類は友を呼ぶ、とはよく言ったものだ。
人間は無意識のうちに、自分と似た特性の人間に近付いてしまうという話を聞いたことがある。例えを上げるとすれば、友人であったり恋人であったり。この場合、血の繋がりがある家族は含まれない。
自分の周囲にいる人間は、どこかしか自分と似たような共通点の持ち主ではないだろうか。それは趣味であったり思考であったり、価値観や道徳心など、様々だ。まあ、共通点のない人間と仲良くなれるというのも土台無理な話ではあるが。
人間というのは、実のところ損得という物差しを誰もが所有していて、尊徳ですら計ってしまう。人間関係ですら、自分にとってプラスに働くのかどうかを本能的に計算して取り決めているのだ。
自分にとって、この人間は有利に働くのか働かないのか。働くのであれば受け入れ、働かないのならば切り捨てる。一種の会社組織のようだが、言ってしまえば人間界だって一つの会社みたいなものだろう。
類は友を呼ぶ。結局、人間は自己愛が激しい生き物なのかもしれない。自分の周囲に自分と似たか寄ったかの人間を集めて、己の貢献のためにと利用しているに過ぎないのだから。
それを踏まえた上で考えるに、俺と日野祥子もまた似た者同士ということになるのだろうか。
日野祥子というのは、クラスメートの女子である。大のチョコレート好きなこと、また名前の祥子をもじって、クラスの奴らからはショコラと呼ばれている。立ち回りのうまい奴で、初対面の人間とでも五分あれば仲良くなれるという特技を持っているし、底抜けに明るい性格であるため、クラスのムードメーカー的な存在として置かれている。
だが。影ない場所に光は差さぬように、ショコラにだって困った癖というものがある。困った癖というものが具体的に何なのかというと、厄介な頼み事をしてくることだ。
これまでにも何度か彼女から頼み事を引き受けてきた俺だけれど。かなりの頻度で厄介な事件へと発展した。いや、むしろ厄介な事件に発展しなかったことなどないくらい。
では厄介な事件とはどんなものかというのも、詳しく話しておきたいのだけれど、あまりに数が多過ぎて長くなってしまうため、ここでは割愛させて頂くが、話せないのが心苦しいくらい、濃い内容のそれだ。
そんなこともあり、最近、俺はショコラから厄介な頼み事をされないよう常に警戒している。まあ、警戒していると一口に言っても、クラスメートなのだから、学校に行けば否が応でも顔を合わせてしまうのだが。そこはそれ、ショコラは大抵、放課後の時間帯を狙って話し掛けてくるなで、話し掛けられる前に帰ればいいだけの話なのだ。
だから今朝は完全に油断した。放課後を警戒するあまり、朝の時間帯に至っては気が抜けていた。気が抜け過ぎて寝坊をし、朝食も抜く羽目になった俺は、目下全力疾走中である。
「うわ~ん、大遅刻だよぅ!」
可愛く言ってみたが、それで何がどう変わるわけではない。叫ぶ余裕があるなら、その分走るスピードを上げろと誰か俺を鼓舞してくれい。
と。
「あっはっは。欧ちゃんの走り方は何つーか、ハムスターみたいっつーか。走り方そのものが独特だよね。腕は振れてないし、太ももは上がってないし。まあ、一言で言えば無様だよね」
つくづく陸上部には向いてないよね、と。最後まで毒っ気満載の一言をエールとして送ってくれたのは他でもない。日野祥子ーーー通称ショコラだった。彼女は自転車通学でもあるまいに、何故か自転車に乗っていた。しかもイヤミなことに、わざわざ俺の走るペースに合わせて自転車で平行している。
「……おい、ショコラ。ここは歩道だぜ。自転車で走っちゃダメなんだぞ」
しまった。話し掛けられることを避けていたというのに。ショコラを前にしたら、つい喋っちゃった。脱力しそうになる俺に対し、ショコラはにへら~、と気の抜けた顔で笑っている。
「私の中では私自身がルールなの。従って私の中では、自転車の滑走は線路以外であればどこでも許されているのよ。私は私のルールを決して破らない」
「かっこいいこと言ってるようだけど、道路交通法違反だからな、それ」
ルールとか言う前に危険行為だ。歩道には少なからず歩行者がいたし、通学中の小学生だっている。まあショコラもその辺りに抜かりはないようで、細心の注意を払って、人様にぶつからないよう注意をして運転しているようだが。
