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実のところ、私は占い師をしている。
ただし、そんなでありながら巷の占い師という人種があまり好きになれない。なぜなら、単刀直入に言って「嘘くさい」からだ。
また、占いを信奉する人間もあまり好きではない。なぜなら、彼らは占いというものに頼り過ぎて「自分の努力を考えない」からだ。
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なので、巷の占い師の多くも、その客の多くも、甚だ大きな勘違いをしていると思っている。
占いとは、未来にあるだろう可能性を、どうあがいても「示唆するまでにしか至らないモノ」でしかないのに、彼らは「定まった未来が分かる魔術」だと錯覚しているし。
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さらに、その未来についても、本人の現状にある性格や考え方や環境から導いて「ようやく的が絞れるモノ」であるのに、彼らは、そういう現実をいとも簡単に度外視して「占い師の魔術的才覚で判明するモノ」だと錯覚している。
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だから、彼らを私はあまり好きになれない。占い師のほうは神様かエスパー気取りだし、客のほうは良くも悪くも、占い師を“それ”だと期待している少年少女だからだ。
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そして、この「錯覚であり盲目」で引き起こされただろう事件が過去にあった。これは、私の数少ない占い師仲間である人物(以後:K)から聞いた話であるし、自分でもそれを見て感じ入った話しになる。
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私の住む地方に「当たる」と評判な占い師がいた。その占い師のことは、私もKも当然その評判を聞いて知っているし、この地方の占い好きな人間なら、誰もが「占ってもらいたい」と願うような占い師である。
その占い師は50代か60代くらいの女性で、その占いの才覚によって、占い専用の家まで建てたほどの人気ぶりだった。
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そして、その占い師に運勢を観てもらおうと、これも50代の女性客があしげなく其処に通っていた。
この女性客はKの近所に住む人物である。ごくごく普通か、それより少し上かの生活をしている、まさしく一般的な人であり一般的な占い客だ。旦那さんは病気であったらしいが、息子夫婦と孫とが一緒に居て、それなり幸せそうな暮らしぶりであったそうだ。
当初、その女性客は、やはり旦那さんの病気と家庭の雑多な悩みで、その占い師のもとへ通っていたらしい。
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ところが、不幸なことにその女性客の息子さんが、ある日、交通事故を起してしまった。大怪我などは無かったそうだが、そのことを占い師へ相談すると、その占い師は「よくよく観れば、そうなる気配があった」として、事前にそれを占えなかったことを謝罪し、家内安全となる退魔の護符を自ら筆で書いて女性客へ渡した。
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しかし、それでもその女性客に不幸が続いた。
その不幸事は割愛するが、つまりは、そういうことだから、その占い師は「家相が悪い」「家系の因縁がある」といった占いで観えたモノを語って、その都度、女性客の相談に親身に応えていたということだ。
されど遂には、その女性客もそういった様々な連続する不幸に疲労困憊し、精神的にも病んで寝込みがちになってしまう。また、占いに行くような経済的な余裕も無くなったので、頼りにする占い師の所へは通えなくなってしまった。そもそもが、鑑定料も護符も高額だったので無理もない。
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そして、この女性客の疲れて顔色も悪くなる様子を、近所であるからすぐに気付いたのがKだった。
Kは近所のよしみとして、その女性に「何かあったのですか?」と心配して尋ねると、そのとき初めて前述したような不幸話をKは聞かされた。Kはその頃、自身で占い師であることを全くといっていいほど広めてなかったので、その女性も当然Kがそうであることを知らず、たまたまそれを話したに過ぎない。
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だが、その話しを聞いて、Kは占い師として“何か”を感じ取った。というよりもそれが観えた。
Kという人物は、「霊感占いを毛嫌いする私」が本気で驚くまでの霊視をする。例えば、Kの行ったこともない私の実家の裏山にある柿の木と、その下にある山水を貯水する水瓶の様子まで言い当てる。
そのKが、眉間にシワを寄せて不快感を現すまでの何かを、その女性の背後から掴み取った。
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Kに観えたのは『呪いの護符』だった。
その女性の家の神棚に立派に祀られている、あの占い師が書き上げて手渡した護符だ。退魔の護符として、そういった文言や図案が記された護符。その慈愛に満ちているハズの護符から、身の毛もよだつほどの醜悪な「気」が満々と渦巻いて、神棚の上に鎮座している。
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また、その護符と同様に、あの占い師が開運の祈りを込めて手渡した、数珠や御守りなどが「それとは真逆の呪具」として、どんどんとKの脳裏に浮かび上がってきた。気付けば、Kのビジョンには、その女性宅のキッチンにもリビングにも寝室にも占い師から授かったあらゆるモノが映し出され、そして、息子の腕にも、その邪気を纏った醜悪なモノが憑いている。
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Kは、自分の話しを信じてもらうために、「誰かから貰った護符が神棚にある」という彼女が驚くだろう霊視で観た現状を先んじて語り、「それを捨てたほうが良い」と諭したが、残念にも女性は頑なにこれを拒んだそうだ。
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結局のところ、たとえ退魔の護符であっても、そこに描かれる文様がそれらしくても、それを作る人物が「何を思って筆を握ったのか」、「何を思って手渡したのか」のほうが圧倒的に重要なのだ。
あの占い師は、占いの能力に関しては確かに立派な才覚が在ったのだと思う。だからこそ「当たる」と信奉されて人気になったのだから。
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しかし、その才覚を過信し、自身の人気やそれに比例して増える収入への欲求が、占い師として「人を助けて導きたい想い」よりも圧倒的に増してしまえば、その人物から受け取る「開運のモノ」も「開運の言葉」も、全ては『客集めの道具』に成り下がってしまう。
この利己的で独善的な執着心が強ければ強いほど、それが憑依したモノや言葉を見事に呪具に変えてしまう。
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つまり、その占い師はそういう人物だったわけだ。そして、その占い師の神性を信じて、不幸を自ら招き入れてしまったのがその女性客という話。
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捨てることを拒んだ女性のように、また、退魔の護符が呪いの護符であることに気付けない占い師のように、占いをそれだけで幸福成就できる魔術だと錯覚してはいけない。だから、客が悩みを抱えないようになり、二度と客として来ないことが、占い師にとって本当の幸福なのだと私はつくづく思う。
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そして、先の話しの後日談だが、あの女性客はその頃から精気を失い、年齢もあるがろうが認知症となり痴呆が進行しているという。しかし、Kの話しを信じた息子夫婦は、護符一切を処分した結果、雑多な問題事は別として、それらしい災厄はその家庭に訪れていないそうだ。
また、あの占い師は、その頃から暫く人気を続けて好評を博したが、それと同時に体系は肥えに肥え、にも関わらず、神経性の病いで脚を煩い不自由な身にあるということだ。未だ人気はあるが、何を理由にか彼女を嫌う客も増している現状にある。
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あなたが手に入れて持っている護符や御守り。
本当に幸せになるモノなのか、改めて考えてみたほうが良いかもしれません。
作者NINE
[記文]として、実体験から得たオカルト談話を紹介する内容です。ノンフィクション作品。