知人から聞いた話です。
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「あぁ、楽しみだなぁ!」
土曜日の朝から息子が嬉しそうに出かける支度をしている。
「そうだね。ほら、あれ忘れないでね!」
Sさんはテーブルの上に置かれた冊子を指差しながら言った。
「あ!忘れてた、忘れてた。ありがとう!」
今日は小学校で開催されるお祭りの日。
見開きの冊子には、左側のページに出し物の場所が記された小学校内の地図、右側のページはスタンプラリー用の台紙になっている。
また、下部には点線に沿って切り離して出し物に使用可能な金券もついていた。
小学校のお祭りと言っても、各学年、各クラス毎に保護者が主体となって実施するお祭りの為、子供たちが手伝うような事はなく、遊びに徹する事が出来る。
今年の出し物は全十三種類。
・フランクフルト
・焼きそば
・豚汁
・かき氷
・ボーリング
・キックターゲット
・コイン落とし
・もぐら叩き
・スライム
・型抜き
・プラ板
・バザー
・???
「今年のハテナはまた先生のダンスかな?」
「どうだろ?楽しみだね」
???は子供達からは「ハテナ」と呼ばれており、小学校の教員達からのサプライズ出し物で当日まで内容は秘密になっている。
去年はアイドルグループのコスチュームに身をまとった教員達が体育館の舞台上で踊っていたが、とても見られるような内容では無かった。
ただ、子供達からして見れば、普段は見ることの出来ない教員達の姿を目の当たりにし、笑いが絶えない楽しい出し物になっていた。
「それじゃ、そろそろ行って来る!」
「行ってらっしゃい!気をつけてね!」
時刻は朝九時半。
Sさんのクラスの出し物はかき氷。
Sさんは昼十二時から一時間の販売係の担当。
まだまだ時間に余裕がある為、少し仮眠を取る事にした。
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「お待たせ!」
通学路にある公園でSくんは同級生と待ち合わせをしていた。
「S!おそい!」
「ごめんごめん~」
「それじゃぁ出発!」
Sくんは同級生と横一列に小学校へと歩みを進めた。
「みんないくら持ってきた?」
「おれ500円!」
「ぼく400円!」
「1000円!」
「すげー!Sは?」
「え?あ…」
Sくんは冊子は忘れずに持ってきたのだが、首から下げるポーチに小銭入れを入れるのを忘れた。
「100円…」
冊子は持ってきていた為、冊子についている金券分を咄嗟に答えた。
「100円?少ねぇなぁ!じゃぁ、これやるよ」
そう言って同級生は冊子についている金券をSくんに渡した。
「え?くれるの?ありがとう!」
「ほら、おれのも」
「ぼくのもあげる」
他の同級生も手持ちの金券をSくんに渡した。
「ありがとう!」
Sくんの手持ちは400円分の金券になった。
そうこうしているうちに小学校の正門が見えてきた。
たくさんの子供達が吸い込まれるように校門に流れ込んでいく。
『平成xx年 ○○小学校○○祭』
そう書かれた看板が校門に立てかけられていた。
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活気溢れる小学校の敷地内。
校門から入ってすぐ右手には事前に各家庭から集められた不用品が大量に置かれたバザーの出し物があり、多くの人で賑わっていた。
Sくんもバザーを取り囲む人ごみをかき分け、最前列に出ると、何が売られているのか見渡した。
絵本、古着、玩具に食器。
商品には赤、青、黄のシールが貼られており、それぞれ五十円、百円、二百円となっている。
毎年代わり映えのしない品揃えに、がっかりしたSくんが次の出し物に向かおうとした時だった。
「え?」
ふいに後ろから誰かに服の袖を引っ張られたSくんはそのまま姿勢を崩し、バザーの商品が置かれたブルーシートの上に勢いよく倒れた。
