近くの川で、人が死んだらしい。
いや、正確には人死にではなく、行方不明と言う形で騒がれている。
然し、此の寒い季節だ。溺れたのであれば、先ず助からないだろう。
行方不明なのだから当たり前だが、遺体は未だ上がっていない。
あの、何時も通る川の何処かに、死体が沈んでいるのだ。
非日常、と言うのだろうか。
不謹慎ながら、少しだけワクワクしてしまう自分が居た。
自重せねば・・・。
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なので、僕は川ではなくて池に行った。
土左衛門と対面はしたくないが、水場には行きたくなったのだ。
凍ってしまったかの様に静かな水面。
冷たい風が吹き渡ると、僅かに波が立つ。
数日前は此処にも捜索隊が来ていたらしいのだが・・・・・・。
「誰も居ないな。」
「そうでも無いさ。」
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「え?」
声のした方を見てみると、一人の男が釣糸を垂れていた。
年の頃は三十代の前半程だろうか。
「直ぐ近くに居たのに、無視をしないで欲しいね。」
何時から居たのだろうか。全く気付かなかった。
「すみません。」
「存在感の薄い奴だとはよく言われるよ。気に病む必要は無い。」
何だか面倒臭い人に捕まってしまった気がする。
「暇なら少し話そう。僕も退屈なんだ。立ち話も何だ、座りなよ。」
「はぁ・・・・・・じゃあ、失礼します。」
隣の草むらに腰を下ろす。
弱味・・・とは少し違うかも知れないが、大分失礼な真似をしてしまったのだから、少し位の要望には答えなければ、と思ったのだ。
地面は薄く湿っていて、気持ちが悪かった。
隣の男が驚いた様に言う。
「直に座ったら、冷たいだろう。」
「だって貴方が・・・・・・」
僕が多少ムッとしながら男の方を見ると、男は遠足等で使うビニールシートを手にしていた。
「使いなさい。」
「・・・・・・どうも。」
少しだけ腰を浮かせ、地面との間にビニールシートを滑り込ませる。
シートには、某有名菓子パン男がデカデカと印刷されていた。
「・・・お子さんの物ですか。」
「生憎と独り身でね。無性生殖は出来ないんだ。」
「・・・・・・スミマセン。」
僕は、顔の筋肉が変に引き攣るのを感じながら、こっそりと溜め息を噛み殺した。
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さて、此の男、自分から話をしようと持ち掛けておきながら、驚く程に愛想が無い。
「あの、何を釣っていらっしゃるんですか?」
「・・・強いて言うならば、《自分自身》かな。」
そして酷く面倒臭い。
僕の顔をチラリと見て、男が鼻を鳴らす。
「ヌシの様な物だ。本当なら此処よりもっと上流に居た筈だったのに、何故か此方の方まで流れてしまったらしい。」
「主?」
「大きい。釣り上げるのも一苦労だろうな。」
「成る程。」
「然し、こんな広い池に来られては、捕まえられるかどうか・・・・・・」
そう言って、また黙ってしまう。
何かフォローを入れようかとも思ったが、また面倒な事を言われるのも嫌だったので、僕もまた黙っていた。
そして、其処から暫く沈黙が続いた。
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沈黙を破ったのは男の方だった。
「君も、こんな時にこんな所へ来なくても良いだろうに。」
「・・・・・・はぁ?」
唐突に言われたので、僕は思わず、思い切り顔をしかめてしまった。
然し、男は気にしていない風で続ける。
「此の寒い時期に、何の目的も無く池に来る何てな。」
「其れは貴方も同じでしょう。」
「最初から釣りをしようと思っていた訳じゃない。元々旅行に行く予定だったのが、行けなくなってしまった。何処にも行けないから、釣りをしている。」
男は、険しい顔で糸の先を見詰めている。
僕は尋ねた。
「主を釣りに来たんじゃなかったんですか。」
「そうだ。早く釣れなければ困る。」
男はそうハッキリと答え、釣竿を数回、大きく揺すった。
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「此処の桜は、化け物なのだと言われている。」
誰に言うでも無く、男がポツリと呟いた。
「此処で溺れ死ぬと、桜に魂を吸われてしまうのだそうだ。だから、春になっても其処まで人が来ない。水死体も多く揚がるらしい。」
桜の木は、もうすっかり葉を落としてしまい、一見、何れが何れだか分からない。
