私は最初からあまり気乗りがしていなかった。
「まぁ、一度会わせるだけで大丈夫だろうからさ。ほら、アイツの顔、怖いから」
その男は鮫島といい、夫の学生時代からの友達だった。私も同じ大学だったし、当時から夫とは付き合っていたので何度か一緒に遊んだりはしたが、どうしても親しくはできなかった。
性格が悪いわけではない。むしろ、いい噂を聞く方が多い。無愛想であまり人気のない教授の手伝いを率先してやってるとか、道に迷っていたおばあちゃんを助けてあげたとか、電車内で高校生の女の子を痴漢から助けたって話も聞いたことがある。
でもどうしても好きになれない。原因は、あの「顔」ではないかと思う。
青白くくすんだような顔色で、エラの張った頬の中央には高く大きな鼻がそびえている。目はポツンと小さく、あまり瞬きをしない。そして、あの歯並びだ。大きな口に犬歯のようにとがった歯が並んでいる。名は体をあらわすとはよく言ったもので、まさにサメを彷彿とさせる顔だった。
「最近流行ってるだろ? 何だっけ、閻魔様だっけ? 鬼だったかな? 子供がいうことをきかないときに見せるってヤツ」
確かに、一時期話題になった。鬼から電話がかかってきたように見せかけ、「言うこときかない悪い子は食べちゃうぞ」といったようなセリフで脅すケータイアプリだ。賛否両論あるものの、自分もそうやって育ってきたし、なまはげやら地獄やら、昔からそうやって子供を脅して育ててきたということは、何かしら意味のあるものなんだと思い、しぶしぶだが夫の提案を受け入れた。
そろそろ4歳になろうという娘は、最近とみにいうことをきかなくなっている。私が妊娠6ヶ月に入り、お腹が目立つようになってきたということも関係あるのかもしれない。
あれもイヤ、これもイヤ、自分のワガママが通らないと癇癪を起こす。泣いたりわめいたりするだけならまだいいのだが、時には近くにある積み木や置き時計などを投げるので危ないのだ。どうしたいのか聞いても、幼児に自分の気持ちを伝えるなんてできるはずもなく、私もほとほと困り果てていた。
そんなとき、夫が「鮫島に会わせよう」と言い出したのだ。
そりゃあ、知らない人だし、あの男は体格もかなりいい。ましてあの顔だ。例え何もしなくとも、子供には十分恐ろしいだろうと思う。
一時は承諾したものの、私は今日になって少し後悔しはじめていた。
が、そんなことを言ってる暇はない。先ほど夫からのメールで、予定通り18時には着く、とあった。もちろんあの男も一緒だ。
私は鍋の底をオタマでかき回すと、刺身を盛り付ける作業に取りかかった。
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この全身があわ立つような感覚は何年ぶりだろうか。その“顔”を見ただけだというのに。久しぶりに会った鮫島は、相変わらず青白い顔色で表情に乏しい男だった。
「久しぶりですね、翔子さん」
ただ名前を呼ばれただけだというのに背筋に冷たいものが走る。娘の理沙もこの男の顔が恐ろしいと思っているのか、私の後ろに隠れたまま出てこない。
「そ、そうね……。今日は来ていただいてすみません」
「いやぁ、僕でお役に立てるならいつでも呼んでください。夕食をご馳走になれるなんて、独り身としてはありがたいですから。それより、ご懐妊おめでとうございます」
笑みを浮かべているつもりなのだろうが、それはニヤリと口元をゆがめたようにしか見えない。
「まぁ、ゆっくりくつろいでくれよ、鮫島」
夫が席を勧めて名前を呼んだとき、娘がぴくりと反応した。
「チャメ? おちゃかなしゃんなの?」
ひょこっと少し顔を覗かせる。
「そうだよ。理沙ちゃんはサメを知ってるのかい?」
「知ってる! パパと見たよ!」
先々月だったか、水族館に行ってな、と夫が説明する。理沙は興味を惹かれたのか、私の後ろから出て夫の膝に座った。
水族館に行ったときの理沙は、大きな水槽の中を悠々と泳ぐ魚の群れに興奮していた。相当気に入ったようで、そこで買い求めた絵本は何度も読み返され、イルカのぬいぐるみと共にすでに薄汚れてしまったくらいだ。
私は用意していたビールをグラスに注ぎ、料理を運び始めた。
「そっかぁ。こんな風に大きい口だったかい?」
「う、うん……」
鮫島が大きく口を開くと、理沙は夫にしがみついた。
「理沙、サメはね、人間を食べちゃうこともあるんだよ」
はっとした表情で夫の顔を見る理沙。どうやら夫の思惑は当たったようだった。
「悪い子を見つけたら、おじさんが来て食べちゃうんだよ。今日は理沙ちゃんが悪い子かどうか見に来たんだ」
「りっちゃん、悪い子じゃないよお!」
すでに理沙は半分泣きべそをかいている。
「そうだね。パパとママの言うことをよくきくいい子だったら、食べないよ」
「……パパもママも悪い子になったら食べちゃうの?」
それを聞いた夫がビールを噴出しそうになった。むせて咳き込みながら涙を流している。
「あっははは! 大人は硬そうだからなぁ。年齢制限アリでお願いします」
「お前ら、笑わせるなよ!」
ようやく落ち着いた頃、夫のスマホの着信音が鳴り響いた。
「うわ、会社からだ。何だろ、ちょっとすまん」
もしもし、と通話しながら立ち上がって別の部屋へと移動する。私もビールのお代わりを取りにキッチンへ向かった。部屋を隔てている長い暖簾越しに2人の会話を聞きながら、冷蔵庫から冷えたビンを取り出す。
「理沙ちゃんはいつ悪い子になる? 小さい子は柔らかくておいしそうだからなぁ。おじさん、いつでもすぐ食べに来るからね」
「りっちゃん、悪い子になんかならないもん!」
「そうかぁ、残念だなぁ。でもね……」
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ギシリ、と床がきしむ音がした。
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ハッとする。
薄っぺらい暖簾の向こう、理沙はすぐそこだというのに私の体は固まったまま、その場から動けない。
喉がひりついて声も出ない。
足が震え、全身の毛穴が開いた気がした。
「でも……僕は好きなものから食べるタイプなんです」
その声は、私のすぐ後ろから聞こえる。
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「やっぱり、一番おいしいのは子持ちでしょう?」
完
作者絵ノ森 亨
別サイトでも載せています。
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