「いててて…」
起き上がろうとした時、視線の先に何か見えた。
バザーの商品はブルーシートの上に直接置かれているものだけでなく、ブルーシートの上に設置された細長いローテーブルの上にも置かれてる。
立っている時は気がつかなかったが、倒れた拍子にローテーブルの下に男の子が隠れていた事に気がついた。
「何してるの?」
Sくんはローテーブルの下の男の子に話しかけた。
「…かくれんぼ」
男の子は小声でそう答えた。
「誰が鬼?」
Sくんが尋ねると男の子は無言でバザー会場の後ろを指差した。
男の子の指差す先、椅子に座った女性が落ち着きのない様子で首を勢いよく左右に振り、辺りを見回していた。
あまりに勢いよく首を振っている為、長い黒髪が乱れ、顔は見えなかった。
きっとローテーブルの下の男の子を探しているのだろう。
「鬼、怖いね…」
Sくんも小声で男の子に話しかけた。
男の子は無言で頷くと、手首につけていたカラーゴムを一つSくんに手渡した。
「これ何?」
「鬼に取られたら鬼になるんだよ」
どうやら、手首に付けているカラーゴムを鬼に取られると鬼になる「増え鬼」らしい。
「ぼくも入れてくれるの?」
Sくんがそう言って手首にカラーゴムを付けた瞬間、男の子がSくんの手をがっしりと掴んだ。
「どうしたの?」
男の子は両目を見開き、震えている。
男の子のSくんの手を掴む力がますます強まり、男の子の爪がSくんの手のひらと手の甲に食い込んでくる。
「痛い!痛い!放してよ!」
Sくんが男の子の手を何とか振りほどき、自分の手を見たSくんは泣きたくなった。
爪が食い込んだ手のひらと手の甲からは血が流れている。
「何するんだよ!」
Sくんが大声を出すと、ローテーブルの下の男の子が急に遠ざかった。
「え?」
ずるずるとSくんから遠ざかる男の子。
Sくんは立ち上がり、男の子の方を見た。
先程まで椅子に座っていた女性が後ろ手に男の子の両足を掴み、ブルーシートの上を引きずっていた。
Sくんの視線に気がついたのか、男の子を引きずる女性がゆっくりと後ろを振り向いた。
「え…」
女性の顔が…。
「おい!Sなにやってんだよ!早く次行こうぜ!」
同級生に呼ばれたSくんは逃げるようにその場を離れた。
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「さっきの見た?!」
「S倒れてたけど大丈夫だった?」
「あ、うん…」
Sくんは咄嗟に怪我した手を隠した。
鬼の事を聞きたかったが、同級生は見ていないようだったし、変に心配させたくなかった。
「お!フランクフルト美味そうだな!並ぼうぜ!」
「いいね~」
「おれは四本買っちゃうぜ!」
「食べすぎでしょ~」
食べ物の出し物はどれも人気があり、十人~二十人待ちは当たり前。
Sくんは同級生と一緒にフランクフルトの列に並んだ。
列からはバザーも見えたが、先程の男の子と鬼は見当たらなかった。
数分後。
フランクフルトを食べながらSくんは同級生と校庭に向かった。
校庭にはキックターゲット等の出し物があり、いずれも得点に応じて駄菓子や景品がもらえる仕組みだ。
「S!手首痛くないの?」
同級生にそう聞かれたSくんはその場で立ち止まった。
「なんか紫色っぽくなってるけど…」
Sくんの手首にはバザーで男の子から受け取ったカラーゴムが付けてあったが、先程とは様子が違った。
カラーゴムはSくんの手首の肉にめり込んでおり、手首にはぐるりと円を描いたような溝が出来ていた。
「あれ?おかしいな…」
Sくんは手首の溝から見えるカラーゴムを外そうと爪で引っ掛けてみるも、カラーゴムが取れる様子は無い。
「まぁ、別に痛くないし大丈夫だよ!帰ったらお母さんに外してもらうよ」
紫色に変色はしていたが、痛みは全く無かった為、Sくんは気にせず、再び校庭へと歩みを進めた。
