バイト先での話。
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僕のバイト先の古本屋《ひぐらし堂》には、骨董店が併設されている。古本屋の中に骨董品コーナーが有るのではなく、ドアを一つで繋がる様にして二件の建物が建っているのだ。
だが、骨董店の方に店長・・・小宮寺春が行く事は殆どと言って良い程無い。
何故ならば、彼は書物を愛し、書物に埋もれ、書物を慈しみ、書物に溺れる、所謂《読み物中毒者》であり、もっと酷い言い方をしてしまえば、筋金入りの《書痴》なのだから。骨董なぞ端から眼中に無いのである。本を読む事で精一杯なのである。働け。仕事中に本読むな。真面目に働け。
・・・失敬。話がずれた。元に戻す。
故に。
其の骨董店《うなずき庵》の管理は、彼を除いて唯一の従業員である、此の僕に丸投げにされている。
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其の日、《うなずき庵》に新しい骨董品が入って来た。
大きく古そうなクローゼットだ。
店長の話を聞くと、一人の男が酷く慌てた様子で売り付けて行ったらしい。
「其の男、店まで持って来たんですか?」
「ああ。背中に背負ってた。」
「此れを?!」
クローゼットは僕の身長より遥かに大きいのだ。
「車が停まった様子は無かったから、恐らく歩いて来たんだろうな。」
「歩いて?!」
恐らく、僕には持ち上げる事さえ出来ないだろう。
「・・・近所に住んでいる人、とか?」
そうで無ければ、とても常人が運べる様な代物じゃない。
然し、店長にとってそんな事はどうでも良い様だ。素っ気無く「知らない。」と言い、また本を読み始めてしまった。
「火事場の馬鹿力って言うしな。」
ポツリと呟き、ひぐらし堂の方へと帰って行く。
何が何やら。
僕は肩を竦め、目の前のクローゼットを見上げた。
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異変は次の日から起こった。
うなずき庵の方が、妙にカビ臭いのだ。
骨董を扱う店なので、普段から骨董の発する独特の匂いはするのだが、掃除は毎日しているし、何より、今までにこんな事は無かった。
「新しいクローゼットか・・・?」
中にカビが増殖しているのかも知れない。
観音開き式になっている一段目を開ける。
何とも無かった。
押し入れの様になっている二段目。
此処も何とも無い。
最後。三段目。
「・・・あれ?」
此処にもカビは生えていなかった。
ならば、此の匂いは何処からするのだろうか。
掃除の行き届いていない場所でも有ったのだろうか・・・。
僕はハタキと雑巾、箒を持ち、うなずき庵の大掃除を始めた。
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二日目。
カビの匂いが消えない。其れ処か、益々店内がカビ臭くなっている。
然し、相変わらずクローゼットにも其の他の所にもカビ等全く生えていない。
午後に客が来たが、どうやら匂いには気付いていない様だった。古ぼけた蓄音機が売られて行った。
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三日目。
もう息をするのが辛い。カビ臭い処の話じゃない。
マスクを着用しても、カビの匂いが鼻に入り込んで来る。咄嗟にイメージしたのはナウシカの腐海だ。
カビ何て何処にも無いのに・・・。
流石に此れは可笑しいと店長に相談したが、取り合って貰えなかった。
今日も客が来た。常連の女学生ちゃんだ。
彼女も匂いには気付いていない様だった。僕が言うのも何だが、年頃の女性がそんな事で良いのだろうか。少しばかり彼女の将来が不安である。
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終業式が終わり、今日から勤務時間が大幅に伸びた。
店内の匂いは、もう立って息を出来ない程だ。扉を開け放ち、息継ぎをしながら掃除をする。
やはりカビは何処にも見当たらない。
胸の辺りが若干、何と言うか、ザラザラしている気がする。 とうとう、カビの胞子が肺にまで到達したのだろうか。
そう考えると、急に具合が悪くなった様な気がした。
思わずしゃがみ込むと、クローゼットの一段目の扉がゆっくりと開いて行くのが見えた。
誰かが内側から押し開けているのだろう。
出て来ようとしいるのだ。
僕はしゃがんだまま、クローゼットを凝視した。
細く開かれた扉の隙間から、何か白い物が見えた。
あれは子供の・・・・・・・・・
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ゴツン、ゴツン、
身体に走る強い衝撃で目が覚めた。
「・・・痛い。」
目を開けると、目の前に敷居が迫っていた。
ゴツン、
「痛い。」
「・・・・・・ん。起きたか。」
顔を上げると、店長が僕を見下ろしていた。
どうやら僕は引き摺られていたらしい。身体の所々が痛いのは、色々な所にぶつけられたからだろう。
「・・・持ち上げられなかったんですか。」
「愚問だな。」
「でしょうね。」
店長は、僕や兄に負けず劣らずヒョロヒョロなのだ(僕・兄・店長が三人で居る所を《モヤシトリオ》とからかった某猿が、総攻撃を受け袋叩きにされたのは記憶に新しい)。
しかも店長は、動けるモヤシたる兄と比べると、力も非常に弱い。
更には《こんな所を引き摺られたら痛いだろう》と考える思い遣りも無い。
「・・・離して頂けますか?痛い。」
「言われんでも離す。疲れた。」
店長はそう言うと、掴んでいた僕の腕をパッと離した。否応なしに地面に叩き付けられる。
店内はまだカビ臭いが、ひぐらし堂へ通じるドアが開け放されているので、辛うじて息は出来た。
「来い。話を聞く。」
店長がひぐらし堂の中から呼び掛けている。
僕は若干フラフラする体を起こし、ドアの向こうへと足を踏み出した。
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ひぐらし堂へと移動すると、一気に気分が良くなった。
深呼吸をして、肺に溜まっている嫌な空気を押し出す。
人心地着いた僕は、意を決して店長に言った。
「あのクローゼット、絶対何か有りますよ。」
「だろうな。」
「え?」
店長が閉められたドアの方を見遣り、軽く眉をしかめた。
「子供。・・・あれは子供だ。」
そして、ゆっくりと此方を向く。
「だから今夜、三島さんが来る。」
「三島さん?」
御払いか何かして貰うのだろうか?