「大体、何でお前自転車に乗ってるんだよ。校則違反だろ」
「私の中では私自身が校則でもあるの。従って私の中では、遅刻しそうな朝に限り自転車通学が許されているのよ」
「だからお前はかっこいいことを言ってるようだけど、それだとただ単に我慢が出来ない、融通の利かない奴でしかないじゃないか。我慢をしろ我慢を」
「嫌だね。我慢なんかするくらいなら私は漫画を読むよ。我慢より漫画っしょ。我慢より漫画」
「回文みたいに言うな。漫画より我慢だよ」
「因みに私は少女漫画より青年漫画派」
「そこはせめて少年漫画って言ってほしかったな!」
青年漫画って。何だか大人ちっくな響きがするじゃねえか。
「青年漫画って言っても、ぶっちゃけアダルトコミックなんだけどね」
「ハッキリ言うんじゃないよ。敢えてぼかして大人ちっくって表現したのに。人の努力を無碍にするな」
「はん。そんなこと言ったってお年頃なんだから仕方ないじゃないの。女の子は青年漫画が教科書なんだよ。教科書を読んで、初めての時に恥をかかないように勉強するの」
「お前は女の子としての慎ましさを勉強したほうがいいよ」
全力疾走しつつ、ショコラのボケにツッコミを入れていたので、あっという間に息が上がった。いったん立ち止まり、ゼイゼイと苦しそうに荒い呼吸を繰り返す。ショコラも律儀に自転車を傍らに停め、
「だらしないなあ、欧ちゃんは。何なら乗せてあげようか?二人乗りすればいいよ」
「そ、そうして貰えると……正直、助かる」
自転車通学は校則で禁止されてはいるのだが、このままだとマジで遅刻だ。そうでなくとも、朝から全力疾走したせいで足の筋肉が悲鳴を上げている。大して走っていないというのにこの様だ。ショコラのつくづく陸上部には向いてないよね発言は的を得たものであったと言える。
「いいよー。その代わり、欧ちゃんが漕いでね。私が後ろに乗るから」
「ちょっと待てい。……俺が漕ぐの?」
「当たり前でしょーが。まさかとは思うけど、女の私に漕いで貰えると思ってたの?自転車の二人乗りは、男が漕いで女が後ろに乗るのが鉄板焼きでしょう」
「鉄板焼きじゃなくて鉄板な」
はあ……。確かに街中でよく見掛けるカップルの自転車二人乗りは、男が漕いで女が後ろに乗ってたっけ。シチュエーション的にはそのほうが正しいんだろうけど、今の俺のヘロヘロ状態を見れば、ショコラが漕いでくれるかなあと淡い期待をしたが、無駄だったようだ。
こいつ、変なところで頑固だしな。言い出したら聞かないし。
「分かった分かった。俺が漕ぐからショコラは後ろに乗って」
「うむ。よきにはからえ」
やたらと偉そうに言われたが、一応自転車を借りる立場にあるため、強くは言えまい。俺は自転車に跨がると、ショコラを後ろに乗せ、勢い良く漕ぐ。ショコラは乗るとは言っても立ち乗りであるため、負担はそんなに重くはなかった。
自転車通学は校則違反だし、自転車の二人乗りも道路交通法違反だ。どうかクラスメートの正義感溢れる優等生や、パトロール中のお巡りさんには見つかりませんようにと祈りつつ、俺は自転車を飛ばした。
「ところでさ、欧ちゃん。いい機会だから言っておくんだけど、実は頼み事があるのよね」
何のきなしにショコラが言った。俺は自転車を漕ぐ手は止めないまま、「そうか。ところで俺もいい機会だからお前に言っておくんだけど」と慎重に返す。
「断る」
「んふふふふふ♡」
ぐい、っ。ショコラの細っこい腕が首に巻き付いた。まだ締め付けられはしていないが、いつでも締められるんですよと言っているが如く、執拗なほどに巻き付いていた。当然、俺はハンドルを握っているため、抵抗しようにも両手が開かない状態だ。
「やあねえ、欧ちゃんたら。唯一無二の大親友であるショコラちゃんからの頼み事を無碍にも断るとか抜かしやがるの?」
「いつから俺達は大親友になったんだ……嗚呼、嘘嘘嘘!僕とショコラちゃんは太古の昔から親友ですって!前世でも親友で、来世でも親友であり続けようねと誓い合った仲です!」
ゆっくりと。だが確実にショコラの爪が首筋の皮膚に食い込んできたので、俺は慌てて叫んだ。ヘタしたら、そのまま頸動脈を爪で引き裂かれていたかもしれない。
恐ろしい奴め。とんだ大親友もあったもんだ。
「そっかあ、そうよね。やっぱり欧ちゃんは優しいわ。男の中の男よね。最高。絶好。絶倫。惚れちゃうよねー」
