「あなたの髪を確実に復活させます!」
俺は、そんな謳い文句を醒めた目で追っていた。
電車の吊りチラシに、誰にでも読めるようなことさら大げさなフォントでデカデカと書いてある。
今まで、どんなにその言葉に踊らされたことか。
30代前半なのに、俺の髪の毛はどんどん衰退の一途をたどっていた。
いままで何十種類も育毛剤を試してきたが、これと言って劇的に効果をあらわしたものは無かった。
前からハゲればまだ、あれ?おでこちょっと広いかな?などと思われる可能性もあるが、俺のはてっぺんからなので、もうハゲ以外の何者でもないのだ。
芸能人がハゲを誤魔化すために、涙ぐましい努力をしているのを見ると、本当に痛い。
前髪を無理やり後方になでつけて誤魔化していたり、ある者は突然髪の毛が黒々と乗っかってたりする。
ああは、なりたくないな。
少しずつ増やしていく、地毛にくくりつけて植毛するタイプの増毛方法もあるが、あれってくくりつけられた毛が抜けちゃったら大参事になるのではないか?そんなことを考えると、そら恐ろしくてとても挑戦できない。
イケメンだって、ハゲたらもうお終いだ。ましてや、イケメンじゃないやつがハゲたら目も当てられない。
ということで、当方、いまだに独身。このまま独身で生涯を終えそうだ。寂しい老後を迎えそう。
俺は、チラリとまたあのチラシを見た。
下のほうに、「効果が無ければ、全額ご返金いたします!」とも書いてある。
よほど商品に自信があるのか。いやいや、きっといろんな理由をつけて効果があったと言わせ、返金しないに違いない。そんなことを思いながらも、俺はしっかりと、その育毛剤の名前を頭に刻んだ。
自分の部屋の鍵を開け、コーヒーソーサーにドリップ紙をセットし細挽きのブルーマウンテンを入れコーヒーメーカーのスイッチを入れた後、すぐにパソコンを立ち上げて、あの育毛剤の名前を検索画面に打ち込んだ。すぐさまレビューを見る。いくつもの、喜びの声や賛辞のレビューが並んでいた。比較サイトを見ても、ランキングでは常に一位。個人のブログを読んでも、ほとんどが賞賛の文字が並んでいる。
俺は、淹れたコーヒーをマグカップに移し、口に運びながら考えた。
本当に効果が無かったら全額返金してくれるんだろうな。
俺は、マウスのカーソルをカートに合わせてポチっと押していた。
何度この作業を繰り返したことか。俺は自虐の笑いが喉からこみ上げてきた。
まあ、どうせモテないし、たいした趣味も無いのでお金の使いどころなんてこれくらいか。
3日後、俺の手元にその育毛剤が届いた。意外と早いな。
ふむふむ。洗髪後にこれを振り掛ければ良いのだな?そんなに面倒じゃないな。
「固形物が含まれている場合がありますが、成分の沈殿物なのでご心配はいりません」
手のひらに取ると確かに白っぽい沈殿物が見て取れた。
俺はたいして期待せず、頭にそれを振りかけてみた。
育毛剤というのはたいてい振りかけると、スーッとした爽快感があったりするのだが、その育毛剤はまったくそういう感覚は無かった。本当に効くのかよ。まったくかかった実感が無いんだけど。
俺は、物足りなさを覚えて、一日目は多めにかけた。
次の日の朝。俺はさほど期待もせずに、鏡を見た。まあ、一日で生えるわけないか。
そう思いながら、洗面所に背中を向けて、大きな手鏡をかざして合わせ鏡で頭のてっぺんを見た。
ん?何となく、黒くなってないか?まさか。一日でそんな効果があるわけない。俺は、恐る恐る、頭をくしゃくしゃと指で揉んでみた。髪の毛でなく、単なる汚れかもしれないからな。ところが、その黒くなった部分は落ちることはなかった。
え?マジで生えたのか?俺は恐る恐る地肌を触ってみた。何となくチクチクする感覚がある。
嘘だろう?本当に生えてきた!