男は池をぐるりと見回し、首を傾げる。
「死体から魂を吸えば吸う程、桜は強く色付くらしい。水死体が集まるのは、桜が自らの美しさを競って居るのだとか。・・・が、今は何れが何れだか分からないな。」
「あの木と、彼処と、あの開けた所の奴ですよ。」
僕が指を指すと、男は驚いた風に言った。
「そうか。あれが赤いのか。沢山有るな。」
「はい。紅梅染みた色になります。」
「成る程。知らなかった。」
男が、大きく息を吐き出す。
「急がねば。」
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日が落ちて来た。
隣に居る男の顔も、池の中の様子も、全く見えなくなってしまった。
そろそろ帰らなければ・・・・・・。
僕がそう思い、立ち上がろうとすると、男は自分の持っている釣竿を此方に渡して来た。
「もしかして、自分では釣れないのかも知れない。君、少しやってみないか。」
「・・・・・・そろそろ、帰らなければならない時間なんです。」
「うん。ならば五分だけ。五分だけ持って御覧。」
殆ど押し付けられる様な形で釣竿を持たされる。
「あの、釣りは経験が無くてですね。」
「いや、持っているだけで構わない。」
「・・・・・・。」
釣竿は妙に軽かった。
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もう、あと少しで五分が経過する、と言うところで急に竿が重くなった。
「え、わ、うわっ?!」
竿を上げようとしたが、全く動かない。
「何処かに引っ掛たかな・・・。」
水の中は見えないが、こんな重たい魚が、こんな小さな池に生息している筈が無い。
「どうしましょう、此れ・・・・・・。」
僕は困り果てて男の方を見たが、男はそんな僕には構わずに目を輝かせていた。
「ヌシだ・・・・・・。」
「え?」
「此れだ。やはり釣る人間が悪かった。」
「多分何処かに引っ掛けてるだけだと・・・」
「違いますよ。魚なら動くでしょう。全く動かないですよ。」
「いや、ヌシだ。確かに、私の探していた自分自身だ。」
男が立ち上がる。
「有り難う。助かった。此処から釣り上げるのは大変だろう。迎えに行くよ。」
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「付き合って貰ってすまなかった。今更だが自己紹介をしておこう。ミタニヨウと言う。其れでは、」
さようなら。
男が池に飛び込んだ。
ぼちゃん、と水が小さく音を立てた。
水飛沫は全く飛ばなかった。
突然起こった出来事に上手く反応出来ず、僕は少しの間ぼんやりとしていた。
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男が浮かんで来ない。当たり前だ。こんな寒い日に、服を来たまま池に飛び込んだのだから。普通溺れてしまう。
どうしよう、人を見殺しにしてしまった。
急に焦りが湧いて来た。
池の中に向かって呼び掛ける。
「ミタニさん、ミタニさん、ミタニさんってば、ミタニさん!!」
当然返事は帰って来ない。
「ミタニさん、ミタニさん!!」
猫が水を飲む様に、水面に顔を近付ける。
其の時、急に思い出した。
数日前、友人が話していた事を。
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「ねえ、川の方で自殺だって。」
「サラリーマンだそうだって聞いたよ。」
「死体が見付からないんだって。あんな狭い川なのに。」
「あんまり見付からないから、他殺とかの方面でも捜索するんだってさ。」
「名前?確か、男の人で・・・変な名字なんだよ。水の谷って書いて、ミタニって呼ぶんだ。下の名前・・・・・・どうだったかな。確か短かった気がする。一文字。」
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そうだな、確か、ヨウ、だったかな。
僕は思わず池から飛び退いた。
竿は相変わらず重い。
此の先に何が居るのか、彼が何を釣りたかったのか、分かった気がした。
作者紺野-2
どうも。紺野です。
結局、僕は此の後逃げました。
次の日、遺体が池から発見されたそうです。
池の縁に手が掛けられていた形だったとか。
同性同名の人だったらどうしようと思っていたので、ホッとするやらゾッとするやらで、とても複雑な気持ちとなりました。
次回のオリジナルタグも、高校生時代の話です。
宜しければ、お付き合いください。