どうやら機嫌を良くしたらしく、蛇の如く首に巻き付いていた腕がスッと解かれる。その腕は俺の背中にきゅうっと回される。今度は胴体を真っ二つに折られるような気がして、俺は固唾を飲んだ。
「それにねー、今回の頼み事については人助けも兼ねてるのよ。人命救助ってやつかな」
「人命救助?」
「そ。私の友達を助けて貰いたいんだ」
「いや、人命救助って……。お前の友達の命を救ってくれってことか?」
「有り体に言えばそうなるかな。まあ、人命救助とは言ったって、」
ショコラは。俺の背中に腕を巻き付けたまま、いつもの彼女らしからぬ低い口調でぼそりと呟いた。
「その子、トビオリさんに取り憑かれちゃったからさ」
◎◎◎
トビオリさんという遊びを知っている人は多くないはずだ。何故ならこのトビオリさんは、禁じられた遊戯であるのだから。
今から数十年前に話は遡る。当時、岐阜県の一部でトビオリさんという遊びが子ども達を中心に広まった。やり方は簡単。「トビオリさん、トビオリさん、トビオリさん」と三回唱え、その場でジャンプするだけ。シンプルかつ意味のないような遊びであったが、トビオリさんは瞬く間に流行したという。
しかし、トビオリさんが流行してからというもの、怪我をする子ども達が続出した。トビオリさんをして遊んでいる最中に怪我をする子が多く、その在り方はまるで高い場所から飛び降りたような大怪我を負う子もいた。
だが、子ども達の近くには、登れそうな高い場所などなかったらしいのだ。子ども達の怪我とトビオリさんとの間に関連性があったのかは定かではなかった。だが、あまりにも怪我をする子どもが続出したため、PTAや学校側もたたごとでないと判断し、トビオリさんを禁止した。それ以来、怪我をする子どもはパタリといなくなったらしい。
トビオリさんは早い段階のうちに禁止されたため、岐阜県の一部にしか広まることはなかったがーーーもし、全国的に広まっていたとしたら、被害はもっと大規模なものだったかもしれない。
実は俺自身もまた、トビオリさんをしてどえらい目に遭った。いや、遭わされたと言うべきか。いつだったかショコラに誘われて何の疑いもなく、軽い気持ちでトビオリさんをやってーーー死にかけた。その時は姉さんが間一髪助けに来てくれたので、死なずに済んだけれど。
思えばトビオリさんの一件こそ、ショコラと関わるようになった最初のきっかけだった。それ以来、ショコラは味をしめたのか、厄介な頼み事を持ち掛けてくるようになったんだっけ。
ここまでは回想シーン。本題はここからだ。
「私の友達がさーーー嗚呼、うちの中学じゃなくて他校の子なんだけど。その子、ちょっと厄介な事件に巻き込まれたみたいなのよね」
お前もしょっちゅう厄介な事件を押し付けてくるよな、と言いたかったが、何だか口を挟むのも憚られた。いつもはヘラヘラと、お調子者のショコラにしては珍しく、とても神妙な口調だったからだ。自転車の二人乗りをしながらの会話だったから、ショコラが口調に合わせた顔付きをしていたかどうかまでは分からないけれど。
「私も又聞きしたクチだから詳細は知らないんだけど……行方不明になっちゃったんだって」
「行方不明?そりゃまた……穏やかな話じゃないな。家出とか誘拐事件とか、まあ可能性なら幾らでも考えられるが」
「ううん、家出でも誘拐事件でもなさそうなのよ。行方不明というか……トビオリさんをやっている最中に消えたんだって」
「消えた?」
消えたというのは文字通り、消えていなくなったとーーーそういうことなのだろうか。人間の消失現象。それは家出や誘拐事件よりも穏やかじゃあない。
「トビオリさんをやっている最中にいなくなったってことか?俄かには信じられない話だな……。人一人が消えるなんて」
信号が青から赤に変わりそうだったので、急いで横断歩道を渡る。ここまで来れば、学校まであと五分も掛からない。ただ、遅刻は遅刻だろうが。
ショコラが小さく溜め息をついたのが何となく聞こえた。
「目撃者もいたらしいの。それも一人や二人じゃないらしいから信憑性は低くないわけでしょ。警察に通報しようにも、信じて貰えるわけがないしね」
「日本の警察にオカルト的な話を信じろったって無理な話だよな。外国ならまだ理解されるかもだけど」
超能力捜査官、なんて役職の人もいるくらいだし。日本の警察では、まず考えられない役職だ。科学捜査を基準としているお国柄である以上、オカルトは根も葉もない絵空事だと鼻先で笑われるだけだろう。