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校庭内の出し物も毎年変わらず繁盛していた。
どの出し物にも長蛇の列が出来ている。
「どこいく?」
「スライムは?」
「いいね!」
スライムは子供たちに人気があり、毎年必ず出し物一覧に挙がる定番出し物の一つだ。
プラスチックのコップにホウ砂、洗濯用水のり、好きな色の絵の具を混ぜるだけで簡単に出来上がる。
ねばねばする絶妙な感触が子供たちには大受けだが、自宅に持ち帰る頃には飽きてしまい、忘れ去られ、気がつくと干からびている事が多いのではないだろうか。
乳幼児が誤飲してしまう事も過去に何度かあったようだが、それでも出し物として存在し続けるのは何故だろうか。
「みんな違う色にしようぜ!」
「おっけー!」
赤に青に黄に緑。
五十円を受付の保護者に渡し、材料の入ったコップを受け取ると、各自バラバラの色の絵の具を使い、割り箸でよく混ぜてスライムを作った。
同級生はすぐにスライムを手に取り遊び始めたが、Sくんはあまりスライムが好きでは無かったので、スライムの入ったコップをビニール袋に入れてそのまま持ち帰る事にした。
「次は?」
「プラ板がいい!」
プラ版が大好きなSくんはすかさず言った。
プラ板は油性マジックで好きなキャラクターの絵をプラスチックの板に描き、加熱するだけで簡単に出来上がる。
小学校のお祭りではプラ板にパンチ穴を開けておき、最後にストラップ紐やキーホルダー金具を付けてくれるので、お祭り後はランドセルや手提げ袋に完成したプラ板を付ける子供たちがたくさんいる。
「S、絵上手いもんな~!」
「色は自分で塗るから、キャラクターの絵はおれのも書いて!」
「ぼくのもお願い!」
「おれのもお願い!」
「いいよ!」
Sくんは笑顔で返事した。
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プラ板は人気がある事に加え、絵を描く時間制限も特に無い為、他の出し物以上に行列になる。
Sくんたちが並び始めてから二十分近く経ったが、まだ少し時間がかかりそうだった。
『今年のハテナ【図工室】でやるらしいよ』
後ろに並んでいる子供たちがそんな話をし始めた。
気になったSくんと同級生は聞き耳を立てた。
『なんで知ってるの?』
『大人が何人か図工室に入っていくの見たんだよね』
『へぇ~何やるんだろうね?』
『なんだろうね?』
『ハテナ、十一時半からだよね?』
『そうそう。あと三十分くらいあるし、プラ板終わってから行こう!』
一通り聞き終えるとSくんの同級生がコソコソと話し始めた。
「ハテナ、図工室か」
「そうみたいだね」
「今から並びに行こうぜ!」
「いいね!」
プラ板を楽しみにしているSくんは乗り気にはなれなかった。
「プラ板終わってから行くから、先に行ってていいよ」
「え~、Sも行こうぜ!図工室!ハテナ一番乗り!」
「ハテナ始まる前にはプラ板終わるだろうし、後から追いつくよ」
「おっけー!それじゃ先に行ってるね!」
Sくんの同級生はプラ板の行列を抜けると、図工室へと向かって走り去った。
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十一時半。
「はい!できたよ~!上手だね!」
プラ板の係員から完成したプラ板を受け取る。
満足気な表情でプラ板を受け取ったSくんは同級生の並んでいる図工室へと向かった。
手元のプラ板を嬉しそうに見つめながら歩いていた為、他の子供にぶつかったり、大人に注意されたりもしたが、気がつけば図工室のある校舎二階にたどり着いていた。
腕時計を見ると、十一時半を過ぎている。
図工室の前はハテナ目当ての子供たちで溢れかえっている。
Sくんはそう思っていたが、拍子抜けだった。
