その日、俺は香織と晩飯を食いに行く約束をしていた。
もっぱら彼女のマンション前で待ち合わせてから行き先を決める事が多かったので、その日もいつもの様に玄関ロビーの前にある、自動販売機横の花壇に腰掛けて彼女を待っていた。
季節は真冬。繁華街に近いとはいえ建物の間から吹き抜けて来る突風がキツくて非常に寒い。
ブルっと寒気がしたので、首に巻いていた厚手のマフラーで顔全体を覆い、背中を丸めながらジッと香織が出て来るのを待っていた。
カツ カツ カツ カツ
遠くの方でハイヒールで歩く靴音が聞こえる。まあ冬なので厚底ブーツなのかも知れないが。
カツ カツ カツ カツ
マフラーを少しだけズラせてそちらを見やると、赤いワンピースを着た若い女性がこちらに向かって歩いていた。
伸びた二本のナマ脚はモデルかと思う程にスラリと長く、腰まで垂らした黒髪が遠目からでも分かるくらいに綺麗だった。
正直、ずっと見ていたかったが、余りの寒さに俺はまたマフラーで顔を覆った。
カツ カツ カツ カツ
「こんな真冬にワンピース一枚?」
俺はふとその違和感に気付いた。それともう一つの違和感。さっきからその靴音が全然こちらに近付いて来ないのだ。
カツ カツ カツ カツ
俺はもう一度マフラーの隙間からそっと顔を出した。
するとあの女性はまだ同じ場所を歩いていた。まるでその場でただ足踏みをしているかの様に、歩いてはいるのだが全く前に進んでいないのだ。
あの子は一体何をしているのだろう?ちょっと危ない系かなー?などと考えていたら「お待たせー」と後ろから香織の声がした。
おう!と返事をしまたそちらをみると、もう女性の姿は跡形もなく消えていた。その間数秒、明らかにこの世の者では無かったのだろう。
結局、その日は近所の焼肉屋に決まり、龍も呼んでたらふく飲んで食って帰った。
それから二週間後、また香織のマンションの前で待っていると、あの足音が聞こえてきた。俺はあの時と同じように花壇に腰掛け、マフラーで顔を隠していた。
カツ カツ カツ カツ
前の事もあるのでそちらを見ない様にしていたが、こないだと違うのはその靴音がだんだんとこちらに近付いて来る事だった。
カツ カツ カツ カツ
早く通り過ぎてくれ!こっちくんな!と必死に願っていたのだが、最悪な事にその靴音は俺のすぐ目の前で止まった。
「みえてるよね?」
やっぱりそう来たか!俺は最近読んだ怪談を思い出して少し笑いそうになった。
「ねえ、みえてるよね?みえてるんでしょ?わたじが」
こういった場合は絶対に返事をしてはならない。ずっと憑いて来られるのは目に見えているからだ。俺は完全シカトをする事に決めた。
「ねえ、みえでんでしょ?みえてんだろ?なあ、みえてるよな?みえてんだろ?おい、みえでんだろーが?みえでるよなー?」
女は俺の耳元まで顔を近付けて同じ言葉を繰り返している。
きつく目を閉じている筈なのに、なぜか女の顔が鮮明に映像化されて頭に浮かんで来る。目も鼻もない、大きく裂けた口だけが付いている恐ろしい顔。
「 なんだ、みえでないのが」
カツ カツ カツ カツ
ハイヒールの音は遠ざかっていった。
良かった…助かった!と思った時、「お待たせーごめんねー」と香織の声がした。
ホッと安堵し、マフラーから顔を出した瞬間、心臓を鷲掴みにされた気がした。そこにある筈の香織の脚が見えないのだ。
「シシシシシシシシ!!」
顔を上げる。
そこには、上半身だけの赤い女が宙に浮かんでいた。
ガリガリに痩せ細り異様に首と腕だけが長い女。真ん中で分けた長い黒髪の間から覗く白い顔には目も鼻も付いておらず、口紅でも塗っているのか、真っ赤になった唇だけが顔の中央に付いていた。
「だーまさーれたー!!シシシシシシシシシシシシシシシシ!!」
何がそんなにおかしいのか?赤い口は笑い続けている。唇の中からチラチラ見える歯は真っ黒で、舌は蛇の様に二つに割れていた。
カツ カツ カツ カツ
ハイヒールの音が近付いて来た。
見ると腰から下だけが歩いて来ていた。歩く度に黒い液体が切断面から音を立てて飛び散っている。
「ウソつくんじゃねーよ、だからおとこってやつは…シシシシシシシシシシシシシシシシ!!」
下半身は劣りだったのか?中々巧みな技を…と思った所で俺の意識は完全に途絶えてしまった。
後日、香織が言うにはこのマンションが建つ前のまだ雑居ビルだった時代に、屋上から身を投げた一人の若い女性がいたそうだ。遺体は無残にも下の階のコンクリートの手摺にぶつかり、真っ二つに裂けてしまったのだという。
カツ カツ カツ カツ
皆も、この靴音が聞こえたら注意してくれ。もしかすると下半身だけが近付いて来ているのかも知れないからな。
シシシシシシシシ!!
【了】
作者ロビンⓂ︎
また、つまらぬ物を書いてしまった…ひ…