「でも、人が一人消えたことは紛れもない事実なの。真実と言ってもいいわ。警察に言っても無駄足だろうし……だからこそ、欧ちゃんに頼んだのよ」
「……頼ってくれること自体は嬉しいんだけどさ。俺に何が出来るって話でもなさそうだぞ。要はそのいなくなったって子を見つけ出してほしいというのがお前の頼み事なんだろうけど。俺には人捜しのスキルもなければ、オカルトに対する知識もないんだぞ」
流石に中学校の敷地内に自転車に乗ったまま入るわけにはいかないので、門の前で降りた。ショコラは俺に続いてぴょこんと自転車を降りると、意味深な笑いを浮かべた。
「欧ちゃんには頼もしい助っ人がいるじゃない。忘れたわけじゃあ、ないでしょう?」
◎◎◎
「で。お前はそのショコラだかチョコラだか知らんが甘ったるい名前のガキに唆されて、人捜しを引き受けたってことか。この御影様を夜中に連れ出すなんて高くつくぜ」
腰に手を当て、姉さんは不機嫌そうに言ったーーーそれはそうだろう。時間帯にして、今は夜の十時半。早寝早起きを日課としている姉さんにとっては、既におねんねタイムである。
そんな時間帯に姉さんを引っ張り出し、俺は中学校のグラウンドに来ていた。ここは俺が通っている中学校のグラウンドではない。隣町にある中学校のグラウンドだ。ショコラの友達ーーートビオリさんをしている最中に消えてしまった子が通っていた中学校。
結局、いつもの如くショコラからの頼み事を引き受けてしまった俺は、泣く泣く姉さんに泣きついた。俺一人で対処出来るような話でもなかったし、俺にはオカルトの知識はない。怪異絡みの事件であるならば、姉さんはまさにうってつけの人材だった。
姉さんは最初こそ渋っていたものの、最後には首を縦に振ってくれた。我が姉ながらお人好しというか、つくづく弟には甘い。その優しさに、いつだって甘やかされている自分自身が情けないけれど。
「この埋め合わせは必ずして貰うからね。具体的にな内容としては、私が満足するまで欧ちゃんにちゅーして貰うつもりだから宜しくね」
毎度のことながら、姉さんからの要求は欲求に満ちている。ちゅーって。
「ちゅーはちゅーでもべろちゅーだからね」
難易度アップ。より高度な技を要求された。
「欧ちゃんからのべろちゅーが掛かってることだしね。さっさと始めてとっとと終わらそう。とどのつまり、いなくなったっていうガキを見つけりゃいいんだよな」
「うん……だけど、そんなに簡単に見つかるかな」
「人間が簡単に消えるわけがない。この地球上から消え去るものは一つとしてないんだよーーー見つからないんじゃなくて、見つけられないだけ。それだけ上手に隠れてるってこと」
姉さんは当たりに視線を走らす。グラウンドを取り囲むように木が植えてあり(時期じゃないから花こそ咲いてないけれど、恐らく桜の木だ)、その近くに落ちていた木の枝を拾い上げた。
「欧ちゃん、グラウンドの中央に移動して」
「中央……?」
言われるがまま移動する。目測なので、少しずれているかもしれないが、大体この辺だろう。
「そこにいて。動かないで」
姉さんは木の枝を地面に刺し、ズズズッと線を書き始めた。俺を中心と考えて、半径一メートル、直径二メートルくらいありそうな円を描く。書き終わると、枝を捨て、姉さんもまた円の中心ーーーつまり、俺の隣に立った。
「トビオリさんには、希少例だが行方不明になった子どもの話がある。トビオリさん、トビオリさん、トビオリさん、と三回唱えてジャンプしたその瞬間に、消えてしまったとされる話だ。一緒にいた友達の前から忽然と姿を消し、それ以来、行方不明。噂じゃトビオリさんに異世界へと連れ込まれたんじゃないかって言われてるけどな」
「え。それってまさに、」
「そう。人一人が消えたってこと。私達が解決しようとしているこの事件と同じパターンだ」
「じゃ、どうやって見つけ出すの?異世界に連れ込まれた、なんて話……俄には信じ難いけどさ。トビオリさんをしている最中にいなくなったってことは、やっぱり怪異絡みなんでしょ」
「見つからないのは探す場所が間違ってるからだ。この世界にいないななら、別の世界を探せばいいだけ」
手を繋いで、と言われて左手を差し出す。姉さんと手繋いだ。