「売るんだよ。あのクローゼットを。此処に置いていても良い事が無いからな。」
店長の口元が僅かに緩められる。
何時も無表情か不機嫌な店長が見せた笑顔は、何だか少し背筋の寒くなる物だった。
「今日は泊まって行け。此の時間に帰ろうとすれば、補導されるだろう。」
其の一言を待っていたかの様に、柱時計が音を立てた。時刻は、午後の十一時を回っていた。
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「ほら。」
店長が御気に入りの菓子入れ(どう見ても骨壺なのだが、兄からのプレゼントだそうなので突っ込みを入れるに入れられない。)から、水色の飴を取り出す。
どうやら僕にくれる積もりらしい。
「・・・どうも。」
包装紙を剥ぎ、口に含むとミントの味がした。
隣で店長も飴を頬張る。
倒れた所を助けて貰っておいて何なのだが、お腹が空いた。もう時刻は二時を過ぎているのだ。
・・・そう言えば、僕は店長がまともな食事をしている所を見たことが無い。
こうやってちょこちょこと栄養補給はしている様子だが・・・。
其の栄養源の菓子だって、彼の友人達がせっせと差し入れている物に他ならない。
前に遠出をした時には、大儀そうに麺類を啜っていた気がしたが・・・。僕が食事を摂るついでに食べてみただけなのかも知れない。
そう言えば前、「小腹が空いた。」と言った後、料理のエッセイを読んでいた。
まさか彼は、本から栄養を補給出来るだろうか・・・・・・
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コツ、コツ、コツ
ドアがノックされ、ゆっくりと開く。
一人の男が、其処には立っていた。
こんな時間に客だろうか。だとすれば、あの、戸口に立っている彼が《三島さん》なのだろうか。
嗚呼、そう言えば、今日は《営業時間外》の札を出していなかったーーーー
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「今晩は。」
唐突に、戸口の男が声を発した。
「夜となると、此の季節でも冷える。」
独り言だろうか。男が小さな声で呟く。
「いらっしゃいませ。三島さん。」
店長が慇懃に頭を下げた。
やはり彼が《三島さん》らしい。
「・・・あ、い、いらっしゃいませ。」
慌てて僕も頭を下げる。
「見ない顔だね。弟さんとか?」
此れは僕に向かって話し掛けているのだろう。僕は慌てて顔を上げ、答えた。
「え、いえ。バイトです。」
三島さんが此方をまじまじと見詰め、目を細める。
「まだ若そうだ。学生さんかな?」
僕は其の問いにも答えようとした・・・が、店長に強く服の襟を引っ張られ、転けた。
「いでっ!」
「彼は、既に成人していますよ。」
店長がハッキリと言い放つ。
然し、僕はまだ高校生だ。何故、そんな嘘を・・・?
三島さんが此方を見て笑う。
「其れは、残念。」
どうしてかは分からないが、僕の背を悪寒が駆け上って行った。
「残念だなぁ・・・。」
「・・・そう・・・ですか・・・?」
気持ち悪い。直感でそう感じた。
店長がスッと立ち上がる。
「御話したクローゼットの場所へ、案内致します。」
「・・・そうだね。頼もうか。」
三島さんが、ニコリと笑った。
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うなずき庵に戻ると、またカビの匂いが鼻を襲った。
「此れ?」
「ええ。其のクローゼットです。」
三島さんがクローゼットの扉へと手を伸ばす。
「子供は此の中か。」
「はい。」
「開けない方が良いのかな。」
「どうでしょうね。」
「・・・ねぇ、君はどう思う?」
「え?!」
唐突に三島さんが話し掛けて来た。
「扱う際の注意点とかは、無いかな?」
何故、其の質問を僕に?