図工室の前には誰もいない。
それどころか、人の気配は全くなく、静まり返っている。
図工室の引き戸を引いてみるが、鍵がかかってびくともしない。
同級生はどこにいるのだろうか。
「おーい!」
呼びかけて見るもSくんの声が空しく響き渡る。
仕方なくSくんが引き返そうとした時、背後から音がした。
『ガチャ。カラガラ…』
図工室の引き戸が開いた。
Sくんは再び図工室の前まで戻った。
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「いらっしゃい」
図工室の中には小さなダンボール箱を頭にかぶった大人が二人いた。
「待たせてしまってごめんなさいね。準備に時間がかかってしまって。十一時半に間に合わなかったの。本当にごめんなさいね」
女の人の声だ。
Sくんの目の前、図工室に設置されているテーブル上にダンボールを繋げて作られた穴の開いた仕切りがあった。
仕切りの穴からは直径一センチ程の太い紐が六本出ており、穴の中が見えないように黒いヒラヒラとした細長い紙のようなものが無数に貼り付けてあった。
「一回五十円の紐くじだよ!やってくかい?」
男の人の声だ。
「あ、はい…」
Sくんは椅子に座った女の人らしき受付の人に五十円分の金券を手渡した。
「はい、どうも。好きなのを一本引いてね」
「ど、れ、に、し、よ、う、か、な、…」
Sくんは声を出しながら紐を順番に指差す。
「これにしよっと…」
Sくんは選んだ紐を引っ張るが、びくりともしない。
「あの~引っ張れないんですけど…」
申し訳なさそうに言うと、仕切りの奥にいる男の人らしき係員が動き始めた。
『ギコギコギコ。ギコギコギコ。ギコギコギコ。ドサ…』
図工室に常備されているノコギリの音だろうか。
「ごめんごめん。はい。今の紐引っ張ってみて」
「あ、はい…」
選んだ紐を引くと、今度は引けた。
何が出てくるのか楽しみにしていると、今度は仕切りの穴に引っかかった。
「あ、あの…」
「ごめんごめん。はい。ちょっとその紐放して」
Sくんが選んだ紐を手を放すと、仕切りの穴の奥に消えて行った。
『ギギギ。ギギギ。ギギギ。ギギギ。ポタポタ…』
図工室に設置された万力の音だろうか。
音が止むと仕切りの穴から再び選んだ紐が出てきた。
「ごめんごめん。はい。今度は通ると思うから引っ張ってみて」
Sくんが紐を引っ張ると、またしても仕切りの穴に引っかかったのか、引っ張れなくなった。
Sくんは渾身の力を込めて一気に紐を引いた。
『バタン』
ダンボールで出来た仕切りが壊れ、倒れてしまった。
「え…」
仕切りの奥、テーブル上の光景にSくんは絶句した。
「これ、何ですか?」
ダンボール箱を頭にかぶった二人は微動だにせず、一言も発しない。
あまりの惨事にSくんは後ろ歩きで図工室の入り口に一歩一歩ゆっくりと向かう。
…。
…。
…。
…。
…。
『ドンッ』
「えっ?」
Sくんは入り口で何かにぶつかった。
足元を見ると、二本のすらりとした細い脚。
靴も靴下も履いておらず、裸足で黄土色の切り傷だらけの肌。
怖くなったSくんは目をきつく閉じた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい…」
何も悪いことはしていないが、とにかくSくんは謝り続けた。
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…。
どれくらい時間が経ったのだろうか。
図工室にはSくん以外の気配はすっかり消えていた。
「S!なにしてんだよ!」
「どこ行ってたんだよ!」
「あ、ここにいたんだ!」
突然、背後から同級生たちの声が聞こえた。
ゆっくりと目を開け、背後の足元を確認する。
小さな靴が全部で六足。
間違いない。
一緒にお祭りを楽しんだ同級生たちだ。
安堵したSくんは勢いよく振り返った。