「息を揃えて。トビオリさん、と三回唱えるからね。なるべく一呼吸のうちに言い切って。それからジャンプ。手順を間違えるなよ。ズレたりしたら、時空の関係で、下半身だけこっちの世界に置き去りになるぞ」
さらりと怖い発言をし、姉さんは「せーの」と掛け声を掛けた。俺は慌てて息を吸い、声を揃えて叫ぶ。
『トビオリさん!トビオリさん!トビオリさん!』
そしてジャンプ。俺は何だか怖くて、叫ぶのと同時に目を瞑ったーーーそして着地すると同時に、そろそろと目を開ける。
「あれ……?」
そこは。何ら変わりない中学校のグラウンドだった。何故それが分かるのかと言うと、トビオリさんをする前の景色と全く変わり映えしないからだ。グラウンドの雰囲気も、背景にある中学校の建物も、さっきと同じ。変化はない。
ただ。異質なことが一つだけあった。俺達が中学校に忍び込んで、トビオリさんを開始したのが夜の十時半過ぎ。あれからまだ五分も経っていないーーーはずなのに。
グラウンドには明るい太陽の光が燦々と差し込み、見上げた空は真っ青。雲一つない快晴だ。
ポカンとしている俺の隣で、姉さんが不敵な笑みを浮かべた。
「よし、異次元トリップ成功成功。あとは時空が歪まないうちに、ショコラって子の友達を見つけてさっさと帰ろう。三十分くらいで帰らないと、時空が歪んでヤバいことになる」
「帰れなくなるってこと?」
「いや。宇宙そのものが消失する」
「焦神さーん!焦神加奈子さーん!いるんなら早く返事してー!宇宙が消失する前に、あなたを連れて帰んなきゃいけないんだよー!」
俺はショコラから聞いていた行方不明の少女の名前を叫んだ。姉さんが画策した異次元トリップの法則がどういうものかは分からないが。宇宙が消失してしまうのは、笑えないのを通り越して、むしろ笑ってしまうくらいのジョークだ。
三十分といタイムリミットがある中で、人一人見つけ出すことは容易ではない。だが、それでもやるしかないのだ。
最初に俺達はグラウンドを捜索した。二人で手分けしてあちこち見たけれど、人影はない。となれば、あとは建物内か、もしくは中学校の外ということになるけれど……そうだとしたら、広範囲過ぎる。
だが、姉さんはその点については心配していないようだった。
「大丈夫。異次元トリップした手前、ちゃんと範囲は絞ってあるから。焦神って子は、この中学校の敷地内にいるはずだよ。その子が所属しているクラスは分かるか?」
「えーと、確か二年五組だったかな……それが何かあるの?」
「校舎の二階ーーー左から二つ目。多分、そこが二年五組の教室なんじゃないかな」
姉さんが指差す方角を目で追う。校舎の二階、左から数えて二番目の教室。そこには少女と思しき人影が窓際に立っている姿が見えていた。
◎◎◎
姉さんが言った通り、その教室には「2ー5」というプレートが掛かっていた。ガラリと戸を開けると、窓際に立っていた少女がこちらを見た。
ショートボブに小さな顔付き。とろんとした垂れ目は、のんびりした印象を受ける。胸元にリボンの付いた、紺色のブレザーに同色のスカート。右手には松葉杖をつき、左足は骨折でもしたのか厳重に包帯が巻かれてある。
「あなたが焦神加奈子さん?」
そう尋ねると、少女は「はあい、そうですが」と、外見にマッチしたのんびりとした調子で答えてくれた。良かった、思ったより早く見つけることが出来た。
「あ、俺は玖埜霧欧介と言います。で、こっちにいるのが姉の御影です」
「玖埜霧欧介さんと、そのお姉さんの御影さんですね。やー、初めまして。焦神加奈子と言います。どおぞ宜しく」
焦神さんがぺこりと頭を下げたので、俺もまたぺこりと頭を下げた。因みに、極度の人見知りであり人間不振の姉さんは、何も言わなかった。
「いやいや、せっかく来て下さったのに申し訳ないんですけど。お茶の一つも淹れて差し上げたいんですけど。私もここに来て長いんですが、何せ勝手が分からないんですよね。昼だと思ったら急に夜になってみたり、二階にいたと思ったら体育館にいたりだとか。一応、学校の敷地内からは出られないようになってるみたいなので、外には出られないんですけど。体内時計も狂っちゃったのか、トイレにきたくなりませんし、お腹も空かないし、眠くもなりません。しいて言うなら、」
とてつもなく暇なんですよね、と。焦神さんは笑った。