久しぶりの感覚に俺は歓喜に打ち震えた。
そして、俺はいつものように、前髪を無理やり後ろに撫でつけると、会社へと向かった。
その日の俺はなんとなく上機嫌だった。
「佐古田さん、なんか今日はご機嫌ですね。何かいいことあったんですかぁ?」
総務部の天使、ユカリちゃん。今日も眩しいなあ。ユカリちゃんはこんな冴えないオジサンの俺にも、分け隔てなく優しく接してくれる。だが、その優しさがたまに俺を傷つけることもある。髪の毛の話題になると、無理に話題を変えようとしてくれたり、なるべくその手の話に触れなかったりしてくれるところが、ユカリちゃんの思いやりを感じるところなのだが、内心傷ついてしまう自分が情けない。
「うん、ちょっとね。」
髪の毛が生えてきたんだ、なんて言えるわけない。
俺は曖昧な言葉でお茶を濁す。
俺は毎日、その育毛剤を振り掛け続けた。
その効果はてきめんで、グングンと髪の毛が生えてきた。その所為か、職場でのミスがほとんど無くなった。
自分に自信が出てきた所為だろうか。心なしか、少々のことには動じなくなってきた。
トラブルがあっても、今まではオロオロするばかりの情けなかった自分が、まったく動揺せずに応じることができるようになり、最近では周りから頼りにされるほどになってきたのだ。
髪の毛だけで、こんなにも物事が上手く行くものなのか。
「ねえねえ、最近佐古田さんって、ちょっと素敵になってない?」
「うんうん、何だか髪の毛も増えてきた感じだし。何か良い育毛剤でも使ってるのかな?」
給湯室からそんな話し声が聞こえてきた。
以前の俺なら、ショックで立ち直れないような話題だが、何故か不思議と何も感じなかった。
「なんだか、落ち着いた感じになったよね。自信に満ち溢れてるっていうの?それに、佐古田さんって髪の毛があると、割とイケてるよね?」
「うんうん。私、ちょっと狙っちゃおうかなあ。1ヶ月前、カレシと別れたばっかりなんだよね。佐古田さんなら大事にしてくれそうだし。」
「ちょっと待ってよ。アンタなんて、すぐにカレシと別れるくせに。佐古田さんはアタシが目をつけてるんだからね。横入りしないでよね?」
以前の俺なら、飛び上がって喜ぶような話題だが、何故か不思議と何も感じなかった。
あれ?俺、どうしちゃったんだろ。
ちっとも嬉しかったり悲しかったりしない。
給湯室の女子トークをよそに、そんなことを考えていた。
育毛剤を使い続けて1ヶ月もすると、俺は元ハゲだったことはほとんどわからないほどに、髪の毛が生えてきた。俺にとっては、とても喜ばしいことであるはずなのに、何だか喜びが沸いてこない。最近では、育毛剤を振り掛けることが義務か習慣のようになっていた。なんなんだろ、この虚無感は。
そんなことを考えながら鏡を見ると、髪の毛にある異変を見つけた。
「あれ?髪の毛の先が。なんか、二つに分かれていないか?」
よくよく近づいてみると、なんだか枝毛のように割れている。
俺はさほど気にせず、会社へと向かった。
会社へ行くと、朝から社内が騒然としていた。新人が発注ミスを起こして、会社に多大な損害を与えたというのだ。同じ部署の責任者である俺に新人が泣きながら謝ってきた。謝ったところで問題は解決しない。俺は各方面に手配し、大量発注してしまった物の処理を依頼、策を講じてなんとかその商品の消化に手を尽くし、事なきを得た。この功績をたたえられ、俺は課長へと大抜擢された。新人は、何度も何度も俺に感謝の言葉を述べたが、俺は当然のことをしたまでで、別に新人のためにしたことではない。会社という組織が円滑にまわることしか考えていない。
そんな俺の考え方が、徐々に周りの人間を俺から遠ざけて行った。
「なんか、佐古田さん、以前に比べて、冷たくなったよね?」
「うん、新人くんがミスった時だって、謝られても何も解決しないから、なんて、さっさと自分で全部解決して。会社としては、ピンチを切り抜けて大助かりだったけど。あの言い方は、ちょっとねえ。」
そんな話が漏れ聞こえてきても別に何とも思わなかった。自分を冷静に分析している自分がいた。
確かに。俺は以前に比べて、感情という物が無くなって来たような気がする。
それに、俺には、外見にも変化が現れていた。
無表情、そして、髪の毛。
相変わらず、あの育毛剤を使用している。もう十分、毛が生えているはずなのに、使用が止められない。
義務感にかられているのだ。
そして、髪の毛の分化はさらに進んでいる。髪の毛は枝のように、どんどんと先が分化してきた。
「これじゃあ、まるで。」
植物みたい。最近は、整髪剤をべったりとつけて誤魔化しているが、もうそろそろ限界だ。