「みんな!どこにいっ…?!」
Sくんはその場に体育座りの体勢で座り込んだ。
校舎内は暑く、少し前までは少し汗ばむ程だったが、今はどうだろう。
あまりの寒気に、抱え込んだ両腕は鳥肌が立っている。
気がつくとSくんは嗚咽を漏らしていた。
同級生たちも顔が…。
手首にお揃いのカラーゴムを付けた同級生たちは奇声を上げながらSくんに重なるようにのしかかってきた。
『つかまえた』
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真っ白な天井、真っ白なカーテン、真っ白なベッド。
病院の一室。
ベッドには頭に真っ白な包帯を巻いたSが眠っている。
Sが小学校で倒れたと先生から連絡があったのはSが家を出てから数十分後の事だった。
入り口付近のバザーで転んだ際、商品が置かれたローテーブルの角に頭をぶつけたらしく、ブルーシートは一部血溜まりになり、辺りは騒然としたそうだ。
幸いにも命に別状は無かったが、頭を強打している為、検査結果が出るまではとりあえず安静に入院するようにとのことだった。
壁にかけられた丸い時計を見ると時刻は夜八時。
そろそろ面会時間も終わりだ。
「おやすみ。S」
そう言ってSくんの母親は病室から出て行った。
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「おはよう」
目覚めるとSくんは見知らぬベッドの上。
隣のベッドで横になっている男の子がSくんの方を向きながら挨拶した。
「あ…」
「きみ、昨日の昼間に運ばれてきてそれからずっと寝てたんだよ」
「え?」
「頭怪我してるみたいだね。きみのお母さんも心配してたよ」
「昨日の昼?お祭りは?」
「??」
隣の男の子は困惑した表情を浮かべる。
何の話か全く通じていないようだ。
Sくんは思い出したように自分の手首を見た。
カラーゴムが付いたままだったが、手首に異常は無く、変色したり食い込んだりはしていない。
「その腕輪綺麗だね」
「これ?」
隣の男の子が物欲しそうな目でSくんのカラーゴムを見ている。
「あげようか?」
Sくんは手首からカラーゴムを外すと、隣の男の子に差し出した。
「いいの?!ありがとう!」
隣の男の子はカラーゴムを受け取ると早速手首に付けた。
頭がまだひどく痛むSくんは再び眠りについた。
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『ぺた、ぺた、ぺた、ぺた…』
静まり返った病室。
廊下から足音が聞こえる。
『ガラガラ』
『ぺた、ぺた、ぺた、ぺた…』
足音がSくんに向かって近づいてくる。
ゆっくりと目を開ける。
「ひっ…!」
叫び声が出そうになったが、声が出ない。
逃げ出したいが身体も動かない。
金縛りだ。
足音の正体をSくんは知っていた。
バザーで男の子を引きずっていった女の人。
増え鬼の鬼だ。
首を勢いよく左右に振っており、黒い髪の毛が乱れ、顔が見えない。
女はSくんのベッドの横に立つと、Sくんの手を掴み上げる。
「助けて!」
心の中では必死に叫び、助けを求めるがやはり声は出ない。
「ちがう」
女は一言つぶやくと、Sくんの手をゆっくりと下ろした。
『ぺた、ぺた、ぺた、ぺた…』
再び歩き出す。
そのまま病室を出て行ってくれとSくんは願ったが、次に女はSくんの隣のベッドで寝ている男の子の横に立った。
先程と同様に女は男の子の手を掴み上げる。
「つかまえた」
男の子も目は覚めていたようで、助けを求める顔でSくんを見つめている。
「どれを引く?」
そう言うと同時に、女は首を左右に振る動作を止めた。
顔にかかる黒髪を真ん中で分け、再び言った。
「どれを引く?」
女の顔を見た瞬間、男の子の表情が一気に凍りつく。
必死に顔を見まいとSくんの顔をじっと見る。