「自分が望んでこちらの世界に来たわけですし。文句を言う筋合いなんてないのでしょうけど。退屈は人を殺すなんて言葉がありますけれど、あれ、言い得て妙ですよね。あーあ、死んじゃおうかなあー」
気怠そうに焦神さんは言ってーーー松葉杖をコツリと鳴らす。助けに来たのに死なれてはまずい。俺は本題を切り出した。
「一緒に帰りましょう。俺達はそのために来たんです。日野祥子って子を知ってますか。その子に頼まれたんです。あなたを連れて帰ってくるように」
「日野祥子……?」
焦神さんは首を傾げた。ショコラの名前を出せば、焦神さんの反応も変わると思ったけれど。惚けているわけではなく、本当に分からないらしい。焦神さんは困り顔になると、「すみません」と謝った。
「日野祥子ちゃん、ですか。えーと、ごめんなさい。悪いんですけど、分かんないです。いえ、私が忘れてるだけかもしれないですが。何せほら、こちらに来て長いですからね、私」
「し、知らないんですか。ショコラ……いえ日野からは、あなたと日野が友達だったって聞いてたんですけど」
「友達……。友達、ですか。私にもいたんですかねえ、友達。こちらの世界では私一人だけでしたけど、元の世界にはいたんですかねえ。友達。ふん、友達、ね」
礁神さんは---瞬く間に不機嫌そうな顔になった。さきほどまでの、のんびりした調子とはまるで違う。苦虫を噛み潰したかのような、芋虫を踏んづけたような。そんな顔。
彼女の変貌ぶりに驚き、黙っていると。礁神さんは意外なことを聞いてきた。
「玖埜霧君はトビオリさんという遊びの元になった事件を知っていますか」
「……いえ。元になった事件って何なんですか。そんな事件があったことすら知らなかったです」
姉さんを見たが、何も言ってはくれなかった。単に知らないだけなのか、それとも何か思うところがあって、わざと黙っているのかは分からないが。
「それは……ある女の子の困った癖から始まったんですよ」
今から三十年ほど前。とある中学校では一人の女の子が一躍有名人となっていた。彼女は富や名声から、或いは人望や教師受けが良かったから有名人になったわけではない。むしろその逆だ。真逆と言ってもいい。
苛められっ子だったらしいのだ。苛めの原因はハッキリしていて、どうも彼女の生まれた故郷に問題があったらしいのだが。それを公にしてしまうことは、この場では避けておく。察しがいい人ならば気付くかもしれないが、古くは江戸時代からの因縁であったという説もある。ともあれ、彼女は苛められていた。生まれた故郷がたまたまその場所だったというだけで、クラスメートから執拗な苛めと嫌がらせを受けてきた。
担任に話したところで、苛めが悪化するだけだということは分かっていた。それに、彼女の思い込みであるかもしれないが、担任の教師ですら彼女のことを莫迦にしているようにも感じていたらしい。他の教員に「うちのクラスに○○出身の子がいるせいで、クラスの規律が乱れて仕方がない」と漏らしていたのを、彼女は偶然にも聞いてしまったからだ。
両親に相談したところで、言われる言葉はいつも同じ。父親からは毎度のように「仕方がないんだ」と言われ、母親からは「ごめんなさい」と泣いて謝れる始末。仕方がないことだと割り切れるような年頃ではなかったし、謝ってほしいわけでもなかった。今あるこの状態を、一刻も早くどうにかしてほしかった。
彼女の家は、裕福とは言い難かった。実は彼女の母親が元々は○○地方の出身であり、○○地方の出身というだけで、就職先も満足に選べなかったのである。父親は新聞配達員を、母親はパートに出て、何とか一家三人が細々と暮らしていけるだけの生活を余儀なくされた。
思い返せば、彼女は自分の祖父母に会ったことがなかった。両親曰く、駆け落ち同然で結婚したので、会わせる顔がないのだという。一応、双方の祖父母は、二人が結婚したこと、二人の間に子どもが生まれたことは知っているようだがーーー会いたいと言ってきたことはなかった。孫であるはずの自分に、である。それだけでも、見捨てられたかのような、深い絶望感を味わった。
やがて彼女は、誰かから心配されたい、同情されたいという思いから、自分を激しく痛めつけることを覚えてしまった。それは俗にいう「自殺未遂」だ。故意に教室の窓から飛び降りたり、階段の一番上から飛び降りたり……誤った方向性への注目の浴び方を覚えてしまった。