少し戸惑いながらも、僕は応答をした。
「あ、此れ、臭い・・・かも知れません。」
「臭い?どんな匂い?」
「カビ・・・だと思います。」
「そう。なら平気だ。君は、今も匂いを感じてるの?」
「・・・あの、いえ・・・。」
「なら・・・・・・」
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「どうやって御持ち帰りになります?」
店長が三島さんに尋ねた。
「車を持って来ている。其処に乗せて行こう。」
「成る程。ならば、運ぶ為の台車を持って来ましょう。・・・・・・おい、バイト。」
「はは、はい?!」
可笑しい。店長は最近、僕のことを専ら《コメ》と呼ぶのだ。
因みに、呼びの由来は、名前の最初と最後をくっ付けただと言うシンプルな物だ。
店長が、ジロリと僕を睨んだ。
「呉々も、く・れ・ぐ・れ・も、三島さんに迷惑を掛けるんじゃ無いからな。」
店長はそう言って、店の奥へと小走りで消えて行った。珍しい。店長がキビキビしている。
僕はボンヤリと店長の背中を見送った。
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「君、歳は?まさか社会人じゃないだろう。」
「え、あ、う・・・だ、大学生です。」
「そうか。春休みだね?」
「え、ええ。」
三島さんは、店長が居なくなた途端、何故か馴れ馴れしさが増した様な気がした。
「彼がバイトを採る何て珍しい。どうやったの?」
「ふ、古本を読んでたら、突然、店長に話し掛けられました。」
「そうなんだ。本の趣味が合ったのかな。」
口調はそこはかとなく兄(猿)に似ている気がするが、圧倒的に気持ち悪い。見た目は全然気持ち悪くないのに、凄く気持ち悪い。カビの匂いと相俟って吐き気すらする。
「こんな時間までバイトなんて大変だねぇ。此の店、さして給料も良く無いだろう。」
「え、あ、あの、そん、そんな事無いです。確かに給料は悪いですけど、あんまり五月蝿い所はに、苦手なので、あの、はい。」
吃音が大爆発である。
もうやだ。帰りたい。切実に。
「そうか。私も五月蝿いのは苦手でね。」
じゃあ、何で今そんな喋ってんの?
言わないけれど。
「そ、そうですかぁ・・・。」
とうとう、語尾まで震え始めた。
「其れ、吃音症?大変だねぇ。分かるよ。知り合いに似たような奴が居る。」
「そそ、そうなんですかー・・・。」
「知り合いと言っても、昔雇ってた家の家政婦・・・いや、男だが、そいつによく似ている。」
「成る・・・程・・・。」
どうでもいい。心底どうでもいい。
「突然居なくなってしまってね。コレクションに喰われたのだか閉じ込められたのだか知らないけど、本当、困った奴だよ。」
何か怖いこと言い出した。
もうやだ。店長早く帰って来い。
「ねぇ、」
「は、はは、はい・・・?」
「もし良ければ・・・」
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「持って参りました!!」
「・・・おや、残念。」
店長が何処からともなく現れた。グッドタイミング。
「大八車だね。売り物じゃないのか?」
「サービスです!!」
そしてスタスタとクローゼットに歩み寄り、必死の形相で持ち上げようとする。
・・・が、前述の通り店長はモヤシなので、中々持ち上がらない。
「手伝えバイト!!」
「は、はい!!」
今度は、二人でクローゼットを持ち上げる。
大八車に乗せ、外へ運び出す。
「其処の車の荷台に乗せて。」
後ろから、三島さんの声が聞こえた。
車は黒く、何だか霊柩車を連想させた。
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「其れじゃ、代金は何時もの口座にね。」
三島さんはそう言って、車へと乗り込んだ。
エンジンが軽い音を立てて動き始める。
「あ、そうそう。」
窓が空き、三島さんが僕の方に向かって何かを投げた。
「お腹空いてるんだろう。お食べ。」
コンビニのツナマヨお握りだ。
どうして空腹だってバレたんだろう。腹でも鳴っていたのだろうか。
「あ、あの、ありがとござい・・・」
「また会おうね。」
お礼を言い終える前に、車は闇の中へと消えて行った。
「・・・入るぞ。寒い。」
店長は呟き、酷く不機嫌そうに瞬きを数回した。
店内の匂いは、消えていた。
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「アレは、子供を探しては集めている。コメ、お前、名前を教えてないだろうな。」
「いえ。・・・子供を集めるって?」
「子供関係の曰くが有る品を集めているコレクター何だよ。アレは。」
「集めて・・・どうするんですか?」
「さぁ。知らないし、知りたくも無い。只、あのクローゼットの中の奴、此れから録な目に遭わないだろうけどな。・・・コメ。」
「はい?」
「其れ貸せ。」
店長が僕の手からお握りを引ったくった。
戸口を開け放し、フルスイングでお握りを投げる。
ベチャ。と地面にお握りが叩き付けられた。
「うわ、ちょ、店長?!捨てるにしたって道端ってのは・・・」
慌てて拾おうと戸口の方へ駆け寄る。
「行くな!!」
思わず立ち止まった。店長を見ると、外をじっと睨み付けていた。どうやら本気で言っているらしい。普段とは全く違う、凄い迫力だった。
拾うのは明日にしようと思い、引き返す。
其の時だった。
暗闇の中から、声が聞こえた。
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「おや、もう少しだったのに。残念。」
作者紺野-2
春休み早々酷い目に遭いました。勢いで書いてしまいました。ウタバコの方が遅れてしまい、申し訳御座いません。