Sくんも同じ気持ちだったが、金縛りで顔を動かす事が出来ず、女の顔を直視し続けていた。
当たり前かも知れないが、女には唇があった。
ただ、唇以外は何も無かった。
唇より上、目、鼻があるべきところには直径十数センチの巨大な穴が開いており、額付近は脳みそが見え隠れしている。
顔面に開いた巨大な穴からは血がしたたり、唯一存在する唇に絶え間なく血が流れ続け、女は血を絶え間なく舌で舐め続ける。
その容貌だけで既に異常なのは明らかだが、更に異様なものがそこにはあった。
「どれを引く?」
相変わらず女は同じ台詞を言い続ける。
顔面に開いた巨大な穴から、直径一センチ程の太い紐が一本出ている。
その紐には見覚えがあった。
図工室で見た紐くじの紐だ。
だらりと女の顔面から垂れている紐からはポタポタと血がしたたる。
「どれを引く?」
「どれを引く?」
「どれを引く?」
「どれを引く?」
「どれを引く?」
「どれを引く?」
一本しか無いのに何を選ばせようとしているのか。
痺れを切らしたのか、女は男の子を手を取り、顔面から垂れ下がる紐を掴ませた。
「どれを引く?」
男の子はもう引くしかないと思ったのだろう。
泣きながら諦めた表情でSくんを見つめると、ゆっくりと手にした紐を引いた。
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『ずるずる、ずるずる、ずるずる…』
紐を引く音が病室内に響く。
紐は随分と長く、なかなか先が見えない。
このまま永遠に紐を引き続けるのでは無いかとSくんが思っていた矢先だった。
ついに紐の先が女の顔面の穴から現れた。
紐の先に景品は無かった。
どす黒く錆びた汚いフックだけが付いていた。
「はずれ。残念でした」
女はそう言うと、男の子の眼球にフックを引っ掛け、一気に引いた。
女の狂った笑い声。
男の子の壮絶な叫び声。
女は男の子の眼球が食い込んだフックを再び顔面に開いた巨大な穴から自身の体内へと戻した。
男の子は何度か痙攣した後、ぴくりとも動かなくなった。
『ぺた、ぺた、ぺた、ぺた…』
女は再び歩き出すと、Sくんのベッドの隣で立ち止まった。
女の顔がSくんのすぐ横まで近づく。
「来年もお楽しみに」
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Sくんが目覚めると病室内が騒がしかった。
どうやら、Sくんの隣で入院していた男の子が忽然と居なくなってしまったそうだ。
看護士や警察にも男の子が何処に行ったか心当たりが無いか聞かれたが、分からないと答えるしかなかった。
隣のベッドは血まみれで、男の子は死んでいるとSくんは思っていたが、ベッドには一滴も血の痕は無かった。
しかし、隣のベッドには異様な光景が広がっていた。
赤、黄、緑、青、様々な色のねばねばした液体。
小さな男の子をかたどったかのように、スライムがこぼれていたからだ。
それから数日後。
Sくんは無事、退院する事ができた。
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「頭痛くない?」
車を運転する母親が心配そうに問いかける。
「もう大丈夫だよ」
「それなら良かった」
ルームミラー越しに母親の安堵の表情が伺えた。
「帰ったら何食べたい?」
「ハンバーグ!」
「了解!」
「カレー!」
「じゃあハンバーグカレーにしようか!」
「うん!」
そうこう話しているうちに自宅に到着した。
車庫に車を止め、エンジンが停止する。
「そうそう。これ、病室に落ちてたって看護士さんから」
母親はポケットから何かを取り出し、後部座席に座るSくんに手渡した。
「お祭りの景品かな?綺麗な色のカラーゴム」
作者さとる
怖話アワード2014年12月受賞作品に選ばれました。
読んで下さった方々、ありがとうございました。
次回作は1月中に投稿予定となります。