最初はーーーそれでもうまくいっていたらしい。一番最初の教室の窓から飛び降りたのは、数学の授業中だった。彼女は思い立ったように席を立ち、机の間を縫うようにして窓際まで移動し、窓を開けて飛び降りた。その時は本当に死ぬつもりでいたらしい。自分を苛めたクラスメート、苛めに気付いていながら見ぬフリをした担任教師、そして自分を助けてくれなかった両親に対する復讐のつもりで。彼女は何の迷いも躊躇もなく、教室の窓から飛び降りた。
結果的に自殺は失敗した。二階からだったこと、また花壇の植え込みに落ちたことが幸いし、死ぬことはなかった。左足の骨折と擦過傷が幾つか。だが、生徒が飛び降り自殺を図ったという事実は変えようがなく、急遽として全校集会が開かれたり、クラス会議が検討されたり、校長と教頭、そして担任が彼女の家に来て土下座をするという騒ぎにまで発展した。皮肉にも、彼女はそれで覚えてしまったのだ。甘い蜜の味を。人から注目され、同情されるという幸せを。
それ以来、彼女は頻繁に自殺未遂を繰り返した。その度に担任から、そしてクラスメートから泣いて謝られた。それが快感だった。まるで自分が人気者になったかのような、絶対的な存在になれたかのような、そんな高揚感に浸ることが出来た。苛めも激減し。いつも皆が自分に気を使ってくれるようになった。
だが。甘い蜜はーーーやがて涸れてしまう。
最初こそ、注目され、同情され、周囲から気遣われていた彼女だったが。そのうち、だんだんと煙たがれるようになってしまった。教室の窓から飛び降りても、階段の一番上から飛び降りても、何も言われなくなった。「嗚呼、またか」「また始まったか」「死にたがり」「死にたいなら勝手に死ね」そんなことを言い出すクラスメート達。やがて彼女は「トビオリさん」という渾名を付けられた。苛めも再開された。誰からも見向きされなくなった。
むしろ。クラスメート達の苛めは増長し、毎日のように「トビオリさんなのだから、飛び降りてみせろ」と彼女をたきつけるようになった。
そんなある日のこと。彼女はクラスメート全員から屋上に連れて行かれた。数人の女子に髪の毛を掴まれ、引き摺られるようにして階段を歩かされたというのだから凄まじい。男子より女子のほうが苛めの面で言えば陰湿だと聞いたことがあるが、本当のことなのかもしれない。彼女はフェンスの上によじ登らされ、「ここから飛べるものなら飛んでみろ」と囃し立てられた。
「トビオリさん」「トビオリさん」「トビオリさん」「トビオリさん」「トビオリさん」「トビオリさん」「トビオリさん」「トビオリさん」「トビオリさん」「トビオリさん」「トビオリさん」「トビオリさん」「トビオリさん」「トビオリさん」「トビオリさん」「トビオリさん」「トビオリさん」「トビオリさん」「トビオリさん」「トビオリさん」「トビオリさん」「トビオリさん」
クラスメート達が声を揃えて叫ぶ。場を盛り上げるためか、誰かがその場でジャンプし出すと、それが伝染したかのように次から次へとジャンプするーーークラスメート全員が一丸となって彼女を自殺に追い立てた。そこにどんな真意があったのかは分からない。本当に死んでほしかったからなのか、軽い気持ちで面白半分にやったことなのか。雰囲気や様子から察するに、恐らくは後者なのだろうけど。
そして、と。礁神さんは困ったように笑った。
「トビオリさんは飛び降りました」
二階から落ちるのと屋上から落ちるのとではわけが違う。屋上から飛び降りた彼女は、言うまでもなく即死した。
「身から出た錆。自業自得。或いは因果応報というやつですかね。自殺するきっかけを作ったのは間違いなく陰湿な苛めを企んだクラスメート達でしょうが、飛び降りたのは本人ーーー私自身なんですから。きっとうまいやり方もあったんですよ。自殺なんてしなくとも、クラスメートを振り切ってでも逃げ出して、職員室に泣きながら飛び込めばよかったのに。後悔先に立たず、というか今更こんなこと言ったところで遅いんですが」
「礁神さん……。あなたは、」
「嗚呼、止めて下さい玖埜霧君。そんな可哀想な子を見るような、同情心たっぷりの目で見つめちゃ嫌ですよ。いやらしいなあ。セクハラで訴えますよ」
あくまでのんびりとした口調は変えず、重い内容の話を重過ぎないようにしているのか、礁神さんは気の抜けたように笑う。だが、松葉杖をついた彼女のそんな姿は、ただただ痛々しいだけだった。