そして、今日、入浴後、俺はそれを見つけてしまった。
枝分かれした髪の毛に葉が生えていた。自分が見た物が信じられなくて、俺は何度も鏡を覗いた。
間違いない、これは。
「葉っぱだ。」
「ここ1週間、佐古田課長、無断欠勤らしいよ。」
「せっかく課長にまで昇進したのに。どうしちゃったんだろうね?」
ユカリは、佐古田の部屋のドアの前に佇んでいる。
そして、インターホンのボタンを押した。返事はない。
「佐古田さん、総務の田中ユカリです。」
無反応だ。
田中ユカリは、心配顔で佇んでいる。
ユカリは、佐古田のことがずっと気になっていた。
佐古田が育毛剤を使ってフサフサになって変わって行き、課長になる以前から、佐古田に好意を寄せていたのだ。佐古田の優しい気質が好きだった。それが、だんだんと、無感情、無表情になって、変わり行く佐古田を一番心配していたのは、ユカリだった。
もう一度、インターホンのボタンを押す。
「開いてるから。入って。」
ようやくそう返事が返ってきて、ユカリはほっとした。
「おじゃまします。」
ユカリが玄関を開けると、何故か電気が点いておらず、中が真っ暗だった。
まだ日が沈んではいない時間だったので、カーテンでも閉め切っているのだろうかと不思議に思った。
キッチンを通り、ガラス戸の引き戸の向こうで黒い何かがうごめいていた。
「佐古田・・・さん?」
恐る恐る、ユカリは引き戸を横にずらした。
そのとたん、ユカリは言葉を失った。6畳ほどのリビングいっぱいに、木の枝がはびこり、葉が生い茂っていたのだ。その中心にその人は居た。
「佐古田さん!」
「やあ、ユカリちゃん。この調子なんでね。会社には行けなくなっちゃったんだ。」
「どうして!こんなことに。」
佐古田の頭から無数の蔓が伸び、壁を伝っている。
ユカリは泣きながら、佐古田に近づいた。
目の光を失った佐古田が口を開いた。
「人間ってのはエゴイストだよね。文化や産業の発展のためには平気で自然を壊して行く。」
「な、何を・・・行ってるの?佐古田さん。」
何の脈絡も無くしゃべり始めた佐古田に問いかけた。
「私達は、太古の昔、滅びた種なんだ。私達の眠る島に、ある日、人が侵入してきた。人は私達が眠る森の奥深くをいろんな重機で掘り起こして、そしてついに、私達は目覚めたんだ。太古の眠りより、地中深くから。人という媒体を介して、私達は本土に根を下ろすことができた。」
「佐古田さん、しっかりして。今救急車を呼ぶから。」
ユカリは佐古田がなんらかの原因で、正気を失っているのだと思った。
ユカリがスマホを取り出し電話をかけようとすると、その手にいくつもの蔓が伸びてきて、ユカリの手の自由を奪った。
「キャア!」
ユカリの顔が恐怖で歪む。
「無駄だよ、ユカリちゃん。こいつはもう佐古田ではない。」
信じられない面持ちで、ユカリは佐古田を見る。
「佐古田の脳は私が支配している。私には、いや、我々には、君が必要なんだ。」
ユカリは今度は足の自由を奪われた。
「いやっ、いやああ!」
ユカリが抗って手足をばたつかせると余計に蔓はユカリの細い手足に食い込んでいった。
「騒いだらダメだよ。近所迷惑になるだろう?」
佐古田では無い何かが、佐古田の顔の筋肉をあやつり口角を引き上げ厭らしく笑う。
生い茂る葉っぱがユカリの口の中へ押し込まれていく。
声も奪われたユカリの足をを静かに、そして力強く開いて行く。
「痛くないようにするからね。暴れたら、君の体が傷つくだけだから。じっとしていてね。君は、我々の子孫の繁栄に協力してもらわなくてはいけないんだ。我々は、人に寄生して、脳を操り、移動しながら子孫を増やさなければならない。我々が最初に寄生した人間が、科学者でなかなか頭の良い人間でね。彼の脳からいろいろ情報をもらったよ。しかし、育毛剤とは我々の起源も考えたものだよ。労せずして、直接脳に近い所へ侵入できるのだからね。喜びたまえ。君は、我々の子供を産むんだよ。いわゆる、人間と、植物のハイブリッドだ。ハイブリッドの、新しい幕開けだよ。」
ゆっくりとユカリの体の中を植物の触手が進んでゆく。ユカリの顔が苦痛に歪んだ。
数日後、田中ユカリの捜索願が出された。
「あなたの髪を確実に復活させます!」
俺は、そんな謳い文句を醒めた目で追っていた。
電車の吊りチラシに、誰にでも読めるようなことさら大げさなフォントでデカデカと書いてある。
「綺麗な娘だな。」
チラシの中で、田中ユカリが微笑んでいた。
作者よもつひらさか
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