頼んだ。

しかし園長先生は頑なに保育士達の意見を拒んだ。

「たとえ明日中止にしても、次の日、また次の日もあるんですよ。いつまでもお昼寝の時間を無しにすれば子供達にも影響がでます。それに[何故お昼寝の時間を中止にしたのか]とお母様方から聞かれてきたらどう答えるんですか?」

その後も考えを変えるよう皆で説得を試みたが園長先生の意見は変わらなかった。

それどころか手袋を持ってこない子供達用の為にと、大量の手袋を買いに出かけてしまったのだ。

これには園の保育士達も皆呆れ果ててしまった。

仕方なく保育士全員でその後話し合い、明日のお昼寝の時間は全力で子供達を守ろうと決意した。

 

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ところがこの事件はここで意外な展開を見せる。

次の日、その次の日、そのまた次の日と、お昼寝の時間にCちゃんと思われる女の子の幽霊は現れなかったのだ。

手袋の効果が本当にあったのか?

保育士達が全員で子供達を監視していたお陰なのか?

それともやはりあの日見たCちゃんは幻だったのか?

結局何も解らないまま保育園での怪奇事件は一旦の終了を迎える事となる。

だがこの話にはまだ続きがある。

保育園の事件から数日が経った頃、ある噂が立ち始める。

【深夜、寝ている時に子供の幽霊がやって来て指先を切り取っていく】

初めはただの噂だと思われていた。

しかし実際に被害にあったという人や子供の霊を見たという人が多くなっていき、徐々に噂が現実味を帯びていく。

そしてついに・・・・

ピーポーピーポー

深夜に救急車のサイレンの音が鳴り響く。

指を真っ赤に染めた被害者が搬送されていく。

人差し指の先が完全に無くなっているそうだ。

家族が懸命に探したが指先は何処にも見当たらないという。

その日から救急車のサイレンは毎日のように鳴り続けた。

いつしか噂に新しい部分が付け加えられる。

【夜寝る時に手袋をしていると襲われないらしい】

最初は皆疑っていたが、深夜のサイレンの音を聞いているうちに恐怖のあまり手袋をして寝るようになった。

その地域一帯に噂が広まり皆が手袋をして寝るようになると、深夜の救急車のサイレンの音はなくなっていった。

だがすぐにその近くの地域でまた深夜にサイレンの音が鳴り始める。

サイレンが鳴ると噂が広がる。

噂が広がるとサイレンが鳴り止む。

今度は別の場所でサイレンが鳴り出す・・・

ずっとこの繰り返しだ。

今ではCちゃんはいったい何処にいるのか全く検討もつかなくなってしまった。

もしあなたが深夜に救急車のサイレンの音で目が覚めた時は、気をつけた方がいいかもしれない。

だって次に狙われるのはあなたかもしれないから・・・・

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読んで怖いだけではなく、読んだ人の身近なものをドキッとさせる…これぞ怪談ですね…

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ネタバレ注意
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病院の近くに住んでいるので
毎晩のようにサイレン聞きます
勘弁してくださいw

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