「自殺した人間は救われない。問答無用で地獄に堕ちるだけだ」
それまでずっと沈黙を守っていた姉さんが急に口を開いた。腕を組み、どこまでも横柄な口調だったが、その眼差しは真っ直ぐに礁神さんへと向けられていた。
「自殺した人間は永遠に自殺をし続けなくてはならない。言うなれば無限地獄というやつだ。成仏することも出来ず、生まれ変わることも許されない。未来永劫、自殺を繰り返す。何度でも何度でも、繰り返し繰り返し。痛みと苦しみだけを味わい続ける。それが己を殺した罪であり罰だ」
「ええ。その点は心得ています」
礁神さんはこくんと頷く。
「こちらの世界に来る前の話ですが、私はずっと自殺を繰り返していましたよ。自殺っていうか、もう死んじゃってるんですけどね。何度も何度も学校の屋上に上がっては飛び降りるを繰り返していました。その度に痛い思いをしなきゃならないですし、辛かったですよ。終わりがないですからね……地獄っていうのは。何十回、何百回、何千回、何万回飛び降りた時でしたかね、ふいにこちらの世界に来ちゃったんですよ」
「時空の歪みだな。時空が不自然な風に歪むと、異次元トリップを引き起こすことがある。詳しくは調べていないけれど、何かの原因で磁場が発生して時空が歪んだのかもしれない。原因は何なのかは分からないがな」
「幽霊相手にも異次元トリップは通用するんですねえ。いい勉強になりましたよ。ま、こちらの世界から帰りたくないのは本音です。退屈で単調なこちらの世界ですが、理に縛られないみたいで。飛び降りなくて済みましたからね。しかし、あなた達がお迎えに来た以上、帰らないといけないようです。帰ったら帰ったで、私はまた学校の屋上から飛び降り続けなきゃいけないんですが」
「そんな…。姉さん、何とかならないの。礁神さんを成仏させてあげる方法があるんなら、」
居たたまれなくなって、姉さんを見る。だって、こんなの可哀想じゃないか。一度だって死ぬことは嫌なのに……未来永劫、ずっと死に続けていなくてはならないなんて。希望どころか、救いがないじゃないか。
トビオリさんは、もう飛び降りなくてもいいじゃないか。
だが。姉さんは硬い表情で首を横に振った。
「自殺しようとする人間を止めることは出来ても、自殺した人間を救うことは出来ない。神様、仏様、阿弥陀様、観音様にだって無理だ。自殺は人間にとって最大のダブーだから。それを破ったことは罪であり罰だ。罪は罰されなければならない」
「でも……」
「いいんですよ玖埜霧君。御影お姉さんの言う通りです。私は愚かな人間であり、罪深き罪人ですけれど。物分かりはいいほうなんです。自分の境遇は受け入れますよ」
今にも泣きそうな表情の俺に対し、礁神さんは「大丈夫ですよ」と言ってくれた。どちらが慰められているのか分からない。つくづく自分の無力さが情けなかった。
「さあて、帰るとしましょうか。トビオリさんは飛び降りることが使命ですから」
◎◎◎
かくして。無事に元の世界へと帰ってきた俺達であったが、戻ってきてみたら三日も経っていた。異次元の世界では時間の流れ具合が異なるようだ。家に帰ってきたはいいものの、両親にこっぴどく叱られる羽目になった。姉さんがうまいこと口添えしてくれたため、誤魔化しは聞いたが。それでも久し振りに、みっちりと両親から説教された。
相変わらず姉さんは、あの時に交わした約束を未だに忘れてはいないようで、ことあるごとに「ねー、ちゅーは?べろちゅーは?」なんて言って迫ってくる。注釈として言っておくが、俺はまだ約束を果たしていない。いつ果たすのかも未定のままだ。出来たら未定のまま終わってほしい。
ショコラには一応、事後報告という形で結果論だけ伝えておいた。そういえば、礁神さんとショコラとの間に接点がなかったこと。友達ですらなかったことについても追及したかったが、彼女はいつものようにいつもの如く、「細かいことは気にしない気にしない。あんまり気にし過ぎると禿げるわよ」と言って笑うだけだった。
結果論から言って、俺も姉さんも礁神さんを救うことは出来なかった。そのことについてもショコラに話したが、奴はあっけらかんとして言った。言い切った。
「私が頼んだのは、彼女を連れ戻してほしいってことだけよ。救ってほしいとまでは言ってない」
作者まめのすけ。-3